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我、出勤する、ゆえに我あり

作者: 変駄亜尊

 スマホの目覚ましが鳴る3秒前に、俺はすでに目を覚ましていた。

 なぜなら俺は考えていたからだ。

 今日、出勤すべきかどうかを。


 我思う、ゆえに我あり。

 これはデカルトの有名な言葉だが、俺なりに解釈すると、

 「考えてる間はまだ布団から出なくて言い」という意味になる。

 少なくとも今の俺の人生においては。


 スマホを見る。午前9時45分。

 俺のシフトは11時半から。

 この時点で俺は存在しているが、まだ社会には参加していない。

 この宙ぶらりんな状態が一番、哲学的だと思う。


 前田直男、三十歳。

 職業、ピザ屋のフリーター。

 哲学専攻でもなければ、思想家でもない、ただの配達員だ。

 だが俺は考える。

 だから俺は、たぶん、ただの配達員以上の何かだ。


 布団の中で右足だけを外に出す。冷たい。

 この冷たさはホンモノだ。

 つまり俺の足は存在している。

 存在している足は、いずれズボンを履き、靴下をはき、ピザ屋のロゴ入りの

 センスのかけらもないズボンに包まれる運命にある。

 その運命を、俺は今、拒否する自由を持っている。


 「今日休んだらどうなる?」

 俺は天井に問いかける。

 天井は沈黙している。

 沈黙は肯定とも否定とも取れる。

 つまり、自由だ。


 ピザ屋の店長の顔が頭に浮かぶ。

 四角い顔。ピザみたいな顔。

 あの顔が「前田くん、今日どうしたの?」という未来が、ぼんやりと見える。

 未来が見えるということは、俺はまだ正常だ。


 いや、待て。

 未来が見えるのは正常なのか?

 デカルトならなんと言うだろう。

 「それは思考している証拠だ」

 たぶん、そう言う。

 だから俺は、やっぱり、存在している。


 台所から冷蔵庫のうなり声が聞こえる。

 まるで俺を急かしているようだ。

 「前田くん、早くしろ。ピザはキミを待ってくれないぞ」

 冷蔵庫がそんなことを言うはずはない。

 だが俺は聞いた。

 聞いたということは、思考したということだ。


 俺は布団から起き上がる。

 起き上がった瞬間、存在の重みがずしっと肩に乗る。

 30歳の重み。フリーターの重み。

 実は社会保険に入っていない重み。

 

 「でもさ」


 俺は独り言を言う。

 独り言を言えるということは、独りで存在しているということだ。


 「ピザって、丸いじゃん」


 丸いものを四角い箱に入れて配達する。

 あれ、シュールじゃないか?

 俺は毎日、シュールな行為を繰り返している。

 それは芸術じゃないのか?

 少なくとも現代美術の1ジャンルくらいにはなりそうだ。


 歯を磨きながら鏡を見る。

 そこにいるのは前田直男。

 だが本当に前田直男か?

 もしかしたら俺は、ピザ屋というシステムが見ている夢なのではないか。

 ピザが俺を夢見ている可能性もある。


 「我思う、ゆえに我あり」


 泡だらけの口でつぶやく。

 鏡の中の俺も同じことを言っている。

 これは一致か、それとも偶然を偽った必然か。


 着替えを済ませ、鍵を手に取る。

 ドアノブに手を掛けた瞬間、世界が一拍遅れてついてくる感じがする。

 まるで俺が先に存在して、世界が後から「了解です」と言っているみたいだ。


 外に出る。

 天気は曇り。

 曇り空は、決断を曖昧にしてくれるから好きだ。


 「出勤する俺は、存在しているのか?」


 俺は歩きながら考える。

 考えているから、答えはもう出ている。


 出勤する。

 ピザを運ぶ。

 金を貰う。

 また考える。


 それでいいじゃないか。

 少なくとも今日の俺は、

 我、出勤する、ゆえに我あり・・・だ。


 そう思った瞬間、バイト先の店長から電話が入った。

 「前田くん、今日のシフト1時間早められる?」

 俺は少しだけ考えてから、答えた。

 「今、存在してるんで、すぐ向かいます」

 電話の向こうで、店長はたぶん首をかしげている。

 でもそれでいい、理解されなくても、俺は思考している。

 だから、存在している。

 ピザみたいに、熱々で、不完全なまま。



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