第六話 辺境連合、蜂起す
白花交易会の朝、王都は異様に静かだった。
市場の鐘が三度鳴る。その音に、何千という商人が一斉に帳面を開く。
粉庫手形の交換が始まった。
紙ではない木札。焼き印、紐、蜂蜜結晶。
どれも見慣れぬ通貨。だが、どの商人も受け取る。
――それは“王都の銅貨”より早く回る。
信用は形ではなく、速さだ。
動くものが価値を生む。
◆
王都中央市場・管理局。
「陛下、交易の帳簿が合いません。粉の取引高が三倍、王都銅貨の使用率が半減しております!」
「粉? 粉など辺境の雑貨だろう!」
大臣たちは怒鳴り合う。
しかし帳簿の数字は嘘をつかない。
“粉庫手形”が、実質的に貨幣として機能している。
王国の金流が、知らぬ間にライルの“道”を通っていた。
しかも、その徴税印には――王都の徴税官グレイの署名。
王は顔をしかめた。「反逆ではないのか?」
「いいえ、陛下。形式上は合法です。“王都後援”と印されています」
「後援……? 誰がそんな――」
文官が紙を掲げる。
そこには、金糸の署名。
――ディラン・ヴァーミリオン。
王の声が、低く震えた。
「ヴァーミリオン家……またか」
◆
その頃、グレン村。
広場の端で、ライルは静かにパンを焼いていた。
粉の香りが風に乗り、村人たちの声が遠くで響く。
王都の混乱は、まだここには届かない。
だが、届かないことこそ、届いている証拠だ。
「……始まったか」
炉の火を見つめながら呟く。
アメリアが背後から近づく。
白い外套をまとい、穏やかに微笑んでいた。
だがその指先は震えている。
「王都で“粉暴落”の報が。……貴族たちが取り付けを始めたわ」
「恐慌は計算のうちだ。信用を崩せば、再構築ができる」
「でも、それでは人が……」
「――だからこそ、俺がいる」
ライルは振り返らずに言った。
炎の色がその横顔を照らす。
冷徹でも、どこか優しい光。
アメリアは息を詰めた。
王都を混乱に落としながら、その中心に“秩序”を見据える目。
彼は破壊者ではなく、再建者なのだ。
「君が“悪役令嬢”を演じたように、俺は“反逆者”を演じる。――だが、真実は逆だ」
◆
王都・評議の間。
ディランは議員たちの怒声を受け流していた。
机の上には粉庫手形の束。
彼は一本を取り、蝋燭の火にかざす。
結晶が光り、燃えずに残る。
まるで、信用が燃え尽きない証のように。
「この構造は……天才だな」
隣の参謀が唸る。
「法の内側に作られた“別の国”。徴税も軍も経済も、王都に属しながら王都を凌駕している」
「つまり――辺境連合か」
誰かが呟いた。
その名が会議室を満たした瞬間、沈黙が落ちる。
“辺境連合”。
王国の外で、王国を支える者たち。
反逆ではない。だが従属でもない。
ディランは書簡を取り出した。
封にはライルの印――風車の羽根。
『これは剣ではなく、耕具である。
この地を耕す者こそ、真の王。』
短い文。だが、その意図は明確だった。
――王都を攻める気はない。
王都を「養う」つもりなのだ。
ディランは深く息を吐き、立ち上がる。
「陛下。辺境を敵に回せば、国は干上がります。彼らの通貨を“王国補助貨幣”として認めるべきです」
「何を言う! それは屈服だ!」
「いいえ、共存です。
この国は今、戦ではなく“信頼”で立っている。
――信頼を奪う者こそ、本当の反逆者です」
王は沈黙し、重い玉座の肘掛けに手を置いた。
彼は老いている。
老いは恐怖を育てる。
恐怖は、決断を遅らせる。
そして遅れた決断は、すでに敗北だ。
◆
翌日。
グレン村に早馬が駆け込んだ。
封蝋には王都の印。
ティナが震える手でそれを差し出す。
ライルは開き、一読して目を細めた。
『王国は辺境粉庫手形を“補助貨幣”として承認す。
――ただし発行管理をヴァーミリオン家に委任。』
アメリアの手が震えた。「……つまり、王都は降伏を認めたの?」
「名目上はそうだ。だが実際には、“共存”の名を借りた再編だ。
この国はもう、一つの王国ではない。二つの信用で成り立つ双子国家になった」
「ライル……あなた、まさか……」
「これが最初の一手だ。王を倒すには、血ではなく“信頼”を奪うこと。
そして、信頼を奪われた王は、次に“与える者”に従う」
アメリアは沈黙した。
ライルの掌の上で、国が形を変えていく。
その知略の深さに、恐れと尊敬が入り混じる。
「でも……あなたは王になりたいの?」
「王にはならない。
王は“名”を奪い、黒幕は“影”を守る。
影は光を必要としない。光を導くのが、俺の仕事だ」
彼は微笑み、アメリアの外套の裾を直した。
白い布に、指先が触れる。
「君が“表”を歩け。俺は“裏”で支える。
それが、盤上の約束だ」
アメリアはその言葉に、ゆっくりと頷いた。
◆
その夜。
村の空には無数の白花灯が舞っていた。
誰も戦わず、誰も倒れず、ひとつの革命が終わろうとしている。
だがライルは知っていた。
終わりは次の始まりだ。
火の粉が舞い上がる。
遠く王都の方角から、笛の音が聞こえた。
風が変わる。
国が変わる。
ライルはそっと呟いた。
「これで“辺境連合”は芽吹いた。
次は――王国の心臓に根を張る番だ」
その声は、夜風に溶けて消えた。
だが翌朝、王都の市場にはひとつの噂が立つ。
“黒幕軍師が王国を救った”と。
そして同時に、
“黒幕が王国を支配した”とも。
真実は、どちらでもいい。
それを決めるのは――次の一手だ。
第6話・完。
次回、第7話「黒幕の正体」――




