『モブ』になるためのレシピ。
「社会現象」としてのモブの考察。
【モブ(mob)】
モブとは「mobility(=動きやすさ、流動性)」を語源に持ち、「群衆」「暴徒」「雑踏」などを意味する語。
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<定義 ―― 広義・現代的観点>
モブとは、自律的な意志や物語的中心を持たず、全体性の中に埋没しながら機能する「匿名的存在」である。他者の行動や物語の背景・状況・空気を構成するが、自ら語られることは少なく、「個としての意味を問われない人格」類型。
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<構成要素を分解した定義>
匿名性
―― 名前を持たず、固有の物語を語られない(または語らない)。
非中心性
―― 物語や社会の「主役」ではなく、構造を支える「その他」として位置づけられる。
集合性・代替可能性
―― 多数として扱われ、誰がそこにいても機能が変わらない。
受動性
―― 自ら状況を変えようとはせず、むしろ環境に反応・順応する存在。
記述の省略性
―― 物語・報道・歴史などにおいて、描写されることが少なく、削除されても物語構造が維持される。
空気の体現者
―― 集団心理・時代精神・社会的風潮といった抽象的な「空気」を具体化するための装置。
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<社会心理・群衆論的視点>
責任の希薄化
―― 集団に埋没することで、個としての倫理的責任を回避しやすくなる(群集心理)。
同調圧力への順応
―― 個性の自発的放棄。突出しないことが自己保存の戦略になる。
無名性の快楽
―― 注目されないことが一種の自由・安全保障になるという逆説。
「見る側」から「見られる側」への変化を恐れる心理
―― 匿名のまま批評者でいたい欲望。
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<現代社会論・デジタル空間の視点>
SNSの匿名ユーザー=デジタルモブ
→発信はするが、責任を取らない群像。
「炎上」の構造はモブによって支えられている
→個ではなく集合体としての圧力。
アルゴリズム的消費者
→自分が“選んでいる”ようでいて、パターンに従って動く群衆。
バーチャル空間での「観客に徹する自由」
→消費者は発信者に比べて疲弊しない。
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<哲学・倫理的観点>
主体性の不在が罪か否か
―― 道徳的無責任は、あくまで「悪」なのか、それとも「自然」か。
「誰かの背景であり続ける」ことの肯定
―― 社会的役割のグラデーションとその倫理。
カント的に言えば「目的のための手段として扱われている」状態。
ニーチェ的には「家畜の安寧」への欲望
―― 強者にも弱者にもなりたくない第三の立場。
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<記号論・メディア論的観点>
「個」ではなく「量」で語られる存在
―― モブは「数」でしか記述されない(「観客100人」など)。
非特異的存在
=他の誰でも代替可能な記号。
ニュース映像や広告における「一般人の顔」
=モブ性の演出。
カメラがピントを合わせない存在
―― 焦点が合わないことで生じる意図的な匿名性。
これは「モブ」になるためのレシピである。
逆説的に言えば「予防線」としても使える。
ひとつでも、これらの人格に当てはまった人は、立派なモブ予備軍、あるいはモブそのものかもしれない。責任を持たず、匿名性に甘え、言葉の放火を楽しむ、記号としての人々。存在。
ChatGPTと共に、そのレシピを作ってみた。
とりあえず、若者は これらとの闘争から、人生が始まる。これは早々にモブ化し、「生きた屍体」としての人生、とならないための注意事項でもある。
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ちなみに「生きた屍体(死体)」とは、本文でも出てくるニーチェの言葉の引用である。