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紗羅は、今日も学校へと登校して来た。

この4年、ずっとここへ通っているが、なかなかに卒業出来ない。自分は人よりなんでも遅かったが、ここに来てもまた、やはり人より遅かった。

クラスの友はすぐに卒業して行くので、また新しく入れ替わり、学友だけは増えたが、勉強が追い付かない。

それでも、担任の玲先生はずっと根気強く教えてくれていた。

昨日も、思いがけず時間が合ったので、玲は紗羅にいろいろと教えてくれていた。神の世のことを未だ掴み切れない紗羅にとって、有り難い限りだった。

今の学友の中で唯一結婚している紗羅は、良い噂話のネタになっていた。それがまた、軍神の将だというので、紗羅の友達は見たがった。なので紗羅は、明人が帰って来るのを窓から見て待って、呼びかけたのだ。

明人は黒髪に茶色の目の、精悍な顔立ちの龍だった。すらりとして背も高く、紗羅が呼び掛けてこちらへ飛んで来た時には皆が色めき立った。だが、友達にしてみれば思いも掛けず明人があっさりと去って行ってしまったので、物足りなかったらしい…しかし、紗羅はあまり気にして居なかった。なぜなら、最近はいつもあんな感じだからだ。

友の一人が言った。

「まあ…随分と愛想の無い感じでいらっしゃるのね…。」

違う友も言う。

「曲りなりにも、妻が呼んでいるのに。軍神のかたってあんな感じなのかしら。」

紗羅は、首を傾げた。

「明人様は、いつもあのような感じよ。でも、お話は聞いて下さるし、特に何も困ったことはないけれど…。」

友達は顔を見合わせた。紗羅は何がいけないのだろうと思った。明人様は、お互いに努力しようと最初におっしゃった。だから、きっと今も努力して下さっていると思うし、元より紗羅は、とても明人を好きだったのだ。

「…でも、二人の時には、きっとお優しいのよね?」

一人が言った。

「そうそう!毎日愛してるって言ってくださっていたりして。」

紗羅はきょとんとした。

「え…夫婦って愛してると言うの?」

友はびっくりした顔をした。

「え…でも、一度は言われたことがあるでしょう?」

紗羅は首を振った。

「いいえ。我達、王の命で結婚したから…結婚してから、お互いに努力しようと言ってくださったの。だから、今努力してくださっているのだと思うわ。」

友の二人は同情するような顔をした。

「あら…ごめんなさい、知らなくて…。」

「きっと、今に愛していると言ってくださるわね。」と、一人が慌てたように踵を返した。「あら、私もう帰らないと!暗くなるとお父様に叱られるから。」

「私も帰るわ!」もう一人が急いでそれに付いて行った。「また明日ね、紗羅。」

紗羅は取り残されながら、それが一体どうして皆に気を使われるのかわからなかった。そして、いろいろと考えていると、ふと、紗羅は思い当たった。

もしかして、まだ愛されていない…。

それがなぜか、とても冷たい風に吹かれるようで、紗羅は自分の身を抱いた。我は、明人様をお慕いしている。だけど、これだけ経っても、まだ明人様は我を愛していないの…?ほんの少しも…?

午後の授業は、いつも以上に頭に入らなかった。

紗羅は、図書室で一人、恋愛の本を読みあさった。果たして自分と明人が他と比べてどれ程に違っているのか、知ろうと思ったのだ。

それは、読めば読むほど紗羅を不安にさせた。少しも該当しなかったからだ。

さらにいくつかの本を借り、紗羅は学校を後にした。家で、もっとよく読もう。きっと、我達のような関係もあるはず…。


明人は、その日は非番で、珍しく一人で宮の庭を歩いていた。蒼に呼ばれて少し話し、そのまま庭へ足を進めたのだ。

すると、見覚えのある顔がこちらに向かって手を振っている…杏樹だった。

「明人!久しぶりね、元気?」

明人は頷いた。

「まあまあだな。お前は侍女だっけな。どうだ?」

杏樹は苦笑して答えた。

「やっとやりがいを感じ始めた感じ。王はお優しいし、恵まれているのだけどね。」と肩をすくめた。「今は、近くの宮の姫様のお世話を言いつかっているの。昨日お着きになられて…聞いてない?鶴の宮の。」

明人は思い出した。そういえば、数の少ない鶴の王族を憂いて、父王がここへ寄越したのだと蒼がさっき話していた。まるでシェルターだと苦笑していたっけ。

「杏樹。」

背後から、澄んだ高い声がする。明人は、振り返った。

そこには、黒い真っ直ぐな髪に黒い瞳の、驚くほど美しい女が立っていた。化粧っけは全くないにも関わらず、唇は紅をさしているかのように紅い。肌はとても白く透き通っていて、だが、顔色が悪いというほどでは無かった。

杏樹は、頭を下げた。

紅雪(べにゆき)様。」

紅雪はこちらへ歩み寄って来た。明人はこれほど美しい女を見るのは初めてだったので、足に根が生えたかのようにじっと立ち尽くしていた。

「まあ、お邪魔であったのかしら。」と、紅雪は明人を見て微笑んだ。「軍神のかたですのね。」

明人はハッとして膝を付いて頭を下げた。

「失礼を致しました。明人と申しまする。」

紅雪は頷いた。

「良いのよ。我はこちらへ散策に参っただけであるから。杏樹、ゆっくりなさい。」

紅雪が去ろうとすると、杏樹は言った。

「そのような、学友でありました者なのでございます。」杏樹は明人を見た。「こちらへ参って学校へ入りましたことはお話致しましたでしょう?そこで、同じ部屋で学んだ仲であるだけです。数人おりましたが、そのうちの一人なのです。」

紅雪は扇で口を押さえた。

「まあ!学校とやらには大変に興味があるの。蒼様にお頼みして、我も入学しようかと思っているところ。そのように男女の別なく学べるとはここはなんと恵まれておることか。我に学校の話を聞かせてくれませぬか。」

明人は頷いて、差し出された手を取って、杏樹に促された庭の端に設けられた椅子へ腰掛けた。胸が早鐘のようだ。明人はそれがなぜか分からず、ただ聞かれるままに答えた。途中、杏樹がお茶を出して下がって行ったが、明人がそれに気付いたのは、紅雪が微笑みながらお茶に口を付けた時だった。

「妹の霧花(きりはな)ももうすぐ参りますの。」紅雪は言った。「こちらが思いも掛けず清浄な地で、過ごしやすく守られた地であるので…父も子だけは守りたいと、必死であるのですわ。我らの宮は人里に程近く、段々に命の気も少なくなっておりますの…蒼様は一族全てを匿ってくださると言ってくださいましたが、父は先祖からの宮を捨てる決心がまだ付きませぬの。全てと申しても、我らはもう、100人足らずしか残っておりませぬ。我は一族の将来を案じております。」

明人は、その事実に驚いた。鶴はそれほどに減ってしまっていたのか。

「存じませんでした。そのようなことになっておろうとは…。」

紅雪は微笑んだ。

「定めというものもございまする。人と共に来たのでありますが、人は己の生活に手いっぱいなのですわ。我らのことまで案じておる暇はないのでしょう。鶴と申しても、我らは丹頂鶴ですの。本当はもっと北におりましたが、遙か昔の人に乞われて、神格化していた我らはこちらへ下って参った。その後地はこのように変化して、今に至るのです。我らの仲間はまだ居るかも知れませぬ。もっと北へと参ったなら…ですが、ここで暮らしておった我ら、今更北へは参れませぬ。」

丹頂鶴か。明人は、なるほどと思った。紅雪の美しさは、こちらが緊張せずにはいられないものがある。そして、この僅かの時間いろいろなことを話した中で、穏やかな気質と、思慮深さと、そして頭の良さを感じ取っていた。こんな女が世に居たとは。

明人が黙って紅雪を見ていたので、紅雪はためらったように下を向くと、頬を少し赤く染めた。

「あの、明人様…そのように見つめられては、我はどうすれば良いのかわかりませぬ。我が宮には神はほとんどおらず、慣れておりませぬので…。」

明人はハッとして頭を小さく下げた。

「失礼を致しました…軍神であるので、そのようなことに気も回りませず。」

紅雪は首を振った。

「よろしいの。我も軍神のかた、しかも龍とお話するのは初めてでありましたので。」

明人は、困惑した。それだけのことで、また心臓が早く拍動している。明人はいたたまれなくなって、立ち上がった。

「それでは、我はこれで失礼致しまする。軍の方に参らねばなりませんので。それでは。紅雪様。」

サッと踵を返して歩み去ろうとする明人に、紅雪は慌てたように立ち上がって言った。

「明人様!」明人は立ち止まって振り返った。「我のことは紅雪とお呼びくださいませ。ここでは、我も王族を離れて学友のように過ごしとうございます。」

明人は、微笑んで頷いた。

「紅雪。それではまた。」

明人は今度こそ歩き去って行った。

紅雪はその後ろ姿を、ずっと見送っていた。


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