00──罪人はどなた?
「あれは失敗作だった。」
陽の光も届かないくらいの地下深く。男はそう言った。
男の言う『あれ』が何を指しているかはとうに分かりきっている。兵器に成りきれなかった人間の残渣。誰が何を唆したのか知りはしないが、結果としてヴァルシオ家を捨てた男。私の目の前の男が人生を賭けて生み出した、新しい生命体になる筈だったもの。
──彼は、男の最高傑作になる筈だった。
けれど、彼は最後の最後に愛などというまやかしに目が眩んだ。
私は男に、引き留めないのかと聞いた。
君くらい立場も地位もあれば、今更声を上げてきたアイデスの小娘ひとり消すくらい簡単だろう。いいや、アイデスの小娘だけでない。北の海の小国程度、どうとでも出来るだろうと。何も難しいことはない。彼の目の前で彼にとって価値のあるものを、全て潰してやればいい。心なんてものは兵器には不要だ。いっそ、これを機会に人間らしい尊厳などというものは壊してしまって連れ戻せといった。
…けれど、男は首を縦には振らなかった。
放っておけばあと数年の命でしかないものに、そこまでの危険を冒して感ける余裕などというものはない。それよりもずっと面白いものを、君は隠しているのだろう?──逆にそう問われてしまって、私はほとほと参ったよ。どうやら我が友人に隠し事などというものをする方が無理な話だったようだ、とね。
「──まさか、君は私のような失敗を犯しはしないだろうな、ミスター・アーノルド?」
「勿論だとも、ミスター・ヴァルシオ。私は君のように初歩的なミスは犯さない。今回ばかりは君の腰を抜かさせてみせるとも。」
「ほう。そいつは楽しみだ。…その少女で、かい?」
「ただの幼い娘だと思うな。この子はもう壊してある。」
「と、いうと?」
友人に向かって手土産代わりに娘を差し出す。淡い紫色の髪と空色の瞳の、とてもとても小さな娘。世界でもアイデス家に並ぶ名家の娘を攫って産ませた、神の祝福を持たない可哀そうな娘。小さな身体を精一杯振るわせて縮こまる様子に、我ながら笑いが止まらない。
「目の前でこの子の母親を殺した。それも、ただ殺すだけじゃない。お前が悪い子だから、お前の代わりに母親が死ぬのだと言い聞かせながら首を刎ねた。それから、身体中に母親の血を塗りたくってやったよ。」
「…やはり君は私以上の鬼畜だな。」
「最高の誉め言葉だ。」
小さく震える娘を見下ろす。その唇から零れ出すのは懇願だけ。もう存在しない、彼女の母への懇願。助けて、ゆるして、ごめんなさい。もう聞き飽きた少女の懇願の言葉に、その母親譲りの綺麗な髪を鷲掴んで無理やり上を向かせる。恐怖に染まった空色の瞳が暗闇に支配された地下室を映し出す。
「さあ、メイリア。どうすれば許されるのかは、お前がいちばんよくわかっているだろう?」
「ぁ…ぃ、や…ゆるして、おとうさま……。」
「ああ、許すとも。お前が我らが父とひとつになったその瞬間にな。──さあ、星辰は巡った。呪文を唱えろ。我らが父の眠りを醒ませ。」
「…、っ────」
この期に及んでも尚、口を閉ざそうとする娘の頭を掴む手に力を込める。そうすると渋々ながらも小さな唇が動いた。「…我は飢えたり、神の与え給う恵みに……。」その瞬間、時空が裂ける。我らが父がお出ましになる。私の悲願が叶う時が来たのだと悟る。これは黒魔術に傾倒したがばかりに表舞台を追われたアーノルド家再興の一歩となる、歴史的瞬間になるだろう。彼はその証人だ。この娘はその尊い犠牲だ。嗚呼、今日という日はなんと素晴らしい日なのだろう──!
「────馬鹿な人たち。そんなことをして、無事で居られる筈が無いのに。」
酷く怯えた様子だった筈の少女から紡ぎ出されたとは思えない言葉に、咄嗟に手を離す。私を見上げる鋭い瞳に、暗闇の中でもはっきりと視認出来るその輝きに、背筋を恐怖が這う。
「………左様なら。」
年端も行かぬ少女のものとは思えない程に酷く冷たい声だけが、最後まで地下室に残った。
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