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ある街に、小さな小さなマカロニ屋がありました。
中では若い店主が働いていて、ごくありふれたものからちょっとめずらしいものまで、様々なマカロニを売っていました。味の方もなかなかいいと評判で常連になるお客も多いため、そこそこ繁盛しておりました。
マカロニ屋はお昼にはいつも、味見用にゆでたバタあえのマカロニに、塩をかけて食べていました。一人で食べる冷たいマカロニは少しさびしい味でしたけれど、特に不満はありませんでした。
マカロニ屋には友人がいました。古いヴァイオリンを持った、気ままで物静かな音楽家でした。時折ふらりと現れては、話をしたりヴァイオリンをいじったりして、またふらりと帰っていきます。そんな音楽家をマカロニ屋は気にいっておりましたし、音楽家もまたマカロニ屋を好いておりました。
ある日、お昼より少しばかり前に、見慣れないお客が入ってきました。夜の色をした髪にふっくらしたばら色の頬の、色の白い娘です。娘は、小さな穴開きマカロニを一握り分買っていきました。
次の日の同じ時間に、また娘は現れました。今度は、ねじりマカロニをやはり一握り分買って行きました。
また次の日。娘はいつも通り、お昼よりも少し前の時間にやって来てやはりペンネを一握り分買いました。
「いつもありがとうございます」
茶色の小さな紙袋をわたしながら、マカロニ屋は言いました。娘はぱっと顔を赤らめると、ほほ笑みながら小さな声で
「とても、美味しいものですから」
と言いました。そして、恥ずかしそうに会釈をして出ていきました。
またまたその次の日のこと。
マカロニ屋は、いつも朝起きてすぐに温かなお茶をゆっくり飲みます。そしてだらだらと朝ごはんを食べながら新聞に目を通し、それからちょんちょんと鼻に水をかける程度に顔を洗うと、いつもの仕事着に着替えて出かけます。
ところが今朝は違いました。まず、起きてからまっすぐに洗面台に向かいました。そして、ちびた石鹸を泡立ててしっかりと顔を洗い、ていねいに髭をそり、時間をかけて髪をくしけずりました。そして、鼻歌を歌いながら昨夜アイロンをかけてぱりっとさせた仕事着を着、鏡の前に立つといろんな角度から自分を眺めました。
マカロニ屋は、そのまま家を出ました。途中、顔見知りの小さなパン屋さんで、バタパンとクロワッサンとサンドイッチを買いました。それから、クッキーを少しと小さなマフィンも。
「おや。甘いものは苦手じゃなかったかね」
パン屋さんの問いかけが終わる前に、マカロニ屋は外を飛び出し、飛ぶように自分の店へと急ぎました。この日、いつもよりずっと早くマカロニ屋は店を開けると、そわそわしながらショーケースの後ろに立っていました。
「とにかく女の子というものは甘いものが好きらしいからな」
ぶつぶつとマカロニ屋はつぶやきました。
「いいか、さりげなく言うんだ…もしよかったら、パンをたくさんいただいたので、お昼に少しいかがですか。奥に椅子とテーブルもありますよ。甘いお菓子もあるんですよ。もちろん熱いお茶もいれますよ…」
せわしなくそこらを行ったりきたりしながら、お客の来ていない時間はずっと、マカロニ屋は女の子をお昼ご飯に誘う練習をしていました。
やがて、もういつ娘が来てもおかしくはない時刻となりました。
マカロニ屋は窓の外を見ながら咳払いをし、冷めたお茶で口を湿らせました。一番良い声でいらっしゃいませと言うつもりでした。そこへチリンチリンと扉の鐘が鳴ったものですから、マカロニ屋は慌てて姿勢を正すとできるだけ大きな声で「いらっしゃいませ」と言いました。
「ポテトのサラダに入れるのにおすすめなのは何かしら」
言いながら入ってきたのは、時計屋の奥さんでした。マカロニ屋はたっぷりと色付きの小さなマカロニをすくって紙袋に入れ、お代と引き換えに渡しました。
その後もチリンチリンと音がするたびに、マカロニ屋は「いらっしゃいませ」と胸を張りながら出迎えましたが、やってくるのはいつものお客さんばかりでした。
窓から差し込む光がだんだんと淡くなり、やがて静かな闇が辺りに訪れました。そろそろ店じまいの時間でした。マカロニ屋はのろのろと立ち上がると、ゆっくりと戸締まりの準備を始めました。
「まあ、マカロニなんてそんなに毎日食べるもんじゃないってことさ」
マカロニ屋は自分に言い聞かせるようにつぶやきながら、表口に出て看板をしまい込み、扉にかけていた「営業中」の札を返しました。そして、店の奥からパンの包みを持ってくると、テーブルに置いてお茶の準備を始めました。長い一日でした。マカロニ屋はとても疲れていました。けれど、一日何も口にしなかったけのにお腹は空いていませんでした。
ふとマカロニ屋は、やかんがシュンシュンと音をたて始めたのに混じって、トントン、と、とても小さな音が聞こえた気がしました。慌てて出入口に行き扉を開けると、辺りの闇と同じ色の髪をした娘が立っていました。娘はマカロニ屋を見上げながら小さな声で、
「貝殻の形のマカロニを少し下さい」
と言いました。
マカロニ屋はすっ飛んで言われた品を袋に入れてくると、娘にそっと手渡しました。お代を手渡す娘の手はとても冷たく、僅かですが震えておりましたので、そこで初めてマカロニ屋は、秋の半ばだというのに娘が薄い服一枚しか身につけていないことに気が付きました。そういえば、なんだかいつも同じ服だったような気もします。マカロニ屋は、娘が寒そうな身なりをにしていることに心を痛めました。何とかして暖かな思いをして欲しいとも思いました。
「あの」
気付けばマカロニ屋は、もう一方の手を娘の小さな手に包み込むように重ねていました。
「もし、よかったら……熱いお茶をご一緒にいかがですか」
言った後でマカロニ屋は自分のやったことに気が付いて、耳の辺りまで真っ赤になりました。
娘はひどく驚いた様子でマカロニ屋の顔をしばらく見つめていましたが、やがてにっこりと微笑みました。マカロニ屋は、ばら色の頬にできるえくぼは何て素敵なのだろう、と思いました。
二人は熱いお茶を飲み、冷たく固くなったパンをかじりました。あまり言葉を交わしたりはしませんでしたが、マカロニ屋はこんなに楽しく幸せな夕食は初めてだ、と思いました。
こうしてマカロニ屋は、毎日娘と共に過ごすひとときを心待ちにするようになりました。とは言っても、昼頃に娘がやって来ては作ってくれるマカロニ入りのスープを、お店の小さな椅子に座って一緒に食べるだけなのでしたが。けれどもマカロニ屋は、自分が話しかける度に浮かぶ娘のえくぼを見られるだけで、とても満ち足りた気持ちになりました。
こうした最中にお客が来ることも度々ありましたので、そのうちに客の間では、若い店主に恋人かお嫁さんができたらしいと噂が広まりました。実際にマカロニ屋に仲を訊ねていく客もおりましたので、マカロニ屋も自然とそのような気持ちになってゆきました。
マカロニ屋はあまり裕福な方ではありませんでした。ですが手持ちのお金を工面して、ある日娘の為に、ふかふかの軽くて上等な上着を買いました。昼間に来ていたとはいえ、娘は相変わらず薄い服を一枚着たきりでしたので、風邪でもひきやしないかと心配だったのです。娘の喜びようといったら大変なもので、幸せそうにそれを羽織る姿を見てマカロニ屋も嬉しくなりました。
「そいつの中身は綿なんかじゃないんだ」
ぼうっとした表情で何度もガラスに姿を映す娘を眺めながら、にこにこしてマカロニ屋は言いました。
「なんと言っても本物の鳥の胸毛が入っているからね、軽くて暖かいだろう」
途端に娘の白い顔が、まるでろう人形の如く真っ白になったかのようになりました。娘はそっと上着を脱ぐと、
「お気持ちは嬉しいのですが、お返しします」
とマカロニ屋に渡しながら、静かに言いました。
「ねえ君」
と、マカロニ屋は驚いて叫びました。
「もう秋も終わりなんだぜ。いつまでもそんな格好じゃ、凍えちまうよ」
「それでも、受け取ることはできないんです」
娘は、悲しそうにつぶやきました。マカロニ屋は何とか娘の気を変えようと、あれやこれやとなだめたり理由を尋ねたりしましたが、娘はただ頑なに首を振るばかりでしたので、終いには腹を立てて言いました。
「そうかい、そんなに僕からの贈り物が受け取れないっていうんなら、もうここには来ないでくれ。君から好かれていたんじゃないかって思い込んでいた僕が、どうにも馬鹿みたいじゃないか」
娘は泣きそうな声でごめんなさいと何度も謝りましたが、マカロニ屋はむすっとしたままでしたので、うなだれながら店を出て行きました。
すぐに、マカロニ屋は娘を傷つけたことを後悔をしました。彼女に謝ろうと思い慌てて店を飛び出しましたが、もう何処を探し回っても、その姿はありませんでした。
その次の日から、娘が店に来ることはぱたりと無くなりました。
マカロニ屋は再び、お昼にバタあえのマカロニに塩をかけて食べるようになりました。一人で食べる冷たいマカロニは大変さびしい味でした。もう一度でいいから、娘に会って話をしたい、またあのえくぼを見たい、といつもそればかり考えていました。
「調子はどうだい」
そんなある日、音楽家がやってきて、店を覗き込みながら言いました。彼は、久しぶりに会った友人が、ひどく打ちひしがれている様子にすぐに気付き、驚いて理由を尋ねました。
冬の足音が近付いてきていました。