HAHA
あの時踏ん切りさえついていれば全然違う人生だったのに、という意味の言葉を母はしばしば口にした。適齢期の頃に名門工業大卒の某氏にプロポーズされたのだと気張っている。
ならぼと、その色男と結婚した母の人生を想像しようと試みる。どんな物腰どんなうしろ姿になるのだろうか。
その場合、むろん私は存在しなくなるので、追跡レポートは架空の第三者の目を借りることになる。
しかしこの第三者めは、この女性とは赤の他人であるという当然の前提にすら当惑するのである。
うしろから、かあちゃん、などと呼びかけている。
結局それは私自身に他ならないからだ。おまえは誰なのかと問えない唯一の存在だから。
ティシュペーパー一枚の出来事で、ひとは生まれ、また生まれなくなる。ひとの存在が、かくも簡単に置き換えられうる細い糸の上に描かれることを痛ましく思う。けれども同時に、その置き換えが人智の及ぶところではないことも容易に体感できる。
これも授かりやな。
母はいみじくもそう締めくくり、作り笑いをする。
いみじくもそう……なのか。