消滅
李関は、ただ驚いてその話を聞いていた。では…何者かが陽花をたぶらかして結界を内側から崩すことを考えたというのか。信明は、その片棒をかつごうとした陽花を殺し、それを未然に防ぐことで、陽花が咎人にならぬようにと黙して語らなかったのか…。
李関が口を開こうとすると、後ろから声がした。
「…主らしいの。」龍王だった。「だが、言うべきであったな。それがどこかの賊によるものなら、他に手を打っておらぬはずはない。女一人に策を背負わせて委ねるなど、普通の軍師であるならしないのでな。」
その後ろから、蒼が言った。
「結界は万全とはいっても、中からは弱い。これは十六夜とも話し合ってたところだったのだ。」と、李関を見た。「すぐに結界内で警戒態勢に入れ。十六夜が調べておるが、もしかしたら間に合わぬかもしれぬ。」
李関は信明を気にしつつ、頭を下げた。
「は!」
そして、足早に出て行った。蒼が手を上げる。
「出ろ、信明。」蒼は言った。牢の格子が消滅する。「主にはやらねばならぬことがある。妻と子を守らねばの。敵が攻めて来るかもしれない。」
信明はためらったが、結局は頭を下げると、サッとそこを出て行った。維心はため息を付いた。
「ほんに…なんと複雑な男よ。もっと単純で良いのに。」
と、維心の袿の中でくぐもった声が聞こえた。
「維心様、出して!」
「おお」維心は思い出したように袿の前を開いた。維月がぷはーと息を付く。
「だから、置いて来てくれたらよかったのですわ。」
維心は首を振った。
「十六夜から傍を離れるなと言われておる。主に何かあっては大変ぞ。しかし、我も忙しい身であるしな。しばらく辛抱せい。」
維月は頬を膨らませた。
「私は大丈夫でございます。なので、部屋へ…」
「ならぬ。」維心はしっかり維月を掴んだ。「さあ、参るぞ。蒼、陽花の亡骸を調べねばならぬ。」
蒼は頷いて維心に並んで歩き出した。
「今度は何の仙術であることか。」
亡骸と聞いて、維月はじたばたとしたが、維心に小脇に抱えられるように運ばれて行った。
明人は、泣いている場合ではないと、真相を探るため母の亡骸を確認しようと墓所に降り立った。するとそこでは、十六夜が、玲と共に戸を開いた所だった。
「なんだ、お前も来たのか。」
明人は頷いた。
「十六夜も母を?」
十六夜は頷いて、中へ向かいながら言った。
「あの時は死因ばっかりに目が行って、よく見てなかったからな。玲が物知りだから、一緒に見てもらおうと思ってよ。」
明人は歩きながら玲を見た。玲は険しい顔をしている。
「…そうか。」
明人が言葉を出せずにいると、玲が言った。
「…明人、この前は我が悪かった。これが皆片付いたら、話がある。」
明人は驚いた顔をしたが、黙って頷いた。
十六夜が入って左へ向かうと、陽花が奥にまだ袋に入れられたまま、仮に安置されている所へ歩み寄った。そして、小さな光の玉を幾つか出して浮かべると、それで明かり代わりにし、袋の紐を解いて開けた。
明人は思わず目を背けた。目は閉じられていたものの、口元は驚愕の表情のまま半開きになり、止まっていた。胸を一突きにされていたので、他に損傷はなく、手はまだ胸の上で組まれてはいなかった。
「…苦しみはしなかったろう。」玲は言った。「一瞬であったはず。痛みではなく、衝撃を感じただけだと思う。これを見ても、信明殿は冷静であられたと分かる。相手にとって、一番楽な位置だ。」
十六夜は唸った。
「ヤツは何を隠してやがる。殺さねばならないほどの事とはなんだ?」
明人は、己を奮い立たせた。調べねばならぬ。
母の顔から首、そして腕と見ていて、明人は不意にその左手を裏返した。その手の平に、見たこともないアザのような模様があった。明人は言った。
「ここに、こんなものが。母にはこのようなアザはなかった。」
十六夜と玲は急いでそれを見た。
「仙術だ。」
十六夜が言った。玲も頷く。
「何かを破壊する呪いだ。この」と、玲は指した。「淵の枠の形が破壊に関する呪い全般に共通しているから。戻って調べて見ないと、何を破壊するためのものか分からないが…。」
十六夜は、何かを気取ったように一点を見つめて言った。
「…結界だ。」十六夜はその模様を見た。「オレの結界を中から破ろうとした。だから信明はこいつを殺し、それがなかった事にしようとしてやがるんだ。こいつを、罪人にしないように…。」
明人は、母の顔を見た。そんな大それた事をしようとしたのか。恐らく、誰かにそそのかされて…。
「まだ結界外に潜んでるはずだ!」明人は言うと、すぐに踵を返した。「まだ何か仕掛けて来るぞ!」
明人が墓所から飛び出すと、蒼と維心が到着した。明人は蒼に言った。
「王!まだ賊が外に潜んで…!」
蒼は頷いた。
「わかっている。信明から聞いた。主も急ぎ軍へ合流せよ!」
「は!」
明人はすぐに飛び立って行った。
外の気配に十六夜が振り返った。
「蒼が来たな。これは閉じてオレ達も行こう。」
十六夜が袋を閉じようとすると、玲かふと、止まった。
「…十六夜、これはなんだ?」
十六夜がその視線の先を見る。
「…どれだ?」
維心が入って来て、離れた後ろから叫んだ。
「離れよ!」
それと同時にすごい力でぐいと引っ張られ、二人は維心の腕に飛び込んだ。気で引っ張られたのだと十六夜は思った。
「伏せよ!」
維心は二人を掴んだまま、その場に伏せた。入って来たばかりの蒼も咄嗟に伏せる。
途端に、陽花の方から激しい光が爆発的に打ち上げられ、その力で回りの空気が激しく流れて石などを巻き上げて蒼達を襲った。
「…なんだ?!」と、十六夜は、光の収まった背後を振り返った。「…結界が!」
蒼は上を見上げた。結界が感じられない。
「戻るぞ!」
維心が飛び出して行く。皆もそれに続いた。
「維心、維月は?!」
「墓所は嫌だと聞かぬので置いて参った。」悔いているような表情だ。「間に合わぬ!」
結界外から大勢の軍神が一斉に入って来るのが見える。宮へ向かっている!
《…先に参るぞ!》
維心は龍身を取り、ものすごい勢いで宮へ飛んだ。一瞬で宮の上空に着き、飛んで来る軍神達を威嚇した。
ものすごい啼き声だった。地響きがして、石造りの宮が震えているのが分かる。維心は自分の結界を月の結界の代わりに宮にがっちり張り、絶対に入れない構えで軍神達を睨み付けた。
「…維月が居るからな。維心は死んでも宮に敵を入れねぇだろうよ。」
その言葉通り、敵の軍神達は宮に一歩も近付けなかった。
月の宮の軍神達が、外で立ち往生している敵の軍神達を討ち始める。十六夜も月から力を降ろした。
「くっそう、力が思うように使えねぇ!結界は無理だ、単発で仕留めるしか…」
十六夜が言い終わらない内に、宮へ到達していた十六夜に、敵の軍神が斬りかかって来る。
蒼は刀を呼び出し、それを月の気を込めて振った。
「十六夜!玲を向こうへ!」
十六夜は小脇に抱えていた玲を、蒼が隙を作っている間に学校の方へ降ろした。
「お前は逃げろ!宮の中なら安全だ!」
十六夜はすぐに飛び立って行く。玲はしばらくそれを見送ったあと、思い立って学校の中へ駆け込み、図書室へ走った。あの仙術を、破る方法があるはずだ!
桜は、額に汗を滲ませて戦っていた。子は、まだ生まれる様子はない。治癒の龍が言った。
「そろそろ、いきむ準備をしましょう。子が下がって来て、口も完全に開いております。」
治癒の龍は、外の大きな音や、地響きをものともせずに落ち着いて言った。桜は、回りの騒ぎは知っていたが、絶対に信明が守ってくれるはずだと信じていた。牢に繋がれていても、こんな時には出されて共に戦っているはず。我と、この子を守り、宮を守るために…。
痛みがやって来た。
「はい、力を入れて!」
桜は、必死に力を込めて、子を出そうと力の限り頑張った。
宮の中では、他に留学して来ていた皇女達や、訪問して滞在している皇女達が、一か所に集まって不安げに空を見上げていた。
この宮を守っているのは、今、宮上空に居るあの大きな龍。あれは龍王なのだと、後で聞いた。龍王が宴に滞在していた今、敵はなだれ込んで来たらしい。しかし、龍王は神世最強最大の力を持つ王。それに守られたこの宮が、堕ちることはまず考えられなかった。
維月もまた、そこで皇女達と空を見上げていた。維心様がここを守っているから、宮の中は大丈夫…でも、外の軍神達は?ここへ来ていない、麓の屋敷の神達は…。
維月は手を上げて、自分の力を呼んだ。陰の月の力は、十六夜の陽の月の力とは違う。使えるのではないか…。
思った通り、月から青白い力が降りて来て維月の指示を待つように漂った。維月は麓の屋敷を守るべく念を込めた。
十六夜は、その様を見て驚いた。維月は力が使える。維月が他の屋敷を守っている…。
だが、それが限界であることは、十六夜にもわかっていた。陰の月の力は、陽の月ほど強くない。守りの力で、攻撃の力はほとんどない…。
維心の念の声が、痺れを切らしたように大きく響き渡った。
《面倒ぞ!》と、回りの軍神達を一気に気で放り出したかと思うと、《月の宮の軍神、退け!我がこやつらを一気に消し去ってくれようぞ!》
維月は息を飲んだ。確かに維心にはそれが事もなげに出来る。だが、それでは…。
蒼が、刀を持ったまま叫んだ。
「維心様!それではどこの宮が何の目的で来たのか分からぬまま…!」
《そんなもの、こやつらの頭の中を頂けば済むこと》蒼はハッとして振り返った。躊躇いがちに蒼の傍に浮いていた敵の軍神が、頭を抱えて落ちて行く。見覚えのある玉が一つ、維心の前に浮いた。記憶の玉だ。《これを後で見ようほどに。全て滅する!》
維心の気が大きく膨れ上がる。月の宮の軍神達は慌てて退いた。敵の軍神達も必死に退却しようと入り乱れて飛ぶ。
「お待ちください!」維月がびっくりして振り返った。維月が言おうとしたことを、後ろに居た皇女の一人が叫んで走り出て来たからだ。「どうか!我が全てお話しいたしまするゆえに!」
鈴藍だった。
維月が驚いて鈴藍を見た。
「鈴藍…なぜに、あなたが?」
鈴藍は涙を流した。
「龍王妃様、あれは、我の宮の軍神達でございます。」鈴藍が言った。「どうか、どうか滅するのはおやめくださいませ!」
維心もそれを聞いてそちらの方を見る。その隙に、敵の軍神達は一斉に高く飛び上がった。
《逃しはせぬ!》
維心の気が高く突きぬけてほとんどの軍神達を捕え、堕ちて来る。
「ああ!」
鈴藍は顔を覆った。軍神達が…!維月が維心を見上げた。
「維心様…殺してしもうたのでございまするか?」
維心はフンと鼻を鳴らした。
《殺せば主や蒼がうるさいであろう。気を失っただけぞ。しかし、数人は逃したの。》と、姿を元に戻し始めた。《我の結界を領地全体に仮に張ろうぞ。月の力が戻るまではこれで誰も入っては来れぬ。》
蒼は軍神達に命じて落ちた敵軍を拾い集めさせた。とにかく、鈴藍の話を聞かねばならぬ。嗣重殿がなぜにこんなことをしたのか、聞かねばならぬ!




