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魔法学園フリザード  作者: 151A
再会の呪い
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持たざる者



「どう?決心はついた?」


 アイスバーグは手を洗い拭きながら何でもないことのように問いかけてきた。

 薬のせいで朦朧としている意識をなんとかつなぎ止めながら黙って受け流す。


 彼がいっている内容が頭の中で響く。


 曖昧に「いや」と呟いて目を閉じると道具の片づけをしながらやはり大したことでもなさそうに「そうか」とだけ相槌を打つ。


 その声が妙に心地よくて、そのまま身を委ねてしまいそうになる。

 睡魔は優しく眠りへと誘う。

 寮のベッドより柔らかいソファが眠ってしまえと唆す。


「きっときみなら遣り遂げられるよ。大丈夫」

「……買い被りだよ」

「ミシェルがいってただろ?きみは賢いと」


 アイスバーグの呼んだミシェルという名がセシルの記憶を前日へと連れ戻す。

 ポケットに入っている瓶が腿に当たっている感触が苦しい。


 気乗りのしない頼みごとをされたのは街で倒れたノアールを医務室へと運んだ時だった。


 少し痺れた腕が下がってきたのをドアの前で立ち止まり腰を入れ反動をつけて持ち上げる。

 その拍子にノアールの眼鏡がずれて落ちそうになった。

 長い睫毛が震えるが、起きる気配は無い。


「せんせー。急患です」


 右足でドアをノックし声を張り上げると衣擦れの音が近づいてきて開いた。

 だが目の前に現れたのは白衣でも無く、若く柔和な顔でも無かった。

 無愛想に灰緑色の瞳が見下ろしてくる。


「アイスバーグは手が塞がっている。どうした?」

「多分貧血」

「……入れ」


 ちらりとセシルの抱えているノアールを一瞥したドライノスが中に入れるように身体を脇に寄せた。

 軽く頭を下げてから「失礼しま~す」と呑気な声をかけて部屋へと進む。

 清潔な医務室にはカーテンで仕切られたベッドが二つ右奥の部分にある。

 そのベッドの壁側は使用中らしく、そこからアイスバーグの影らしき物が動いているのが見えた。


「手前のベッドに寝かせてやれ」


 ドライノスはカーテンを引き顎で示してから、左奥に置いてある大きな机の椅子に座る。

 その上に置いてある幾つもの小瓶を手に取り、確認しながら少量ずつを擂り鉢の中へと入れていく。


 横目で見ながらノアールを言われた通りベッドに横たえて、足元に畳まれている布団をかけてやる。

 顔色はさっきよりも良くなっていた。長くせずに目が覚めるだろう。


「ああ……やっぱり来たね。朝会った時に顔色がいつもより良くなかったから」


 隣のベッドからカーテンを開けて顔を覗かせたアイスバーグが小さく微笑んだ。

 静かに眠るノアールをざっと目で診察してから「大丈夫そうだ」と呟いて隣に戻ろうとカーテンが動いた時に薄い茶色の髪と鈴が見えた。


 セシルは素早く動いてアイスバーグの腕の下を潜ると隣のベッドへと近づいた。


「リディア……どうして?」


 心地良く眠っているようには見えない。

 眉は苦しげに寄せられて、目蓋も頬も緊張して強張っている。

 半開きの唇の向こうから微かな苦しげな声が聞こえてきそうだ。

 閉じた睫毛が濡れていて蟀谷の横を流れていった涙の痕も残っている。



「極度の睡眠不足に過度の恐怖と圧力がかかったら精神が恐慌状態になりやすいんだよ」


 アイスバーグはリディアの乱れた前髪を優しく流してから額に掌を乗せた。

 それから下へと移動させ目を覆うと寝ているはずのリディアの身体が反応して身じろぎをし、枕に乗っている頭を左右に動かす。

 眠っているはずなのに目蓋越しに明かりを感じられなくなると無意識に恐怖し身体がそこから逃れようとする。


「……不憫だね」


 そっと手を退けセシルの背中を押すと一緒にベッドから離れた。

 ドライノスが座っている机の横に椅子を取り出してセシルに勧め、自分は壁際の薬の入った棚の前に腰を下ろす。


「そろそろ頃合いだろう」


 ドライノスが擂り鉢の中の薬草を混ぜ合わせながら興味無さそうに呟いた。

 アイスバーグは黙って首肯する。


 なにが頃合いなのか解らないが薬のことだろうとぼんやりとカーテンに囲われたベッドへと視線を投げる。


 過度の恐怖と圧力とはどういう意味だろうか。

 恐怖と不安は常にあったはずだ。“過度”ということはなにかがあってリディアの中の恐怖が許容範囲を超えて恐慌状態になったということか。


「なんにせよ六年は長すぎた。これ以上延ばせば思い出した時に自我が崩壊する」

「自然に思い出せればよかったんだけどね」


 憮然としたドライノスの声。

 それをやんわりと受け止めるアイスバーグ。

 彼らが気安く会話していることよりも、内容がセシルの心を奪った。


 頃合いという言葉が薬のことではなく、リディアのことだったのだと驚愕する。


「どうした?おかしいか?私達がリディアの話をすることが」

「……おかしいもなにも。先生が今、名前で呼んだことにも違和感があるよ」


 動揺を隠しきれないままセシルはドライノスとアイスバーグを交互に見やる。

 ドライノスの年齢は確か今年で三十五歳。

 アイスバーグは二十五歳。


 二人の関係は恋人のそれとも違うし、ただの同僚という形とも違うように見えた。


 しかもなぜリディアの暗示について詳しいのか。


「私が学園に勤める前はこいつの父親の元で世話になっていてな。その師匠がリディアを診察した。それがちょうど六年前だ」


 こいつとアイスバーグを視線で指しドライノスはため息を吐く。

 自分の話をしなければならないことが新底不服そうに語る。

 説明しなければならないので仕方なくという姿勢だ。

 アイスバーグは楽しげに笑い、そんなドライノスを見守っている。


「医者としての治療ではなく、呪われていると本人が言っているらしいと私も共に行くことになった。話を聞き調べたが呪われている痕跡も魔力も感じない。すぐに暗示だと気づいた。だから私は薬を使って強引に記憶を蘇らせてしまえと申告したが……依頼者に断られた。忘れているのならば無理に思い出させたくはない。辛い記憶ならなおさらと」

「ミシェルは乱暴なんだよ」

「うるさい」


 アイスバーグがドライノスをファーストネームで親しげに呼び、それに鼻に皺を寄せて煩そうに応えるのを不思議な気持で眺める。

 ドライノスはどちらかというと誰にも気を許すタイプではなくいつも冷静だ。

 淡々と話し、言葉に優しさや温もりは皆無。


 逆にアイスバーグは誰にでも気安く温厚で言葉の端々に思いやりが溢れている。

 そんな二人が知り合いで、しかも親密ともなれば驚いても仕方がない。


「だが!なんの解決にもならないと再三忠告したが聞く耳を持たなかった。それでこの様なんだから呆れる」


 セシルの視線を感じてアイスバーグを睨み、咳払いしてから説明を続ける。

 その行動自体が新鮮で思わず口元が緩んでしまう。

 それを見咎められてセシルまできつく睨まれるが全然恐くない。


「リディアはドライノス先生を覚えていないの?」


 授業の時も学園内でも個人的にドライノスと話しているのを見たことが無かった。

 治療と称して喋ったことがあるのなら、もう少し懐いていてもおかしくは無い。

 それに抱えきれずに思わずノアールに秘密を喋るよりも、すでに事情を知っているドライノスに相談に乗ってもらえばいいのだ。

 それをしなかったということは覚えていないとしか思えない。


 だが彼女は頬杖をついて「覚えているさ。リディアは」と自嘲気味に笑う。


「彼女は避けているんだよ。まあ確かにミシェルは喋りやすいタイプではないし、甘えたら叱られるって思うんだろうね。でもこう見えて意外と情に脆い所があるんだよ。だからこうして心配してる」

「うるさい!黙ってろ」

「はいはい」


 尖った声で注意するとアイスバーグはクスクス笑って受け流す。

 こうしているとどちらが年上なのか解らない。

 神経質な先生のイメージががらりと変わってしまった。

 可愛い人なのだなと認識を改めて頷く。


「そこでだ!私は遅すぎるギリギリのラインが今だと感じている。手を打たなければ、もうリディアと家族には悲惨な未来しかない」


 ベッドで眠っているノアールとリディアが起きそうな程の大声でアイスバーグとの会話を打ち切ってから苛々とドライノスは残酷な通達をする。


 心の中でどうして自分なのだろうかと首を傾げた。


 確かにリディアの暗示を解こうとノアールと動き始めた所だが、セシルはどこか面白そうなので協力すると決めた不実な動機から始まっている。

 善意で救済しよう知恵を絞っているノアールにそういうことはいうべきだ。


 それともふざけているセシルに釘を刺して真面目に協力しろというつもりか、他の思惑があるかのどちらかだろう。


「リディアの家族に事態が悪化していようとも、もう忠告するのは止めた。可哀相だと言いながら解決策を拒否しているような彼らには任せられない」


 ドライノスは細く美しい姿の水差しから擂り鉢へと液体を注ぐ。

 少量ずつ加えながら棒でゆっくりと混ぜ合わせながら、ちらりとこちらの様子を窺うように視線を飛ばす。

 植物学講師の慣れた手つきで行われる作業を眺めながらため息を吐くと「ノアールには頼めないこと?」と真意を探る。


 喉の奥でクッと笑いドライノスが「お前は賢いな。レイン」と呟く。


 混ざり合った薬草は飲む気が失せるような茶色と緑が混色し、漂ってくる臭いも刺激臭に近い。

 確実に飲み下す前に吐き気が来る。


 その前に舌が麻痺するのかもしれないが。


 そんな擂り鉢の上にドライノスは骨ばった青白い手を翳し、呪文を唱えながら円を描くように動かしていく。

 手が動くたびに表面がゆっくりと波打ち、縁の方から左回りに回転を始める。

 次第に渦を作りその中心から透明な液体へと変わっていき、ドライノスの唱える詠唱が低くなりやがて途絶えると液体は動きを止めておとなしくなった。


「……あたしは試験で赤点ばっかりとる落第生だ。優秀なノアールにやらせることのできない仕事ってことは悪いことでしょ?そんなのごめんだよ」

「悪いこと?友達を救うことが何故悪いことだと思う」


 空の小瓶にできた液体を入れながら不思議そうにいわれて、またしても深いため息を吐くことになった。

 由緒正しい家柄と金のある者は守られて、貧しい物は金をちらつかされて利用されるだけ。


 手を汚すのはいつだって持たない者だ。


「それはなに?」


 うんざりしながら小瓶を指差すと蓋をしっかりと閉めた後に渡された。

 掌に収まるほどの小ささ。

 硝子は厚く簡単に割れたりしないような作りになっている。

 掌で転がすと今では無味無臭となっている液体が楽しげに躍った。


「失われた記憶を喚起する作用のある薬だ。服用すると舌で吸収され魔法の力で血液の流れに入り込む。素早く脳へと到達し刺激を与え、忘れていたことすら忘れているような記憶を引きずり出す。これの悪い所はそこら中にある記憶の引き出しを全部開けてしまい、目当ての物だけを思い出させることが出来ない所だな」

「ちょっと!それって」


 そりゃあリディアの親が拒むはずだ。

 頭の中に記憶が溢れ返ってしまい、脳が混乱して気がふれてしまいかねない。

 セシルだってそんな薬をリディアに飲ませるのはできれば遠慮したい。


「だからあの時にやっておけば良かったんだ。たかが九年間の記憶が頭に溢れかえるぐらいなら、時間をかけて整理をつけて行けば回復も早かった。それを今まで待ったんだ。これ以上は待てないだろう?」

「……他に方法は?」


 軽く睨むがそれは簡単に受け流される。

 ドライノスは「難しいだろう」と肩を竦めて立ち上がるとドアへと向かう。

 紺色のローブが微かな衣擦れの音をさせながら遠ざかって行く。

 セシルは小瓶をぎゅっと握りしめて下唇を噛んだ。


「それにリディアには近しい者ができた。放っておけば間違いなく近いうちに暗示はリディアを動かすぞ?」


 ノブに手をかけてから肩越しに振り返り脅しをかけてくる。

 相手はセシルかノアールか。


「君は落第生ではない。馬鹿なふりができる賢さを持っているのを私は知っているよ。それにこれは君が一番適任だ。リディアを説得するのなど簡単だろう?“レイン”」


 含みのある言い方で名を呼んでドライノスは愉快気に肩を揺らした。

 長く艶やかな髪がその動きに合わせて煌めく。

 自然と視線を外して床の木目を凝視する。

 その耳にドアの開く音と、閉じられた音が響いた所で瓶を持っている右手を高く振り上げた。


 掃除の行き届いた床に当たる硝子の鈍い音と蓋が開き透明な液体が黒い染みを作る。

 そんな妄想を目の前に鮮やかに描きながら右手首を掴んで離さないアイスバーグの顔をぼんやりと見上げた。


「ミシェルの薬を無駄にさせるわけにはいかない。わたしの目の前ではね」


 苦りきった顔で弱々しく微笑んだ校医はセシルが悔しそうに目を伏せたのを確認してから手を放した。

 セシルの肩にそっと両の手を乗せると「よく考えてみて」とだけ言い置いてドライノスの後を追うように出て行った。


「どうしろって?」


 掌のあまりにもむごい薬を捨てることもできず、ただ見下ろすことしかできない。

 カーテンが開けられる音がして反射的にポケットに隠す。

 それから顔を向けると眼鏡をかけ直しながらノアールがこちらを見て恥ずかしそうに笑ったのが見えた。



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