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Heretic  作者: るるる
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02──銀の鍵、星辰の夜(2)


マリアさんは、今日はとても良い天気だから庭を弄ると言った。

手伝いを申し出たけれど、「いえ、これはわたしの趣味ですから!」と言われてしまっては大人しく引き下がる他ない。だから僕は僕で、屋敷を掃除でもして時間を潰そうと思った。相も変わらず屋敷のマスターキーは僕の手の中。使ってもいいかと尋ねると、何の躊躇いもなく彼女は頷いたものだから、此方の方が却って恐縮してしまった。


こんなにも大きな屋敷のマスターキーとなれば、それだけで膨大な数だった。けれどマリアさんはそのひとつひとつを把握しているのか鍵束にはタグの類は一切なく、掃除以前に僕は鍵の束を握り締めては屋敷を彷徨い、区画毎にその一本一本を鍵穴に入れては回し、鍵穴に入れては回し…という終わりの見えない作業に勤しむこと暫し。恐ろしいことに鍵を振り分ける作業だけで太陽が頭上高くに昇り、少しずつ沈んでいく時間まで掛かってしまった。

それだけで随分と草臥れてしまった僕は、やっぱり掃除は明日にしようと考えを改める。一先ずは恐らく庭弄りに夢中になっているであろうマリアさんと少し遅めの昼食をと、キッチンに立とうかと思った時だった。まだ何処の区画のものか分からない鍵が一本あることに気が付いてしまった。こうなるともう意地みたいなもので、僕はキッチンへ向きかけてた足を止める。代わりに踵を返し、まだ行っていない場所は何処かと頭を抱える。客室も、使用人室も、物置も、天井裏も、かつての住人が住んでいた区画も、全部行き尽くした。となると、残る可能性は地下だろうか。長い旅で得た経験と勘で、この屋敷のかつての主──即ち、マリアさんの父か祖父のものであった部屋へ足を運ぶ。日の当たらない地下という場所は、何か不都合なものを隠すのに適している。そして不都合なものというのは、どの時代のどの家であっても当主と共に在るものだ。

一際大きな部屋の扉を開けて、中へ入る。一瞬やめておこうかとも思ったが、何、この鍵を使う場所を知るだけなのだからいいだろうと自分に言い聞かせた。何もこの家の秘密や弱みを知ろうとしてのことではないのだ。ただ一本だけ使い所の分からない鍵があるというのは、酷く消化不良だろう?もしマリアさんがいい顔をしなかったら、その時はその時だ。真摯に謝ればきっと許してくれる。彼女はそういう人だ。──そんな思いと共に、部屋を調べる。けれどひとしきり家具や壁、床の類を調べる僕を嘲笑うかのように、地下へ通ずる道はなかった。矢張り深入りするなということかと諦めかけたその時、不意に暖炉が目に入った。何とも言い難い違和感を感じた。若しや、と膝をついて煉瓦造りの暖炉の奥の壁に手を伸ばす。指先に触れた鍵穴の感触に、思わず笑いが零れた。成程、普段は絶えず薪を燃やして、必要な時だけ火を消して鍵を開けてやればいいという訳か。火を消した直後というものは常人には熱くて堪ったものではないだろうが、魔術師ならば容易に相殺出来るだろう。なんとも意地の悪い仕掛けに苦笑しながら鍵を差し込み軽く力を込める。鍵が開く音がした。

とはいえ、深入りする気はない。隠したいものというのは、須らく良くないものだ。この先に在るのは、そういったものの墓場なのだ。だから直ぐにそのまま鍵を閉めようとするも、そんな僕の思惑とは反対に、扉がゆっくりと開いていく。まるで誰かに「行け」と命令されているようだった。


──行って何になる?僕は所詮客人でしかないのだ。深入りをしたところで自分の寿命を縮めるか、或いはマリアさんに嫌われるか軽蔑されてお終いだ。だから行く必要などない。手を伸ばして、ドアノブを掴んで、扉をこちらに引き寄せて、鍵を掛ける。何も見なかった、知らなかったことにする。それだけで充分だ。それが今、僕がすべきことだ。そう自分に言い聞かせる。でも、けれど──もしこの先に彼女が何者か、僕が何をすべきか、その答えがあるとしたら?そんな過ぎた考えが脳裏を過る。


行くべきではない。/行くべきだ。

知らないべきだ。/知るべきだ。

見ないべきだ。/見るべきだ。


相反するふたつの思考が混ざり、せめぎ合い、脳内をかき乱す。その先にある暗闇が、此方へ来いと僕に囁き掛ける。地下から吹く生ぬるい風が、僕の背中を押す。

…そうだ。この先に在るのは、なんてことないものかもしれない。案外当主が内緒で集めていた蒐集品の類かもしれない。ごくりと唾を呑んで、そんな言い訳をする。そんなことないだろうといちばんに分かっているのは自分自身の筈なのに。この先に進めば、きっともう戻れない。僕は只の客人ではなくなってしまう。けれど、それでも、眼前の暗闇には何かの抗えない魔力があった。


そうっと、煤で汚れた暖炉の奥へ身体を押し込む。暗闇でも目が効くのは幸運なことなのか、不幸なことなのか。長い長い階段を下りていくその途中で、途端に強くなるカビの匂いと血の匂いに、恐らく後者であることを悟ると気が滅入った。今からでも引き返すべきかと思ったけれど、そんな思考とは反対に足は止まろうとしなかった。まるでこの先に在る物の正体を知っていて、それを早く目にしたがっているようだった。例えるならば新しい絵本を買って貰った子供のような、そんな落ち着かなさ。けれど心は弾むどころか、地下に潜れば潜る程に気が滅入っていくものだから思わず溜息が零れた。

鼠どころか虫の一匹さえも存在しない、生命の存在を感じない長い階段。どんどんと濃くなっていく血の匂いに、否応でもこの場所がどういう場所か悟る。地下という閉鎖的で、重く苦しいこの場所で行われていた事柄に興味はない。けれど、この先で待つものが恐らくあの少女の真実、それも核心に触れるであろうことは何となく理解出来た。依然として興味をそそられる事柄で無いことは事実だけれど、でも、自分に良くしてくれるあの少女の真実を知りたいという気持ちは十二分にあった。それと同時に、知りたくないと叫ぶ心もある。結局のところ、知らないことがいちばんの幸福の形なのだ。でも、それでも、何かにせかされるように足は止まらない。暗闇の中、僕の靴音だけが響く。


そうして、どれ程歩いたのだろうか。漸く長い長い階段が終わりを告げて、眼前が開ける。暗闇でも目が効くとはいえ、一切の光のない地下室というのは不気味だったからポケットからマッチを取り出して、燭台に火を灯す。揺らめく炎が照らし出したものは、大方予想通りのものだった。部屋中にこびり付いた血液、怪しげな魔法陣、あたりに散らばる魔術書。壁一面にぎっしりと記された、得体の知れない文様。いや、文字だろうか?部屋のいたるところにはおぞましい造形の彫像が置かれ、あまりにも濃い血の匂いと合わさって吐き気がしてくる。随分と長いこと生きている僕にさえ分からない品物と、血と、目を閉じれば聞こえてくるであろうかつての生者の悲鳴、絶叫、苦悶の声。不気味さと背徳さ、それからおぞましさで満たされた室内に、眩暈がした。

それでも、この部屋まで辿り着いてしまった以上は、真実を知らなければ。こんな自分のことを兄のようだと慕い、甲斐甲斐しく世話を焼き、遠く過ぎ去った過去の事象に涙を零す。そんな善い人間の見本のような彼女が囚われているものが何かを、僕は知らなければいけない。恐る恐る散らばった本を一冊、手に取る。べったりとこびり付いた血はとっくに乾いていた。意を決して本に視線を落とすも、矢張り書かれていたのは見覚えのない文字だった。もう一ページ捲ると、そこには部屋のいたるところに置かれたあの彫像と同じ生き物が描かれていた。タコのような頭、ドラゴンのような翼、人間のような腕の先端には巨大な鉤爪。口元から伸びた無数の触手と、全身を覆う鱗。明らかにこの世のものでもなければ、人間でもなく、この世界を作った神からも程遠い異形の姿。怪物としか表現することの出来ない何かに言葉を無くす。


「────これ、は、」


思わずごくりと息を呑む。足がふらつくままに二、三歩後退る。すると靴に何かが触れた。視線を向けると、そこには仄かな明かりを反射して輝く銀のロザリオがあった。唯一自分の知識にある物の登場に少しばかり警戒心が緩むとしゃがみ込み、それを手に取る。とても冷たく重いそれ。精巧な紋様の刻まれたロザリオを裏返すと、そこには彼女の名前ともうひとつ、見知らぬ名前が刻まれていた。漸く読むことの出来る文字の登場に心の底から安堵する。気晴らしも兼ねて、敢えて其処に書かれている文字を声に出して読む。


「『親愛なるマリアへ。あなたの母イヴより、愛と祝福を込めて』…か。」


あの日のマリアさんの言葉を思い出す。彼女は神様から愛も祝福も受け取れなかったと言っていたけれど、でも、少なくとも彼女の母親は子供であるマリアさんのことを愛していたのだろう。ひとつの命として祝福していたのだろう。母親の顔さえ知らない自分には想像すら出来ないが、きっと此処に書かれている言葉のひとつひとつ、どれも嘘ではないのだろう。

…少しだけ、本当に少しだけ、羨ましいと思った。母の顔を知る彼女を。母に愛されている彼女を。そして次に、彼女にこれを伝えなければいけないと思った。貴女は、少なくとも貴女の母には愛されていた。そしてきっと、必要とされていた。貴女の母親はきっと、貴女が生きることを望んでいる。肉親とはそういうものなのだ。自分にとって母という存在は居なかったけれど姉がそうであったように、きっとイヴという女性も我が子の未来と幸せを祈って死んでいった筈だ。


──そっと、目を閉じて祈る。

こんなことは柄じゃないし、人ならざる者に祈られたって迷惑なだけかもしれないけれど、恐らくは此処で死んでいったであろう彼女の母に向けて。

──そして、誓う。

自分はただの旅人の身だ。ひょんなことから今はこの屋敷に身を寄せる放蕩者にしか過ぎない。けれどたとえ細く脆い縁だとしても、彼女に関わった者として。彼女に、自分を殺して欲しいと頼まれた者として。それを拒みながらも彼女の胸に渦巻く孤独を推し量り、此処に滞在し続ける者として。

必ず、このロザリオと共に貴女の想いを届けると。


燭台の火を消し、足早に地下室を出る。たかだかひとりの少女の為に、自分が此処までの労力を割いてまで関わる理由なんて分からない。けれど、そうしなければいけないと心が叫んでいるのだ。その叫びと彼女の母の想いだけは、無視出来なかった。今はそれだけで充分だと思った。






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