嘘つきな唇
「これからどうするの?」
学園を辞めてリディアが進もうとしている方向を尋ねると、少女は至極真面目な顔で「王立学園へ編入するんだ」と答えた。
正式名称王立ウルガリス学園。この学園は城壁内の旧市街地の中程にあり、歴史の古い学園としてフリザード魔法学園と並んで有名だ。校舎として使われている建物は初代の王が使っていた別邸を使用しており、豪奢な作りだと聞いている。
そしてそこに通うのは貴族の子息子女で、学ぶのは礼儀作法や領地経営の仕方、法律や諸外国について等、家督を継ぐために必要な物が大半だ。
「リディは貴族になるの?」
「……お祖父さまの家を血の繋がらない人が治めるのはいやなの」
「そう。じゃあフォルビア家の令嬢になるんだ」
あんなに普通の人生を送りたいといっていたリディアが、今は祖父の爵位を継ぐのだといっている。あまりの落差を笑うことはできない。リディアはラティリスに行ってルーサラという優れた人物に出会い、貴族の仕事と役割に興味を抱いた。
それは仕方が無いことだっただろう。
「実感ないけど、そうなるのかな」
首を傾げたリディアは複雑そうに苦笑する。今までの生きてきた道とは全く違う道を歩くのはどれほどの恐怖か。
セシルにはできない。
「大変だよ?」
「解ってる。でも、決めたから」
「大丈夫。反対はしないよ。ただとても心配」
リディアの真っ直ぐさはきっと王立学園に行っても珍しがられ、疎まれるだろう。フォルビア侯爵家の後継者という肩書は彼女を護ってはくれない。幼い頃から英才教育をされている生徒が多い中で、魔法学園に通っていた一般的な市民に過ぎないリディアを蔑む者達は多いはず。
なぜリディアは困難な道を選ぼうとするのか。
いや、選ばされたのだ。
ライカの隣で美しく微笑むヘレーネに視線をやると、意味ありげな瞳を瞬かせた。それだけで十分だ。
「ヘレーネは女みたいに可愛いけど、実際は男だからね。二人きりにならない方がいい」
「あら?私はどこかのお馬鹿さんみたいに強引に迫ったりはしないわ」
「どうだか」
嫌味を込めた警告をヘレーネが心外だと反論する。だが実際やったことは強引にリディアに選択を迫ったような物だ。
そして見事に思い通りの結果をもぎ取った。
「ママは賛成してくれたの?」
己が捨てた侯爵の爵位を娘が継ぐと言い出したら彼女の母は、そして父はどう反応したのか。
「昨日、真偽の魔法が街にかけられたでしょ?あの時丁度ママと話しをしてて。お互いに思ってること正直に話せたら理解してくれたよ」
「なんで……」
全てがリディアにフォルビア家を継ぐ方向へと導いている。魔法も偶然のはずなのに、ヘレーネの望むとおりにことが運んでいた。
セシルが傍にいれば少しは変わっていただろうに。
「ほんと、ごめん。リディ」
リディアは相談に乗って欲しいことがあるといっていたのに。大したこと無いと高を括って放っておいた結果がこれだ。セシルにするはずだった悩みをヘレーネに打ち明けたと責めることなどできない。
そしてそれを狙っていたヘレーネが、機会を物にした。
あの時自分の感情など押し殺して聞いてあげていれば。
「貴族の学校で教えてくれないこと、これからあたしが教えてあげる。沢山気をつけなきゃならないことあるから。リディが不幸にならないように」
「不幸になんかならないよ」
いつまでいられるか解らないから、多くの約束はできない。それでもディアモンドにいる間はリディアに自分が知っている物を教えてあげよう。それが彼女を護る術になるかもしれないから。
「このままじゃ不幸になるよ。あたしには見える」
「心配性だなあ。それともまた子ども扱いされてるの?」
「そうだよ。まだお子様なんだから、あたしの授業を受けて自分の身を護れる女にならなきゃ」
素直に首肯してリディアは「遊びに来てね。待ってるから」とせがむ。それにすぐに行くよと応えると、涙目でもう一度頷くと「じゃあ。また」と手を振って階段を下りていく。
小さな姿が消えたのを確認してからヘレーネへ身体ごと向き直る。
「どういうつもり?」
「あら?一応前にいっておいたと思うけど……。ただ時が満ちようとしているだけ」
静かな怒りを込めた追及もヘレーネは笑って受け流し、肩を竦めて長椅子へと腰かけた。ライカは距離を取って階段側へと移動し、他に近づく者がいないか警戒している。
「そんなに大事ならずっと傍にいてあげればいいのに」
「……できないことを要求されても困る」
「貴女にとってここでのことは全て通り過ぎる風の如く。でしょ?」
「そのつもりだったし、そのはずだったよ」
でも。
通り過ぎるだけの出来事が、それだけでは我慢できなくなっている。そこに特別な感情を抱かなくてもただの友人としての関係を続けていける自信はあったし、そのことを苦痛だと今まで感じたことは無かった。
だから恐かった。
初めての感情は自分の手には余って、対処できずに距離を取ることしかできなかったのだ。誰かに強い執着を持つことなど無いと思っていたのに。
「選ぶのはリディアだと貴女もいっていたじゃない」
「リディ本人が本当に自分で選んだのなら文句は無いよ。ヘレーネは誓って言える?二心無く相談に乗ってあげただけだってさ」
「親切心だけで相談に乗った訳じゃないのは認める」
「つまり。選んだのではなく、選ばせたってことだよね?」
円らで大きな紺色の瞳を更に丸くして驚きを顕にするその顔は演技には見えない。だが腹芸を巧みに操る多くの人間を見てきたセシルには、演技に見えない演技があるのだと知っている。
「本当に心外だわ。私なりに真剣にリディアの相談を聞いて、色んな道があることを示して見せたけど、その中からあの道を選んだのは確かに彼女自身。それは真実」
「どうせフォルビア家を継ぐのは碌でもない貴族の三男坊を養子に貰うしかないだとか、それを危惧する侯爵は後継者を見つけられずに爵位を返上することになるかもしれないとかいって脅かしたんだろうし」
「近いことをいったかもしれないわね」
「ほら。それが脅しや誘導でなかったらなんなのさ?」
髪をくしゃりと混ぜてセシルは苛立つ。そういう駆け引きに疎いリディアは簡単に騙されてしまう。そしてノアールもまた頭がいい癖に言い包められてしまうのだ。
だから心配で目が離せなくなる。
「クラスをリディアだけ離したのもヘレーネの策略?」
「だってセシルがリディアの近くにいるのが辛そうだったから」
否定はしないということは事実なのだ。理由が偽りではないとは限らないが、沢山の策と奸計によって全てが進められているということ。
「覚悟しといてよ」
笑って覚悟を促すとヘレーネの瞳に動揺が走った。細い肩をびくりと跳ね、見上げるその美しい頬に掌を滑らせる。
長い睫毛が震えてゆっくりと瞬きをした。
「人の大事な物に手を出すってことは、自分の大事な物を失うかもしれないってこと。しっかり胸に刻んでて」
「それは……私の大事な物を貴女が奪うって意味かしら?」
「ヘレーネが本当に大事な物でも斬り捨てられるのを知ってる。そうしないと大義は全うできないからね。ただ斬り捨てた後、きっと泣くよね?あたしと違って後悔する」
自分を責める。
「可哀相なヘレーネ。下手な策なんか打たなくても、事情を説明したらきっとリディアもノアールも協力したのに。それならあたしだって邪魔しようとは思わなかったよ」
細い顎に指をかけて、親指の腹でその唇を撫でる。柔らかい弾力を感じながらセシルはそっとため息を洩らす。
「嘘ばっかりいってたら誰も信じてくれなくなっちゃうよ」
「真実だけで生きられるほど、この世は単純でもなければ美しくも無い。それは貴女が良く知っているはず」
「そう……知ってるよ」
ヘレーネの頬にそっと唇を寄せて。
「嘘は心を虚しくさせる。気をつけて、口にして」
耳元に囁けばごくりと唾液を飲み込む音が聞こえた。身を離してセシルは教員室の方へと向かう。その奥にある薬学室へ。
なぜか無性にあの講師らしくないドライノスの傍に行きたかった。やり場のない思いの名前がなんなのか解らずに途方に暮れて口を覆いながら。




