誰も
「お嬢様お客様ですよ」
部屋の入り口にかけられている何重もの布をそっと掻き分けてマーサが呼びに来た。
ノアールかセシルだろうか。
それとも二人一緒に来たのか。
リディアは枕元の幸福の木に肥料と水を与える手を止めて振り返る。
嬉しそうなマーサの顔を見ていると複雑な気持ちになる。
六年間の間リディアを訪ねてくる人物など皆無だった。
それが昨日友人だという二人が訪れたのをマーサは喜び、母親は心配した。
父親はなにもいわず、兄は不機嫌になった。
「解った。今いく」
布巾で手を拭ってから入口へ行き廊下へと出た。
マーサが代わりに部屋の中へと入り、作業の続きをしてくれる。
リディアは玄関へ行き、その開かれた扉の外で待っている姿を認めて眉を顰めた。
「こんにちは」
そこに立っていたのはノアールでもセシルでもなかった。
不安げな表情をしてリディアの顔色を窺うようにしているのはフィリーだった。
「なにしにきたの」
強い口調になってしまうのは昨日のことがあるからだ。
彼女は信用できない。
また不用意に左手に、心の傷に触れてくるかもしれない。
「あの、謝りたくて」
「謝ってくれなくてもいいから帰って」
ノブに手を伸ばして扉を閉めると心がもやもやとした。
閉める瞬間見えたフィリーの傷ついたような顔が焼き付いている。
向こうから控えめに「リディア」と名前を呼ぶ声がするが、その哀れっぽい声が神経を刺激する。
もちろんフィリーを責めるのは間違っていると解っていた。
彼女は左手に触れられることがどんなに怖いかなど知らないのだし、リディアの過去になにがあったのかも知らないのだから。
それでもあの時触れられた感触が気持ち悪くて忘れられない。
「帰って」
言い捨ててリディアは部屋に戻った。
マーサが不思議そうに「お帰りになったんですか?」と聞いてくるので「多分ね」と返し、床に置いている本を拾い本棚へ並べた。
昨日の夜も眠れなかった。
昨日だけじゃない。
ずっと眠れない。
風が窓を揺らす音に怯え、木々の影に震え、孤独に負ける。
そして恐怖に打ちのめされる。
「私の気持ちは分からない」
そう。
誰も。