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「人間の身体って、扱いにくいのね。慣れるまで時間がかかちゃった」

 微笑みながら、娘はそう言いました。

 あまりにも軽やかに、ふうわりと笑ったので、少年達は思わずぼうっと見とれてしまい、彼女が言ったことを理解するまで少し時間がかかってしまいました。

「なんだよ、おまえ」

 ごくりと喉を鳴らして、真ん中の少年が言い返しました。

 奇天烈な答えが返ってきたため多少動揺してしまい、それを悟られないよう必死に虚勢を張り、さも偉そうに尋ねました。

「おまえ、どっから来たんだよ。まいごか。

 なんなら、オレ達が教えてやってもいいぞ。このまちのことは何でも知ってるからな」

「――あそこ」

 娘が伸ばした細い指の先を見れば、そこには、遠くに幾重にも重なる山々がありました。

「あそこの、大きな湖から来たの」

 少年達は一様に黙り込みました。

 それは、この辺りの者なら誰もが知っていて、そして、誰も行かない場所でありました。途切れることのない春の花々が咲き乱れる美しいその場所には、昔から言い伝えられていることがありました。

 ――常春の湖には、どんな願いでも聞き届けてもらえる主がいる――。

 実際のところ、その言い伝えが本当なのかどうかは、誰にもわからないのでした。

 何故ならそれが本当か確かめるため、昔から幾人もの勇敢な人々が湖を目指してはいるのですが、戻ってきた者は唯一人もいないからなのです。おそらく主の祟りにあうのだろうと、人々は噂をし、今では立ち入ろうとする者があれば、恐れをなしたこの辺りの人々により一斉に食い止められる有様なのでした。

 それほどまでに、この湖はひっそりと恐れられ続け、禍々しいものとして語り継がれてきた場所なのでした。そんな恐ろしい所から、この娘はやって来たと言うではありませんか。

 聞いた少年達が、子供だからと馬鹿にしやがってと思ったのも無理はありませんでした。

 ですが、

「教えてくれる?」

 と、宵闇のような髪をさらさらいわせながら首をかしげる娘の、まっすぐに透き通った瞳に見つめられると、少年達はすっかり毒づく気も無くなってしまい、

「何でも聞いてくれよ」

 と、皆一様に声を揃えて胸を叩いていたのでした。

 彼らはたくさんのことを、娘に教えてやりました。

 彼女が帰る場所も暮らす手立ても無いと分かり、物乞いの仕方も教えました。

 顔と髪を隠し男共には特に警戒するよう、厳しく注意しましたが、見目良い娘のことですから、あっという間に薄汚いごろつき共に目をつけられ、追い回されるようになりました。

 しかし、不思議なことに、娘はどんな輩からも、毎回うまく逃げおおせることができました。どんなにしつこく追いかけられても、気づけば彼女の姿は煙のように消えていた、ということがあまりにも続いたので、段々と薄気味悪く思ったごろつき共は、少しずつ娘に手を出さなくなっていきました。

「簡単なことなのよ」

 どうやって撒くのか尋ねると、いつも娘は決まってこう言うのでした。

「元の姿に戻ればいいんだもの。少しの時間なら、まだ何とか戻ることができるわ」

「それってどういう意味だい。変装か何かかい」

 まあ、そんなものかしらねと、娘の答えはいつも曖昧なのでした。

 娘は、物乞いで得た小銭がいつもより多い日には、決まって少しばかりの刺繍糸を買ってきました。数種類の糸が集まった頃、彼女は3本の飾り紐を編み、子供達のそれぞれのくるぶしに結んでやりました。

「おまじない。あなた達が、ずっと健やかでありますよう」

 子供達は大喜びしました。何せ、今まで生まれてこのかた、贈り物なんて一度ももらったことがなかったのですから。

「ねえちゃん、おれ、だいじにするよ。しぬまでつけてる」

 うっとりと飾り紐を撫でながら年少の子供が言いましたので、娘は苦笑しました。

「これはまじない用だから、切れないとお願い事はずっと叶わないままよ」

「きれなくていいやい。おれ、ねえちゃんといっしょにいれるなら、なんにもいらねえやい」

 にこにこしながら子供は娘に抱きつき、娘もしっかりと抱き返しました。

「なあ、姉ちゃんは、自分用は作らないのか」

 ふと気付き、年長の少年が娘に尋ねました。

「私はいいの。叶うまで待つ猶予は無いから」

 と、娘はさらりと答えると、後は何を聞いてもただえくぼを見せて笑っているだけなのでした。

 

「少し出かけてくるわ」

 ある朝、そう告げて娘は出ていきました。

 子供達は、自分達の目の届かないところに娘が行ってしまうことが不安でしたので、気もそぞろに待ち続けました。

 一緒にいても、いつの日か目の前から消えてしまうのではないか――何故かそう思わせるような雰囲気が、彼女にはありました。ですから、昼過ぎに、娘が広場に戻ってきた時には、三人とも思わず、

「ねえちゃんねえちゃん」

 と叫びながら駆け寄って抱きついてしまいました。

 娘はいつもと様子が違っていました。

 何を話しかけても上の空といった感じで、頬に手をやったり、何かつぶやいてみたり、微笑んだりため息をついたりとせわしない様子でした。かと思うと、遠くを見つめたまま、ぼうっとしてしばらく動かなかったりと、いかにも常時ふわふわした調子なのでした。

「あのね、これ、おみやげなの」

 夕方、やっと思い出したかのように娘は三人に袋を見せました。三人がこぞって小袋の中を覗き込むと、

「あっ」

「マカロニだ」

 中には、穴あきマカロニがほんの少しだけ入っていました。

「買ってはきたけれど……」

 娘は恥ずかしそうに、

「実は、どうやって食べるのか、知らないの。このまま食べられるのかしら」

 と、続けました。

 子供達はびっくりしました。マカロニを知らない大人がいるなんて!

 けれど、三人は娘のことを笑ったりしませんでした。

「ばんめしにオレ達が使ってやるよ」

 と彼らは言い、娘の手を引きながら薄暗くなった広場をでました。

 裏路地をしばらくうねうねと曲がりながら歩き、ぴったりと重なり合った小さな長屋のひとつのドアの前までくると、四人は辺りを見回しました。年長の少年は人がいないことを確認すると、懐から錆び釘を取り出し、粗末な造りの錠前穴に突っ込んであっという間に開錠しました。

 長年空き家となっているそこが、四人の今の住処でした。中へ入り、奥の棚から古びた鍋や痛んだ皿等を取り出すと、四人は再び外へ出て、煮炊きをする為空き地へと異動しました。(家の中で火を使うと煙突穴から煙が出てしまい、人が住んでいることを知らせてしまうためです。最も、周りの住人は気付いてはいましたが、見て見ぬふりをしておりました)

「ほら、こうやって、汁の中に入れるんだ」

 水と少しばかりの野菜くずをいれた鍋が沸くと、子供達はわずかな塩とマカロニを放り込みました。夕飯は少しでもひもじさと寒さを無くすため、大抵こうして温かいスープを作るのでした。

 初めは全く調理を知らなかった娘も、今では見様見真似で子供達が作るものと同じものを作ることができるようになっていましたので、真剣に見つめていました。

 ひと煮立ちして完成すると、四人は鍋を囲んでスープをすすりました。

 この日は四人ともまともに物乞いをしていなかったので、たいそうわびしいスープとなるはずでしたが、いくばくかのマカロニのおかげで楽しく夕餉をとることができました。


 それからというもの、娘は毎日昼時になると、何処かへと出かけていくようになりました。

 いえ、何処へ行っているのかは、三人にはおおよそわかっていました。毎日お土産に、一握りほどのマカロニを日替わりで持って帰ってくるからです。

 こうも様々なマカロニを取り扱う店といったら、大きい街ではありましたがおそらく一軒しかないはずでした。

 ある日、三人は娘の後をこっそりとつけてみました。

 娘は随分と歩き、やがて一軒の小さな店に入りました。

 しばらくして物陰からそっと中を覗くと、カウンターの奥に娘が座っているのが見えました。そして、その隣には若い店主がいました。二人は静かにスープを飲んでいるようでした。どうやら会話はあまりしていないようでしたが、時折微笑み合うむその顔を見れば、どれだけ満ち足りた時を過ごしているのかが伺えます。

「ねえちゃん、あいつのこと、好きなんだな」

 ぽつんと真ん中の子供が言いました。

 娘が青年を見つめるその眼差しは、子供達が見たことのない、恋する女性のものでした。

 年長の少年は黙って立ち上がると、物乞いの続きをするために、二人の手を引いてその場を後にしました。

 

  娘の様子がおかしくなったのは、それからしばらく経った、秋の終わりの夜のことです。

 いつもなら昼間のうちに戻ってくるはずのその姿が、いつまでたっても見えないので、子供達は非常に心配していました。

 何かあったのではないか、店の辺りまで探しに行こうかと話し合っているところに、娘はよろめきながら戻ってきました。

 真っ青な顔をして、涙をとめどなく溢れさせたまま、彼女はカタカタと震えていました。

 驚いた子供達は、急いで住処へと娘を抱え込むようにして連れていき、持っているすべての薄い毛布を使って娘をくるんでやりました。

 しかしどんなに話しかけても、娘は涙を流しながら「ごめんなさい」と繰り返すばかりなのでした。


 その日から、娘が笑顔を見せることはなくなりました。

 ずっと小屋の中に篭りきりになり、子供達が懸命に話しかけるたびに一応相槌は打つのですが、瞼を虚ろに伏せたままで、時折思い出したように音も無く涙を落としてばかりいました。

 ある夜、部屋の中で寒さを凌ぐ為、皆で肩を寄せ合うようにして毛布にくるまっていると、暗闇の中で娘がぽつんと呟きました。

「……この姿、もう必要なくなっちゃった……」

「必要って何でだよ」

 ぶっきらぼうに、年長の少年が遮りました。

「そんなもん考えなくていいだろ。オレ達みたいに、生きてるだけでいいじゃねぇか。

 虫や鳥だって何も考えてねぇまま生きてんだ、それでいいだろ」

 少年の言葉を聞いた娘は、わずかに微笑みました。それは本当に久しぶりに見る笑みでしたので、子供達は少しホッとして娘によりかかりました。

「……よかったら私のこと、ほんの少しだけお話してもいいかしら」

 年少の子のもつれた髪を手ぐしですきながら娘は言いました。

 子供達は皆口々に「聞きたい」「おはなしして」とせがみました。今までずっと、この不思議な人のことを知りたい気持ちを我慢していたので、子供達の瞳は期待にきらきらと輝いていました。

「ありがとう。ただ、全てをお話しすることはできないの。それがあの方との約束だから」

 そう前置きをして彼女は話しをしました。

 

「怪我をした私がある人と出会ったのは、春の半ばだったわ。

 その人は懸命に手当てやお世話をしてくれて、私はいつの間にか彼のことを好きになっていったの。

 彼と別れて初めて、それがどんなに辛いことなのかが分かって、私は苦しんだ。

 そんな時、仲間から噂を聞いたの。

 『――とある場所に辿り着けば、どんな願いでも叶えてくれるらしい』

 って。 

 私はその噂に飛び付いたわ、もう一度彼に会いたかったから。

 でも、やっぱり願いは、最後までは叶わなかった。

 だから、戻らなきゃ……あの場所へ」

 

 聞いていた子供達の喉がひゅうと渇いた音をたてました。

 詳しいことは分かりませんでしたが、娘が向かう先に待っているものが何か恐ろしいものである予感がしたからです。

 子供達が一斉に何か言おうとするのを、娘は笑顔で制しました。

「心配させてごめんなさい。

 大丈夫、嫌な目になんて合わないし、まだ当分ここを出ないから。

 ずっと誰かに自分のことをお話したかっただけなの」

 さ、もう寝ましょうね。

 娘はそう言いながら、子供達の頭や背中をなでてやりました。

 寝れるもんかと興奮していた子供達ですが、優しい子守唄を聴いているうちに次第に瞼が重くなってゆき、いつの間にか眠り込んでしまいました。


 朝になり子供達が目覚めると、彼女の姿は消えていました。

 そして、二度と戻ってはきませんでした。

 

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