プロローグ②
「こんなもの着てられるか!」 同じ頃、G県立錦景女子高校の寮のとある一室に罵声が轟いた。「こんなフリルの多い服、着られるかよ!」 叫んだのは沢村マワリ。錦景女子高校軽音楽部に所属する一年E組、ギターボーカルで、恥ずかしがり屋で、目立ちたがり屋で、神経質な沢村だった。沢村の肩まである黒髪はしっとりと艶がある。瞳も黒く光っている。黒光りしている。目の形は悪い魔女の猫の形で、つまり、愛嬌がないわけではないが、愛嬌は希薄。沢村はそんな吊り目をさらに鋭くして、フリルの多いメイド服を勢い良く投げつけた。
「ちょっと、何するのよ!?」
メイド服を投げつけられたのは同じく一年E組、ベースの沢城ミカコだった。沢城の腰まである色素の薄い髪はふわふわしている。瞳も色素が抜け、琥珀の輝きを放っている。目の形はファンシィ・キディ・ラビットの形で、つまり、真ん丸で愛嬌がある形をしているのだが、そんな目をしていても沢城の声には迫力があった。沢城は投げつけられたメイド服を抱き締め、くしゃくしゃにして、立ち上がってがなった。「いい加減にしてよ! マワリがメイド服着たいって言ったんでしょ!? 恥ずかしがり屋のくせに着たいって言ったんでしょう!? せっかくもっちぃが作ってくれたのに、着れないなんて、そんな酷いよ、あり得ないよ、恥ずかしがり屋のくせにわがまま言うんじゃねぇよ!」「恥ずかしがり屋じゃねぇし!」沢村は沢城に顔を近づけがなる。「メイド服を着たいなんて言ってないし!」「今さら何言ってんだ、こらっ!」沢城は沢村の襟首を掴んで、足を掛けて二段ベッドに下段に押し倒す。「魔法少女テスコに影響されたくせに、テスコの可愛い衣装に影響されたくせに、アニメを見るたびに影響されるの、なんとかしろよ、こら!」「私が見たかったんじゃねぇし、」沢村はジタバタする。「村斑が見せたんだよぉ!」「ふわぁ?」すでにパジャマ姿の村斑ココロが二段ベッドの上から顔を覗かせる。彼女も沢村と沢城と同じく一年E組。ドラムス担当。三人の中で一番背が低く、外見は一番子供だが、おそらく一番、大人に近い思考回路を保有している。「呼んだぁ?」村斑は沢村と沢城が密着しているのを見て、溜息に近い重みを持った息を吐いた。「……って、もぉ、乳繰り合ってんじゃぁあないよ」『ち、乳繰り合ってねぇ!』顔がピンク色の沢村と沢城は声を合わせて叫んだ。 沢村と沢城は慌てて離れた。沢村はベッドに座り、沢城は正面に膝を抱いて座った。
「ああ、本当に、」沢城は額を触り、首を横に振る。「頭に来るなぁ」
「メイド服を用意しろなんて言ってないし」
「着たいって言ったじゃん、」沢城は声を張り上げる。「錦景祭のステージはメイド服がいいって言ったじゃん!」
「言ったけど、決めたことじゃないし、決めたことじゃないのに、勝手に沢城が用意したんだろ!?」
「そ、そうだけど、」沢城は歯切れ悪く言いながら下を向く。「でも、そんな風に言わなくたって」
「沢城が悪い、全部、全部、沢城のせい」
「ああ、もう、なんでそういう酷いことしか言わないの? 言えないの?」沢城は丸い目で沢村を睨む。「最低、信じられない、バカ、死んじゃえ、大っ嫌い、べぇ!」
「むっか、」沢村は両手を広げ、盛大に舌打ちをした。「コレはもう、何? アレよ、アレだな、アレだ、アレ!」「そうね、」沢城は前髪の乱れを直し、沢村から視線を逸らす。「……もう、私たち、アレだね」「なんだぁ?」いつの間にか下に降りてきていた村斑がスマホを片手で操作しながら大きな欠伸をした。「ふわぁ、また解散かいな?」『村斑が先に解散するって言ったんだからな!』沢村と沢城は声を合わせて言った。『それで本当に解散する気なのか!?』「うーん、」村斑は腕を組んで、二秒悩む。首を傾けて言う。「それじゃあ、解散」「む、村斑が言ったんだからな、」沢村はかなり悲しそうな顔で言って蹲る。「私はべ、べべべべべ、別に、まだ可能性はあるって思ったけど、村斑が解散したいっていうんなら」「そ、そそそそそそ、そうよ、」沢城も同じような表情で、いや、こっちの方が泣きそうな表情をしていた。「私だって、まだやり残したこと、あると思う、……でも、村斑が、村斑が、そう気持ちなら、そういう気持ちだって言うんだったら、私は別に構わないもん」「じゃあ、解散はなしな、」村斑はいつの間にか手にグローブを装着していて、軟式ボールを指先で弄んでいた。「それより、野球やろうや」「村斑がそう言うなら」沢村の声は明るい。「そうね、村斑がそういうんだったらね」沢城の声はもっと明るい。
「ねぇ、聞いてる?」村斑は指先でボールを回転させている。「野球やろうってば」
「……ごめん、沢城、」沢村はうつむき加減で微笑みながら、沢城に少し近づく。「私のために用意してくれたのに」
「ううん、そんな、私の方こそ、沢村、ごめんね、」沢城は沢村の手を触った。「沢村の気持ち、全然考えてなかったよ」
沢村と沢城は見つめ合い。
そして微笑み合った。
「ねぇねぇ、」村斑は二人の肩を揺らす。「野球しようってばぁ」 とにかく、今夜訪れた沢村ビートルズの何度目かの解散の危機は去った。「私ね、」沢村が言う。「本気でロックンロール、やりたいんだ」「それは三人、同じ気持ちだって、」沢城は村斑の方に視線を向け同意を求める。「初めて会った時から変わらない気持ちでしょう? ね、村斑も同じ気持ちでしょ?」
「え? あ、うん、」村斑はぎこちなく頷く。「いや、でも、今は、野球、したいなぁ、なんて思ったりして」
「ほらね、沢村、」沢城は優雅に微笑む。「私と村斑は、沢村と同じ気持ちだよ」「私、なんだかドキドキしてる、」沢村は胸に手をやり笑顔で言った。「絶対に、この三人で、メジャーに行こうね」
「今のままでは無理だね」
『うわっ!?』
沢村は驚いた。沢城も、村斑も驚いた。
急に聞こえた声。
急に現れた、女性。
女性は窓からやってきて。
強い風にはためくカーテンに、その全貌を隠している。
「今のままでは無理だよ、沢村ビートルズの諸君、君たちは、変わらねばならない、変わらねば君たちはいつまでたってもマイナなままさ、意味、分かるよね?」
沢村は頷き吊り目を女性に向けたまま言う。「……村斑、警察」
「あ、もしもし、」すでに村斑は電話を掛けていた。「あの変質者が」
女性は慌てた。「え、ちょっと、違うよ、待って、待ってったら、私は変質者じゃないよ!」
「変質者じゃなかったら、」沢城は女性に人差し指を向けて、迫力のある声を出す。「なんだって言うんですか!? ねぇ、変質者じゃなかったら、なんだって言うんですかぁ!?」
「私は、ほら、アレよ、アレ」