15 ザ ローゼンダイクな人々
「ユノ、これは……大惨事ね」
セシリアが、空色の瞳をしばたたかせ、気の毒そうに周囲を見回している。
固定の甘かった鉢植えが引っくり返り、周囲には土が散乱していた。
植えていた草――――リディスは、飛び出して弱弱しく壁際で萎れている。
「土をかき集めて植え直し、水を遣れば復活してくれると思うが」
「そう? 手伝いましょうか。やだ、頬が赤くなってる。
どこかにぶつかったの?」
辺りは色々な物が散乱していた。
「ああ、ガダラが直撃したんだ」
ユノは乏しい表情のままそう言い、乾きかけの乱れた髪を直すためにゆるく束ねていた髪紐を取った。
青みがかった銀の糸のような髪が広がると、髪の中からぱらぱら土が落ちてくる。
ついでに衣に付いた泥も、無表情のまま払った。
先程、足音も高らかに嵐の船外へ飛び出して行ったのと同一人物とは思えない程、生命力が抜けている、というか普段通りの茫洋としたユノの姿があった。
「それは災難」
全く災難とは思っていないのだろう、セシリアは棒読みだった。
「変な物を積み込むとそうなるのよ~」
「変な物?」
セシリアの何気なしに発した言葉に、ユノがぴくりと反応する。
「おかしな事を。
我が父デューク=ローゼンダイクはアケイラスの軍人だったが兵役中から時間を見つけてはリディスを研究し続けていた。勿論大規模な戦闘が続いている時代。研究はそう易々と行える環境ではなかった。その為退役後から本格的に植生を観察し始めたのだ」
「うわあー! いつものやつがまた始まった!!」
セシリアは頭を抱え込み、空色の髪が乱れるのも構わず左右に首を激しく振った。
しかしユノはお構いなしで、静かにそして滑らかに話し続ける。
「デューク=ローゼンダイクは私と同じ緋色の目をしていた。その昔アケイラスでは『赤眼の怪物』と恐れられていたと聞く。敵方にはその姿をかいま見るだけで恐れ戦いて武器を放り出し敗走する者も出たという伝説がある位だ。背は高く両腕の筋肉は隆々としていて眉は濃く赤い目の眼差しは鋭かった。銀の髪は戦いの時は邪神のように逆立ち声は非常に大きくて戦闘中に発する気合は大地の唸り声のようだったという。それは味方を奮起させ敵方の気を挫くものでそデュークの姿はそれはそれは恐ろしいものだったそうだ。敵の中には手にした剣を取り落とす者戦意を喪失してしまう者もいたという。なぜそこまで敵方から恐れられる存在になったのか。デューク=ローゼンダイクがその名を輝かせた戦闘はウィンシークとの間で起こったかの有名なカスタロッドの戦いだ」
セシリアは、
「そうそう、カスタロッドの戦いよね……。分かってるの分かってるから……」
セシリアは、顔を引き攣らせている。
「更にロックウェルの戦いでは、敵軍の将に」
「一撃を加えて敗走させたのよね」
「……」
どこか遠くを見ていたユノは、緋色の目でセシリアを見て目をぱちくりさせた。
「……そうだ」
セシリアはホッと胸を撫で下ろした。
どうやら父の話は終わりそうだ。
「だが」
「えっ?」
しかし、その考えは甘かった。
「我が叔父ビーギル=ローゼンダイクは勇敢な父の血類ながら兵役を免れた。これは研究に専念したかったからであるが父デューク=ローゼンダイクの計らいでもある。父が軍人として活躍した事が大きな要因となっている。我が叔父ビーギル=ローゼンダイクは生涯父への恩を忘れなかった。父は資金的な援助も行っていた。研究は東クレセンティアのためでも西クレセンティアの為でもなく遠くの戦火に身を置き思うように研究に専念出来ない父への感謝の心の発露でもあった」
「はっ、発露ね……へえええ、ふううん」
セシリアはもう気が遠くなりかけている。
滑らかな早口で切れ目なく続く話に――――セシリアがうんざりし過ぎていて――――最早意味の理解は放棄している。
「二人の血縁の間の結束がなぜもかように強かったのか。それは偉大な祖父リオン=ローゼンダイクが研究に心血を注ぐ姿を目の当たりにしてきたからだと言えるだろう。リオン=ローゼンダイクはリディスへの……」
ぱん!!
セシリアが、思いっきり大袈裟に手を叩いた。
「やだ! 私、ニーナ様に頼まれていた事があったのよ」
不自然に大きな声を上げる。
「まだ終わっていない」
ユノは、ずいっとセシリアに近付いた。
「曽祖父レッドバート=ローゼンダイクはリディスに関しては様々な発見をした偉大な人物で」
「いやーー、もーたくさーーーん! ちょっとは心配してたのにー」
涙目になってセシリアは、その場から一目散に逃げ出した。
ユノはぽつんとその場に取り残された。
「セシリア……リディスがどれだけ希少で神秘的な植物かを説明しようとしただけなのに」
彼は、まだぶつぶつと何事か呟いていたが……。
「そうだ。このままではリディスが枯れてしまう」
その場に屈み込み、そっと土を掻き集め始める。
この船に乗り込む事で異国の珍しい植物や動物を入手出来るかもしれないという理由により、ユノが無償で乗船を買って出ていると皆は思っている。
しかし、ユノには別の目的があった。
その目的を果たす為に、通訳兼交渉人として船に乗っている。
目的―――――それは誰にも明かせないが。
ただ、迷いの中にいるユノには、船旅は気分転換にもってこいだった。
雲が切れると、満点の星空が浮かび上がった。
星はさやさやと煌き、清冽に瞬いている。
☆ ☆ ☆
手提げ灯にうっすらと浮かび上がるシルエットが三つ。
それは、七星、リエイト、ユノで、今はラ・ガリャーガ号から小船を下ろし、リエイトが陸地を目指し漕ぎ出した所だ。嵐の後のぬるい夜風が、ゆるやかに三人の人物の間を吹き過ぎてゆく。
「なんとか、無事だったな……」
七星がしみじみと呟いた。
無事で良かったが、まだまだ安心は出来ない。
振り向くと、闇に浮かび上がったラ・ガリャーガ号の帆桁は無残にひしゃげている。
夜更けではあったがこのままでは航行不能なので、陸地へ偵察に行き、可能であれば助けを求めようと三人は陸地へ向っている。
先程の事。
甲板でライティアがニーナに尋ねた。
「ニーナ、星の位置から現在地は分かるかな」
場所を特定する為の液体座標板は、傷付き液が染み出して使い物にならなかった。予備もひびが入り、精度が悪くなってしまった。
ニーナはじっと空を仰ぎ雲が切れるのを待った。
しばらくすると雲が切れ、ちかちかと星空が顔を出し、月光がさーっとラ・ガリャーガ号に降り注いだ。
「あの星?
これは……。かなり南へ流されています」
「南、か」
南と分かったが、船から夜闇の中の陸地を観察してもどこに漂着したかはっきりした事はわからない。
特別な地形であればライティアなら分かったかもしれないが、そのような所も見当たらなかった――――――とは言っても暗いので地形は不明瞭であるが。
「仕方ないな、夜が明けるまでここに碇泊しよう。
あまり陸地に近付き過ぎると浅瀬に乗り上げる。小船を下ろして周囲を探索しよう」
そして船の中で片付けや修理に取りかかった。
しかし夜ではたいした事は出来ず、船内の灯し火の下で千切れた縄を修理したり繕ったり棄てる物を集めたりしている。
一番の問題はひしゃげた帆桁で、大規模な修理が必要だった。
修理程度で済めば良いが、恐らく交換が必要になるだろう。
ほかの場所はどの程度修復が必要なのかは、朝にならなければ皆目見当がつかない。
また陽の光の元で船を確認したら、更に大きな傷みが見つかる可能性もある。
どちらにしても港や造船所など、船を修理出来る場所を見つけなければならなかった。
25/9/23 ほんのちょっぴり改稿