< 3 >
「それで、君はその娘さんに会ってどうするつもりなんだい」
お茶を啜りながら一通り話を聞いた音楽家は、湯飲みを置くと、横に座るマカロニ屋に向き直って尋ねました。
「どうするって……」
マカロニ屋は言葉につまりました。彼女に会いたいとはずっと思っていたものの、その先を具体的に尋ねられるとどう答えていいものか自分でもよくわからないでいたのでした。
「……まずは、謝りたい」
「それから?」
「謝って、……それから……」
先が出ない様子のマカロニ屋を見て音楽家は苦笑し、マカロニ屋の肩に手を置きながら、優しく言いました。
「ねえ君、もっと彼女に言いたいことがある筈だろう。はっきりと口にしないと、伝わるものも伝わらないよ」
「……言えないよ」
マカロニ屋はうなだれながら呟きました。
「……俺は彼女に酷いことを言ってしまった。彼女はきっと傷ついたろうし、怒っている筈だよ。謝る以上のことなんて、望んじゃいけないんだ」
マカロニ屋は立ち上がると戸棚から上着を取り出し、娘に着せる筈だったそれをじっと見つめました。
「俺は、ずっと浮かれていた。何ひとつ知らないまま……彼女が日々何をしているのかも、何処に住んでいるのかも、ましてや俺のことをどう思っていたのかなんてことさえも。何も、知ろうとしていなかった」
知ったような気でいただけなんだ、と、うつむいたまま自嘲気味に呟く男を、音楽家は気の毒な思いで見つめました。できることなら、この、朴訥ながら根はいい友人の力になってやりたいと、心から思いました。
ですから音楽家は、先程から聞きながらずっと考えていたことを口に出すことにしました。
「一緒に会いに行こうよ、彼女に」
「何言ってるんだ。たった今、何処に住んでいるか知らないって言ったばかりだろ」
「なあに、手掛かりが全く無しというわけじゃあないのさ」
音楽家は慰めるようにマカロニ屋の肩をぽんぽんと叩くと、話し始めました。
「この間の晩、僕は町外れの酒場にいたんだ。ほら、散文詩なんかは大仰な噂に触発されて創ることも多いからね。
で、何となしに周りの話を聞いていたんだけど、その中に、おそらく君の言っている彼女と同じであろう娘さんの話も出ていたんだ」
思わずマカロニ屋が顔を上げると、音楽家は少々言いにくそうに言葉を続けました。
「彼女はね、どうも秋の始め頃から物乞いとして、街のはずれに立っていたらしいよ。
顔を隠すように布をかぶってはいるけど、長い黒髪に色白な肌の、ちょっとこの辺りでは見かけない感じの子だからね、目立っていたんだ。
下卑た男達がちょっかいだそうとしても彼女は全くなびかないもんだから、何度か無理矢理連れて行かれそうになったんだけど、何故か毎回上手く逃げられてしまうんだって」
呆然としているマカロニ屋に、音楽家は静かに言いました。
「その日その日を生きることに必死な筈なのに、彼女は毎日君の元に通って、君の為にスープを作り続けてくれていたんだ。
もしかしたら贈り物を受け取ってくれなかったのには、何らかの事情があったのかもしれないじゃないか。
君は何も確かめもせずに、一人で落ち込んだり苦しんでいるけれど、彼女を探し、本当に伝えたいことを伝えることこそが、様々な意味でお互いを救えることへとつながるんじゃないかと、僕は思うのだけれど」
マカロニ屋は、わっと手で顔を覆いました。
娘は毎日、少しずつ野菜を持ってきては、暖かいスープを作ってくれました。ごくたまに、ほんの僅かですが肉が入ることもありました。
彼女は、住む家どころか着替えの服すら持ち合わせていなかったというのに、マカロニ屋と過ごす昼のひとときのためだけに、物乞いをして得た僅かなお金のすべてを使っていてくれたのです。
おそらく食べるものは、昼のスープ以外はほとんどままならなかったでしょう。
代えの服はなくとも清潔であるようにと、お風呂代わりに何処かに隠れて冷たい水で身体をこすっていたのでしょうし、もしかしたら晴れた日は服も洗ってしまい、ひっそりと震えながら乾くのを待っていたのかもしれません。それは女性である彼女にとってどれ程辛く、恐ろしい思いであったことでしょう。
それほどまでして、彼女はマカロニ屋と会う時間を楽しみにしていてくれたのでした。
お互いさほど話すことはなくとも、微笑みながら暖かなスープを食べる、そのわずかなひと時を。
「俺はなんてことをしていたんだ」
マカロニ屋は顔を歪ませながら叫びました。
「彼女に、今すぐ会わなければ。
会って、謝って、そして今度こそちゃんと言わなければ」
―――愛していると。
マカロニ屋は、すぐに店を飛び出しました。
着るものも取りあえず飛び出していく友人を見て、音楽家も慌ててコートを片手に続きました。
一刻も早く娘に会うため、マカロニ屋はただ、走りに走りました。切れ目なく吐き出す息は白く視界を遮り、乾いた二つの息遣いは人通りの少ない夕暮れの街に荒く響き渡りました。
「……おそらく、このあたり、だ……」
四半刻程走り続けた頃、音楽家がやっと足を止め、苦しそうに息を整えながら、前を行っていたマカロニ屋に呼びかけました。
そこは、狭い路地が幾重にも放射状にのびた、街のはずれの広場でした。
乾ききった噴水塔が薄暗い中に白く目立ち、その周りを時折コートの襟を寒そうに立てた人々がせわしなく歩いていきます。皆、広場の端に立つ物乞い達には見向きもしていませんでした。
マカロニ屋は肩を上下させながら、数人の物乞い達を食い入るように一人一人見ていきました。けれど、何度確認してみても彼が求める姿はそこにはありませんでした。
「なあ、本当にここであってるのかよ!」
たまらなくなってマカロニ屋は叫びました。
「もしかしたら違う場所だったんじゃないのか!お前、しっかり聞いていたのかよ!」
「ああ……間違い、ない、筈だよ」
苦しさの抜けきれない声で音楽家は答えました。
「夜のような色をした、そんな髪の女性……この辺りじゃ、滅多にお目になんて、かかれないからね……」
「じゃあなんでいないんだよ!俺は今すぐ彼女に会いたいんだ!
会って、早く会ってこんな場所からすぐに……!」
叫び散らすマカロニ屋を音楽家がなだめようとしていると、
「何やってんだい」
後ろから、子供の声がしました。
音楽家が振り向くと、用心深そうに身構えながら二人を見上げている三人の子供達がいました。皆一様にボロ服を重ねてまとい、ボサボサ頭の下からはよごれた顔が覗いて見えました。三人のかさついた裸足のくるぶしにはそれぞれ違った飾り紐が結ばれていて、細かく編み込まれたそれは薄汚れた格好で唯一目を引く装飾品となっていました。
「悪いが今相手をしてやる暇はないんだ、他を」
マカロニ屋が焦る余り、まともに見ようともせず言い放とうとするのを、音楽家は素早く片手で制して止めさせました。そして、子供達と同じ目線になれるよう片足を折りながら、
「僕達はね、探し人をしているところなんだ。もしかして君達も見たことはないかな。長い髪が夜のように黒くて、白い肌をした、可愛らしい娘さんなんだけれど」
と、穏やかな笑顔で尋ねました。
「知らねェな、そんなヤツ。見たこともねェ」
年長らしい男の子が、吐き捨てるように言いました。
グッと握り締めた彼のこぶしがほんの僅かですが震えているのを、音楽家は見逃しませんでした。
「そうか……それは非常に残念だな……。
実はね、その彼女を今、隣の彼が探しているんだけれど。大切に大切に想っていたくせに、不器用なもんだから上手く気持ちを伝えられなくってね。
今更かもしれないんだけど、ちゃんと会って愛を伝える決心がようやっとできたみたいなんだ。
もし君達がこの先彼女を見かけることがあったら、彼がこう言っていたと伝えておいてくれないかい。
『君を愛している。一緒に暮らそう』って」
聞いていた子供達の顔色が、みるみるうちに変わっていきました。突然、最も小さな子供が飛び出すと、マカロニ屋に両のこぶしをぽかぽかと叩きつけながら叫びました。
「なんで……なんで、いまごろになってやってきたんだよ、ばかやろうっ!
ねえちゃんはなぁ……ずっとずっと、ないていたんだぞ!おまえのせいで!おまえのせいで……っ!」
顔をぐしゃぐしゃにして叫び続ける子供の傍に、年長の少年が近寄ってその頭を静かに撫でました。
そして呆然とこぶしを受け続けるマカロニ屋を見上げると、冷たい声で言いました。
「あんた、来るのが遅すぎたんだ。
もうここに、姉ちゃんはいねェよ」