21 居てくれ!
小船を下ろすのに時間がかかり、空はうっすらと白み始めている。
夜明けは近い。
七星、ライティア、ユノ、リエイト、それに船に残ってくれていたダイテスとガーラントの六人は、浜辺に下り立ち漁師小屋へ急行した。
(まだ居てくれ!)
七星は、祈るような気持ちで走った。
一刻も早くプレジテーヌへ帰りたいと焦っていたミラノ。
それを押し留めようとしていたキラ。
(キラの言う事を聞いててくれよ!!)
薬を飲むのは皇族の誰かだろう。一口でも死んでしまう!
そうなったらミラノは皇族を毒殺した犯人……。
キラ共々どういう扱いを受ける事になるのか想像に難くない。
爽やかな振る舞いと品のある笑みで、まだあどけなさの残る神秘の国の皇子の顔が思い浮かんだ。
やけに懐いてきた時は辟易としたが……。それでもあの真っ直ぐさは、けして嫌な感じではなかった。
薬を受け取り、ユノに礼の言葉を伝えた時の嬉しそうな顔を思い出すとますます気が急いた。
小屋の開き戸は全開になっていた。
裏で眠っていた二頭のパドラ〈馬〉の姿が見えない。
(遅かったか!?)
それでも諦めきれず、七星は小屋に飛び込んだ。
「ミラノ!!」
しかし案の定、漁師小屋はしんと静まり返りもぬけの空だった。
「くっ!」
入り口でユノが柱をがん! と殴った。
……間に合わなかった!!
しかし、小屋内部の様子がおかしい。
「ライティア。……何か変だ!」
七星はライティアを振り返った。
「確かに」
頷くライティア声は固い。
二人の声に、ユノもはっと周囲を見渡す。
散乱した携帯用の食料、引っくり返った碗。掛けられたままの二人分の外套。
よく見ると小屋の隅には、ミラノが『貴婦人』を取り出した荷袋まで放置されたままになっている。
そして開け放たれている小屋の木戸。
「こっちへ来てくれ!」
外からガーラントの声が聞こえ、急いで小屋の裏に回った。
「これを見ろ、刃物で切られているぞ」
ガーラントが手招いて言い、ダイテスが杭に回されている白い綱の先を見せてきた。確かに、すっぱりと鋭いもので切られたような切り口だ。
七星は綱を掴んだ。
「俺達はこの綱にパドラ〈馬〉が繋がれているのを見た。
外れずに、誰かが断ち切った?」
「小屋の中も、争ったような跡がある」
ガーラントに言ってから、七星が意見を求めるように視線を向けるとライティアは口を開いた。
「おそらく乱闘になったんだろう」
それではやはりあの後二人はしばらく休息し、食事を済ませてから出発するつもりでいたのだろうか。
そこを何者かに襲われた。
そして、連れ去られた?
「これはどえらい事になっちまったぞ。捜索だ! 人を出そう!」
ダイテスとガーラントは町へ駆け出した。
「俺達も探そう。
七星とユノもこのまま捜索に加わってくれ。リエイト、いったん船に戻って皆に伝えてくれ。
無事でいてくれればいいが……。
それに、薬。あれを万が一誰かが飲んでしまったら大変な事になる!」
リエイトは無言で頷き走り出した。
七星達も、何か手掛かりはないかと小屋の中や周囲を見て回る。
☆ ☆ ☆
その後、捜索範囲を広げ、言葉の分かるユノが周囲の民家を尋ね回ったがそれらしき二人を見た者はいなかった。
ユノは自分を責めていた。
(リディスの明滅の事で頭が一杯になり、うっかり毒薬を渡してしまうなど……!
しっかりしろ、ユノ!!)
その時、路傍に見た事もない可憐な花が咲いているのが目に入った。
「これは?」
思わずぴくりとし、近くに寄ってしゃがみ込む。
始めて見る植物だ。美しい薄紅色をしていた。手を伸ばして小じんまりとした花に触れるか触れないかの辺りで、はっと固まり手を握り込んだ。
(今は植物どころではない……)
ユノは溜め息を吐いた。
そして、ある出来事を思い起こした。
航海の数日前、研究者が集まる会議で自分の研究結果としか思えない内容を発表している者がいた。
東クレセンティアの権威ある研究機関の学者だった。
抗議をしたら、
“言いがかりを付けるな!”
“帰れ、貧乏学者!!
などと散々言われた挙句に追い出された。
あれだけの記録をまとめるまでに、寝る間も惜しんで一体どれほど研究を続けてきた事か!
言いようのない怒りに襲われ、その後ひどく気力が減退した。
更に、みるみる惨めな気分がやって来て心が折れそうになった。
叔父ビーギル=ローゼンダイクも、その死後研究記録を没収されている。その事を思い出し暗澹たる気分にもなった。
しかし、である。
船がこの地へ漂着し、七星に『珍しい植物が見つけられるかも知れない』と声を掛けられるとむくむく興味が湧き誘われるままに付いて行ってしまった。
その後、船に戻り『貴婦人』のほの温かな発光を見てリディスに結びつく何かの手掛かりを得ようとし、更に今も珍しい花を見つけて心を奪われつい手を伸ばそうとしていた。
ユノは自嘲した。
(どうであれ俺は俺か。このような状況を作った張本人であってもな。
誇り高きローゼンダイク家の血を引いているのだ)
急に、自分は根っからの探究者なのだと胸にすとんと下りてきた。
何もかもどうでもいいと思っても、未だに草花に心惹かれてしまう。こんなに心の中が複雑に絡まって重苦しいというのに。
好奇心、興味。
この心が残っている限り、自分は苦難に襲われ挫折しそうになっても、もう逃げたい見たくもないと思っても、リディスに戻ってしまうのだろうか。
リディスに魅せられてしまった自分は……。
幼き頃、母に連れられ訪れた地、東|三日月半島〈クレセンティア〉のリディスが明滅する山。
紺碧の空にぼんやりと浮かんだ黄色の月、ちかちか光る小さな星々、そしてリディスのほのかな光。山全体が何とも言えない優しく温かな空気に包まれてふわんと光っていた。
現実とは思えない、幻想的な光景だった。
目の前の夢のような現象に自分はひどく興奮して、母の手をぎゅっと握り締めた。包み込むように握り返す母の温かな手の感触は今も鮮明に覚えている。
(なんでだろう? どうしてこんなにきれいなんだろう?)
それからユノは、あの時の不可思議さに魅了され秘密を解明したいと思うようになったのだった。
村に戻り、その数日後。
なかなか起き出さない母の様子を見に行くと、母は冷たくなっていた。まるで眠っているかのように穏やかな表情で、今にも起きだすのではないかという姿だった。
遠い戦地に赴き家を空けている父に代わって何でもやってきた母は、日々の生活に疲労困憊だった。
当時は分からなかったが、叔父の研究費用を捻出する為送金は少なかったらしい。
母は、代々ローゼンダイクの男達が研究を続けているリディスをユノにも見せたいと、無理をして自分を山へ連れて行ってくれた。……それが引き金となってしまったのだろうか?
しかも転戦中の父に、しばらくの間母の死は上手く伝わらなかったらしい。
ユノは、母の葬儀やその他の事を全て自分でやらなければならなかった。金銭的に更に困窮しつらい思いをしたが、母の急死に衝撃を受け過ぎて現実が受け入れられず、その時からリディスだけを考え続けて日々を送ってきた。
そして現在まで、発熱と発光の仕組みを研究している。