ガチ病み勇者を激メロ男に育てるまで
3年間、本当に、本当に頑張ったと思う。けして、未来を何も変えられなかったとしても、私は、自分のために、出来うる限りの努力をした。
この世界が、前世で見た少女漫画の世界だと気が付いたのは3年前、学園に入学する直前だった。自分が悪役令嬢で、最後には婚約破棄を突き付けられて、処刑される未来を思い出した。
死が怖く、また婚約者のことも心のどこかで好いていた私は、未来を変えるためにこの3年頑張った。ヒロインをいじめから守り、平民が過ごしやすい学園を送れるようにと、起こした行動のすべては裏目に出て、気づけば悪事は全て自分が行ったことになっていた。
物語の強制力なのか、気づけば筋書き通りどころか、それよりひどい結果になった。いつも何か起こる現場に迷い込んだように居合わせて、何もせずとも犯人は私ということになっていた。助けを求めた両親は親子の縁を切られたくなければ大人しくしていろと言うばかりで、昔からの友人や幼馴染は知らない顔をした。
傍から見れば私が犯人なのだ。関わりたくないにきまっている。
そうして、気づけば、断罪されるその瞬間。
「ラニ・ロス。お前の罪は許されないものばかりだ。聖女に対する殺人未遂、王族に対する暗殺計画、税金の横領、小さい罪に目をつぶったとしても、どれも大罪だ。婚約者として何度も改心するように言ったはずだ。お前は聖女ではないのだから、彼女に嫉妬しても何も変わりはしないと。それなのに、いくつも罪を重ね、僕はもう庇いきれない」
違うと、叫ぶ気力すらすでに一年も前に無くしていた。
「第二王子である私自らお前を裁こう。それが、婚約者としての最後の恩情だ」
このころの私は、変えられない未来に、諦めがついていた。処刑に対する恐怖も失っていた。
「ラニ・ロスに、婚約破棄と死罪を申し付ける。連れて行け」
一瞬の貴族たちの騒めき。警備兵に肩を捕まれこの舞台を去ろうというその時。
「助けてやろうか」
警備兵を打ち負かしたその男は私の顎を剣にのせて持ち上げた。視線が合う。知っている男だった。いや、この世界で知らない人間などいないだろう。何故なら、その男は勇者だったからだ。
「何を、言ってるんですか」
「これあれだろ、断罪イベントってやつ」
「っ……、」
小さく驚くと。
「聖女殺人未遂に、王族暗殺計画に、税金横領って盛りすぎだろ。ウケる」
「や、やって」
「まぁ、やったかやってないとかどーでもいいけど。キミ、この世界に味方一人もいなそうだからさ」
死んだような目で笑って、手錠の間を切断された。
「俺とおんなじ目してる奴初めて会った」
だから助けてやるよと言うように、勇者は私の腰を抱きながら剣を振るった。警備兵を、誇張なく、1秒で殺し、王子の首に剣を添える。
「き、き、貴様こんなことして、許されると思っているのか」
「許さなくていーけど、んー……こいつのこと恨んでる?」
「え、」
「恨んでるやつのこと殺してやるけど」
私を捨て、他の女を選んだ男だ。物語の強制力があったとはいえ、到底許せるものではなかった。感情は衝撃的だった。
「ッ……こ、殺して、」
「ははっ……了解。後は?」
遠くに見える両親と視線が合う。感情が高ぶったが、首を振った。だが、視線を見抜いたのかすぱっと首が落ちる。そのころには、捕まえようとする人間より、災害に出会ってしまったかのように泣き叫びながら逃げる人ばかりだった。
血を拭うこともせず、横抱きにされて、学園のパーティー会場を去る。国境の外に出て数時間、勇者は何も言わず私を抱いたまま歩いていた。
「あの、」
数秒の間。
「ん」
「勇者様であってますか?」
「大正解だけど、キミは悪役令嬢?」
役職名を名前にするような、失礼さに気づかされて。
「すみません、」
「いいよ。名前なんて長らく呼ばれてないし」
「ユウ様とお呼びしてもいいですか?」
するとポツリと立ち止まり、地面の枝を持って、土に文字を書いた。
「悠と書くんだよ。俺の名前」
「悠々自適の悠ですか?」
驚いたような、衝撃的なような、そんな顔。
「前世、日本という国にいた記憶があります」
「家族は?」
「断片的に記憶があるだけで、前世がどういう終わり方をしたかは覚えていません。勇者様は異世界から召喚されたと聞きましたが、悠さまも日本からいらっしゃったんですか?」
頷く。
「妹がゲームでやってたんだ。乙女ゲームって言うんだろ、こういうの。キミはその悪役?未来を知っていたのに殺されかけてたの」
「……色々頑張っては見たんですが、あまり意味がありませんでした」
「そうか。まぁ、俺もおおむね一緒だよ」
日が落ちかけた夕方、生まれて初めて見る国の外の空はなんだか綺麗だった。
「アステルっていう自由国家のデカい国に連れてってやろうと思ったけど。……一緒死ぬ?」
ぱっと視線が合って、行動の意味を理解する。赤の他人だ。私の名前すら聞かない。罪の有無を問わない。私だから助けたわけでも、同情で助けたわけでも、ただ、本当に気まぐれだったのだろう。
世界の英雄が、別の国の王族に剣を向けるなど、これから大きなことに発展するのは考えなくてもわかることだ。その時まで生きているつもりがないんだ。
「助けてくれたお礼になりますかね?」
「一緒に死んだら処刑されんのと変わんなくね」
「全然違いますよ」
3年間、誰も手を差し伸べてくれなかった。信じていた家族も友人も、空虚なものだった。あの永遠の悪夢から助け出してくれた人だ。私がたった一つ、欲しかったものをくれた人だ。
「1人で死ぬのは寂しいでしょうし、ご一緒しますよ」
視線が合って。
「マジ、うれしー」
抱きしめられた。はは。誰かが喜んでくれたのもこの3年初めてだな。なんかいいことをした気分だった。
「この国の隅の方に有名な崖があってさ。景色がいいらしいんだよ。そこから飛び降りてみようかなぁと」
「景色ですか」
「日が落ちるころが綺麗らしいよ」
「今ですね」
「急ぐか」
抱きしめられたまま身体が浮いて走り出す。叫ぶような速さだった。私の叫び声に笑い声をあげて、崖の景色は見たこともないほど美しかった。
「すごい、奥のほうなんて七色に光っていますね」
「魔王退治の旅でいろいろなところを旅したけど、見比べても綺麗だ。いいところだ」
「はーーー、空気が澄んで感じます」
「ね。水と森の匂いがする」
10分くらいそうやって景色を眺めて、一言二言会話をして、手をつながれた。なんとなくのタイミングでひゅーと落ちて。あまり、何も考えていなかった。
はっと、目を覚ませば、隣に知らない男がいた。宿屋の部屋のようだった。だが、少しずつ記憶が安定し、隣にいるのは勇者様、いや、悠さまだと気が付く。状況がわからず、一人混乱していたら、もぞもぞっと薄い毛布の中で声が聞こえた。
「ん……、起きた?」
「悠さま」
「風邪ひいたからもうちょっと寝る……、」
それから2時間くらい悠さまは起きなかった。ここがどこかもわからず、お付きのものを付けず外を歩ったこともなかったため勇気もなく、よく考えれば自分も少し熱っぽいと冷静になり、一つしかない大きいベッドにまた寝転んだ。
「マジで喉いてぇ……、」
ベッドの脇に置いてあった水を飲むと、コップを渡される。
「風邪うつるかもだけど」
「私も喉痛いです」
「三日ぐらい起きなかったし、おんなじ空気すってるしな」
数秒の間。
「あの、」
「うん」
「一緒に死のうって言いましたよね」
「うん」
「い、きてますよね」
あの時大きな覚悟があったわけではない。何も考えていなかったというほうが正しい。でも、私はあの時、底の見えない崖から飛び降りたはずだった。
「落ちる途中、俺だけが耐久力のせいで死ねないなと気づいて、防御魔法をかけた。ごめん」
「そう、ですか」
「一緒死んでくれるって言われて思ったより舞い上がってさ」
「全然いいですよ。別に特別死にたかったわけでもないですし、」
「……名前聞いていい?」
「ラニと言います」
「ラニ」
「はい」
「喉痛いし頭痛いけど、飯食いに行く?」
「そうですね」
こんな時でも、お腹がすくんだよなぁ。って、食べたいものを考えた。町の食堂というものに来るのが初めてで、ドキドキした。メニュー表を見るのすら初めてだった。
「こういうお店に来るのは初めてです」
「俺よりこの世界長いのにお嬢様ってなんも知らないんだな」
「国の外に出るのも初めてで、建物の作りが違って旅行に来たようです」
「まぁ、国際指名手配の新聞出回ってたから、犯罪者だけどな俺ら」
国際指名手配と言っても、目の前のこの人がいるから、不安が大きいわけではない。あの崖から飛び降りられてしまった自分だ。何というか、この先どうなってもいいかみたいな部分がある。
「おいしい」
「ここのメニューどれもうまいよ。俺のも一口食べる?」
口に揚げ物のようなものを押し付けられて、かぶりつく。
「おいしい」
「ははっ……、なんか、味すんの久しぶりだわ」
その言葉にハッとさせられた。
「確かに。家のシェフは、どこかの国で有名だった人らしいんですが、最近は味があまりしませんでした。今日はすごくおいしいです」
「なんかこのままデザートでも食いに行く?」
「っ、い、いいんですか?私一文無しなんですけど」
「あそこから連れ出して金あるとは思ってねーよ」
デザートまで食べて、お腹いっぱいで、宿屋で悠さまはばたんとベッドに寝転んだ。
「食べてすぐ寝るの最高過ぎる」
「最高なんですが、さすがに寝すぎて眠れる気が、」
「それは確かに、」
そう言ったくせに、30秒後には寝ていた。
「よ、よく寝るなぁ」
でも人間は意外と何時間でも寝れるもので、気づけば私も寝ていた。そんな生活が数日続いた。悠さまは気分の上がり下がりがあるみたいで、気分がいい日は私より、というか5時くらいに起きるけど、ダメな日は、昼を過ぎても無理と唸る。
「ご飯食べに行きましょうよ」
「んー……、」
お金を手に渡される。
「そうじゃなくて、悠さまも一緒に、お腹いっぱいにしておくだけで悪い考えが抜けるんだそうですよ」
「食欲ない、着替える気力ない、」
ベッドから手を摑まえて無理に起こして、視線を合わせると反らされた。
「落ちてるから無理」
上の服を脱がせながら、何枚か床に散らばってる外着を着せる。
「これ昨日着た奴」
「私しか知らないから大丈夫です」
ぎゅうっと抱きしめられてびっくりしてると。
「焼肉臭い……臭すぎる」
「昨日のおいしかったですね」
「食いすぎて胃もたれしたわ」
「お腹にやさしいの探しましょうよ」
「……この世界、量と油と肉って感じじゃね?」
「まぁ、確かに、」
「お茶漬けとか恋しい」
「醤油あったら世界変わりそうですよね」
「うわーーーー、醤油と味醂な、」
「醤油って確か大豆でしたよね。作れたりしないですかね」
数秒の間、抱きしめられた身体が解放されて。
「天才かよ。気分上がった」
大成功だなぁ。笑うと。
「……手のひらころころじゃん」
「ほら、食べ行きましょ」
手を握った。外が薄暗くなってるなぁ。その日は中華粥のようなものを食べた。帰り道。
「ラニさ。何枚か服買ったら?」
「服ですか?」
「魔法で綺麗だけど、同じ服やだろ」
「まぁ、そうですかね」
町の中の女性ものの服屋。貴族令嬢たるや、ドレスというものしか着たことがない。悠さまのように日本での記憶が鮮明なわけではない。外を歩く女性たちのファッションの普通がわからない。
服屋で固まっていれば。
「俺こういうのが好き」
ぴちっとした、スタイルの良く分かる、肌の見えない服。
「これもいいな」
肩とくびれの空いた服。
「分かりやすいですね」
「そう?化粧の匂いする女が好きなんだよなー」
「化粧道具も全部置いてきてしまいましたよ」
「今日買って帰ろ」
前髪をサラっと指がくぐる。
「出かける前、俺より早く起きんのにさ。メイク全然終わんねーの。そういうのいいよね」
本当に全然理解できなかった。
「そういうものですか?」
「待つの好きなんだよ」
首をかしげると。
「エロい服なら何でもいーけど」
実に1時間以上あーでもないこーでもないと、悠さまと服を選んだ。そんな日の次の日。ガチャガチャと、鉄のぶつかる音に目を覚ました。目の前にいたのは、魔王討伐祝いの祝賀会で遠目に見た勇者パーティーのメンバーであった。
崖から飛び降りて、次に目を覚ました時、悠さまと同じベッドにいた。だから、一緒のベッドに寝ることに、深いことを考えたことがこの2週間近くで一度もなかったわけだが。
「ゆ、ユウッ……、こんなところで、何やってるのッ!!その女にたぶらかされたの!?そのラニ・ロスって女はどんな大罪を犯したか知ってる!?」
そう叫んだ人物は、僧侶の服を着た綺麗な女性だった。声も出せず、固まっていると、悠さまがのろのろと起き上がって。
「はぁ……、何、捕まえに来たのかよ」
「違う、私は、ユウを助けに」
「助けに?ははっ、ウケる」
悠さまは大体ちゃんと服を着て寝るのだが、昨日は服が焼肉臭いと言って脱いでいて、上裸だった。予想外の展開。腰を抱かれて、服の中に手が入ってくる。
「っ……、悠、さま?」
肩に頭が乗る。
「女に誑かされて王子まで殺しちゃったから、パーティー辞めるわ」
「何言ってるの、ユウは、ユウはそんなこと言わない」
「そんなこと?お前が俺の何を知ってんだよ」
泣きだした彼女と非難する仲間たちに冷ややかな視線を送って言葉をつづけるのだった。
「俺の言葉、何一つ理解できない、バカ女のくせに」
ばっと、ベッドに押し倒された。びっくりだ。服に手を掛けられて、
「ラニ、朝勃ちしたから手伝ってよ」
最低という叫び声と共に扉が閉まる音がする。数秒の間。
「びっくりしすぎじゃね?」
「衝撃的な展開で、」
「昨日エロい服着てほしいって言ったじゃん」
「そう、いう意味だという認知がなくて」
「まぁ、俺EDだからなんもできないんだけどね」
目元にちらついた悠さまの前髪が去ってゆく。
「せっかく気分のいい毎日だったのに、いやな朝だなぁ。天気も悪いし」
「出かけるのには向かない日ですね」
「ラニのメイクを待って出かけたかったのに」
「化粧するので、宿屋の一階で飲みますか?」
「……あり」
うっすらと視線を感じながら化粧をした。久しぶりにするから少し化粧ノリが悪い。少し濃いめのアイラインとリップ。変な話だが、自分の顔だなぁと思った。少しキツい印象を受ける、美人の部類だろうが、悪役令嬢らしい顔。
3年間、嫌いだったはずなのに、こうなると、そんな気持ちもなくなっていた。
髪を整えて、昨日一番最初に悠さまが選んだ服を着る。
「悠さま」
ベッドでつまらなそうな本を読んでいた視線がこちらに向いて、のろのろと動き出して、抱きしめられる。匂い、嗅がれてる。さすがに少しドキドキする。
「一生嗅げるわ」
「……変態ですか?」
「いや、この匂い嫌いな男いないから。女の匂いだ」
10分くらい嗅がれて、さすがに引っぺがして、一階に行きましょうと腕を引く。が、その手が、手から離れて腰を抱かれる。髪の匂いを嗅がれる。最悪の朝だと言ったくせに鼻歌を歌っていた。
対面に座ろうとすれば腕を引っ張られて、隣に座らせられる。
「何のもっかな」
「なんだかんだここで食べるの初めてですよね」
「んね」
それから2時間ほど、食べたり飲んだり、気づいたころには外が暗くなっていた。
「悠さん、大丈夫ですか?」
「んー……、全然、もう一杯」
こぼしそうになった木のジョッキを支えて、あぶなっと思っていると、抱き着かれる。元々距離感ゼロの人だけれど、今日は一段とすごい。よっぽどメイクと服が気に入ったらしい。
「ちょっとアンタらここでおっぱじめないでよ」
店の人の注意に、
「す、みません。悠さん……!ほら、部屋、帰りますよ」
何とか部屋まで身体を支えながら帰って、ベッドに倒れこむ。このまま寝ちゃうかなと、布団を掛けようとすれば、ベッドにひきずられた。
「いーにおい。ラニ、このまま寝よ」
「悠さんはいいかもですけど、さすがに寝ずら過ぎるんですけど」
「いいから、お願い」
ため息をつきつつ、おとなしくすると、嬉しそうだった。
「ラニはさ。会いたい奴っている?」
「……会いたい人、いないですかね」
「俺はいるんだよ。結構さ」
意外な答えだった。死にたいというこの人が、会いたいという人。しかも1人ではないらしい。私に会いたい人がいないのは、死んでもいい理由に近い気がするのに。
「犬の太郎だろ、姉貴も会いたいし、親父もババアも、クラスのやつも、部活の友達も、……顔は思い出せるけど、声はもう覚えてないんだよ。死んだら帰れるかなって思ったんだけど、何やっても死ねなくてさ」
勇者として召喚されてからの数か月が一番楽しい時間だった。ゲームとか漫画みたいに英雄になってもてはやされる妄想をしたのもその時期だけだった。
帰ることへの不安とか、そういうのを考え出したのは半年たったころだ。最初はスマホとかトイレとか、小さな不便が不安になっていった。勇者として国を旅立つ頃にはすでに帰りたいという気持ちが大きくなっていて、国王に、魔王を倒せば元の世界に返してくれるのかと聞いた。約束するというその言葉を信じた。
信じるしかなかったし、周りにうまく意見を言えないたちで、流されるまま勇者として旅立った。勇者としての毎日は順調だった。魔王討伐への道もうまくいっていたし、高校生の頃の俺からは考えられないほどにたくさんの人に感謝された。
沢山の人の笑顔と感謝に、寂しさをごまかした。
僧侶とはいい雰囲気だったと思う。好意に気が付かないわけではなかった。でも、元の世界へ帰る決心をしているのに、彼女に手を出すのは悪いような気がして、気が付かないふりをした。
そうして、魔王を討伐して、沢山の声援を聞きながら国へ帰った。沢山の褒美を貰った。きっと一生かかっても使いきれないほどの金だったんだろう。貴族としての爵位も貰ったが、どんな地位だったかは忘れた。
「褒賞金や、貴族としての地位は辞退します。復興へお使いください。その代わりに一つだけ、ーーーーーーーー」
魔王討伐の祝賀会。僧侶が両親に俺を紹介したいと笑顔を向けた。キミは国の英雄だ、私たちを家族だと思って欲しいと言われた。この世界で一緒になろうときれいな笑顔を向けられた。
何かが崩れる感じがした。誤魔化してきた何かが。パーティーの皆が家族との再会を喜んでいた。俺のたった一つの望み、命を削って戦った意味。何度も、仲間には言っていた。
王が、誤魔化す様に、そんなこと言わずこの世界で英雄として生きるほうがいいと言ったこと。僧侶がこの世界で一緒になろうと言ったこと。許せなかった。世界を救ったというのに。好きだと言ったというのに。
俺に、家族を見せて、幸せそうな顔をするんだなと思った。俺にとっては他人なのにな。
王がせめて、まだ返す方法が見つからない、もう少し待って欲しいと言ったなら。僧侶がせめて、帰る方法を一緒に探そうと言ったなら。
結果は変わらなくとも何か壊れなかったのかなと思う。誰も、返してくれるつもりなんかなかったんだなと。後から後から、僧侶が両親と王を使って俺と一緒になろうと画策してるのを知ったのも、パーティーの仲間がいじらしいと言ったのも、全部自分が壊れる要因だった。
帰ろうとする気持ちを、どうにか誤魔化せと、皆が言っているのを聞いた。
魔王と戦う過程で、右目の視力が弱くなった、右手の中指と人差し指がうまく動かせなくなった。何の思い入れもない世界で、俺は命を懸けて頑張ってきたんだ。その過程で、出来た、パーティーの仲間という思い入れのために、色々なものを削って頑張ったのに。
俺は、家族に別れも、手紙も、何もできていない。何もかも残してきて、ここにいるのに。
誰も俺の言葉なんて聞いていなかったんだと気が付いた。
いろんなものが、感情が、恨みになる瞬間ってのは一瞬なんだなと思った。本当に皆殺しにしてやろうとも考えたが、きりがないことに気が付いた。王や仲間を殺しても、俺は帰れないことに気が付いた。恨みをどうこうすることすら、空虚だった。
ふと、死ねば帰れるかなと思った。帰れずとも、死ねるならいいかと思った。でも、死ねなかった。毒も、外傷も、防御力が邪魔をしたんだ。自殺の名所を巡っていくうちにラニに会った。
「うまくやれたらよかったのにな。物語の主人公みたいに、異世界でハーレム作ってさ。助けた女全部に手だして。地位も名誉も手に入れて」
声は小さくなっていくばかりだった。
「僧侶が笑って親を紹介してきたとき、過呼吸になって倒れたんだ。アイツらは国に昔からの仲間がいて家族がいて、守りたい人も縁も、山のようにあって、命を懸ける意味もちゃんとあるんだよ」
酔ってのろのろした動きが私を抱きしめた。
「ラニは俺しかいないだろ。国では大罪人で、婚約者も親も皆敵で、無双できるような魔力もない。指名手配の今、俺が居なきゃ絶対生きていけない」
キスされて、服に手を掛けられる。
「ここで襲われたって、俺を絶対裏切れない」
「そう、ですね」
色々無視して、悠さまの頭をぎゅーっと抱きしめると。
「ラニなら、家族と出かけて俺を一人部屋に置いて行ったりしないだろ」
「私には悠さましかいないです」
「知ってる……、だから助けたんだ」
どこかのヒロインのような素晴らしい太陽が、悠さまの心を照らすのが最善なんだろうと思う。あの僧侶の女性がそうだったのかわからないけれど。闇を病みで分厚くして、それが良い方向に向かう可能性なんてあるのかな。
せっかく私を助け出してくれた人なのに、私じゃ助けられないんだろうなと、軽く、絶望した。
勇者パーティーに現在地がバレたのはあまり良い状況ではない。大軍に責められても悠さまは死ねない。負ける負けない以前に人間では自分の防御力をどうにもできないだろうと言っていた。そうなると大軍に犠牲を強いるのは悪いから移動しようという話になった。
もう少し田舎の情報網が限られたところか、エルフやドワーフなどの異種族国家の国に行くか話していると。
「でも醤油作るなら、刺身系食いたいよな。輸送路の関係で、内地じゃ生食は全然現実的じゃないし、海のほうに行くか」
「確かに、そういえば生の魚って食べたことがないですね」
「オイル系の料理とかは、ここにもあるんじゃないかな」
そんな案から、エルフ国と人間国の国境近くにある海際の国へ行くことになった。
「潮の匂い」
「海だー!」
悠さまが叫んでいたから自然に笑顔になる。
「宿屋暮らしも悪くなかったけど、風呂とかないの不便だし、家買うか」
「い、え、……買えるんですか?」
「貴族の爵位いらないって言ったからさ、人生100周くらいできるくらいあると思う」
そんなこんなで不動産屋に行ったが、文化の違いか風呂や台所の整備がされた家が少なかった。この国では外食が一般的らしい。ドワーフの国とも近いこの国は本当に様々な人種の人がいる。異種族への偏見の多い人族は2割ぐらいにとどまるが、獣人やエルフは数が多い。この世界の縮図のようだ。
それもあり、国の収入源としては、リゾート的な部分が多い。元から住んでいる人は多くないために、ここで働く人の家以外はあんまり存在しないようだ。
金の単位は分かるが、貴族として生きてきたため、相場がわからない。
「高いですか?」
「俺だって家なんて買ったことがないからわからないよ」
「騙されたりしたらどうしましょう」
「いいんじゃない?バカだと思われても、丁寧な対応してくれるなら」
現状望む家を紹介するのは難しい。短期の寮や宿がこの街のほとんどだと言われてしまった。
「他の国に比べますと土地の値段が高いので、相場より高いのは諦めてください。もし、ある程度予算があり、希望の家の条件を叶えたいのであれば、1から建てるのはどうでしょうか?」
考えもしない話だった。悠さまがこちらを見て。
「確かに、することもないし、家でも建てる?」
「し、新婚みたいですね」
別にロマンティックな意味合いでの返答ではなかった。ただ、さすがに、どんな展開でも友達同士で家を建てることはないだろうし、家を建てるってそうとしか考えられなかったんだ。
「そんな感じでしょ」
猫獣人の不動産屋が不思議そうな顔をした。その脇で、悠さまが腰を抱いてくるから、なんだかなぁと思った。でも、家を建てるってのは悪くない。考えを巡らせれば気がまぎれるからだ。
「キッチンを最新のものにする場合、冷蔵庫という魔道具などを入れることも可能です。最高級なレストランなどで導入されていたものなんですが、最近家庭用のものも出てきて、それを入れる場合、少しスペースを取ったほうがいいですね」
「冷蔵庫だって、」
「それは欲しいですね」
「ベッドルームは分けられますか?」
どうするって悠さまがこちらを向く。
「……えっと、一緒のほうが、私はいいですかね」
「じゃあ一部屋で」
じゃあって、
「その、悠さまの意見のほうが優先度が高いと思うので、別でも」
「なんで?」
「その、いいんですか?」
「いいよ。てか、基本全部ラニ思う通りでいいよ」
「え」
顔を見合わせると、不思議そうな顔だった。
「一緒のベッドのほうがいいけど、たまには一人になりたいって言われても、まぁ、ちゃんと我慢できるし」
「我慢、できるんですか」
「優秀だからね。俺」
なんだ。その言い方。
「ずっと一緒のほうがいいですよ。安心です」
視線が合うと、口元がぎゅっとして、視線が逸れて、数回小さくうなずいた。どういう反応なんだろう。
「……風呂はデカいほうがいいよね」
「足が延ばせる湯舟だといいですね」
「洗濯系の魔道具って最新のやつだといいのあるの?」
少しずつ、悠さまが意見を出して、その方がいいなって思った。
「今計画している部屋の他にいくつか部屋は足しますか?」
「収納部屋とかですかね?」
「そういった面もありますし、将来お子さんとかの事もあると思いますし」
衝撃的な言葉だった。その点に関して言えば、私だけでなく悠さまも停止していた。
「か、考えたことないけど、」
「私もなかったです」
「ノリで家建てようとしてたしな」
「お二人はまだお若いですが家というものは一生のものですから、二階にいくつか小部屋を作るといいと思いますよ」
「ま、任せます」
一生のものかと。明るい気分が落ちるような、そんな感じがした。順調に家を建てる計画が進む間、さすがはリゾートの国、ビーチの付いた宿屋に泊まっていた。
「悠さま、悠さま」
「ん?おはよ」
「おはようございます。すごくいい天気です」
「そ、だね」
「泳ぎに行きませんか?プライベートビーチついてるんですよね」
「えー、日焼けしたら身体痛いじゃ……水着か」
「そう、ですね?」
「買いに行こう」
悠さま、こういうの大好きだよね。女性しかいない店とか全然気にしないってか、周りに目が行かないタイプだ。服を買ってもらったときも思ったけど、明確に着てほしいものがあるらしい。
「写真撮りたいな」
「一緒にですか?」
「え、……誰と一緒に?」
「悠さまと」
「あぁ、まぁそれもいいね」
いろいろな海グッズを買って、海に到着して、俺はいいという悠さまを引っ張って海に連れて行く。
「というか、悠さまの水着変ですよ」
雑貨屋で端のほうに売ってた私の水着の20分の1の値段の水着。スタイルがいいので、なんとか見られるが、それにしたってって感じである。
「俺は二度と着ないからいいんだよ」
「来年は?」
「もう一個迷ったほうのデザインを着るんだよ。ラニが」
「ふっ……あはは、そうですか」
水をかけながらふと。
「え、じゃあ私は逆にこれをどこで着るんですか?」
「家?」
「これ家で着てたら変態ですよ」
「そもそもこのほぼ下着の格好で外出てるってマジヤバいよな」
「まぁ、確かに?」
「でも、水着って、それだけで最高だからな」
「悠さまは結構な頻度で上裸なので私的にはレア度まぁまぁですけどね」
「それで言ったら、俺の気分は爆上がりだね」
抱き着いてくるから、笑ってしまった。全然隠さないなぁ。
「そんな笑う?」
「分かりやすいんですもん」
「俺、ホント好きなんだよね」
「水着がですか?」
「いや水着も好きだけど、……顔?あとスタイル?あと、間とか、死にたい気持ち10パーくらい減したもん」
「私は悠さんの中身がいいと思ってますよ」
「マジ?ゴミクズだよ俺。仲間捨てたしEDだし女子供殺せるし」
パワーワードだけれども。
「私を助けてくれた人なので、皆にとっては悪い人でも、私にとっては王子様です」
「ちゅーしていい?」
返事のまえにされた。
「しょっぱ」
「顔濡らしたの悠さまですよ」
「口ん中もしょっぱい?」
「っ……!んっ……きょ、許可も、聞く意味もないじゃないですか……!」
「えー、ちゃんと聞くの優しくない?」
「や、やさしく、ないです」
「んふふ、優しくないかぁ」
意外とちゃんと遊んでしまった。髪も顔も終わった。タオルで髪をかき混ぜられて。
「絶対焼けたよな」
「確かに……、日焼け止め全然効果なさそうな雰囲気でしたよね」
「水着の跡に焼けんのかー」
後ろを振り向く。
「そればっかですね」
「それって?」
「……なんでもないです」
「一緒寝てるのに初心ぶんの?」
「何もしてないですし」
背中から腰を抱きしめられると、ぽたりと、髪の水が肩におちた。
「触っていいなら触りたいんだけど」
背中の顔を手で離す。
「ここでは、だ、ダメです……!」
情けない叫び声にけらけらと笑って、離れる。
「かき氷買ってくるわ」
こくり。こくり。心臓バクバクする。よく考えれば、死ぬほど婚約者に嫌われていたから、こんなことしたことがない。何故かわからないが、意識というものを今までしていなかった。触られてもどうということがなかった。
今になってなぜ。
考えを巡らせていると、声が聞こえる。
「ねぇねぇ、お姉さん。誰か待ってんの?」
エルフの顔の整った男と、耳が猫のような獣人の男。
「人と来ているので大丈夫です」
「人って、彼氏?」
言いどもってしまった。
「いや、」
「違うの?違うなら、遊ぼうよ」
腕を引かれて、自分の非力さを思い出す。今日まで、悠さまと二人きりで、店の人以外と話していない日々を過ごしていたから、誰かに触れられるなんてなくて、忘れていた。
「ほ、本当に大丈夫です」
「そんなこと言わないでさ、俺らのほうの宿屋ってプールとかサウナもついてるからさ」
私は、無力で1人では何もできない。指名手配犯なのだから、大声で助けを求めるわけにはいかない。どうしよう。無理やり腕を引かれて、立たされる。
「めっちゃえっちな水着着てんじゃん。俺ら誘われてる?」
ぞわっと。背筋に鳥肌が立つ。
「や、やだ……、悠さま、」
「なんだって?聞こえない、どうしたの?」
貴方たちに顔を覗かれたいんじゃない。ひどい嫌がらせや、命の危機も何度も味わっていた。だが、こういった類の危機はなかった。良くも悪くも貴族は金や暴力、精神的なものが多かった。ある意味、皆最低限をわきまえていたのかもしれない。
「ほら、行くぞ」
引きずられて、一歩二歩。もう、どうしたら。
「何してんの?」
悠さまの声だった。私の唯一の人だ。
「悠さま……、」
伸ばした手を取られて、もう片方の手が獣人の男の顔面を殴りつける。
「お前、会った瞬間ぶん殴るとか、どうかしてんだろ」
エルフの男が叫んだが、殴られた獣人の男が砂の上でピクリとも動かない。
「おい、ガナル!おい、どうしたんだよ」
体をゆするが停止したままだった。
「大丈夫?」
漠然とした恐怖に自分から抱き着くと、受け止められた。
「ひ、1人では、何もできなくて、」
「うん」
「指名手配犯なので、さ、けぶこともできなくて」
「うん」
「こわ、かったです」
「置いてってごめんね。全然周り人いなくて気抜いた」
ばくばくする心臓が止まらなくて、悠さまの落ち着いた心臓に救われた。
「外ではずっと手つないでよっか」
「っ……、そ、そうして、欲しいです」
言葉の綾が、心臓を落ち着かせる。
「それに、害をなす奴はみんな消しとこうね」
あまり魔力のない自分でも、ふわりと魔法の気配を感じた。
「魔法、ですか?」
「魔法というか、なんだろ」
抱きしめられた腕がほどけて、後ろを振り向くと誰もいなかった。
「消えちゃった」
「魔王を倒したときに、消滅ってのを会得してさ。自分以外のものは存在自体消せるんだよね」
びっくりして、固まると、目の前で手が振られた。
「ラニ?」
「ひ、人も消せちゃうんですか」
「うん。自分以外はね」
なんて恐ろしい能力。そして残酷な能力だろう。
「魔王が世界に一人だけが会得できる力で、持っている人物が死んだら殺した人物に譲渡されるって教えてくれたんだけど」
「そんな最強相手にどうやって戦ったんですか?」
「まぁ、これ触れないと消せないから。触られなければ問題ないね」
「そう、なんですか」
「俺には意味のない力だけどね」
世界征服だって、この世界に執着がある人がすることだ。この世界が欲しい人がすることだ。
「悠さま」
「ん?」
「怖い人は皆、悠さまがどうにかしてくれますか?」
「俺、ラニの王子様だかんね」
抱きついて、キスをした。
「悠さまのおかげで今日がいい日になりました」
「そう?俺全然気分悪いけど」
「婚約破棄されて、指名手配犯になった日さえ、悠さまのおかげで悪くない日です」
「俺みたいな絶望した目してたのに」
「悠さまが来てくれた日は、全部、最高のいい日です」
「何それ」
「分かりますか?」
「わかんない」
笑顔が、笑いが、止まらなくて。
「大好きってことです」
「っ……、」
「帰りましょう。日が落ちてきました」
「ちょっと待って、もっかい言って」
腕を引いて歩き出して、数歩、背中から抱きしめられた。
「ねぇ、ラニもっかい」
「ダメですよ」
「じゃあ顔見せて」
「だ、だめです」
無理やり振り向かせられて、視線が合ったのが恥ずかしくて。
「俺ら、生きてんね」
ちょっとびっくりして、でも。
「ね、生きてますね」
宿屋に手をつないで戻った。夕日が綺麗で曖昧に記憶に残った。
「砂がすごいし肌が痛い、」
「シャワー浴びよ」
腕引っ張られて。
「い、いっしょですか!?」
「さっき最高に両想いになったじゃん」
「それと、これ、か、関係あります?」
「大ありでしょ。両想いってことは、好きなだけ裸見ていいってことだ」
「絶対違うと思うんですけど」
適当に流されて、水着に手を掛けられる。
「マジで最高だわ」
勝手にしゃべっている。
「俺これ選んだ時、脱がすことだけ考えてたんだよ」
「はぁ……、」
「日焼けの跡見放題じゃん!生きてる、生きてる!俺生きてるわッ!」
全然うれしくない…。そんなことで生を確かめられても。一緒にシャワー入って、抱きしめられて寝た。お昼近くに起きて、悠さまの身体を揺する。
「悠さま、今日から家の工事が始まるはずですよ。見に行きましょうよ」
「……んん、おはよ」
そう言って一つキスされて。
「もうちょい寝る」
べットへ引きずられる。
「お昼ですよ。もう。昨日あんまり遅くなかったじゃないですか」
服の中に手が入ってきて、お腹を撫でて、上に登ってくる。
「っ……、起きてるじゃないですか」
「あーーーー、彼女と一緒寝てEDって役立たずすぎる」
人の背中で叫んでいる。
「悠さま?」
「ん……、」
「出かけましょ」
「準備だるい」
「悠さま、準備3秒ですよね。髪いっつも適当だし」
「俺もセットしたら結構いい男よ?」
「いつも魅力的でかっこいいですよ」
「なんか適当だ……」
「お腹いっぱいになるとすぐ寝ちゃうのも、癖全然隠さないのも、気分屋なとこも好きですよ」
「……全然いいところじゃないんだが」
「かっこいい姿見て好きになったら、弱いところも可愛いなぁってなるんだなって学びました」
ぐって身体を引っ張られて、ばたんとベッドの上で押し倒される。突然の大胆さにびっくり。首を傾げると。
そのままヘナヘナと腰のあたりを抱きしめられる。なんなんだ。
「気分と身体が一致しない」
よく分からず頭を腕で抱きしめる。
「病院行こうかな」
「え?」
「好きな女抱けないなら生きてる意味ないわ」
なんかキレてて笑ってしまった。
「なんで笑うの」
「悠さまが前向きで嬉しいです」
「……男は性欲の前にあまりに無力だ」
「無力なんですか」
「無力だよ。えっちするか帰るかで迷える」
「そ、れは無力ですね」
「起きるし病院行くからキスして」
それはいいけど、病院行くのは私のためなのか…?と思いつつ、キスする。もっかいが3回続いて。
「……起きる」
寝起きは本当に苦手だなぁ。家の工事の様子を眺めた帰り道、本当に医者に行くと言うのだから驚いた。
「キミが行くべきは精神科ね」
「精神科、」
「身体はいたって健康、どこも問題ないから」
数秒黙り込んで。
「精神科だって」
「一緒に行ってみましょうか」
「紹介状書いてあげるけど、そもそも今のキミたちのずぶずぶな関係をどうにかしないと解決するものもしないと思うよ」
「は?」
悠さまは見てくれたお医者様の机を破壊しブチ切れた。
「少しずつでも他者とコミュニティを築いて行くところからですかね」
次の場所では胸倉を掴んで怪我をさせた。
「このままではお互いのためによくない。少し離れて暮らすことを考えたほうがいい」
病院を破壊し、お医者様を怪我させて、出禁をくらって、名のある先生の場所へはもう行くあてがなくなってしまった。
「今日は何か美味しいものでも食べて帰りましょ」
手をつないで歩く帰り道。病院の先生の言うことは正しいのだろう。悠さまを前に進ませるには私では足りないに決まっている。でも今の幸せは悠さまがいるから成り立っているわけで、このままがいいと思ってしまうのは、裏切りなのだろうなと思う。
「悠さま」
「ん」
「私は悠さまに出会って初めて息が吸えましたよ」
「うん」
長い時間手を繋ぐと、少しずつ汗ばんでくる。それも悪くないって教えてくれた人なのに。
「今日は肉が食べたい気分だなぁ」
「新しいお店を探してみますか?まだ夕方ですし」
「いいね。いろんなところを周って行きつけを作りたい」
「それはいい案ですね」
海辺の近くの潮を感じる店だった。街頭を照らして、外のテラスで食事ができて、お洒落な雰囲気が漂うけれど、店の料理は豪快なものだった。
「うまっ……!食べたことないソースの味がする」
「本当ですね。何のソースですかねこれ」
美味しいと食事をほおばっていた時だ。カチャンと金属が落ちる音が鳴りびいた。振り向くと年配の男の人が驚いたような顔でこちらを覗いていた。
「勇者様、」
ドキドキっと心臓が鳴り響いて、うまく声が出せなくなった。せっかく悠さまが前向きに歩き出している途中だというのに、一緒に家を建てようと話している途中なのに。
「ラニ、大丈夫。大丈夫だから落ち着けって」
髪と頭を巻き込んで抱きしめられて、数秒。きっと、その男を消そうと振りかざした手を、その人は握った。
「違います。違うのです、礼を!感謝を……孫を助けていただいたのです」
悠さまは一つ目を見開いて、握った手を離した。
「通報されるかと思った」
「とんでもない話です。世間は勇者様に感謝こそすれど、捕えようなんて考えもしないことです」
「信用ならないけど、お前自身が通報しないって言うなら別にそれで良いよ」
「食事代を支払わせていただいて良いですか?」
「……まぁ、良いけど」
「それと」
その先は思いもよらない話だった。
「しがない町医者をさせていただいております。お力になれるかもしれません」
名刺を貰って、食事代を払ってもらって、宿へ帰る。
「いい先生だと良いですね」
「信じたの?」
「悠さまに救われたと仰っていました。私と同じです」
「だから信じるって?」
「そうです」
髪に指が潜る。
「怯えてばっかりのくせに」
「唯一信じられることです」
「あの老人の言葉が?」
「違います。ひねくれないでください」
「……俺が?」
「裏切られても構いません」
ちゅっと音が鳴りそうな触れるだけのキスをされる。
「俺はラニだけは裏切らないって信じてるよ」
のろのろと抱きしめられる。
「家族は俺だけだろ」
「他人同士が家族になるには紙切れが必要なんですよ」
「結婚しようか」
びっくりした。言葉が続かなかった。
「俺が助ければ助けるほど、いろんな家族が笑って暮らすんだよなって、考えてたんだよ。魔王を討伐する旅で村や街を助けるたびに、失敗したら孤独な奴が増えるかなって思ってたんだ。救った人の笑顔が俺にとっては一番見たくないものだった。羨ましくて妬ましくて壊したくて逃げてばっかりだった」
安直だと思う。出会って2ヶ月も経たない関係だ。悠さまは私といて本当の幸せを手に入れることが難しいとそう思うのに。
「全部壊してしまったら、また一緒に逃げましょう」
まさに悪役令嬢のようにヒロインを妬んだあの日を思い出した。
「怒らないのかよ」
「怒りませんよ。誰かの幸せを壊しても、世界をぐちゃぐちゃーにしちゃっても、私には関係ありません」
「なんで」
「なんででしょう」
「ラニには俺しかいないから?」
「そう、大正解です。私は勇者ではないので、自分の幸せだけを願っています」
ぎゅっと抱きしめる力が強くなる。
「悠さまが望む孤独な人間だったのに、悠さまのせいで妬ましい人間になってしまうかもです」
「ラニは孤独じゃないの」
「はい、朝起きると悠さまがいます」
吸った息が掠れて、声がか細くなった。
「1人を絶望してたのに大事なもの作るのもこわい」
「帰るのを迷いたくないですか」
頷いて。抱く力ばかり強くなって。
「帰れないのに」
少し離れると悠さまは泣いていた。
「ふふっ、……ゆっくりでいいですよ」
笑うと驚いて。
「最低だって自分でも思うのに」
「私を救ってくれた人なので、本当に全部いいんですよ。この生活が何年も経って悠さまが帰ってしまっても、それでも私は悠さまが好きですから。大丈夫なんですよ。それくらい悠さまは私にとって特別で唯一で世界一です」
ゆっくりとしたキスが落ちる。
「家族になって」
「はい」
「情け無くて、ごめ」
手のひらで口を塞ぐ。
「私はいま一番幸せものです。好きな人にプロポーズされました」
笑うと悠さまは泣くばかりだった。次の日の朝、悠さまは私よりずっと早く起きて出かける準備をしていた。
「病院行ってくる。部屋に防御魔法かけてくから出ないで待ってて」
「1人で」
「寂しいけど……、本当に解決したいなら1人で行かないとダメなのかなって思うんだよね」
頷くと、なんか美味しいの買ってくるって笑った。悠さまが前に進んでいる。私は何もしていないのに。1人でいられるようになんてならないで欲しい。
「この世界を壊したいほど憎いのに、ラニが毎日浄化するんです。絶対治らない不治の闇なのに。何回真っ暗になっても、側にいてくれるんです」
昨日の医者は静かに頷いた。
「孤独に絶望してた俺が自分のためだけにラニから家族を奪ったのに」
ぽつり。
「貴方のことも俺は信じられないのに、ラニは俺が救った人だから大丈夫だと言うんです」
またぽつり。
「色々なことを深く考えられないのに、家を建てて、結婚しようって口走ったんです。今日だって部屋から出れないように魔法をかけて閉じ込めた」
うまく息が吸えなかった。
「俺たちは離れないとまともになれないって、いろんな先生に言われて」
酸素が薄い。また泣きそうだった。
「まともにならなければいけないんですか?」
医者の声が頭を貫いた。
「勇者様が見つけた希望が今なら無理に変えようとしなくてもいいんですよ」
「でも、俺は……ラニの親を殺して」
「正論が全てではありません。彼女が勇者様のそばで笑っているなら、やはり貴方は彼女にとっても勇者なのだと思いますよ」
何があろうと好きだと言ってくれた。世界で唯一俺だけを見てくれる人だ。誰かのためでなく、俺が俺のため周りを考えず、連れ出した人だ。
「なぜ医者へ来ようと思ったのですか?」
「……抱きたくて、勃たないから。くだらなくてすいません」
「くだらなくありません。医者へ来ようと思ったのも、性欲が戻り始めているのも、全部良くなっている兆しですよ」
何を持って良いとするのか分からないが。
「出会えて良かったですね」
これほど他人からの言葉が響くことなんてなかった。そう。それだけだ。俺が欲しかった言葉だった。
「はい……、はい」
「勇者様が救ってくださった孫ですが、教会で働いているのです。結婚式をするのはどうですか」
固まった俺に言葉を続けていく。
「指輪を買って差し上げた方がいい。それに家が完成したら何を置くのか、庭はどうするのか。今が一番楽しいときですね」
ふふっとシワの多い顔で笑った。
「勇者様にとっての正解が、世界に2人きりなのかもしれませんよ」
気が向いたらいいです。またいらしてくださいって、毎日一錠だけ飲む薬を渡された。睡眠薬についても聞かれたが、ラニがいればよく眠れるというと、じゃあ要りませんねと笑われた。ふわっとした変な気分で、約束した菓子も忘れて、指輪を買いに行こうとラニを外へ連れ出した。
母国の亡国を知ったのは、悠さまと外で食べた店の机の上の新聞を見かけてだった。売り込みにくることは多かったが、知りたい世界情勢もなく、時たま買って読むので十分だったんだ。
「国が、滅びて」
衝撃が走ったような気もしたし、変わらぬ空気に、理解できないような感覚に近かった。
「俺ら、指名手配撤廃だな」
「た、たしかに、そう、ですね」
帰る国、母国、すらなくなってしまったな。寂しさはない。元々帰れるわけもなかったし。
「寂しい?」
髪に指がくぐって。首を振る。
「いえ、なんだか不思議な感じです。恨んでいたはずだったのになと思います」
「親戚とか、気にならないの」
「平民と、貴族の間で、家族という感覚は少し違うような気がします。一族としての意識はありますが、友人より遠い存在です」
「へー、でも最近、ラニもお貴族様の感じが抜けたよな」
「そうですか?」
「ちょっと皿を洗ったら手が荒れて、外をあるったら肌が荒れて、何見ても目キラキラさせてただろ」
少し恥ずかしい。
「マシになりましたか?」
「別人だよ。背徳感も随分なくなったし」
「背徳感を感じてたんですか?」
「国の姫様連れ去って、自分の側に置いて、感じないわけないだろ」
「飽きてしまいましたか」
戯言を言った。そうすれば腕が伸びて顔が近づく。
「自由奪ってる男にそういうこといっちゃダメだよ」
きりきりっと視線が合って、触れた唇が離れる。
「奪われてないですよ」
「結局ラニは貴族様だから自由なんて知らないでしょ。俺がいるからこれからも分からない」
「たまに悠さまは自由と言いますよね」
「別に自由を知ってるから幸せってわけでもないけどね」
「そうなんですか」
「現に俺よりラニのほうが何時だって幸せそうだ」
「夢かと思うほどに幸せです」
「俺がいるから幸せなんてそれこそ自由を知らない証拠だよ」
「悠さまは、私といて」
随分と時がたっている。家を建てて、結婚式をして、少しは町にも知り合いができて。それでも飲み込む言葉がある。
「幸か不幸か、そういう次元じゃないよ」
「意味、分からないですよ」
「ラニの正しい幸せと自由を奪って手に入れた、俺の正解だからね」
「正解なんですか?」
「うん。これしか正しい道はない」
悠さまはたまに理解できないことを言うんだよなって、そんなことを考えた矢先だ。吐き気を催した。あの日以来ずっと世話になっているお爺さんのところに行けば。
「おめでとうございます。ご懐妊ですよ」
驚いて固まる私たちとは裏腹に泣くような顔でおじいさんは喜んだ。
「俺の、子ども」
腹に触れ。
「じ、実感がまるでない」
「私もです」
「お二人は結婚して9年でしょう。遅いくらいですよ」
看護師の女性が豪快に笑った。その笑顔を裏に、子どもなんて出来れば、悠さまをこの世界に引き留める足かせになってしまうのではないかと。
「こ、こういう時って赤飯だよな」
「「「赤飯?」」」
「……小豆なんてないか。とにかく、なんか、祝わないと」
実感なんてなかった。あの時から時が止まったような感覚さえあって、自分が前に進めているのか少しも分からなくて、でも、悠さまが笑っていてくれたから、それだけでとてもとても安心して涙が無性にこぼれた。
「ラニ、泣いてるのか」
「これは、その、嬉しくて」
頬に指が触れて。
「あぁ……俺も、俺もうれしい」
二階の物置になっていた部屋を、まだ何か月も時間があるのに片づけだして、まだ少しも身体は重くないのに休んでいろなんて言われて、悠さまがあまりに変で何もかもおかしかった。性別もわからないのに子ども用の服を山のように買い込んで、初めて悠さまを叱ってしまった。数えきれない名前の候補の中に、1人で寝られない悠さまが寝落ちしていた。
抱えられないから、布団をかけて側に座ると腕を引かれる。
「身体冷やさないほうがいいだろ」
「じゃあ、ベッドに行きましょ」
「ん……、そうだね」
「名前は決まりましたか?」
「いやまだ、候補が沢山あって……でもダメだ眠い」
「ふはっ……今日は寝ましょ」
「ん……ねる、おやすみ」
触れるだけのキスをして。
「おやすみなさい」
少し肌寒くなり始めた季節、夕食の買い出しの帰り道、悠さまが肩に上着をかけてくださった。そんなとき、人の叫び声が聞こえた。
「きゃあああ」
「ま、魔物が、街に魔物が」
顔を見合わせて、悠さまは少し迷ったような顔をした。
「悠さま?」
「違和感がある。街に魔物なんて、」
その間にも悠さまを見かけた街の人々が、助けてください、勇者様と叫んだ。いつものように腰を抱かれていたせいで、小さく鳴った舌打ちの音が聞こえる。
「俺は勇者などとっくに辞めたのに」
こんな時にと街の人は思ったかもしれない。ぎゅっと強く抱きしめられた。
「ラニ」
「はい」
「今日は帰ったらオムライスが食べたい」
「もちろんです」
名残惜しそうに離れて、屋根の上に飛ぶ、煙の見える街の中心に、すぐに見えなくなってしまった。ケチャップライスのオムライスを作って差し上げないと。その時の事態はすぐに悠さまの尽力により簡単に収束した。
だが、それから、世界各地で魔物の出没が多発するようになった。魔王の再来かという新聞が出回り、近所の冒険者たちに質問攻めにされたが悠さまはそれを否定した。
「あの時魔王は間違いなく倒したはずだから、それはあり得ない。何が起こっているんだろうな」
「な、何が起こっているんだろうなって、真相を確かめようとは思わないのですかッ」
「俺には関係ない」
「勇者様は」
「俺はもう勇者ではない」
そう言って立ち上がったが、別の冒険者が叫んだ。
「そんなわけはない……!貴方は、勇者様だ。俺の村を救ってくださった。母を、沢山の村人をその力で救ってくださった。またこの世界を救ってください」
そうだ。そうだと、私も救われたと、貴方が勇者だと叫ばれ、悠さまは静かに息を吐いた。そしてぽつりとつぶやく。
「仮定の話だ。お前の子が勇者に選ばれたとして、それをお前はどう思う」
「そ、れは、名誉なことだと」
「名誉か……、お前たちの生きる素晴らしい世界を救える名誉ということか?」
「そう、そうです」
「ふっ、ははっ……はっはっ、俺は名誉のためにこの世界を救ったんじゃない」
腕を引かれた。
「帰ろ。ラニ」
「は、はい」
無言の帰り道。悠さまが握る力より、いつもより少し強かった。家の玄関をくぐった瞬間、深く抱きしめられて、口づけをされる。息ができないほどに激しくて、足元が崩れそうになった。
「家に結界を掛けて、騒動が終わるまで引きこもろう」
今がどれほどの事態なのか、私には判断がつかない。
「俺は、ただ、ラニとの子が無事に生まれるのが見たい。それだけなのに、」
世界の話、魔法の話、国の話、政治の話、いろいろなことを避けて過ごした10年だったと思う。悠さまが勇者様であったころ、パーマがかったウルフっぽい髪形をしていた。魔王を倒し凱旋していた悠さまの記憶は淡く、出会って数年はぼさっと、目があまり見えない髪型をしていた。
最近は髪を短くして、顔がよく見える。私の力では何年も何年も、二けたに差し掛かって、やっと少し悠さまが前を向いてもらうことが精一杯だった。
本当に少しずつ、近所での付き合いや、たまに冒険者としてダンジョンに行ったり、畑をいじったりと、普通を知ったはずなのに。
泣きはらしたような顔で寝てしまった悠さまの目元を撫でる。
「悠さまはいつだって私の涙を拭ってくださったのに」
悠さまはそこから二日眠り続けた。先日作ったばかりのオムライスを、また作ると微かな物音と共に悠さまが顔を出した。
「おはよ」
「おはようございます。悠さま」
背後に立つと腰を抱きしめられる。
「うまそう」
「んふふ、味見しますか?ケチャップライス好きですよね」
ほふ、ほふっと、熱さを逃がす音がする。
「料理も上手になったよね」
「料理本沢山買いましたから」
「まだ完璧じゃないけど、醤油っぽいのも作ったしさ、」
少しの間。肩が、濡れた。
「俺が元の世界で生きてきた時間と、ここに来てからの時間ももうすぐ同じになる」
「悠さま」
無理やり振り向かされて、キスされる。
「帰りたいって思うことも減って、今が当たり前になって。家にも物が増えたし、街にも知っている人間が増えた。大切なものなんて……作りたくなかった。あの時の恐怖が現実になる」
「私も、もう、死ぬ勇気はなくなってしまいましたよ」
そう笑うと。
「10年前は、皆、世界が、憎くて仕方なかったのに。幸せそうな人間がみんな妬ましくて、それが今だったなら、俺は、全て壊す勇気もあったのに」
数秒が、数分に、動きを止めた。
「もう、俺はただの人だ。……子が生まれたら、俺のように家族や友を失って欲しくない。勇者になんてならず、普通であってほしい。きっともう帰る勇気もない、あぁ……、俺は、俺は戦えるが、魔道具は作れない、服だって、家だって作れない。1人ではどうにでもなるが、ラニには何時だって好みの服を着ててほしいんだ。寝心地の悪いベッドで抱くのは嫌なんだ、……世界が滅ぶのは一向にかまわないが、ラニが、辛い思いはしてほしくないんだ、それは一人で残されるより嫌だ」
抱きしめられて、オムライスを食べるとおいしいと泣いて笑っていた。1か月も立たないうちに、魔物たちの動向は悪化の一途をたどり、各国の嘆願書が集められ、悠さまをその紙を苦い顔をしながら受け取った。重装備の昔の勇者一行を家に迎え入れる。
「この10年ずっとユウと居たの?」
「そう、です」
僧侶の女性は、相変わらず綺麗な方で、10年の時を忘れさせるようだった。悠さまが少しだけ準備をしてくると言って、部屋の倉庫のほうに居る間、私たちの空気はあまり良いものではなかった。
「貴方は、何も知らないでしょうけど、これまで世界がどれほど大変な状況にあったか。私たちがどれほど苦労してきたか。どれも、ユウがいれば、犠牲なんて出さずに済んだ。何千、何万の人間の犠牲が、貴方の我儘のせいだって、少しでも考えたことがある?」
「すみません」
そういいながら、お茶とお菓子を出して前の席に座る。
「謝ってすむ問題じゃないッ!!」
「レイ、怒ったって仕方ないだろ。それに、彼女がユウを連れ去ったわけじゃない。ユウが国を、人類を捨てたんだ。むしろ今回協力してくれることに感謝すべきだ」
「でもッ……ユウがいたなら、お父様は死なずに済んだかもしれない」
各国での魔物の被害は甚大なようで、すでに彼らも疲弊しているように見える。
「災難だったとは思いますが、貴方のお父様が死んでしまったのは悠さまのせいではありません」
パチンッ。頬を叩かれて。
「何が言いたいの。ユウがいれば誰も犠牲を出さずに済んだ。沢山の人を救えた。まぎれもない事実よ」
「貴方たちは何のために戦っているんですか?名誉?名声のため?」
「そんなもののためではない。国には、親も、友も、民だって沢山いる。守らなければいけんものがたくさんある」
「そうですよね。素晴らしいと思います」
「ユウは違うと言いたいのか」
「悠さまが何を守るために戦っているのか考えたことはありますか?」
「それは、」
小さく目が見開かれる。
「私は純粋に貴方たちのことを尊敬してます。守りたいものため、一番危ない最前線で戦っている。それだけで、称えられるべき存在です。私のように、保身のために母国で足掻いて、何もできず悠さまに助けられて、悠々自適に暮らしている人間が、面白いわけないのも当然です。ですがッ」
自分の声が思ったより大きくて、自分自身に驚いた。
「帰りたいと言った悠さまをこの世界に縛り付けて、脅しのように世界を救わせたのに、それを当たり前の義務のように言わないでくださいッ……!」
「は?」
女性に胸倉を掴まれるという体験は初めてのものだった。
「最前線で戦ったことのない人間が、ユウに守られて危険も知らない女が、自分が何を口走っているのかわかっているのか。ユウを召喚するためにどれほどの魔法使いが犠牲になったか知っているか。ユウが生きている間は平和が訪れると世界中が安寧したんだ。それをもとの世界に返せと言うのか。この世界の人類、何億は死ねと。お前はそう言いたいのか」
「そもそも悠さまを返すつもりなんてなかったんですか」
「当然でしょう」
時が止まるような、そんな感覚。何と言葉を返すのが正解かわからなかった。
「数十年の世界の平和のためにユウは召喚された。そのために何十人もの魔法使いが犠牲になった。ユウはこの世界を救い続ける義務がある」
うまく呼吸ができないようなそんな感覚。胸倉を離されて、後ろに一歩二歩。崩れ落ちそうになって、誰かに支えられた。
「ユウ!」
僧侶の女性の声が響いて。
「大丈夫か。ラニ。お腹の子に良くない影響があるかもしれない。あまり、刺激的な話は聞かないほうがいい」
「でも、また、悠さまが、利用されて」
「大丈夫。俺にも、もう救うだけの理由がある」
淡いキスが落とされる。
「この魔道具で、連絡を取り合えるらしいんだ。念話で話もできる」
「念話ですか……?」
「ラニ。すぐに帰ってくるから。魔族なんて根絶やしにして、俺らの間に余計な邪魔が入らない世界にしてくる」
耳元の近くで、私にだけ声が鳴る。
「くだらないこと言う国王も、ラニを傷つけたこいつらも、俺を召還した貴族連中も、余計な奴らは皆消すから、本当に少しだけ待ってて」
びっくりして見つめ返すと、微笑まれた。
「ほ、本気ですか」
「当たり前じゃん。怖い?」
「そ、そうじゃなくて、悠さまが、帰る手段が本当になくなってしまう」
ぽかんと驚いた顔をして、そして、少しずつ嬉しそうに、嬉しそうに笑う。
「いいよ。大丈夫。全部。俺、ラニがいれば、生きていけるんだ」
その声は、いつもの悠さまにも聞こえたし、どこか知らない声にも聞こえた。
「悠さま……!!」
「うわっ……ラニ、そんな勢いよく抱きついたら、リオが起きちゃうよ」
悠さまの優しそうなそんな言葉を無視して強く身体を抱きしめた。ゆっくりと抱きしめ返される。
「ご無事で、本当に本当によかった。少し痩せられましたか?」
「ん……全然大丈夫。またラニのご飯食べたら肥えるから」
軽いキスを落とされる。
「リオを抱いてもいい?」
ゆっくりとその子を渡すと、キラキラっと目の端が光った。新聞や悠さまとの念話で状況は把握していたけれど心配だった。心配で心配で毎日生きた心地がしなかった。悠さまのいた国が亡国して、国の陰謀を悲劇のヒロインのように泣いて語った悠さまを最初は批判した国民も、世界を救った勇者の声はいつだって正しいものだと変換され、気づけば讃えられていた。
「名誉も名声も反吐が出るけれど、使えるものは使わないと」
悠さまが変わった瞬間はいつからなんだろう。やらなければいけないことが全て分かったかのように、悠さまの行動には迷いがなかった。
赤子が生まれる瞬間に立ち会えなかったことを泣いて悔しがったのに、100倍綺麗な顔で国民の前で泣いて訴えた。あんなにしっかりとかっこいい姿をした悠さまを私は知らなかった。
「悠さまがあんなにかっこいいなんて初めて知りました」
「えっ…!?いつでも大好きだって、どんな姿もいいって言ってたくない!?」
「そ、うなんですが、なんか、先日は衝撃的で、かっこいい悠さまも見てみたくなりました」
「えー……んー、でも確かに、ばっちり決めてえっちするのも悪くないか」
数秒の間。
「な、んでそうなるんですか!?デートとかじゃないんですか…!?」
「誰に見せるためのオシャレ…?ラニ以外に見せる意味を感じないんだけど」
「っ……わ、私の旦那さんはこんなにかっこいいんだって自慢したらダメですか!?」
視線がこちらに向いて。
「まぁいいけど」
甘いキスと部屋の中。
「かっこいいって思ってる?」
「ずっと、出会った時から、世界で一番かっこいいです」
「そう、ならいい……、」
抱きしめられて匂いを嗅がれる。
「ラニの匂い。家だ、あぁ……俺の帰る場所だ」
私も悠さまの匂いを少しだけ嗅いだ。




