1 ルイヴィスとオードバル
東の大陸―――――彼の地には、嘗て『奇跡の』大帝国があった。
名をローランド、という。
ローランド帝国は、強固な団結力と最強を誇る軍事力で周囲の国々を圧倒。
対立を繰り返していた周辺諸国との小競り合いは鳴りを潜め、辺境の国が先を争って朝貢するまでの存在へと登り詰めてゆく。
その後も帝国は着々と東の大陸の中で版図を広げ、堅固な基盤を築いていった。
また活発な経済活動が齎す莫大な富は帝国を潤し、豊穣なる大地は飢渇を忘却の彼方へと追い遣った。
その帝国首都は、王都『ディアラ』。
大陸から突き出した三日月型の半島の西部にあり『栄光の都』と謳われた。
咲き乱れる花は馥郁と香り、美しい歌声は昼夜を分かたず響き渡り、人々の笑いさざめく声は絶える事がなかった。
帝国民は、長きに渡り平和に酔い痴れる。
「この繁栄は永遠に続くもの」
誰もがそのように思っていた―――――。
しかし、最盛期があれば当然のように訪れる―――――衰亡期。
それは人々の笑い声の影で、ひたひたと足音を忍ばせ近付いて来た。
熟れ過ぎた果実となった帝国は、醜く歪み腐り始める……。
いつの頃からか腐臭を放つようになったローランド帝国。
傲岸不遜な支配階級は享楽に耽溺し、王宮は偽善と猜疑に満ち溢れるようになる。
諫言をする誠実の徒は死を賜り、失望した人々は社稷を憂いつつも王都ディアラを去り、野に下った。
傾き出すとまるで坂道を勢い良く転げ落ちてゆくように、帝国は衰退の一途を辿る。
災厄が頻発し、帝国に追い討ちを掛け……。
有力貴族が反乱の火の手を揚げたかと思えば、属国が独立を宣言。
一時は簒奪者が、主要都市を蹂躙し……。
荒廃が旱魃を齎し、疫病が流行。
簒奪者を誅滅するも、息を吹き返した周辺国が驕慢な帝国に侵略を開始し、国土を席捲。
巨大な帝国の国土は、和平交渉の為に切り売りされるような状態に。
悪循環に陥ったローランド帝国は、混乱期に入って分裂。
その後、ついに崩壊した―――――。
それは、ヴェンデルシュ・タウンゼン・ホーエグリン暦7256年の事であった。
東の大陸が麻の様に乱れる中、海と砂漠の向こう 西の大陸では、素朴な遊牧民族だった人々が虎視眈々と混乱に陥った嘗ての『軌跡の』大帝国の様子を伺っていた。
「東の大陸のような、快適な生活を……」
音に聞えるルイヴィスへ憧憬の念を募らせてゆく―――――しかし、その頃の東の文明度は低下の一途を辿っていたのだが――――。
西の大陸では、かつて純朴だったはずの人々は舌舐めずりして徒党を組み、砂漠を越え海を越え、帝国の元王都『ディアラ』のある三日月半島へ出没するようになっていった。
オードバルの海賊達は、三日月半島から、富や人を貪欲に攫ってゆくようになる。
帝国崩壊後の更なる混乱で栄光の面影は遥か昔の事となり、海賊の侵略に対し抵抗する術もなく怯え嘆くだけのルイヴィスの民だった。
が、ついに攫われた人々の奪還に立ち上がる者が現れた。
人呼んで『救出同盟』。
☆ ☆ ☆
「きゃー! 七星様あああ」
「艶やかに輝く黒髪、匂い立つような色気、なんてなんてなんてかっこいいの!」
「素敵過ぎて、ぞくぞくするぅ!!」
「凛とした立ち姿! 足、どうしてあんなに長いのぉ、私のお兄様とは大違いよ」
「やだ、あなたのお兄様は、まだまだお子ちゃまじゃな~い」
「そうね、そうだった。七星様と比べるだけ無駄無駄無駄無駄っよね」
「って言うより、精神年齢の問題じゃないの? 七星様だって17歳って聞いたわよ」
「えっ、そうなの? それではお兄様と2つしか違わないわ」
「あんた達、年いくつ? 親御さんの許可をもらって来てるんでしょうねえ?」
「あーん、もう。ちょっとそこ、押さないで!
ライティア様がお通りになるかもしれないのに」
(あー、はいはい)
頭がわんわんと鳴るような甲高い声の応酬に、気怠げな「近寄んじゃねえ」オーラを噴出させ、完全無視を決め込んでいる七星だった。
七星―――――。
今は昼間だというのに、彼から漂う雰囲気は、真夜中の漆黒の闇を連想させる。
長いまつ毛に縁どられ、憂いを含んだ眼差し、美しい立ち姿、しっとりとした雰囲気だがどこか不安定さを併せ持つ危うい様子に、居合わせた少女達から自然と溜息がこぼれた。
そんな彼女達に向ける視線は、本人は威嚇のつもりだが、ぴりりと痺れるように強烈で、更に煽り心を奪う。
「七星様あああ」
「こっちを向いてー!」
「ぎゃー!」
あまりの騒音に、ギッと一瞥をくれる。
美貌の男の、その氷のように冷え切った凄みのある眼差しに。
「ひっ」
花の乙女達は、竦み上がって一言もなくなる。
と、やっと静まったかに見えた港だが……。
「んまあ、クロウリーくんよ~」
「きゃあ、かっわゆ~い」
港に置かれた荷の入った大きな木箱の陰から、救出船乗組員のクロウリーが登場すると、さほど大きくもない港では少女達の囀り声が一瞬にして再開された。
「やれやれだぜ」
七星は頭を振って―――――少女達によると『艶やかに輝く』―――――髪を揺らし、舷梯を渡り船に移った。
クロウリーは、少女達にあっという間に取り囲まれてしまった。
「うげ」
クロウリーの顔は彼女達の勢いに押され、いささか引き攣っている。
「クロウリーくん、明日は出航ね。気を付けてねー」
「無事に帰って来てね!」
「は、はい! どうもありがとうございます」
にこにこにこにこ……。
普段は人懐こいクロウリーだが、女子達の“黄色い”声援と満面の笑顔、そして圧倒的な雰囲気に気圧されぎこちない表情を浮かべている。
救出同盟食事番のクロウリーは、同盟最年少の11歳で、柔らかな緑灰色の髪は、両側は耳を半分覆う長さ、後ろは首が隠れる程度の長さである。
まだ少年の彼は、小柄で体も薄い。
クロウリーは、救出同盟に入ってまだ日が浅い。環境に馴染み切れていない。
特に今日は、初航海を明日に控えこれから始まる救出行へ期待が大きい反面、緊張もまた少なからずあって……という落ち着かない精神状態だった。
好奇心旺盛な深緑色の目は、いつも、次から次へとと興味の引かれるものに移って明るく輝いている―――――が、今は瞳孔がきゅっと縮まるのではないかと思われる程、腰が引けている……。
港は荷の積み下ろしをする頑健な海の男達の賑やかな掛け声や、品物の目利きをする商人の駆け引き、また羽ばたきながら獲物を狙い旋回する海鳥達の啼き声で活気に満ちている。
更に今日は、明日の『救出船ラ・ガリャーガ号』出航を前に、様々な事情の人が集って常にない活況を呈していた。
海賊に家族を攫われ、唯一の希望である救出同盟を見送る人々は、縋るような思いで救出の成功や船旅の無事を祈り港へ見送りに来ていた。
しかし、何かを勘違いしている女性達がそんな人々を蹴散らすように、毎回徒党を組んで群がり集って来るのだった。