別れ
警備の軍神達が、信明の屋敷に駆けつけていた。
最初維心が、そして蒼が、遅れて十六夜が到着した。屋敷の中から、李関が出て来た。奥には、信明が立っているのが見える。李関は蒼を見とめると、言った。
「…なぜに斬ったのか、申しませぬ。ただ、自分が悪いからと。」
蒼は頷いて、維心と共に信明に歩み寄った。十六夜が遅れて付いて来る。
陽花は、もう運び出されていた。墓所へ運ぶために袋へ入れて庭へ安置されている。蒼は言った。
「信明。主は理由なくこのような事はせぬであろう。なぜにオレの許しなく斬った。」
信明は膝を付いて、頭を下げた。
「全ては我の不徳。王、ご処断くださいませ。」
蒼は眉を寄せた。確かに桜を娶って以降、最初はうまく行きそうだと聞いていたのに、陽花はここへ桜を入れぬと言っていることは聞いた。それで、桜はずっと信明の宿舎に住んでいることも…。しかし、子の産み月も間近であるこの時に、こんな浅はかなことをするような信明ではない。何か、理由があるはずなのだ。
維心が言った。
「…主、我にも言えぬと申すか。」
信明は身を震わせた。この王の絶対的な力の前に、命に従わぬことは死より恐ろしいことだ。だが、信明は深く頭を下げた。
「全て我が短慮であったゆえのこと。申し訳ございませぬ。」
維心は蒼と目を合わせた。その目は、これ以上は無理だと言っているようだった。
蒼は李関に命じた。
「…連れて行け。」
李関は進み出て信明を促し、信明は軍神達に囲まれて、宮のほうへ飛び立って行った。
着いた時からその辺りをうろうろとしていた十六夜が、ふと、言った。
「…なあ、信明が陽花を斬ったぐらいじゃ、蒼にはあんなふうに感じ取れなかったはずだよな?あれはなんだったんだ?オレもそこいらを見て回って、陽花の様も見て来たが、刀で胸を一突きだし…変な術とか使った訳ではないようだ。」
維心が歩み寄って来た。
「確かにの。何が起こって信明はあれを斬った。一時はあれの為に神世を捨てた男であるぞ。それを…」と、床にたまったおびただしい血を見た。「ただの口論などで、頭に血が上ってなどということは、あやつに限って有り得ぬ。信明は何を隠しておるのだ。」
十六夜は、月を見上げてじっと考えた。
「…ちょっと月へ戻って来る。調べなきゃならねぇ…結界が少し揺らいでいるようにも思うしな。特に問題ないように思ってたんだが…。維心、今夜は維月の傍を離れんな。オレは月から見張る。」
維心は頷いた。
「任せておけ。」
蒼は、陽花の入った袋を見た。
「…とにかく、墓所へ。」
軍神達が頷く。既に他の軍神達は床を掃除し始めていた。蒼は重い気持ちで宮のほうを向いた。身重の桜に、なんと言えばいい…。
その騒ぎを、紅雪は宮の客間で聞いた。慌てて庭へ飛び出すと、空を何人かの軍神が飛んで行くのが見える。この月の宮に限って、こんな有事などあった試しもなかったものを。紅雪は不安にそれを見上げていた。
夜も更けた頃、紅雪は自分を呼ぶ声に我に返った。起き上がって庭へと続く戸のほうを見ると、その窓から、明人が見えた。紅雪は慌てて戸を開けて明人を招きいれた。
「明人様!このようなお時間に…いったいどうなさったのですか?」
明人は、憔悴しているかのようだった。そしていきなり、言った。
「紅雪。」明人は苦しげに言った。「すまぬ。もう会えぬ。」
紅雪は驚いて、明人を見上げた。
「なぜに…?!」
明人は言った。
「父が」明人は涙を流した。「父が母を斬った。」
紅雪には、それが何を意味するかわかった。神の王室で育った紅雪は、妻がなんたるかを知っていた。暇を出されてそれに従わぬ者は、夫に斬り殺されることもある…。
「明人様…。」
泣き崩れる明人を、紅雪は抱きしめた。明人は泣きながら言った。
「我にはわからぬ。父は簡単にこのようなことをする者ではない。しかし、ただ理由も言わず、我の責だと言い続け…このままでは、王に罰せられるであろう。桜殿の事を頼むと父に言われた。何が起こっておるのか、我にもわからぬ…。」
紅雪は、ただ、明人を抱き締め続けた。明日になって、これが夢であればよいのに…。
「そのような!」桜は叫んだ。「信明様は、理由もなくそのようなことをなさるかたではありませぬ!我がよく存じておりまする!」
蒼は、頷いた。
「わかっている。だが、当の信明が何も言わぬのだ。ゆえに、我は我の許しなく妻を斬ったということで、信明を捕えねばならぬ。桜、しばらくは辛抱せよ。すぐに調べて、真相を解明するゆえの。」
桜は涙ぐんで蒼を見た。
「…蒼様…。」
そして、泣きながらその場に座り込んだ。蒼は憐れに思って手を差し伸べた。
「桜…そのように嘆くでない。」
後ろに控えた李関が、居た堪れない顔で下を向いている。同じように身重の妻である涼のことが頭をよぎっているのだろう。
「……。」
桜は黙って俯いている。蒼はもう一度呼びかけた。
「桜…宮の客間に移るか?その方が心安いであろう。」
桜は、腹を押さえて蒼を見上げた。
「蒼様…我は恐らく、子が…。」
蒼は驚いて李関を振り返った。ショックで産気付いたのか!
「失礼する!」
李関は桜をサッと抱き上げると、飛んだ。宮の治癒の対へ行く気だ。蒼も慌てて後を追った。李関は思っていた…あの時、もしもお互いに任務であって妻の傍に居られない時は、居る方が妻を助けようと約した。信明、我が桜を連れて参る!
その数時間前、その日も紗羅は、玲と共に居た。
明人は自分が屋敷に戻らずとも知らないし、屋敷の者達は宿舎へ泊るのだろうといったように干渉しなかった。ゆえ、紗羅はいつも玲と過ごしていたのだ。
紗羅は、本当に愛されるのがどういうことなのか、玲と共に居て知った。ただ優しいだけではなく、気遣いの一つ一つに心がこもっていることが感じ取れる。そして、玲に抱かれていると、とても幸せを感じた。これが愛されるということなのだと、紗羅は信じられないほど満たされた気持ちになっていた。
今日も思った通り桜の宴に明人に呼ばれることもなく、紗羅は玲と過ごしていた。
暗くなり、玲の腕の中で微睡んでいると、急に騒がしくなったのを感じた。玲が感じ取って起き上がると、軍宿舎の方を窓から見た。そして、軍神達数人が飛び立って行くのを見て取って、玲は言った。
「何かあったらしい。」と、玲は紗羅に言った。「調べて来るゆえ、主はここを動くでないぞ。」
紗羅は頷くと、玲は急いで袿に手を通し、窓から飛び立って行った。
…半時ほどして戻って来た玲の顔から、血の気が退いていた。紗羅は何事かと玲に走り寄った。
「玲様?いったい何事が起こったのですか?」
玲は、紗羅を抱き締めた。
「紗羅…」玲は真剣な顔で言った。「信明殿が、妻の陽花殿を斬った。」
紗羅は口を押えた。
「ええ!?」
信明様。明人様の父上で、桜の夫…。それが、もう一人の妻を、斬ったというの…。
紗羅はぶるぶると震え出した。玲は言った。
「あちこち聞いて回ったんだが、原因はわからない。信明殿は何も言わぬらしく、陽花殿は既にこの世にない…。だが、桜殿をあれほどに大切にしていたにも関わらず、陽花殿は屋敷へ入れることを拒んでおったと聞く。もしやそれが原因なのかも…と。どちらにしても、王の許しなく妻を斬ることは許されておらぬ。信明殿は捕えられておるのだそうだ。」
紗羅は、やっと思い当たった。これは、自分の身にも起こりうることなのだ。明人は、自分を愛してはいない。我には帰る所がないから、明人様は、我を…。
紗羅が涙を浮かべて玲を見上げると、玲も紗羅を見た。玲は言った。
「悔しいが我には、主を守るための力がない。それに主は明人の妻。我は絶対的に不利だ。」玲は思い切ったように、紗羅に言った。「紗羅…我と共に宮を出るか?我は人の世も分かる。ゆえ、主と二人暮らして行けると思うのだ。金というものが必要なのも知っているし、我には人の世に居た頃からの蓄えがあるゆえ、おそらく慎ましく暮らしておれば大丈夫だろう。紗羅…どうする?」
紗羅は玲の言葉に涙がこぼれた。我と共に、神世を捨てて来て下さるというの…。
「玲様…我はどこへでも参りまする。玲様と一緒であるなら、大丈夫でございます。元は人の世で居た我ですもの。きっと馴染んでみせますわ。」
玲は紗羅を抱き締めた。
「紗羅…。」
「玲様…。」
二人は、着物を洋服に変え、そっと宮を抜けて、湖の裏手から結界を抜けようと抜け出して歩いた。飛べば、気で軍神達に感づかれてしまう…。
だが、月は明るく出ていた。




