08話:ポスト701-800
この作品はXへのポストのまとめです。https://x.com/hyogen_tokku
一般的な小説の書き方を大きく逸脱しているため、可読性が著しく劣ることにご注意ください。
逆に言えば他の生成AIで作られた作品はおろか、生成AIを利用せずに作られた作品までもが登録されない。
AI利用防止を目的とした監視がない以上、AIを利用していないことを証明するのが難しいためである。厳格なホワイトリスト方式なのだ。
データベースに登録されなければ政府としては無干渉となる。とはいえ、個人による商用利用を禁じているわけではない。
たとえば民間のAIで生成した、素材に盗用の可能性のあるイラストを個人間で売買する行為に政府は関わらないということである。
特区以前の法律では権利者が二次利用を認めている場合を除けば、不特定あるいは多数の者に対してそのような行為をおこなうのは違法だった。
しかし法改正で、権利者が禁じている場合を除けば、人の出入りが完全に把握できている閉鎖空間なら多数の者にそうしても合法となっている。
特区は船でしか人が出入りできない上に、出入りの際は厳しいチェックと記録をしているので、その空間に該当するのだ。
権利者は二次利用を禁止する場合、政府に申請せねばならない。一般の販路で世に一定数以上出回っている一次作品なら申請はおおむね通る。
二次利用が禁止されている作品はインターネットに公開されている政府のサイトから検索できる。
そこに載っている作品は、特区内であろうが二次利用してはいけないと政府が明示しているわけである。つまりブラックリスト方式なのだ。
載っていない作品は特区内でなら、売買による金銭の授受まで含めた二次利用をしても、刑事上も民事上も合法となる。
ただし合法とはいえ政府として推奨しているわけではない。先述のようにただ無干渉でいるだけに留まっている。
表現の自由のためとはいえ、本来なら権利者を守るべき政府がそれにほんの少しでも矛盾する措置を取っているため、後ろめたさがあるのだ。
虹原島でも二次創作物はデータベースに登録されない。登録されたとしても発覚すれば削除される。
また、故意に権利を侵害した作品を登録した場合は取り締まりの対象となる。故意の証明は困難なため、よほど明白なもの以外は容認されるが。
「でもさ、データベース登録されなくても作者のブログやSNSには投稿されてて特区内なら誰でも簡単に見れるんだろ?あんまデメリットなくね?」
「登録された作品は将来、特区外でも許容されるような表現に修正されて公開される可能性があるんだよ」
「外で許容される表現に修正ってどゆこと?」「性器のモロ出しやグロシーンをカットするとか、未成年の飲酒をジュースに変えるとか」
「要は登録されると広い世に出て大ヒットして作者が大儲けする未来もあるけど登録されないとそれが絶対ないってわけ」
「あと批評機での批評もしてもらえないんだよな」「特区公式システムから完全に無視されるから知名度が低くなる。それだけで大きなデメリット」
「別にみんなが金儲け目的で活動してるわけじゃないでしょ。好きで二次創作やったり他人の二次創作を楽しんだりしてる人だっていっぱいいる」
「既存作品の模倣で技量を磨くのが創作の初歩だしね。ただ既存作品の作者の利益を不当にかすめ取るのは特区でも許されないってことだろう」
「二次創作が登録できないのって要は外にパクリ作品を公開するわけにいかないからか」「厳密にはパクリと二次創作は異なる」
「二次創作判定はかなりガバガバらしいぞ。デザインや設定が被りまくってるキャラでも名前だけ変えればオリジナル扱いだったり」
「実際それくらいで訴えられて負けた判例は少なくとも国内だと存在しないからな。剽窃なんてたやすく断定できるもんじゃない」
「一次創作者がいちいち二次利用禁止の申請しないといけないのって酷くない?それ知らない作者は特区でやられ放題じゃん」
「今時その仕組み知らない創作者なんて山奥でテレビもネットも無しに暮らしてる仙人くらいだろ。自分の作品がやられてても気にしねーよ」
「権利の上に眠る奴は保護しなくていい」「その言葉はそういう意味とはちょっと違うけどね」
「ん?結局、特区の二次についてのルールって外と何が違うの?作者が二次やめろって言えば中でも外でも禁止じゃないの?」
「外だと作者が禁止を明言してなくても基本は違法。中だと禁止を申請した場合だけが違法になる。申請してないなら中では合法ってこと」
「それって普通は申請するのでは?」「表現の究極の自由っていう特区の理念に賛同する作者は申請しない場合が多いよ」
「特区以前から二次利用を明示的に許可してる創作者も普通にいるんだけどな。フリー素材とか」
「作者の申請で二次創作が禁止されるなら表現の自由が無くね?」「禁止できるのは二次利用。二次創作は登録不可だけど行為自体は禁止できない」
「禁止されてなければどんな二次利用も合法ってわけでもなく、たとえば他人の作品を全くアレンジもせず自分の作品として売ったら当然捕まる」
特区の運用開始と同時に移住してきた創作者たちの大半はすでに何かしらの創作物を完成させ、データベース登録していた。
中には住民にも観光客にもそこそこの人気を集めている作品もある。しかし大人気というほどではなく、そこそこ止まりなのだ。
ほんの数百人の創作者が、それぞれ作品をひとつやふたつ作った程度で大人気作品が出てくるなどと都合のよい話はない。
特区外に出して大ヒットを狙えるほどの作品を生み出すには、まだまだ時間と創作者の数が足りていないのだろう。
新たな移住者を受け入れれば少しは改善する見込みもあるが、本鳳は後々の事情を考慮して受け入れていない。
今しばらくは最初の2000人でやりくりするしかないのだ。しかしただ無策でうっちゃるだけではそれも厳しいかもしれない。
作品を完成させた後に続けて新作の制作に入る者もいれば、ひとつの完成で満足してその後は他人の作品を消費することに没頭する者もいる。
後者が創作者の姿として必ずしも好ましくないわけではない。アイデアを溜め込んで熟成させたり、創作意欲を回復させる時間も必要だ。
とはいえやはり創作活動をしてくれなければ特区の目的には合致しないため、いつまでもそうされるのは困りものである。
個人の自由意志は大切だが、それに任せているだけでは特区としての役割を完璧に果たせているとはいえない。
創作コンテンツ不足の問題もまだ解決には至っていない。批評のコンテンツ化で興味を惹いて一時しのぎしているだけである。
また、それとは別の問題として経済に余裕のない者が増えている。現状の特区内での創作活動は、概して収入に繋がっていないからだ。
貯金を崩す者、商業施設などで労働をして日銭を稼ぐ者、社会保障に頼る者が大半であり、このままでは創作活動に支障が出るのは明らかである。
本鳳はこれらの問題にまとめて対処するための策を実施することにした。創作物の人気投票と賞金の授与である。
今後、特区内のすべての人物はデータベース上の作品に対して、一週間に1票だけ投票する権利を持つようになる。
無論、優れた作品や好きな作品に投票するための権利である。ただしデータベース登録から一定期間が過ぎた作品や自身の作品には投票できない。
特定の人気作品ばかりにいつまでも票が入り続けるのは、多くの創作者の創作意欲に悪影響を及ぼすからだ。
特区の観光収入のうち一定割合を賞金総額とし、それを獲得票数に応じて作品に割り振る。
つまり作品の各得票数に比例した賞金を作者が得られ、特区の観光収入が増えるほど、賞金総額も増えていくということである。
創作者本人が人気作品を生み出すのはもちろん重要だが、他者に人気作品を生み出させるよう取り計らえば巡り巡って本人の利益に繋がる。
すなわち他の創作者と交流し、教え合い、刺激し合い、良質な観光資源となるコンテンツを特区全体で生み出すことが個人の得にもなるのだ。
票数の大部分は観光客によるものである。投票しても客自身には特に利益はないが、大抵はせっかく特区に来たのだからと真剣に考えて投票する。
中には一週間以上も滞在して複数票を入れる観光客の姿もあった。特区としてはその分だけ観光収入に結びつくので大歓迎である。
さらに投票とは無関係に、作品が鑑賞された回数や時間によって作者へ収益を与えるようにする。これも観光収入が原資だが期間の制限などはない。
作品の人気を示す基準は投票数のみではないのだ。鑑賞数や鑑賞時間が多い作品は、おのずと特区の魅力を支える主要コンテンツとなるはずである。
今後の創作産業の活性化を担う特区はあらゆる指標で作品を評価し、優れた作品には相応の見返りを与えるのが責務だろう。
この措置によって在住創作者の収入はおしなべて増加し、創作と無関係な労働をする者は減った。労働しなくても生きていけるようになったのだ。
創作に打ち込みながら生活保護で糊口をしのいでいたところ、多額の賞金を獲得して人並み以上の生活をするようになったという者さえ出てきた。
思うように賞金を得られない者も、そのような成功にあこがれ奮起する。今は芽が出ずとも可能性はいくらでも広がっているのだ。
実生活の心配がいらない環境は、創作に邁進するために必須だろう。創作以外の雑事にわずらわされずに済む。
創作物を消費するために移住してきたはずが、これを機に創作者へ転身するケースも頻出している。非創作者の創作意欲までもが刺激されたのだ。
また、特区のコンテンツ充実の勢いを多少は早められたはずである。本鳳にとっての本命はこれだった。
しかし今回の策には副作用もある。無論想定内だが、創作者への分け前を出すことで特区の収支は短期的には悪化した。
これによる支出額は特区全体からすれば微々たる割合だが、成果をアピールするために収支は少しでも良くあるべきと考える者が政府には多い。
コンテンツが充実すれば観光収入が増えて、いずれはペイできるはずである。とはいえ、やはりそこは創作者の頑張り次第だろう。
本鳳は副作用への対策、すなわち特区の収入増加のための案を実施することにした。特区外への作品公開である。
特区内でのみ許さる表現を外でも許される表現に修正して公開するとの話は当初からあったが、ようやくそれを形にする時がきた。
されど手当たり次第にそうするわけではない。大ヒットを狙える可能性の高い作品のみに絞り込む。
特区でしか鑑賞できない作品を可能な限り多く抱え込んでおきたい。それは観光地として外に対する絶対的なアドバンテージとなるのだ。
外へ公開するからには人気を博さなければならない。初の公開作品が鳴かず飛ばずとなれば、特区のブランド価値は失墜するだろう。
人気投票はそれを選別する目的も伴っている。優れた審美眼を持った者が集まる特区での人気作品となれば、外でも成功する公算が高い。
とはいえ、多く得票した作品が必ずしも外に公開されるわけではない。公開できる表現への修正が難しい内容の作品も存在するからだ。
あくまでも投票は数多の作品をふるいにかけるだけである。残った候補から公開作品がひとつ選ばれ、修正が行なわれるという流れを想定している。
公開方法は主にインターネットだが、その他の媒体も想定されている。たとえば映像作品は、全国の映画館で上映される可能性もあるだろう。
大ヒットすれば関連グッズの販売から、ゲーム化や舞台化などメディアミックス展開まで見込める。
しかして大成功を収めた作品の作者は、特区内の観光収入の還元とは比べ物にならぬほど巨額の権利収入を得ることになる。
というのは、あくまでも事態の推移が理想のケースである。実際にはいくら特区内で人気だろうが、外でも大ヒットするとは限らない。
玄人に評価される作品が素人に評価されない現象は、あらゆる創作分野に起こりがちなのだ。
商業作品として世に出す以上、世の中の大多数を占める素人からの評価こそが肝心で、一握りの玄人の評価など意味がない。
まずは公開する作品の選考作業をさせるために相応しい者を、特区の住民から複数人選ぶ必要がある。
しかし実績豊富な創作者ばかりでは、まさにそれが玄人の目線しか持っておらず大衆には理解しがたい作品を選んでしまうかもしれない。
活動歴が長くない者を優先し、年齢や性別、好みの創作ジャンルなど幅広い属性を満遍なく選ぶ。
利権化を防ぐため、公開作品を選ぶか一定期間が経過するごとに選考担当者を総入れ替えする。また、過去に選ばれた者はできる限り除外する。
だがそれでも、選考担当者には何の責任もないため、心にもない作品を選んでしまうかもかもしれない。
懸念を少しでも低減するため、選ばれた公開作品の収益のうち、わずかばかりだが一定の割合を選考担当者に与える仕組みにする。
つまり責任はなくとも利益は得られるのだ。作品が成功するほど担当者の利益も増えるのだから選考作業にも身が入るというものだろう。
その分だけ作者の利益が減るが、そもそも作品が選ばれなければ作者は利益を得られないのだから受忍の範囲内である。
当然だが担当者は自分たちの作品は選べない。また、他の担当者と意見をすり合わせる必要はなく、選考作業に参加する義務を負うわけでもない。
あくまでも住民が自主的に作品を選ぶからこそ成功に価値が生まれる。自由を標榜する特区では押しつけによって価値を失っていくのだ。
特区として初の公開作品を選考すべく、担当者たちはこれまでに多数の票を得た人気作品を鑑賞し、話し合う。
しかし、これならば世間でも大ヒット間違いなし、と太鼓判を押せるほどの作品は見つからなかった。
特区の創作者の意欲は旺盛だが、まだ選りすぐれるほど上質かつ豊富なコンテンツ量は揃っていないのだ。
やむなく、票数のラインを下げていく。つまりほどほどの票しか獲得できなかった作品も候補とするしかない。
率直に言えばつまらない作品の中から選ばざるをえなくなった。大ヒットの見込みが薄くなるのは自明だろう。
そんな中、あるアニメ作品が担当者の目に止まった。数十分間のアクションバトルである。特区内での非AI製アニメ作品はまだ多くない。
アクションシーンは不思議な魅力を伴っているが、凄惨なスプラッター表現が頻繁にあり、作画や音響のあちこちに粗が目立つ。