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なんて素敵な殿方かしら!

  私が生まれたのは、大きな大陸の海に接する公国。の、内陸の北側のヴァルトマンと呼ばれる伯爵領。

 海には接しておらず、お屋敷の近くでは林業をしていて木が生い茂って虫さんが沢山。

 少し進んだところでは医療品の製剤に力を入れているから工場と社員寮がもこもこと沢山建っている。

 私は、そんなこの領地が大好きなの!

 緑が沢山だから呼吸がとっても心地良いわ。

 それに、医療品の製剤だなんて、誰かの為になるお仕事が近くで行われているのよ。本当に素敵。

「お嬢様、聞いておられますか」

「聞いているわ」

 教科書を読み上げていた家庭教師がモノクルをクイッと上げた。その薬指にシルバーのリングが光っている。

 まあ、先生ったらいつの間に結婚されたのかしら。前回の授業の時はつけておられなかったはず。

 おめでたいわ、仰ってくれたら盛大にお祝いしたのに!

「よろしいですね、お嬢様は。楽しいことだけ知っていれば生きていけるご身分ですものね」

「そうね、恵まれているわ!」

 きつく三つ編みにした先生の金髪が、柔らかそうな音で彼女の体を叩く。

 先生の仰る通りだわ。

 私ってば本当に幸せ者なの。

 先生の言葉に頷いて、楽しい授業も終わってしまうという時に、大きな音でお父様が教室の扉を開いた。

「グレッチェン、何をしている」

 普段から斧を振るっておられるから、筋肉の盛り上がった肉体のお父様の声は、容姿とは違って落ち着いた音。

 シルバーの髪がツンツンと空に尖っていて、見ているだけでちくちくとする。

 騎士みたいな見た目で、農夫のような格好をしたお父様のちぐはぐな姿にくすくす笑って返事をした。

「フラヴィ先生と領地の勉強をしておりました」

「その行動がなんになると言う。いや、聞いているわけではない。授業は今回で終了だ。授業料は契約期間分支払うが、もう来て頂かなくて結構。さあ、帰ってくれ」

「かしこまりました、伯爵様。失礼致します」

「まあ」

 お父様の言葉に少ない荷物をまとめた先生が、ぺこりと三つ編みを揺らして帰っていく。

 とっても楽しい授業でしたのに。

 けれど、授業がなければもっと遊べるのに、と思ってもおりましたの。

 楽しい授業も経験できて、授業のない楽しい時間も経験できるだなんて、私ってば本当に恵まれているわ。

 まずは何をしようかしらと思いを巡らせていると、お父様が一冊のアルバムを突きつけてくださいました。

 触り心地の良い表紙を開くと、大きく1人の男性のポートレートが。

 お会いしたことのないお方。お写真からもわかるほど真っ白な髪に、きりりと凛々しい目元が素敵な殿方。

 見開きの反対側のページにはそのお方の簡単な紹介が書かれており、お名前はフルバード・シュネーベルク様。

 シュネーベルク。

 シュネーベルクと言えば、有名な公爵様のお名前と同じ。

 海に面した、年中凍えるように寒いシュネーベルク領の公爵家一家は、恐ろしい謂れを持つと言うわ。

 曰く、彼らの一族は遠い遠い昔の王様のお兄様が、王様となった弟の傍に居ては危険だと判断されて、王都から離れた土地に領地を持たされたのだとの一説があるそう。

 常に冷たい潮風に晒され続けた結果、燃えるような嫉妬の心も凍えてしまったのだとゴシップ好きの木こりが喋っていたわ。

 そういえば、シュネーベルク公爵家のご子息はお一人で、私と年齢が近いとお父様が昔話していたのを突然思い出して腑に落ちる。

「まあ、私の結婚相手ですの?」

「そうだ、公爵家だ。キーガンよりも上だ、嬉しいだろう」

「あら。キーガンお兄様は侯爵様になられたのでしたよね?」

「ああ。生意気にな。父親を抜かしよって」

 喉の奥の方で吐き出すように呟いたお父様。

 どうしてお父様は、立派なキーガンお兄様の事を恨むのかしら。

 キーガンお兄様は、本当に素晴らしいお方なのよ!


 今の国王様の、何番目か忘れてしまったけれど、お側妻様が産んだ、これも何番目かは忘れてしまったけれど。

 とにかく王位継承権はとても低いホルデ姫様が、体の弱い幼少のみぎりに療養にと選ばれた地が、このヴァルトマン領だったの。

 緑も医療品も沢山で、療養には持ってこい。

 ホルデ姫様が無事に成長出来たのは、双子の兄のキーガンお兄様あってのこと。

 私が産まれる前の出来事だから、詳しくはよく知らないのだけれど。

 転んだ姫様を宥めたのは、キーガンお兄様。

 咳き込む姫様に上着を着せたのは、キーガンお兄様。

 薬を嫌がる姫様に飲みやすいようカプセルに入れるのはどうかと、提案したのもキーガンお兄様。

 領内での医療品の製剤はその時を境に、革新的に生まれ変わったらしい。

 その時を境に、キーランドお兄様の精神は落ち込んでしまったらしい。

 双子の兄の活躍に、酷く心を乱してしまったそう。お可哀そうだけれど、今は私のことを教育してくださるまでには回復されていて安心だわ。

 そんなこんなで甲斐甲斐しくお世話をしたキーガンお兄様は4年前、遂に国王様からその献身と幼い頃からの発想力を認められ、ホルデ姫様との結婚が認められると共にフックスの名とそれに伴う侯爵位と領地を授けられた。

 このヴァルトマン領よりも小さいけれど、侯爵の位を持って国王陛下より賜った土地は王都に近く、スイーツ産業が盛んだそう。

 本当に、本当に立派な方。

 ホルデ姫様は私にもご親切にして下さるし、ご夫婦で良くヴァルトマン領に遊びにも来てくださるの。

 フックス領で流行していると持ってきてくださるケーキをお母様もいつも楽しみにされているわ。

 それに、ホルデ姫様を見つめるキーガンお兄様の柔らかな眼差しを見ているだけで、私まで笑顔になってしまうの。

 私の心の底から憧れの兄夫婦。

 真っ直ぐとこちらを見つめるポートレートの静かな青い瞳をなぞった。

 もしかして私も、この方から、そんな風に柔らかな視線を貰えるのかしら。

 ずき、ずき、と胸が高鳴る。

 うう。この感覚は得意ではないの。

 期待をするのは、悪いこと。

 何にもできない私と結婚してくださる方がおられるだけで、恵まれているのに。私ってば、望みすぎte

しまうなんて愚かなことを。

 青色は好き。海も好き。シュネーベルク公爵領は海の傍。そして、年中溶けない雪山もあるらしい。

 なんて素敵な場所なのかしら!

 雪山には白いキツネやウサギがいるのよ。きっと可愛らしいわ。

 そんな場所に嫁げるなんて、私ってばどこまでも幸せ者ね。

「準備をしなさい。直ぐに公爵家に挨拶に行く。お前はそのまま公爵家での生活を教えてもらいなさい」

 胸を叩いて紛らわせ、お父様に言われた通り準備をするためにお部屋に向かう。

 まずはとっておきのドレスを着なきゃ!



 寒い所だとは想像していたけれど、私の持っている一番分厚いコートを着ていても指がちぎれてしまいそう。

 馬車の窓の結露を拭って景色に息をつく。

 良かったわ、この服を着てきて。

 もうひとつ薄いものの方がデザインがお気に入りだったのだけれど、こちらでなければ今頃お行儀悪く震えていたわ。

 窓の外は一面雪景色。

 ヴァルトマン領にも植えられているシラカバが、雪の中では景色と同化して見たことの無い風景に見えた。

 トウヒの葉っぱも雪を被ってふわふわと可愛らしい。

 擦り合わせた指に息を吐いて、心もふわふわ。

 こんな素敵な場所で私は生活できるのね。

 本当に恵まれているわ。

 石を噛んで揺れた馬車にお父様が舌打ちをする。

 私は今の衝撃もなんだか刺激的で楽しかったのだけれど、お父様は違ったみたい。


 ヴァルトマン領よりもずっとずっと大きなシュネーベルク領にある、とってもとっても大きなお屋敷はまるで姿を隠したいかのように真っ白。

 私たちを迎えるために出てくださっていたシュネーベルク公爵家ご家族の方々も皆さん真っ白な髪に真っ白なお洋服で、お気に入りのブルーのドレスを着てきた私が浮かれたように浮いている。

 けれどきっと、公爵家の皆様の印象に残るわ。

 お父様にエスコートしていただいて、ゆったりと踏みしめた雪はふかふかの木粉よりも踏み心地がいい。

 なんて幸せな感触なのかしら。

「ようこそ起こしになった、ヴァルトマン伯爵にご令嬢。さあさ、外は寒いので挨拶は屋敷に入りながらでも出来るだろう」

「この度はお招きいただきありがとうございます。シュネーベルク公爵家におきましては、公爵夫人とご子息まで手厚い歓迎に感謝致します」

 お父様と共に挨拶の礼をする。

 とっくに背を向け屋敷へと足を向けている3人は歩みを止めず、お父様は喉の奥で舌打ちをして後ろを着いていく。

 それに倣って私も後ろへ。

 靴が雪で濡れて、重たくなってきた。

 初めての経験は何でもとっても楽しい。

「こちらからの呼び出しだ。迎えるくらいはできるさ。ご存知だろうが私はディルク。こちらは妻のハリエット」

 公爵様に名前を呼ばれ、長身の美しい女性が公爵様と同じように白い長髪を少しだけ揺らした。

 公爵様も、ハリエットご夫人も細身なので、きっとこの寒さは堪えるのね。

 歩みを止めない彼らに必死でついていく。かけっこみたいで楽しいわ。

「それから息子のフルバード」

 お二人の少し後ろを歩く殿方がちらりとこちらに視線を向けた。

 透き通るような海と同じ色をした瞳が私を見つめて直ぐに離れた。

 なんて素敵な瞳なのかしら!

 海へ行けない日でも、フルバード様の瞳を見つめれば満足できてしまいそう!

 ああ、なんて私は恵まれているのかしら!

「ご丁寧にありがとうございます。私はイエル・ヴァルトマン。そして娘のグレッチェンです」

 お父様に名前を呼ばれ、1番後ろで3秒間だけカーテシーをする。

 目を上げ、前を向くと離れていた皆様はお屋敷の中に入ったあと。

 フットマンが静かに扉を開いたまま私を待っておられて、重たい足を早く動かした。

 お屋敷の中は私の大好きな青色が基調となっていて、入口の絨毯は淡い水色。

 ああ、どうしましょう。

 靴が泥で汚れているわ。

 このまま上がってしまうとお掃除が大変。

 けれど、私が悩んでいる間に皆さんはどこかのお部屋へと入って行かれてしまわれて。

 廊下の端に緊張した面持ちで立っているホール・ボーイを発見して、声をかけた。

「そこのホール・ボーイさん」

「は、っはい!」

 驚いたように返事をした彼はこちらへやってきてくれて、ひそひそとその耳元に話しかけた。

「ごめんなさい、私、廊下を汚してしまうわ。お掃除が終わらなければ私のせいだと仰ってね。もし汚れが落ちなければ私がお掃除するわ」

「えっ、えっ!? お嬢様、何を仰っておられるのですか!?」

「ごめんなさい、今はあまり時間がないの。また後で!」

 声変わりのまだ来ていないあどけない少年の声が、私を引き止めるように張られる。

 その声に手を振って皆様が入られたお部屋の入り口に立つと、そこで青の瞳のフルバード様が私を出迎えてくださった。

 まあ、ご親切なお方!

 私よりも頭ひとつほど背の高い彼は、ぐっと私の耳元に顔を近付けた。

 落ち着いた男性の声は耳に心地良い。

「男を漁っても構わないが、手近で済ませるのはやめてもらえると有難いな」

 険しい表情のフルバード様はそう仰られると、まっすぐ前を向き私をエスコートしてくださった。

 歩幅を合わせて歩いてくださっている。

 あらまあ、こんなに素敵な殿方が、私との結婚に否やが無いだなんて!

 なんて素敵なお方。私ってばどうしてこんなにも恵まれているのかしら!


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