想いを
その数時間前、十六夜に送られて再び嗣重の宮に降り立った維月は、輝重と鈴藍に迎えられて、居間で外を眺めて横たわるように座る嗣重と対面した。
嗣重は維月を見て驚いたような顔をしたが、微笑んだ。
「維月…来てくれたのか。」
先刻よりもさらに老いた姿になっていた嗣重は、維月に手を差し出した。維月は傍に座ると、その手を握った。
「嗣重様…お加減はいかがですか。」
嗣重は頷いた。
「かなり速い感覚で老いてはおるが、気分は悪くない。木々も見守ってくれておるし…主が来てくれた。」と、息を付いた。「もう会えぬと思うておったぞ。この気に包まれると生き返る心地がする…。」
輝重が声を掛けた。
「父上、何か持って来させましょうか。水だけでは…」
嗣重は首を振った。
「良い。輝重…主にはもう、話したの。これからは何の制限もなく生きて行く事が出来る。精進して、臣下達のため、くれぐれもはやまった事はせず、最善を尽くすのだぞ。」
輝重は驚いた顔をしたが、頷いた。
「はい、父上。」
「維月と、二人にしてくれぬか。」
嗣重の言葉に、輝重は震えた。恐らく、これが最後になる…父は、別れを言ったのだ。
輝重は、涙ぐんで頭を下げた。
「…また、あちらで。」
嗣重は頷いた。そして、輝重が出て行くのを見送ると、維月を見た。
「嗣重様…輝重と最後までご一緒しなくてよろしいのですか?」
維月が言うと、嗣重は維月の頬に触れた。
「最期は、主と共に。維月…愛している。」
維月は涙を流した。
「そのような…僅かの間しかお側にいられなかったものを。」
嗣重は首を振った。
「時の長さではないのだ。想いの深さとは、そのようなもので計れるものではない。主が癒してくれなければ、我の今の穏やかな心持ちはなかったであろう。最後に主は我を救ってくれた。死ぬ事しか考えておらなんだのに。」
嗣重は、維月を抱き寄せた。その気の癒しの力が、嗣重を満たして行く。嗣重はため息を付いた。
「維月…我の最後の妃よ。主がおって、よかった…。」
維月は唇を寄せて来る嗣重を、受け止めて思った。私は維心様をまたお一人にしてしまった。慈悲の心を押さえられない私に、愛想を尽かしてしまわれた維心様…。最後の時に、共に逝く事を約したのに…いつか老いが来て維心はこうして一人きりで逝く。その時、誰か維心を愛するひとが、その傍に居ますように…。
その数時間後、嗣重は維月の胸に抱かれて、穏やかに微笑みながら世を去った。最期は眠るように、ただ維月の名を呼び、あちらで再会することを約して去って逝った。
維月は輝重を呼び、輝重と鈴藍が嗣重の亡骸に涙の別れをしている時、ソッと部屋を出て庭に立った。十六夜が降りて来た。
「…終わったか。維月、あいつは幸せそうだったじゃねぇか。オレ達は不死だが、いつか会うこともあるかも知れねぇしな…本当なら、維心と一緒に逝く約束だったけどよ。」
維月は頷いた。
「もう、いいのよ。私は私を求めている、あんなふうに寂しい神を一人きりで逝かせるなんて出来なかった。維心様はそんな私に愛想を尽かしてしまったのだもの。思えば、それも仕方のないことよ。他の神なら、とっくに根を上げてしまっていると思うわ。十六夜のように考えられる神なんて、考えたら居ないわよね。愛していたら、自分ひとりのものにしたいと思う…維心様は、当然のことで怒ってらしたのだと思うわ。」
十六夜は月の宮へ連れて帰るため、維月を抱き上げた。
「だがな、勝手なんだぞ?男は何人も妃を娶るじゃねぇか。女はなんで駄目なんだ?どっちも感情は一緒だろうが。男ってのは勝手なもんだとオレは思う。オレは別に他は要らねぇから、お前だけって決めてるけどな。」
飛び上がって夕暮れの中宮へ向かいながら、維月は言った。
「私だって愛してる人でも神でも、そんな複数要らないのよ…ただ、十六夜を愛してるのに、維心様も愛してしまっただけで。あれほど維心様が求めてくださらなかったら、私は十六夜とだけ一緒にいたと思うわよ?それが普通のことでしょう。」
十六夜は思い出して笑った。
「あいつだってこの月のオレが居るってのに、お前を押して押して押し倒したのに…」ふと、笑うのを止めて、真顔になった。「…あいつの気持ちは、分かる。今頃どうしてるのか、考えただけでもつらい。嗣重のように老いが来ても、あいつには誰も居ねぇ。一人きりに戻っちまったんだからよ…。」
維月は、自分と同じことを考えている十六夜を、じっと見た。
「ねえ、十六夜。きっと大丈夫よ…愛するひとが、きっと傍に居てくれるわ。維心様ほどのかたなのだもの。居たいという女神は、たくさん居たのだから。私みたいな女に引っかかっておられたから、その機会がなかっただけよ。」
十六夜はまた笑った。
「そうか。不幸になるのは、オレ一人で充分だな。お前は我がままで気が強くて、全く困ったもんだからよ。」
維月は膨れた顔をした。
「まあ!十六夜は諦めて。月でつながってるんだもの、離れたくても離れられないじゃないの。」
十六夜は頬を摺り寄せた。
「心配ねぇよ。大丈夫だ。オレ達は、生きるのも死ぬのも一緒だからな。だからこそ、住んでる場所が離れてたって平気なんだからよ。」
二人は、月の宮の自分達の部屋へと帰って行った。
明人があまりにすっきりと、任務もさくさくとこなして今まで以上に充実した感じでいるのに嘉韻は逆に心配になって、訊ねた。
「明人…主、最近やけに生き生きとしておるようだが。」
横で聞いていた、慎吾も頷いた。
「そうよ。我も気になっていたが、言い出し辛くての。」
三人は、任務を終えて宿舎へ飛んでいる最中だった。明人は苦笑した。
「なんで元気なのに心配なんだよ。」
嘉韻と慎吾は顔を見合わせた。
「いや、元気なのはいいことだが、あまりに切り替えが早かったゆえ。」
嘉韻が戸惑いながら、宿舎の入り口に降り立つ。明人は、ため息を付いた。
「いろいろあってな…オレ、銀杏と話したんだ。」
慎吾は眉を寄せた。
「その…主の」と、嘉韻をちらちらと見ながら、「最近、何か変なものが見えるとか、そんなことはないか?」
気がおかしくなったのではと思ったらしい。明人は手を振った。
「ほんとに話したんだって。龍王だって居たんだ…だから、あれは幻じゃねぇ。本当に居た。嗣重様が亡くなったのも、だからオレは先に知ってただろ?銀杏が言ったからだ。ちなみに名は紫銀というらしい。」
二人はまだ半信半疑のようだ。
「まあ…そういうこともあるやも…」
嘉韻も戸惑っているようだった。明人は仕方なく、言った。
「じゃあ、出て来るか分からないけど、行ってみるか?着替えて来い。紫銀に会いに行こう。」
二人はびっくりした顔をした。
「いや、ちょっと待て。それは無いだろうが。良い良い、信じたゆえ。」
明人は部屋に向かいながら、言った。
「それが信じてないというんだよ。とにかく、着替えて来い。」
慎吾と嘉韻は顔を見合わせていたが、仕方なく自室へと引き上げて、着替えて明人に連れられて、あの奥の銀杏の所へ行った。
その大きな銀杏は、確かに何かが出て来てもおかしくないほど堂々とそこに立っていた。明人は、話し掛けた。
「紫銀、面倒だと思うが、オレの友達が信じないから連れて来たんだ。お前と話したと言ったら、気が触れたような目で見るんだよ。ちょっとでいいから、出て来てくれないか。」
銀杏は答えない。隣りのポプラがざわざわと揺れた。嘉韻は、確かにポプラは話しているように見えるが、と思っていた。
姿は出なかったが、声がした。
《…あまり神に話すでない、明人。我は本来話すのは億劫なのだ。》
嘉韻と慎吾は仰天して銀杏から飛び退った。明人は苦笑した。
「親友だから話したんだ…この二人以外は、絶対に話さないと約すよ。黒髪が慎吾、金髪が嘉韻だ。」
紫銀はしばらく黙っていたが、言った。
《知っておる。主らはいつも一緒よの。ま、時々なら話してやらんことはないが、しょっちゅう来られると面倒よ。今日はこのくらいにしておけ。》
紫銀は黙った。明人はそこで、慎吾と嘉韻に、ことの次第を話して聞かせた。
「だから、オレは自分の悩みなんて、所詮自分の中から出したもので、大したことじゃねぇなと思ったんだ。そしたら、気持ちだけでなく体も軽くなってよ。それで毎日、なんだか前向きに生きられるっていうか…。」
慎吾は感心した。
「しかしほんに木々とは大したものよな。黙っておるが、何を思って見ておるかわからぬの。我も何か悩みが出来たら聞いてもらうとしようぞ。」
さわさわとポプラが、先ほどからずっと揺れている。明人はそれを見上げた。
「なんかしゃべってるんだろうが、聞こえねぇなあ。」
慎吾が頷いた。
「話し嫌いの銀杏が話せて、話し好きのポプラが話せないとは哀れなことよ。」と、慎吾はその幹にそっと触れた。「聞いてやりたいがの。我らの能力が追い付かぬで、すまぬな。」
ずっとさわさわと言っていたポプラが、ピタと止まった。慎吾はびっくりして手を離した。
「…切り倒されるとでも思うたのではないか?」
嘉韻が笑った。明人も笑っている。慎吾は憮然として言った。
「あのなあ、我はただかわいそうに思うただけぞ。ほんに失礼な。」と、スッと飛び上がった。「帰る。」
明人と嘉韻も慌てて飛び上がった。
「待てよ慎吾!」と、銀杏を振り返り、「じゃあな、紫銀!邪魔したな!」
三人は宮のほうへ向かって飛んで行った。
銀杏がため息を付いたように思えた。




