プロローグ①
黄昏は既に遠く。 私の周りは、濃い闇に包まれていた。 カーテンが開いたままの窓の向こうの夜空の星の明度は私の周りの闇を吹き飛ばすほどの力はなく。 ただ、私が描いた記号の曖昧な輪郭をただ、私に認識させるためだけの僅かな力しかもっていなかった。 でも確かに私に与える影響というものは存在していて。 私はその僅かな光を頼りに一枚の絵を描き上げた。 うん。 確かに。 もう加える必要も。 何かを消し去る必要もない。 自分が描いたとは思えない、絵。 その事実が不思議で、少し震えて、腕を抱いた。 僅かな星の光の下で。 こんな曖昧な世界で、自分の形、色さえ分からなくなる世界で、私は描いたのだ。 喉は渇いている。体育の授業で擦りむいた膝の傷からはまだ血の匂いがしている。髪は汗でべとついて、指に絡みつく。眼鏡はずっと前から傾いている。そんな私が、頼った僅かな星の光。 星と、美術室の距離。 遠いね。 でも。
確かな影響を享受したのが私。 指からクレバスが床に落下。 弾けた音がする。
その音を聞いたのは、私。 その拍子に。
風が来る。 カーテンが揺れる。 晩夏か、いや、すでに初秋の、ほんのりと冷たい風に襲われる。
粘性強い、汗が冷える。 三時間近い集中のせいでバランスを崩しそうな頭脳。 一瞬冷えて、一瞬鮮明、再び沸き上がる熱と混ざって。
再回転。
緩やかな、停止。
私は時間から離脱。
一瞬を、長く感じている。
なぜかこのまま時間が動かないような気がした。 瞳で空を見上げれば、星が見える。 見える。 星の光、煌めき。
君は何万年前の光だろう?
遠くから、来たんだよね。
そんな冗談にもならない、普遍的な疑問。 考えて。
普通な状態に戻る自分の変化に、私は戸惑う。
それは再び、急。 体中の流動的なあらゆる物が、銀河の渦のように収束して。
私は知るのだ。「……お腹減った」
私は誰に見せるわけでもないのに、腹ペコのポーズ。
そして、なんだかとても疲れてしまっている自分に気付く。「帰ろ、」帰ろうと思った。「ぼちぼち、帰ろ」
私は帰り支度を始めた。
今の経験を考えながら。
抱きしめながら。
私は下を向いて、笑う。
今夜はきっと、いいことがあった夜の一つだ。
この余韻に浸っていたい。
「ぱらぱら~ぱらら~」
美術室には誰もいない。
私は鼻歌を口ずさみながら。 描いた絵に布を掛けて、私の大事な武器である文房具をペンケースに仕舞う。
カバンからポータブル・ミュージック・プレイヤを取り出し、イヤホンを耳に。
そして。 それは突然だった。
月の光だけが照らしていた美術室。 その天井の全ての蛍光灯が、ざわついた。 急にあらゆるものに色が付いて。
あらゆるものが鮮明に見えて。 そして未来の変化を予測させる。
ええ、それは間違いなく。
私に予感させる、出会いだった。
「……帰るの?」
「うん、帰ろうかな」
「じゃあ、私も」
「どこに帰るの?」
「君の部屋に」
「初めて、あなたは初めて私の部屋に来る、初めての女の子」