2 きゃあああああ!!
“黄色い”彼女達は、礼儀正しく愛想の良いクロウリーに対しては何の遠慮もない。
「ねえねえ、クロウリーくん。リエイト様は?」
「いやん、ライティア様はいつ来るの?」
「それよりさ、オルフェ様って今回は乗船しないってほんと?」
彼女達にとって、クロウリーは格好の餌食である。
「え、えーと。うんと。皆さん、どう、どう」
クロウリーは笑みを引き攣らせ、少女達を押さえるように両手を胸の前で立てた。
野生の獣のように、いつか噛み付いてきそうで鋭い威圧感のある七星に対しては、近寄る事が出来ずじりじりと遠巻きに歓声をあげる事しか出来ない彼女達だが、クロウリー相手では一切の遠慮がない。
じりじりと自分を取り囲む円が狭まってゆく圧迫感に、クロウリーはぎこちない笑みを更に固くさせた。
「やだ、七星様の事を教えて~。
お好きな食べ物はなあに? 航海から戻られたら差し入れに何かお持ちしたいのぉ」
「それより、七星様って宿舎ではどんなご様子なの?」
「女性の好みは知ってる??」
「いや、えーとですね……」
(取って食われるかも……)
本人から情報を得られない彼女達が、ここぞとばかりにクロウリーを質問攻めにする。
「あ、あはは……えーと、あ!リエイトだ」
「えっ、リエイト様!?」
「まあ!」
「きゃあああ!」
「どこ!!」
「リエイト様!」
あらぬ方向を指し示し、人々の視線がそちらに向かっている内に、クロウリーはダッと駆け出して船へ向かう。
「どこにもいらっしゃらないわよ」
「まあ、逃げられた!」
「ああん、もうっ」
「残念!」
「クロウリー君も純粋な感じがいいわよね。これからが楽しみ」
「やだ、私が先に目を付けたのに」
「私よー」
(聞こえるように、わざと言っているのかな)
クロウリーは肩を竦めつつ、彼女達の会話を背に舷梯を渡った。
ラ・ガリャーガ号の甲板上では、リエイトと七星が食料を船倉に運び入れている所だった。
「あ、リエイト! もういたんだ。
船にいるって知らないから、あの女の人達リエイトが通るのを待ってるよ」
どうやらリエイトは、彼女達の視線をかわし、いつの間にか船に乗り込んでいたらしい。
「……」
リエイトは、急激に不機嫌な顔付きになり重そうな袋を肩に担いだ。
不器用な彼は、以前取り囲まれてとんでもない目に遭った。時折船の上まで聞こえてくる声が煩わしいばかりでなく、その時の事を思い出しているらしい。
首まで無造作に伸ばしたダークブルーの髪。一房だけは長く、青色の紐で結って肩先まで垂らしている。
切れ長の目、紺の瞳の色は深く、無口な彼が何を思っているのか、一番長い時間を過ごしてきたクロウリーでさえ分からない事が多い。
幼かったリエイトは赤子のクロウリーを抱き、気付くと王立養護院の門前にいたらしい。震えていたリエイト達はその場で大人達に保護されたという経緯がある。
支え合ってきた2人は、血の繋がった兄弟以上に強い絆で結ばれていた。
その頃、港では。
「ニーナ様……」
高齢の小柄な女が背を丸め、ニーナの肌理の整ったすべらかな手を掴んでいた。
女はニーナの足元へ跪き目に涙を浮かべわななきながら、荒れてごつごつとした両手でニーナのそれを強く握った。
「どうか、倅を……倅を……!」
女は、自分の大事な息子を海賊に攫われてしまった。
自分の手でニーナの手を包んだまま額を寄せ、目をきつく閉じる。
「お、お願い……し、ま……す、る……」
それは、搾り出すような悲痛な声だった。
さすがに、きゃいきゃい騒いでいた女子連も静まりかえる中、ニーナは衣が汚れるのを厭わず、女性と目を合わせるためにしゃがみ込んだ。腰まである美しい薄い色の金の髪は、流れるようにさらさらと揺れる。
女は顔を上げた。
「お……ニーナ様……」
ニーナは、その小柄な女を安心させるように優しく微笑みかけた。
ニーナのエメラルドグリーンの瞳は、澄みきっている。
「お母様。
わたくしはお母様のように突然家族や知人を奪われ、悲嘆にくれる方々の為に存在しているのです」
声音は涼やかで慈愛に満ち、清らかな空気が哀れな母を包み込むようだ。
母の目から、更なる涙が溢れる。
「お……お……」
ニーナは、ごつごつ硬い母の手をそっと握り返した。
「そして、見知らぬ土地でわたくし達の到着だけを希望に来る日も来る日も自らを奮い立たせ、ひたすら耐え続けている人々の為に存在しているのです」
その声は静かだが、強き信念を感じさせる。
「う……」
ニーナは母の小さな背に手を回し、さすった。
「つらい思いをなさいましたね」
ニーナの声は、母の胸にじんわりと沁み込んだ。強張っていた母の体から力が抜ける。 ニーナの労りに満ちた声は、体だけでなく心まで柔らかに解き解した。
「う……、う……」
滂沱と流れ落ちる涙が止まらない。
「あなたの息子さんを救い出すまで、救出同盟は何度でも何度でもオードバルへの船を出し続けます」
母からは太陽の匂いがした。
(これが、お母さまの匂い……)
ニーナの母は幼い頃に亡くなっている。その為、母の温もりというものを覚えていない。
(こんなに温かなひとを、こんなに小さなひとを悲しませるなんて)
正義感の強いニーナの胸中では、理不尽で横暴な海賊に対する怒りが更に増幅し、改めて救出の誓いが強くなる。
海賊行為はありきたりの日常を突然奪い、哀れな母を不幸のどん底へと突き落とす。ニーナの衣は、小刻みに体を震わせる母の涙でしとどに濡れた。
裾は、泥だらけ……。
それでも構わず、ニーナは母が泣きたいだけ寄り添うのだった。
側ではニーナのお付き、空色の巻き毛のセシリアが目尻の涙をそっと拭っていた。
☆ ☆ ☆
「やべえ、轢き粉が港だ」
七星が心底嫌そうに呟く。
こちらは船の甲板である。
一通りの荷を船倉に積み込み、忘れ物はないか確認の最中であった。
船の名は『ラ・ガリャーガ号』。
水中、そして砂漠を航行可能な水陸両用船である。
中央に聳える主檣は高く、帆桁は船首から船尾までの長さがあり、それに掛かる四角い帆、大横帆が主に船を走らせる。
「轢き粉が港なんだけどさ」
七星はちらりとクロウリーを見た。
「やだよ僕は!! またあの女の人達の中をかい潜るなんて絶対無理だよ」
「だ、よ、なあ」
それから、七星はリエイトをちろっと見る。
リエイトは案の定、ギン!と七星を睨んだ。
「へいへい、わーったよ。俺が取りに行って来る」
面倒そうに片手をひらひらさせ、そして言っている間に七星はひょいっと身軽に船を下りて行った。
途端に。
きゃあああああ!!
と歓声が湧いた。