24 キラの独白
(そういえば肖像画のお母様に益々似てきたみたい……髪も瞳の色も)
ニーナは改めて鏡の中の自分を見つめた。
家族の肖像画の中で幼き日の自分を抱き優しくほほ笑む母は、落ち着いた佇まいと静かな眼差しをしている。長い薄金色の髪も明るい緑の瞳も自分にそっくりだ。
あの肖像画が完成してしばらく後、母は亡くなった……。
見た目では分からないが、描かれた時お腹には赤ちゃんがいた。しかしこの世に生を受ける事は無く、母共々亡くなってしまったのだった。
もし母がまだ元気で、赤ちゃんが生まれていたらどうなっていたのかしらと時折考える事がある。
突発的に母が恋しくなる事もあった。
「……様、ニーナ様」
ニーナは、はっと今の状況を思い出した。
鏡の中からセシリアとミルフィが、心配そうに自分を見つめている。
「ニーナどうしたの? 急に黙り込んじゃって」
「ごめんなさい、ちょっと考え事をしてしまって」
「考え事でございますか?」
セシリアが更に心配そうな顔になる。
「ううん、本当に何でもないのよ」
そう言って微笑み、もう一度鏡の中の自分を見た。
『貴婦人』は相変わらず優しく光っている。
(何て綺麗なの……。それにほんのりと温かみがあって。
身に着けて夜会に出たらオルフェは何て思うかしら)
雅びやかな楽の流れる夜会で―――――楽しげな会話や笑い声がさざめく中、美しい衣装を纏って髪を結い『貴婦人』などの装飾品を身に付けた自分。
そんな自分を見つめる華麗で気品漂うオルフェ……そこまで考え、一気に心が重くなった。
(わたくし、さっきからオルフェの事ばかりね)
ニーナは気付かれないよう溜息を吐きながら『貴婦人』を外した。ふとした瞬間オルフェの事を考える癖をどうにかしなくては……。
「さあ、今度は二人の番よ。そして片付けを再開しましょう」
ニーナはオルフェの華やかな面影を振り払うように、明るく二人を振り返った。
☆ ☆ ☆
周囲には数本の木、そして所々草むらが生い茂っている。
この場所にパドラ〈馬〉は迷い込んでしまったようだ。
ダイテスは、白い綱の先を七星達に見せた。
あの杭と同じ、すっぱりと切られている。綱の材質も同じだった。
七星は頷く。
「このパドラ〈馬〉で間違いないぜ」
「捕まって逃げ出したのか、それとも放たれたのか」
ダイテスはにやりと笑って仲間に何事か話しかけた。
すると彼らは何度も頷き返す。
七星はガーラントをつついた。
「なあ、何だって?」
「ああ。こいつは頭のいい奴で、最後に餌を食わせた人間の匂いを覚えてる。
最後に与えたのがキラ達でもキラ達を捕まえた奴らでも、どっちにしても案内してくれる可能性が高い」
ガーラントが得意げに話す横で、ダイテスは喉の奥まで見えるほど、がっはっはっと笑った。
ここまで騒ぎが大きくなってしまったので、ミラノがプレジテーヌの宮殿を出奔した事はフェールの町中に知れ渡っている。ただ、ガーラントはキラの名は出しても憚ってミラノの名は出さない。
初めて会った時、キラはフェールの事をガリヴァルディの南と言っていたが、プレジテーヌの北西と言った方が正しいようだ。あえてプレジテーヌの名を出さないようああ言ったのだろう。
村人は、ダイテスのようにプレジテーヌから移り住んだ者も多く心情的にも神秘の国の辺境の地という意識が強かった。
しかし閉鎖された国の事なので、プレジテーヌでははっきりとフェールは国外と位置付けられているそうだ。
「どうすればいい?」
七星がガーラントに問うと、まかせときなと言わんばかりに頷いた。
「でかい兄ちゃん、足も速そうだな。小屋から何か匂いが残っているモンを持って来てくれ」
「……」
無言で頷いてリエイトは駆け出した。
リエイトは、外套やミラノの荷袋等を持って来た。その頃にはライティアとユノも合流していた。
「おう、兄ちゃん早かったな!」
ガーラントは豪快に笑った。
「……」
リエイトは走ってきたというのに苦しそうな様子も見せないで、それらを七星に手渡した。
荷袋や外套、落ちていたという美しい色合いの布などを七星は受け取り、パドラ〈馬〉に歩み寄って鼻先に近付ける。
草食動物の優しげなこげ茶色の瞳が灰白の長毛の間から七星を覗き見て、黒い鼻をひくひくと動かした。
それから差し出された物に鼻を近付けくんくんと嗅いでいる。
その姿は何とも愛らしい。
しばらく匂いを嗅いだ後、毛に埋もれていた耳をピンと立て鼻をむずむずと動かしながら周囲を見回し始めた。
「よっしゃあ、知ってる匂いらしいな! 皆、少し離れてろ。
お前さんらもパドラ〈馬〉の進路を邪魔すんじゃねえぞ!」
ガーラントの言葉に、七星は慌てて後ろに下がった。
☆ ☆ ☆
(長が出て行った)
後ろ手に縛められた状態で、キラは沈着に事態の推移を分析していた。
町の一角にある陰気な古い空き家に二人が押し込められて、二刻ばかり経っただろうか。
建物は、元倉庫か何かのようでがらんと広い。
薄暗い室内は吹き抜けになっており、窓は閉め切られて埃っぽかった。
ミラノとキラは、中央の太い柱の傍に手足を縛られ転がされている。
キラは、捕らえられてからも注意深く様子を観察しじっと状況把握に努めていた。
同じく縛められたミラノは信じられない事に熟睡している。
確かに不眠の疲れはあったが、
『今逃げるのは難しそうだ。
奴らが我々を連れ、移動する時にでも逃げる方法を考える事とする。
それまではどうせやる事もないので私は寝る。
キラも身体を休めよ』
ミラノはこっそり冰者の目を盗んでそう言うと、すぐに寝息を立て始めた。
肝が太いというか、何というか……。
この状況でよくそう思えるものだ。
今までミラノが拐されそうになった事はキラの知る限りでも二度ある。
それ以外に自分が知らされていない事件もあったのではないかと推測された。
今までは未遂に終わっている――――当然だ! もしミラノ様の身に何かあったらなど考える事さえ不敬である―――――が、もしかしたら第二皇子という立場ではいつも命の危険を感じながら生きているのかもしれない、状況に慣れているような気がする。
二人は救出同盟と別れ、漁師小屋へ戻るとキラが簡単に食事の支度を始めた。
パドラ〈馬〉にも餌をやり、食事を始めようと一息ついた所を冰者に襲撃されたのだ。
ミラノもキラも剣を取り応戦したが、多勢に無勢、あえなく敵の手中に落ちてしまった。その時の戦闘でキラは左腕を負傷している。
パドラ〈馬〉も連行されたが、途中で一頭が激しく暴れて逃げ出した。
二人の冰がパドラ〈馬〉を追って行こうとしたので、主従はこれを好機と捉えた。ミラノが動き出すのと同時にキラも縄を掴んでいた冰を思い切り蹴り上げ、囲みから逃れようと試みる。
が、キラは痛めた左腕が痺れ、縄から上手く抜け出す事が出来ず手間取ってしまった。その間に顔面を思い切り殴られてよろめく。
(これが悪かった。自分のせいでミラノ様を足止めさせてしまった)
キラは再びあの時の口惜しい気持ちが甦ってきた。自分の失態に居たたまれない気分に陥る。
再び乱闘となったが専門的な訓練を受けており多人数の冰に、足しか使えない自分は敵わなかった。抵抗したが取り押さえられてしまう。
ミラノも、キラを気にかけ逃げ切れずに取り押さえられた。
その間に逃げたパドラ〈馬〉はどこか遠くへ行き、結局見つからなかったようだ。
あの草食動物は自分の匂いを覚えている。
空腹を覚えたらほうっておいても向こうから追い駆けて来るだろう。
(救出同盟やダイテスは、もう船渠へ着いた頃だろうか?)