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Heretic  作者: るるる
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02──銀の鍵、星辰の夜(3)


僕が地下室に入る前は確かに昼下がりの午後程度だった筈の壁掛け時計は、気が付けばもうとっくに夕暮れを過ぎて夜を指し示そうとしていた。こんなにも長い時間をあの地下で過ごしたのだと驚くと共に、彼女を随分とひとりにしてしまった罪悪感にも似た感情が込み上げてくる。この数時間の間にあまりにも色々な情報が押し寄せたせいか、不思議と空腹感は感じなかった。代わりに僅かばかりの寂寥感と形容しがたい高揚感が胸中を渦巻いていた。

かつての当主のものだった部屋を出て、廊下を歩く。森の夜は想像以上に深い。窓から差し込む星と月の明かりだけが廊下を照らす不気味な夜を足早に行く。鼻先を擽る微かな夕食の香りが、僕に彼女がキッチンに居ることを知らせる。掌に握り締めたロザリオをコートの内ポケットに忍ばせ、月明かりの照らす夜の道を行く。何かに急かされるように足早に歩く僕を、壁に掛けられた絵画や古い時代を思わせる騎士の鎧が見送る。宛ら過去から今へ、そして未来へと旅をしているような気持ちになる。そうしてキッチンに併設された食堂へ辿り着くと、少々乱雑に扉を開ける。思いの他大きな音を立てて開かれた扉に、思った通り夕食の準備をしていたマリアさんはか細い悲鳴を上げると小動物のように肩を震わせては、その場で小さく飛び上がった。流石に申し訳なくなって小さな声で謝る。


「…すみません……。」

「もう、クロンさんったらどこにいらっしゃったの?どんなに探しても影ひとつないんですもの、わたし、心配したんですよ。熱心にお掃除して下さるのは嬉しいですけれど、でも、もう少し加減というものを覚えて下さいね?」

「──返す言葉もありません。すみません、マリアさん。…あのですね、」

「いえ、いいの。ちゃんとごめんなさいが言えて、反省出来る方にお小言は言っちゃダメなのよ。お母さまもそうおっしゃってたわ。…ああ、お昼、食べていらっしゃらないでしょう?待ってて下さいね、もう仕上げだけですから。座って待っていらして?」

「いえ、僕も今更ながら手伝いを。…ではなくてですね、マリアさん。貴女にお渡ししたいもの…いいえ。貴女が持っているべきであろうものを見つけたんです。」


少しだけ怒ったような口調とほんのり膨れた頬にますます申し訳ないような気持ちになると、唇からは自然と謝罪の言葉が零れ出した。昔から女の人の涙に弱い自覚はあったけれど、まさか怒られるのにも弱いとは自分のことながら今日の今日まで知らなかった。ましてやそれが正論である分、最早返す言葉のひとつさえない。とはいえ今はそんなことよりも伝えなければいけないことがあるのだと切り出そうとするや否や、あっさりと謝罪を受け入れられると流石に言葉を無くす。剰え矢張り彼女の紡ぐ言葉が真っ当な正論である分、押し黙る他なかった。加えて悪意などない、ごく普通の少女らしく微笑まれてしまっては否応でも彼女のペースに巻き込まれてしまう。謝罪の言葉と同じか、それ以上にすんなりと椅子を勧める彼女を制して手伝いを申し出るも、寸でのところで正気に戻ると詳細は避けて言葉を紡ぐ。

一先ずは大きな瞳で此方を見上げ、不思議そうに小首を傾げる彼女が抱えるサラダボウルを取り上げてテーブルの上に置く。それから少し力を込めれば砕けてしまいそうな彼女の両肩に手を置き、真っ直ぐに見詰める。彼女の瞳に少しだけ不安の色が宿る。大丈夫だと伝えようと口角を緩めるも、尚も彼女は不安そうなままだった。


「とはいえ、先ずは客人の身分でありながら深入りしたことを詫びなければなりませんね。申し訳ございません、マリアさん。」

「あの…どうしたんですか?何のお話?」

「こうなるに至った過程は省きます。ただ結果のみをお伝えすることを、どうかお許し下さい。僕は地下室でこれを───」


そう言って彼女の肩から手を離し、上着の内ポケットに忍ばせた時だった。突如として裏口の方から屋敷中に響き渡る凄まじい轟音と振動に、彼女が小さな悲鳴を上げる。咄嗟に内ポケットから手を離し、その小さな身体を抱き寄せて背を摩る。すると次の瞬間、品性の欠片も感じられない怒声が静穏な屋敷を包み込んだ。突然舞い込んできた非日常とはいえ、かつて戦場に在った身には取るに足らない。目を閉じ、神経を研ぎ澄ませる。ばらついた足音、何やら算段する声、下劣な言葉を隠そうともしない会話──相手は四、五人程度の野盗か野伏だろうか。僕ひとりならばまだしも、幾ら魔女を自称するとはいえこんなにも小さな子供を庇って応戦するのは難しそうだと唇を噛む。

そんな折、不意に彼女が僕の上着を掴んで引いた。視線を遣ると、今にも泣き出しそうな表情を浮かべる少女に胸が痛んだ。僕の腕の中の小さな身体は怯えた小動物のように細かく震えている。ただの少女と形容する他ないその姿を思わずじっと見詰めていると、次第にぐずぐずと鼻を鳴らしては僕に縋り付いてくるその姿が可哀そうで、いじらしくて、気が付けばごく自然に「大丈夫だから」なんて安っぽい言葉を紡いでいた。


「マリアさん。何処か隠れるのに適当な場所はありますか?」

「……嗚呼、どうして?もう嫌…嫌、なのに…どうしてなのですか、お父様…。」


──その瞬間、遠くで扉が押し破られる音がした。木が裂ける鈍いような、それでいて鋭いような、まさしく悲鳴としか表現のしようがない音が屋敷を埋め尽くす。間髪入れずに、耳が腐り落ちそうな喧騒が押し入ってくる。耳を澄ますまでもなく、大きな足音が近付いてくるのが分かる。多少は腕に覚えがあるとはいえ、固く目を瞑り、必死に僕にしがみ付く少女は恐怖からか細く震えながら、譫言のようにどうしてと繰り返す。仕方のないこととはいえこのままでは埒が明かないと、彼女の細い腰に腕を回して強引に何処かの小部屋に連れ込もうとした時だった。キッチンと食堂を兼ねた大きな扉が勢いよく蹴破られ、手には斧や木槌に鉄槌といった鈍器に加えて弓矢に槍、大きな躯体を錆びた鎧に押し込んだ賊の一団が押し入って来た。


「ヒュウ!カシラ、女がいますぜ。まだ子供だけど相当な上玉だぁ!」

「どうします?まずは俺たちで楽しんで、それから街で売り飛ばしますか?」

「馬鹿野郎、こんな餓鬼相手におっ勃つかよ!そういう趣味の金持ちに売り飛ばすのがイチバンだろ!」

「おいお前ら、ごちゃごちゃうるせえんだよ!久し振りのお宝を前に上機嫌なカシラの機嫌を損ねる気か?」


四人…いいや、五人。矢張りと言うべきか、子供を庇いながら相手をするには些か分が悪い。久しぶりの非日常とはいえ愚図愚図しすぎたかと舌打ちをして、せめてもの抵抗に彼女を背後に隠す。けれどとっくに彼女を賊の一団の前に晒した後となっては却って逆効果だった。豪華な屋敷に一流の嗜好品の数々、おまけにまだ幼いとはいえ女まで居るのだ。一気に沸き立ち、色めき立つ眼前の薄汚い野盗たちの薄汚さときたら、まるで救いようがない。思わず眉を顰める。物盗りだけならまだしも、彼らにとってはこんなにも小さな子供さえ情欲と金の対象でしかないのか。分かってはいたけれど、いざ自分の良く知る少女がその対象になった途端に激しい吐き気と嫌悪感が沸き上がった。

常に忍ばせている暗器を握り締め、目の前の一団を睨み付ける。かつては幾つもの戦場を渡り歩いたとはいえ、こうした行為は久々だった。おまけにもう何年も人間の真似事をしているおかげで、本来の怪物性を遺憾なく発揮出来るとは思えない。…けれど。今、自分がこの少女を守らなければ、一体誰が守るというのか。死にたがっている人間を守ると言うのは何とも皮肉な話だけれど、でも、僕はまだ彼女にあの鬱蒼とした地の底で見つけた彼女の母の愛と祝福を届けていない。何もかもはそれからだ。


「…すみません、マリアさん。」


小さな声でひとこと謝ってから、背後の彼女を思い切り後ろへ向けて突き飛ばす。代わりに大きく一歩を踏み出して、袖から取り出した短剣を賊目掛けて投げ付ける。ひとり、ふたり。突然の抵抗に咄嗟に反応出来なかった賊の首筋と眉間に刺さったそれ。暫しの無言のひと時の後に、漸く自分が置かれた状況を理解すると絶叫と血飛沫が上がった。反射的に短剣を抜こうと藻掻けば藻掻く程に鋭敏になる痛覚と溢れ出す血液に、はじめはまだ人の言葉を保っていた泣き言は、次第に獣の咆哮のように無意味で、ただ耳障りなだけの音に成り果てる。

暫し呆然とするも、いち早く我に返った賊のひとりが鉄槌を振るう。それをひらりと躱し、振り向きざまに忍ばせていた暗器を鎧の隙間に突き立てる。激しい咳込みと共に血を吐く様子を確認してから先程短剣で仕留めた賊が握り締めていた槍を素早く拾い、短く持つ。剣を振るうように、そして柄と刃が捻じ曲がるのも気にせずに力任せに強引に首を刎ねる。すると、まるでボールが跳ねるように生首がキッチンの床を転がった。残された首から下の胴体は、まるで捌かれた直後の魚のようにぴくりぴくりと痙攣しては反応を示す。何処までも醜いさまを鼻で笑ってやってから、背後から僕の首目掛けて斧を振るう賊の顔へ無遠慮に槍を突き立てる。最早反射だった。考えるまでもない、ごく当然の反応だった。


「──そこまでだ。」


…残すは、あとひとり。カシラと呼ばれた、恐らくはリーダー格の男だけ。さっさと片付けてしまおうと賊の顔から槍を引き抜くも、それよりも先にそんな言葉と共に床にへたり込むマリアさんへ向けて弓を番う姿が目に入ると思わず舌打ちをする。青ざめ、息を呑み、小さな身体を震わせながら縮こまる姿に後悔ばかりが募っていく。矢張り長い間、無害な旅人の振りを続けていたせいで腕が落ちている。以前の僕ならこうなる前に全員仕留めれたはずだと歯軋りする。

こうなった場合相手の要求など聞くまでもなくどうすべきかは理解している。何の躊躇もなく槍を投げ捨て、両手を上げる。「…おっと、そのコートもだ。」何処か尊大にそう口にする相手に、悔しさから思い切り歯噛みしては乱雑に暗器や短剣といった装備の詰まった上着を脱ぎ捨てる。そうして再び両手を上げると、男は満足そうに笑った。下品な笑みだった。


「…さあて。略奪の前に、随分と派手にやってくれたオメエさんにはあいつらの分まで苦しんで貰わなくちゃあなあ!!」


男が弓の先を、マリアさんから僕へ向ける。別に矢の一本や二本で死にはしないことは、自分がいちばんよく理解している。とはいえ、僕も生き物なのだから痛みはある。せめてこの男を楽しませないように精々何百年か振りの痩せ我慢でもするかと目を瞑り、腹を括る。けれどいまだに立つことさえ出来ずにこの光景を呆然と見詰める彼女を思えば、ゆっくりと目を開ける。『僕は大丈夫だから、早く逃げろ』──そんな思いを込めた視線を送る。とはいえ幾ら人外の者である魔女とはいえ、まだ幼い子供なのだ。震えるばかりで一向に行動を起こそうともしない、否、起こせない姿に不本意ながらも少々悲鳴のひとつでも上げれば正気に戻ってくれるかと考えを改めた時だった。

──ゆっくりと、男が弓を引くのが見えた。


「安心しな、楽には殺さねえよ。」

「───逃げろ、マリア!!」


咄嗟にそう叫んだその瞬間、矢が弓を離れたのを見た。まるで全てが切り取られたかのように、ゆっくりと動いて見える。嗚呼、此方とてご覧の通り怪物とはいえ、半分は人間なのだ。せめて当たり所が良いといいのだけど。そんなことを思いながら、視線は尚も彼女を見詰める。


「……嗚呼、どうしてなのですか、お父様。こんなにも悪い人──かみさまに許して貰えないくらいに、とてもとてもいけない人。こんな人を招かれてしまったら、わたし、私────」


眼前に矢尻が迫る。今にも眼球を貫く程に差し迫り、視界を覆う金属の向こう側でふらりと彼女が立ち上がるのが見えた。そうだ。早く、速く逃げろ。僕が嬲られる様を見るよりも先に、はやく。けれどそんな僕の思いとは反対に、彼女はその場に立ち上がったまま、此方をじっと見詰めるだけ。苛立つも、流石に何百年か振りの痛みを前にして目を開いたままでいる勇気は僕になかった。情けないと思いながらも、固く目を瞑った時だった。


「────殺したくて、許したくて、堪らなくなってしまう…!!」


少女の叫びに鼓膜が震える。あまりにも悲痛なその叫びに、思わず目を開ける。矢尻が僕の目に触れるまで、実に数ミリメートル。嗚呼、やっぱり目を開けるんじゃなかった。そんなことを考えたのも束の間、僕は確かに空間が裂ける瞬間を見た。裂けた空間の中に広がる無数の星空を見た。その星空から漂う薔薇の香りと、這い出る触手を知覚した。その触手が眼前に迫る矢尻を掴み、まるでパンを潰すように造作なくぐしゃりと握り潰す瞬間を見た。そうして明瞭になった視界で、空色の瞳を不気味輝かせる彼女を見た。


我は飢えたり(いあ、いあ、)神の与え給う恵みに(くとぅるーふたぐん)

|お助け下さい、お父様《イグナ、イグナ、クゥフルトゥクンガ》。」


──其処に立っていたのは、僕を兄のように慕い、甲斐甲斐しく世話を焼く少女ではなかった。不気味に輝く青の瞳、這い出る触手、その背後に佇む無限の宙。其処に立っているのはあの日、自分が魔女だと告白した少女だった。


「嗚呼、お父様。偉大なる我らが父。星辰の時は満ちました。私は今こそ銀の鍵と成りましょう。そうして、貴方様が分け与えて下さる痛みを以って、贖罪と致しましょう。イブトゥンク、ヘフイエ―、ングルクドルウ。──なんて可哀そうな貴方。罪深い貴方。許されざる貴方。でも、どうか安心なさって。………私が貴方を、赦してあげる。」






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