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Heretic  作者: るるる
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03──愛を探して、巡る箒星を待って(1)


「は、…はは、随分と大きく出たじゃねえか、この餓鬼。俺を殺すだと?許すだと?……笑わせるんじゃねえ!!」

「────さあ、お父様。」


男が彼女に向けて弓を構える。矢を番い、大きくしなる弓に、男が僕に対してそうした時よりもずっと力を込めていることが見て取れた。何故、とは敢えて言うまい。──怯えているのだ。初めて魔女としての彼女に触れた、あの日の僕のように。けれど彼にとっての不幸は、今の彼女にはあの日、僕に向けたささやかな慈悲が一切ないことだろう。加えて、人の理解出来る領域を大いに超えた、到底理解の出来ない事象。それら全てが自分に向けられているのだ。彼の思考を占める恐怖は想像に容易い。何より先までの彼女のように、か細く震える男の身体がそれを知ろ示していた。

そんな男を見ても、彼女は顔色ひとつ変えない。ただぼんやりと光る瞳で男を見据える。ゆらり、ゆらりと炎が揺蕩うように、裂けた空間の隙間から覗く触手もまた、彼女に寄り添いながら身動ぎひとつしない。けれど彼女がぽつりとそうひとこと漏らした瞬間に、宛ら眼前に人参を吊るされた馬のように勢いよく蠢き出す。その様を見て気味悪がるどころか、彼女は口角を上げてまるで聖母のような穏やかな微笑みを浮かべると、そうっと手を翳してそれを優しく撫でる。異形の怪物が蠢く中、慈愛をたたえた薄い微笑みは、狂っているとしか表現のしようがない。思わずぶるりと背筋が震えた。


「罪人には救いを。痛みという救済を。貴方様の全能を以って、それを示しましょう。左様なら、罪深い貴方。」


矢が弓から離れる。放たれた一矢は彼女に届くことなく、かといって先程僕を助けた時のように触手が握り潰すまでもなく、まるで初めからなにもなかったかのように宙の隙間に忽然と消えた。まるで東の国に伝わる神隠しだ。僕も男も、茫然として言葉を無くすほかない。最早威勢で恐怖を誤魔化すことも出来ずに青ざめる男の手から、弓が落ちる。その場にへたり込む。それを見て、彼女がくすりと笑った。男が咄嗟に目を逸らした。

一方で、僕はこの事象には見覚えがあった。…そう、この屋敷だ。ある日突然、人間だけがぽっかりと消えたかのような不自然な痕跡。不自然な喪失感。そんな中に取り残された彼女を内心哀れんだりもしたけれど、到底説明出来ない現象を前に漸く合点がいく。──彼女はこの屋敷と共に取り残されたのではない。彼女が、彼女以外の人間を消し去ったのだ。こうして放った矢を消し去ったように。宛ら手品のように。


「ふっ、ふざけるな…!」

「…先ずは一回。」


混乱を極めたであろう男がふらつきながらも立ち上がると、彼女に向かってその大きな拳を振るう。この期に及んでも尚、彼女が傷つくと思った僕は無意識に一歩を踏み出す。どう見ても劣勢なのはあの野盗の男だというのに、だ。姉から散々、女性は優しく守れと言い聞かされていたせいか、或いは僕の始まりが理不尽な蹂躙に屈した乙女であったせいか。兎も角無意識に足を踏み出した瞬間、彼女がそう呟いた。次いで男の首元、丁度親猫が子猫を咥えるあたりの空間が裂けた。と思えばその中、無限の広がりを思わせる暗く不気味な宙からつい数秒前に男が放った矢が、彼の首元目掛けて一直線に尾を引く。何の変哲もないただの矢尻が皮膚を破り肉を裂き、男の太い喉を貫通するさまを間近で見詰める。思わず足を止めた。

噴き出す血飛沫が、彼女の白い肌を汚す。頬に付着したそれに歓喜の声を上げるでもなければ不快そうな表情をするでもなく、かつて喉だった場所からもう声にならない音節と空気を零しながら絶命していく男を、彼女はその冷たい色の瞳でただただ見下ろす。そこには軽蔑も侮蔑も憐憫も、憎悪さえもなかった。ただ与えられる日々を淡々とこなすように、死んでいく男を見詰め続ける。一体どれくらいの時間だろうか。藻掻き、苦しみながら息絶えた男を相も変わらず表情ひとつ変えずに見詰めていた彼女が、不意に虚空に向かって手を伸ばす。広い食堂中に裂け目が現れる。その中から無数の触手が這い出ては、蟲のように蠢く。部屋中を埋め尽くす裂け目から虹色の光が迸る。網膜が焼き切られそうな程の光の氾濫に、咄嗟に目を閉じる。けれど本能がこの程度ではこの光からは逃れられないと告げるから、顔を伏せては腕で目元を覆う。ほんの一瞬目にしただけとはいえ、目を瞑ってもしつこく追い掛けてくる虹色の鈍い光にあの男程ではなくとも混乱して、気が狂ったとしか思えない行動に出てしまってもおかしくはなかった。ただただ海底で押し黙る貝のように今にも溢れ出しそうな恐怖を抑え込んでは、光が止むのを待つ。

そうしてどれくらいの時間が経ったかもわからない頃、漸く光が収まった。恐る恐る目元を覆っていた腕を退けて、顔を上げて、それから目を開ける。すると眼前には信じ難い光景──血の海もなければ息絶えた男の亡骸もなく、まっさらな床と茫然と彼女を見詰める、つい数分前までの男の姿があった。死霊魔術の類のように継ぎ接ぎだらけの身体で蘇ったわけではない。体は外傷ひとつない。彼女が操っているのか?否。悲鳴を上げ、狼狽えた様子で自身の姿を見下ろしている様子を見るに、そういう訳でもなさそうだ。であれば、一体?何度でも同じ場面を演じる舞台役者の稽古のように、或いは時間を巻き戻したかのように、つい数分前までの光景を再演したとしか思えない光景に冷や汗が伝うのを感じる。けれどそれを拭うことなど出来なかった。


「な…な、んだよ…なんなんだよ、この…ッ!」

「……大丈夫よ。直ぐに理解出来るわ。」


誰に向けたわけでもない男の言葉に、彼女が反応を示した。じっと男を見詰めるその瞳は虚ろながら何処か楽しそうに細められていて、自分が見詰められているわけでもないのに息が詰まる。いっそうのこと殺してくれと叫びそうになるくらいの恐怖に心が支配される。その様子に心底楽しそうに、けれどあくまでも表情は微動だにしないまま、彼女が一歩、前に踏み出す。口元には薄い笑みを。弧を描く唇からは酷く優しい声が、まるで子供に囁きかけるように紡がれる。


「さあ、何度でも痛みを味わって?気が触れてしまうほどの痛みを貴方に。そして確かめて?お父様が授けて下さる、この痛みこそが救いだと。これこそが私を、貴方を、赦すモノ。だから、もっともっと…痛みを──痛みを!」

「ひっ、……ヒィッ…!!」

「嗚呼…どうか安心なさって?楽には殺しませんから。」


狂気。狂信。そんなものに支配された彼女の紡ぐ言葉に、男は赤子のように四つん這いになると無茶苦茶に四肢を動かしてはその場から情けなく逃げ出そうとした。けれど彼女がそれを許す筈もなかった。指先ひとつ動かさずとも、彼女の意思を汲んだ触手が男の脚に絡み付く。それらを追い払おうと無我夢中で振るった腕さえも、大きな吸盤が幾つも並んだ太い触手が絡め取ってしまう。そうして四肢の自由を無くし、まるでまな板の上の魚か、或いは標本にされる直前の虫のように仰向けにされてしまえば、男はつい先刻までの威勢の良さなど感じさせない程に顔を涙でぐしゃぐしゃに濡らしては懇願する。


「お、おれが…おれが悪かった!だから…だからどうかやめてくれ、はなしてくれ、ちがづかないで、ッ、ひギ…っ……ぁ、あ、あ…あ゛あ゛あ゛あ゛、い゛だい゛、ッ…い゛だい゛よぉ、も…やめ、」

「─────、ッ…!」

「あ…いや、いや────ぎゃあああああ──────!!!!!!」

「これで二回…いいえ、三回ね。……で、これで四回目、と。」


あまりの光景に思わず一歩、二歩と後退る。食堂の壁に背中がぶつかった。そのあまりの惨さに壁に背中を預け、ズルズルと床へと沈み込む。…これは、拷問なんてものじゃない。拷問の方がずっと生温くて優しい。心の底からそう思った。

だって──だって、考えてもみて欲しい。一体世界の何処を探せば太く大きな触手が四肢に絡み付き、まるで虫の羽をもぐように引き千切る拷問がある?そしてどうか今一度、考えてもみて欲しい。四肢が欠損し、息絶えるや否やその途端に何もかもが元通り。次の瞬間にはまた一から腕を、脚を、延々ともがれる拷問が世界の何処にある?皮膚が破れる感覚を覚え、肉が裂ける音を聞き、血管が千切れる痛みを知り、自らの血飛沫を浴び、骨が飛び出す瞬間を知覚し、記憶させられる惨い死が何処にある?剰え、それを永久機関のように繰り返される苦しみときたら、人の領域を超えていた。そうして思考する間も尚、終わりなき苦しみを課せられた男の断末魔が静穏な屋敷に響き渡る。僕の鼓膜をべったりと濡らすと共に、手を伸ばせば届く距離にある恐怖、狂気、その渦中にありながらも依然として眉ひとつ動かさない少女の姿を、はっきりと認識させる。淡々と男の死をカウントする少女とは対照に、男の方はもう完全に気が触れていた。泣いているのか笑っているのか、嘆いているのか懇願しているのか。或いは、もうそれさえも出来ない程に心身が砕け散ってしまっているのか。彼女が「五回、六回目…ね。」と虚ろな瞳と無機質な声でそう告げる頃には男は既に死ぬ前から死んだかのように白目を剥き、口から泡を吹き、意味を持たない音節をぶつぶつと繰り返しては時折ぴくりと跳ね、廃人となっていた。

けれどそうなっても尚、彼女は決して男を許さなかった。手足は触手で拘束したまま、新たな触手が男の首元へ伸びる。「あ、ぅ、え?」まだ人間なのか、それとも既に動物に成り下がってしまったのかさえも分からない男が疑問を声に出した瞬間、触手が上下左右前後ろ斜め、一度へあらゆる方向目掛けて首を引いた。

──気道が押し潰される。呼吸が出来ずに男が死ぬ。

──食道が押し潰される。嘔吐物が喉に詰まって男が死ぬ。

──頸椎が押し外される。頸動脈が破裂して男が死ぬ。

──首が千切れる。胴体と頭部が離れて男が死ぬ。

──悲鳴を上げる間もなく、苦悶の声を上げる間もなく、男が、死ぬ。

──何度も、何度も、男がただひたすらに、歪な生と死を繰り返す。


「………もういいでしょう、マリアさん。」

「…それは、貴方が決めることじゃないわ。」

「ですが、もう充分でしょう?これ以上、その男を痛めつけることが一体何になるというんですか?」


思わず零れたそのひとことを契機に、彼女が僕を見詰める。夜闇を切り裂く冷たい瞳に、息を呑む。何度も僕を呼んでは年相応に甘えた言葉を紡いだ筈の薄い唇から、酷く冷たい声ながらも何処か必死さを感じる言葉が零れ落ちる。


「───私も、この人も、まだ許されていない。ううん、違うわ。許されることなんてないの。私達は永遠に罪人のまま。だからもっともっと苦しんで、痛みに喘いで、お父様に赦しを請わなくちゃ。」

「…………マリアさん……。」

「…クロンさん。私と同じゴルゴンの薬指。世界に置いて行かれた半端者の貴方。かみさまの愛と祝福を持たぬ貴方。どうかこれ以上、もう何も言わないで下さいな?私は貴方を好いているのです。殺したくないと、愚かにも願ってしまっているのです。」


そう言って軽く俯いた彼女の表情は、僕の過去に涙を流した純粋であどけない少女のものだった。少しだけ安心する。僅かばかり震えの収まった身体を強がりで誤魔化して、奮い立たせる。ゆっくりと、覚束ない足取りで、まるで生まれたての小鹿のように、やっとの思いでなんとかその場に立ち上がった。

傷ひとつない筈の少女の悲痛な叫びが心を打つ。僕は彼女の犯した罪など知らない。知る由もない。けれどもう大丈夫だと、そんなに怯えなくてもいいのだと慰めようと、目の前の清廉な少女へ向けて一歩足を踏み出そうとした時だった。


「──嗚呼、そうだわ!お父様には、私から口利きして差し上げましょう。そうすればもうすぐルルイエと共にお目覚めになるお父様も、きっと貴方のことを見逃して下さる筈。いいえ、私が貴方を気に入ったように、私よりもずっとずっと貴方を気に入って下さるわ!ええ、そうよ。だって、貴方はとても善い人ですもの!」

「………マリアさん…!!」


徐に顔を上げた彼女は、それはそれは満面の笑みを浮かべていた。年相応のあどけない笑みにも関わらず、背筋の冷えるその笑顔。夏に咲く大輪の花の如き笑みでありながら、本来悼むべき死を祝うような微笑み。そんなものと共に彼女が紡いだ言葉は、矢張りなにひとつとて理解出来なかった。けれどそれが良いことではない、という事実だけは咄嗟に理解出来た。反射的に声を荒げる。

すると、彼女の顔から花のような微笑みが消えた。酷く冷たい瞳が僕を射抜く。彼女の背後の空間が拓ける。何処までも広がる宙と、輝く星。薔薇の香りの漂う物理的な制限のないその世界の中に、彼女は居た。


「─────────嗚呼、いけない人ね。もう何も言わないでと言ったのに。」


人形のような顔で、虚ろな瞳が僕を見据える。感情のない声が僕を責める言葉を紡ぐ。そうして次の瞬間、野盗の男にそうしたように、触手が僕目掛けて一斉に動き出す。虫の大群のように蠢きながら此方へ向かうさまに、明確な殺意と悪意を感じた。なのに眼前の少女を形作るそのどれもがとても寂しそうで、哀しそうで、生命の危機に晒されているというのに、僕には彼女が酷くいじらしく思えて堪らないのだ。






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