春の嵐
夢も見ない深い眠りからぽかりと目を覚まし見覚えのない景色にちょっとだけ驚く。
いつもなら飴色に変色した天井が見えるのに、今日は素っ気無く並ぶ桟ばかりが目に入った。
「そうか……フィリーの」
寝返りを打ってセシルは軽く瞼を閉じ合わせてから短く息を吐き出す。
熱は下がりきっておらず気分も良くない。
食欲も小用も催していないのにどうしてだか覚醒してしまった。
不意に強い風が窓を激しく鳴らして部屋自体も軋むように揺れる。
原因はこれかと半身を起して窓の外を窺うとまるで夜を招いたかのように暗く、黒雲の間を鮮やかに閃光が走って行くのが映った。
そう眠っていたという自覚が無いので今は昼だろう。
春の嵐。
起き上がりセシルは窓へと近づいた。
鎧戸を閉めないと貴重な硝子が割れてしまう。
たとえ透明度の低い、安い硝子といえどもそれなりに高価だ。
それに部屋が水浸しになるのも困る。
窓枠の両端についている取手を掴んで持ち上げると隙間から生温い風が入ってきた。
ひどく気持ちが悪い。
纏わりつくような風と上空を覆う雲がいつもより低く学園の正面から突き進んでくる。
これは荒れる。
直感的にそう感じ、いつもは外壁に固定されている鎧戸を引き寄せて閉めた。
他の部屋の女子も慌てたように閉めている。
明るい騒ぎ声とは違い、不安と軽い興奮が混じった雰囲気が空気を張りつめて行く。
「……嵐か」
自分の机に腰を下ろして建物が揺れる妙な感覚をどこか楽しんでいる自分に苦笑する。
嵐は恐ろしさよりもなにかが起こるのではないかという期待と高揚感でそわそわさせるものがあった。
過ぎ去った後のなんともいえない澄んだ空気。
強い者、弱い者を淘汰していくその力に憧憬を覚える。
そこを無事に生き抜いたという自負や、残す方に選択されたのだという安堵感もある。
所詮持たざる者はそういう感覚でしか存在意義を問うことができないのだ。
「……三つ目の解決方法はやっぱりリディアには無理だしね」
セシルが考えた三つ目の方法は暗示に対してなら有効な物だ。
自分の気の持ちようでなんとでもなる暗示なら“友達”を“大切な存在”と本人が認めなければ発動しない。
呪いならばかけた者の意志だから無理だ。
でも暗示なら可能。
だがリディアには無理だろう。
きっとノアールでも簡単に割り切ることはできない。
多くを望まないように諦める人生を送るのに苦は無いからセシルには容易なこと。
元からなにも持たない者は執着しなければ不幸にはならないと経験上知っているから。
ただの友達として付き合うことなど呼吸をするように自然にできる。
そんなふうに気持ちを切ることが可能な自分がどこか虚しいがこれが自分だ。
「……ん?」
視界に入った小さな白い色が気になってセシルは隣のフィリーの机に手を伸ばす。
立てられた数冊の本の間から白い三角の物が小さく見えている。
角をつまむようにして引っ張ると本ごと持ち上がった。
それに構わずに強く反動を付けて引くと、挟まれていた本が倒れ丁寧に折りたたまれた紙が出てきた。
「……手紙、かな」
首を傾げながら開く。
流れるような文字が挨拶文から始まっているそれを読み進めながらリディアの兄の言葉がセシルの脳を軽く揺さぶった。
不自然な言動、華やかな衣装。
そして最後に署名された差出人の名前。
「やられたっ!」
手紙を握りしめて部屋を飛び出す。
三階分の階段をもどかしく感じながら玄関に飛びつくと寮母さんが悲鳴を上げて飛びついて羽交い絞めしてきた。
ここで捕まって先生達に突き出されるのかと一瞬身構えるが、嵐で危ないから出るなというだけのことだった。
今はそんなことに構っている場合ではない。
寮母の太い腕をするりと抜けて外へと走り出ると、そのまま足を休めずに階段を上り中庭へと出た。
木々がまるで抗議しているかのように枝を揺すり騒がしく喚き散らしている。
どこへ行けばいいのか迷いながら腰を落として目を細めた。
風が強くて走ることはもうできないから右横から風を受けながらゆっくりと歩くしかない。
その前にゆらりと銀の髪の乙女が立ち塞がりセシルはぼんやりと名前を呼んだ。
「ヘレーネ」
「……セシル」
苦り切った表情で俯くヘレーネは疲れ切った顔で精彩を欠いているが、美しさは変わらぬままだった。
逆に弱った風情が保護欲と征服欲を掻き立てられるよう。
「たっぷりと怒られてきた?あたしの分まで」
立ち止まりお互いに向き合ったまま荒ぶる風に吹かれるという異常な事態。
それなのにヘレーネの長い髪は校舎の方へと流れ、光は無いのにキラキラと輝く。
「傷は……大丈夫なの?」
弱々しい声が心配してきて思わず苦い笑いを浮かべる。
「見ての通りぴんぴんしてるよ。で?あたしの処分は?退学?」
「ばかにしないで!わたしはセシルの名前は出してない。退学なんてさせないから!」
顔を上気させ叫んだヘレーネの様子に呆気にとられ、次に吹き出した。
当人だけが取り残され怒りを持て余し赤く染まった頬を引きつらせて「なにがおかしいの!?」と詰る。
流れていく銀の髪に手を伸べて掬うと暴風にあおられて指に絡む。
細く美しい髪の感触を楽しみながら「じゃあ責任とってくれる?」と小首を傾げ琥珀の瞳を眇めて微笑むとヘレーネがびくりと肩を跳ね上げる。
銀の絹糸をまとった手のひらを移動させてそのうなじに添えた。
細い首。
ごくりと鳴らされる喉。
「“騙りのレイン”は根なし草だからちゃんとした関係で縛りつけないと飛んでいく。もちろん知ってるよね?」
「セシルわたしは」
「できるよ。だってヘレーネは」
するりと手を滑らせ鎖骨を撫でた後、心臓の位置を探る。
身体を強張らせて一歩下がろうとするのに合わせてセシルは前に出た。
そして有無をいわせずに乳房の場所を掴む。
「男だもん」
「!?」
ヘレーネは蒼白の顔でセシルの腕を払う。
唇を慄かせて力なく睨みつける紺色の瞳は戦意喪失して大きく揺れているた。
セシルに傷を負わせた不本意な事故からすでに戦う気概は失われているのだろう。
「知ってる?リディアが誘拐された時に同じ年頃の男の子が一緒に目撃された」
「…………」
ヘレーネは瞠目している。
美しい眉を寄せてまるでよくできた彫像のように微動だにしない。
背筋の伸びた綺麗な立ち姿だが緊張しているのは手に取るように分かる。
雷鳴が轟き更に暗くなった。
誰もが家に閉じこもり嵐が過ぎ行くのを心から願っているだろう。
そんな天候の中で詰問しているという現実離れしている事態にセシルは満足する。
普通の生活などできないし、望んでもいないのだと。
「セシル、違う!」
荒れ狂う風を受けながら駆け寄ってくる少年の姿が視界に入り、セシルはそちらへと視線を向ける。
必死に叫んでセシルの過ちを正そうとしているくせに激ししく動揺しながらヘレーネとセシルを交互に見やっていた。
「ああ、ノアール。良い所に。流石優秀な人物は心得てるね」
まさかこのタイミングでやって来るとは思っていなかったので素直に驚嘆した。
「セシル違うよ。ヘレーネじゃない」
「分かってる。ヘレーネは協力してただけ。犯人捜しをしてたあたしたちを攪乱するためにわざと近づいてきた」
皺くちゃの紙をノアールに突き出すと怪訝そうに受け取り、風に弄ばれながらも広げて内容を確認する。
瞳を閉じて「ああ……やっぱり」と重く呟く様子に笑みが零れた。
ノアールは別の所から犯人へちゃんと辿り着いていたのだ。
ヘレーネも観念したのか顔を上げてこちらをしっかりと見据える。
「協力はしてない。私はフィリーが間違いを犯さないように見てただけ」
「間違いを犯さないように?」
「ライカがフィリーを学園で見た時に六年前の事件の男の子だってすぐに気付いた。もしかしたらまたリディアに近づくんじゃないかって思って」
真相を語り出したヘレーネにノアールがしっかりと頷いて見せる。
それからセシルの方を向き「リディアがフィリーと一緒にいるみたいなんだけど……どこにいるのか分からない」と告げた。
「リディアがフィリーと?じゃあ……思い出したんだ」
ドライノスに預けられた薬瓶を飲んだリディアの姿が再び脳裏に浮かぶ。
その瞬間に傍にいてやれなかったことを悔やむが、取り乱した姿を他人には見られたくないだろうと思い直す。
そう悪いことにはなっていないだろうと高を括って心を落ち着かせる。
「どこへ行ったか分かると思う」
ヘレーネが唇に指を当てて甲高い音を立てると雲を切り裂いて滑空してくる影が現れた。
指笛に答えるように鳴き返し羽を数回羽ばたかせた後で旋回して降りてくる猛禽類が差し出した腕に止まる。
むき出しの腕に大きな爪が食い込んで赤い傷をつけたが慣れているのかその表情に変化はない。
その足に結ばれた紙をヘレーネが外し内容を一瞥して口を開く。
「二人はスラム街へ向かったみたい。今はライカが見張ってくれてる」
「急ごう」
ノアールが走りだしセシルもそれに続く。
鳥を空に放した後でヘレーネもついてきた。
時折風に足を取られて転びそうになりながらも三人は魔方陣へとなんとか辿り着き揃って飛び込んだ。




