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魔法学園フリザード  作者: 151A
再会の呪い
20/127

治療



「セシル!?」


 部屋の灯りを全て点け終えてほっとしているところを母親に呼ばれてリディアは慌てて食堂の正面にある居間へと走った。


 暗闇を怖がるリディアのために夜には家中のいたるところに灯りが置かれているから廊下にも冬の午後くらいの明るさはある。


 母親が物静かな顔に戸惑いを浮かべてセシルが訪ねてきたことと、怪我をしていることを伝えた。

 「どうしてこんな時間に?」という疑問と「なぜ怪我を?」という恐ろしさに居間に飛び込むと、ソファにぐったりと沈み込んで傷口をマーサに手当てされているセシルの姿があった。


 柔らかな透明感のある優しい緑の髪が頬を覆い、いつもは緩みっぱなしの唇がきつく結ばれている。

 好奇心でいっぱいの琥珀の瞳にも精彩は無くどこかぼんやりとした視線で天井辺りを見ていた。


「お嬢さま」

「セシル、どうして?」


 マーサに視線で頷いてから呼びかけると顔をこちらへと向けて困ったように微笑んだ。

 それから「リディの顔が見たくなったから来ちゃった」と軽口を叩く。


 鐘が七つ鳴るのを聞きながら部屋の灯りを点けたので、とっくに学園の門限は過ぎている。


「“どうして”はここに来た理由じゃなくて、怪我のこと」


 マーサの横に行き傷口を覗き込むと拭っても、拭っても血が溢れてきていた。


 赤黒い血液は嫌な記憶を揺さぶる。

 不快よりも不安を呼び、いいようのない恐怖を連れてくるのだ。


 だがこれはリディアの受けた傷ではない。


 痛いのはセシルだ。

 辛いのもセシルだ。


 ここで自分のことのように怯える必要はない。


「マーサ。お医者さまを呼んで。わたしが代わるから」

「でも」

「大丈夫だから」


 リディアはマーサの手から布を受け取るとセシルの傷口を押えた。

 渋っていたがさすがに医者を呼ばねばならないほどの傷だとマーサが一番解っている。「お願いします」と頭を下げて出て行った。


「へぇ」


 セシルが感嘆したように呟く声がリディアには皮肉に聞こえて「なに?」と冷たい声で問い質すようにいってしまった。


「……いや。リディアは自分のことのように青くなって怒るんだろうなって思ってたから。意外にも冷静だなと」

「どうしてわたしがセシルのために怒らなきゃならないの?」

「友達だから?」

「そっちが勝手にいってるだけでしょ?」

「そっか」


 深いため息を洩らしてセシルはずるずると背もたれから頭を滑らせる。

 身体がリディアのいる方とは逆の方へと流れていくので気でも失ったのかと傷口を押えたまま顔の方へと近づくと不意に右手が伸ばされてリディアの頬を撫でた。

 その拍子に髪を結んでいる鈴がチリンと音を鳴らす。


「……もしかしてその怪我」


 傷を負ったことをリディアが怒る――友達だからという理由はリディアには無いがセシルにはあるのだろう。


 でももっと根源的な問題だとしたら?

 怪我を負った理由がリディアの為だったら。


 とうぜんリディアは怒るだろう。

 そんなことを頼んだわけでもないし、望んだわけでもないのに。


 いや。

 リディアは望んだのだ。


 呪いを解くために協力して欲しいと。


 それはセシルに頼んだことではなかったが、彼女は自主的に協力するといってくれた貴重な人物。

 昨日家を訪ねてきたセシルとノアールは誘拐事件についてマーサに尋ねたという。

 つまり彼らはリディアの知らない間にちゃんと解決策を見出そうと行動してくれていたのだ。


 そしてこの怪我。


 セシルの柔らかくも適度に筋肉のついた二の腕を斜めに切り裂いた傷はまさにリディアが負うべき痛みだ。

 手のひらで押えても覆えないほどの大きな傷がリディアのせいでセシルを傷つけた。


「ヘレーネに気を付けて」

「……え?」


 冷たいセシルの指が知らぬ間に皺が寄っていた眉間を突く。

 その氷のような冷たさと共に入り込んできた言葉は脳に染み込み驚きを生む。


 どうして、ヘレーネ?


「とにかく朝までは追って来られないから大丈夫……」


 語尾が弱く消え入りそうになっている。

 まだリディアの額にふれている手の冷たさが恐ろしい考えを突きつけた。

 思わず名を呼び、傷口を押えている指に力が入る。

 その患部だけが布越しにも熱を持っているのを感じた。


「セシル……もういいから」


 視界が歪んで温かい物が頬を伝う。

 悔しくてたまらない。

 自分の弱さが他人を傷つけていくことがたまらなく苦しい。


「もういいってどういうこと?」


 思いがけず強い口調でセシルが下から聞き返す。

 濡れてよく見えない瞳を瞬きながら凝らすと、弱々しい光しかなかった琥珀の瞳が激しく輝き睨むように見ていた。


 たじろいでリディアが口を閉ざすとセシルは花柄が織り込まれた生地に右肘を着き半身を起す。


「諦めるってことだったら許さない。ノアールだって必死に犯人を捜してる。もしリディアがここで諦めるっていうのなら、あたしは別の手段を使わなきゃならない。どんな汚い手を使ってでも呪いを解く。そうじゃないと」


 一度言葉を切ってからセシルが目を伏せる。

 左手を動かしてショートパンツのポケットを上から押え、再び上げられた瞳が辛そうにこちらを見つめた。


 色を失った唇が震えながら「リディアに友達だっていってもらえる日がこない」と動く。


「……その傷はヘレーネに?」


 話題を変えたくて傷の話をする。

 全く違う話にしたくてもそこまでお互いのことを知っているわけでもないので上手く話を選べない。


 それに知りたかった。

 その傷がリディアの所為で負った物ならば理由を知る義務があると思う。


「あたし退学になるかもしれない」

「どういうこと!?」


 唐突な飛躍の仕方に混乱する。


 怪我を負ったのはセシルの方だけではないのだろうか?

 もしかしたらヘレ-ネにとんでもない深手を負わせたのだろうか。


 貴族の乙女に降りかかった不幸は、セシルを退学という処分だけでは済ませないだろう。

 牢に入れられるかもしれない。


「……ヘレーネは名簿に載っていなかった。それだけじゃなくて西棟の学生課の奥にある保管庫の生徒名簿にも名前が無かったんだ」

「それって」


 つまり学生ではないということだろうか。


「でもちゃんと授業を受けてるし、先生達も生徒として扱ってるみたいだから」


 リディアが至った推測などセシルもとっくに考えたのだろう。

 即座にその答えを打ち消して顔を歪めながら座り直す。


 深く息を吐き出してから固く目を閉じてしばらく痛みに耐えるように黙る。


 静かな空気が居間を流れた。


 医者はまだだろうか。

 やきもきし始めたリディアの焦りを見越したようにセシルは薄く目を開けて唇だけで笑う。


「……フリザードに経歴を伏せて入れるほどの力を持った人物、かも」


 その言葉に昨日図書塔でヘレーネ自身が祖父を知っていると語ったことを思い出した。


「そういえばヘレーネはディアモンド出身なのに下宿に住んでるの。おかしいでしょ?」

「確かにあんなに高そうな服着てて下宿に住んでるのかって思ってたけど……。どうしてディアモンド出身だってリディが知ってるの?」

「わたしのお祖父さまは貴族の出で、今は王城で教育係をしてるの。ヘレーネはそのお祖父さまにお世話になったことがあるっていってたから間違いないと思う」

「そのお祖父さまが国の外に仕事で出た時にお世話になったのかもしれない」

「それはない。ヘレーネはわたし達よりひとつ上の十六歳でしょ?お祖父さまは十八年前に教育係になってから一度もディアモンドを出たことが無いから」


 セシルは「王城で教育係」と繰り返してぼうっと天井を見上げる。

 ずっと床に膝をつけていたので疲れてきたのでセシルの横に腰を下ろすと汗でへばりついた前髪を払うように流してやった。


「もしかしたらわたし達が考えている以上の身分かもしれない」

「……どっちが騙りか解ったもんじゃないね」


 聞き取れないぐらいの小さな声だったが自嘲気味に出されたそれは辛うじてリディアの耳に残った。

 だが意味は解らないので「なに?」と問うとセシルの右手がリディアの左指を掴んだ。


 びくりと身体が反応して固まる。


「この手の傷がリディアを呪縛してる。絶対にそこから助けるから」

「……セシル。はな」

「なにをしている!!」


 鋭い声が割り込むようにリディアの言葉を遮った。

 驚いて振り返ると入口に仕事から帰ってきた兄が立っていた。

 十八歳になる兄のトーマスは燃えるような眼でセシルを半眼で見ながらつかつかと近寄ってきた。

 身長はあまり高くなく、顔も童顔の為に職場の人に舐められて困ると言っていたのに、トーマスの激昂した表情は妹でも怯むほどのものだった。


「その汚い手を放せ!」


 ピシリと音を立ててセシルの手首が打ち据えられた。

 その瞬間震えるように肩を動かし呻くセシルの姿を見て激しい反発を覚えた。


 なぜセシルが兄に叱責されなければならない?


「ちょっと!」

「なんだ……うわっ!」


 立ち上がり握っていた布を思いっきり憎たらしい顔に叩きつけた。

 もとは白い布だった物は血を吸って重く濡れている。

 リディアの指先だって血が乾いて茶色になっているのだ。

 その布がベチャリと嫌な音を立ててトーマスの頬を汚す。


「血じゃないか!?」


 慌てふためいてテーブルの上に置いてあった新しい布を掴んで顔を拭い、汚い物を触るように投げつけられた布を指先で摘まんでテーブルの端に乗せる。


 我が兄ながら腹が立つ。


「セシルは怪我してるのに、あんなことして許されると思ってるの!?」


 先程の行動を非難するとトーマスは唇を歪めて眉を寄せた。


 簡単に謝罪することが出来ない頑固なところは兄妹よく似ていると母が苦笑しながらいつもいうのだけど、やはり今回も素直に謝るつもりは無いらしく「居間で妹の手を握っていい寄っている奴が悪い」と吐き捨てる。


「ちょっと!セシルは女の子なの。そんなことするわけないでしょっ」

「女?」


 片眉を跳ね上げて信じられないようにソファに座っているセシルを見下ろす。

 見られている方は慣れているのか口元に笑みを浮かべて黙っている。


 訝しんでいる兄の横で改めてリディアもセシルを見つめる。

 そういわれてみれば男の子に見えなくもない。

 元々性別を知っているリディアは同性と判別できるが、なんの情報も無く紹介されれば男か女か解らないかもしれない。


「ホントか?」

「……確かめたらいい」

「どうやっ」


 挑発するようにセシルがいい、トーマスが方法を問う言葉が終わらぬ内にさっき自分を打ち据えた手を無造作に掴むと引き寄せて胸に当てた。


「おいっ!!」

「セシル!?」


 兄妹の悲鳴が同時に起きる。


 その様子を楽しげに見てからセシルは緊張しているトーマスの手を解放した。

 自由になった手を勢いよく引き戻して半歩下がる姿を、声を上げて笑い「良いね。その反応」と頷く。


「からかわないでセシル!でもこれで女の子だってトムにも解ったでしょ?」


 まったくなにをしでかすか解らないクラスメイトだ。

 止めようにも予想ができない行動に出るので難しい。


 こんな調子ではノアールも苦労しているだろう。


 ちょっと同情してリディアは額を押えるとトーマスに向き直り念を押す。

 だが兄はまだ動揺したままむっつりと唇を突き出して「いや」と否定する。


「あれ?あたしこれでもリディより胸あるんだけど」

「そうじゃない!」


 顔を真っ赤にしながら食って掛かるとトーマスはセシルの鼻先に指を突き付けて怒鳴った。

 それをニヤニヤ笑いながら眺めている悪趣味な少女をリディアは呆れて見ていた。


「相手はどんな手で来るかわからないんだぞ!?もしかしたら女のふりをしてリディに近寄ってくるかもしれないんだ。油断してもしものことがあったら」

「解ってるよ!でもセシルはわたしの呪いを解くために調べていて怪我をしたのに疑うなんて!」

「それも手の内かもしれないだろ?優しくして、取り入って」

「うるさい!もうトムはあっちに行ってて」

「リディ」

「わたしが一番助けて欲しい時にいつもいないくせに。こんな時だけ心配して!可哀相だって勝手に同情してイライラする!」

「それは」

「あっち行ってて!」


 心配してくれる家族よりも今は自分のために行動してくれているセシルやノアールの方が優先だ。

 六年間なにもしてくれなかった家族より、危険に飛び込んででも呪いを解こうと努力してくれているクラスメイトの方が心強い。


 不甲斐無い兄など顔も見たくない。


 トーマスは傷ついたように顔を俯かせて出て行くが、リディアは気にもかけないし謝る気も無かった。

 そっと再びソファに腰を下ろす。


「ごめんね。セシル」

「なんで?楽しかったよ」


 目の前で兄妹喧嘩を見せられてなにが楽しかったというのだろうか。


 首を傾げていると隣のセシルは「あたし兄弟いないから」と笑み崩れる。

 その表情には悲しみも喜びも怒りも無かくてただ現実受け入れているだけの微笑みは無性に心の内側を引っ掻いた。


 なんの感情も無い笑みというものをリディアは初めて見たから。


「あの……」

「そういえばなんでお兄さんはあたしが男かどうか気にしてたわけ?」


 出鼻をくじかれて俯いた。


 もっとセシルの家族について聞こうとしていたのに、それに気付かれて先回りされたような気がする。


 聞かれたくないのだろう。


「わたしが誘拐された時に同じ年頃の男の子と一緒に歩いていたのを誰かが見ていたらしくって。それでトムはわたしに男の子が近づくのを嫌がるの」

「男の子……」


 口の中で何度か繰り返して呟いているセシルの横顔を眺めていたが、やはり女の子にしか見えない。

 女性らしい優雅さや華やかさは無いけれど、つんっと上を向いた鼻や常に笑っているかのように上がった口角、なによりも魅力的な瞳には無邪気ともいえる好奇心にあふれている。


 美人ではないけれどとても魅力的な女性だと思う。

 ちょっと性格に問題があるけれど。


「怪我人だって?」


 闇色のローブを羽織った人物がマーサと共に入ってきた。

 その声は若く聞き馴染みがある。

 リディアは慌てて立ち上がり頭を下げた。


「アイスバーグ先生、セシルが」

「遅くなってすまなかったね。でもすぐ処置をするから大丈夫だよ」


 優しく微笑むアイスバーグに場所を譲ると、医者は持ってきた大きな黒革の鞄を床に下し中から治療用具を取り出してテーブルの上に並べ始めた。

 マーサに水と布を持ってくるように指示して、リディアには下がるようにと手を動かす。


「見事だ」


 セシルの腕を持ち上げて傷口を診ながら布で拭い感嘆の声を洩らす。

 アイスバーグはしばらく顔を近づけていろんな角度から観察しながら次から次へと溢れ出る血を押えた。


「縫うしかないね」


 左手を伸ばして薬瓶を取りセシルに渡す。

 怪訝そうな顔をしている少女に「痛み止めみたいなものだよ」と教える。

 嫌々という表情で瓶の蓋を歯で噛んで開けると匂いを嗅いだ後で「気休めか」と呟いて勢いよく飲んだ。


「一応解熱効果もあるやつだからね。大丈夫。すぐ終わるから」

「どうだか……」


 リディアはテーブルの上に用意された蝋燭の灯が灯されるのをぼうっと見ていた。

 それから先の曲がった細い針に視線を動かす。

 縫うといっていたのだからその針で傷を縫合するのだろう。


 鼻に消毒の匂いが入ってくる。

 顔を上げるとセシルは渡された布を口元に持っていき慣れたような様子で噛んだ。


「お嬢さま。ここは邪魔になります。あちらで待ちましょう」


 丁度水と布を運んできたマーサがリディアの肩を抱き入り口へと誘導する。

 ドアを潜る前で立ち止まり振り返ったがセシルはこちらを見てもいなかった。

 ただアイスバーグの手元をどこか他人事のように眺めているだけだ。


「さぁ、お嬢さま」


 再び促されて廊下へ出る。


 セシルが我慢強かったのか、アイスバーグの腕がよかったのか判断はできなかったが治療が終わるまで痛みに悶える声は全く聞こえなかったのが救いだった。




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