11話:ポスト1001-1100
この作品はXへのポストのまとめです。https://x.com/hyogen_tokku
一般的な小説の書き方を大きく逸脱しているため、可読性が著しく劣ることにご注意ください。
いくら特区が特別な観光地でも屋内で作品の鑑賞ばかりしていたのでは普通、数日で飽きる。
飽きているのに滞在し続けるとなれば、悪い思い出になってしまうかもしれない。
その無駄な行為をする必要が無くなるのだから、ひいては特区のイメージ向上に繋がる。恩恵だらけではないだろうか。
本鳳はたくさん買うように仕向けると言ったが、この票買いで増やせるのは一週間に1票のみ。つまり通常分と合わせて週2票が上限だ。
上限を設ける理由は二つ。一つ目は特区の運営を掌握されるリスクを防止するためである。
作品に投票するための票を買うといってもその利益の半分は特区のものになるので、特区への寄付や出資の側面が強い。
無制限に買えるのなら外部の資金を特区の運営に大量かつ直接的に流れ込ませ、運営方針をゆがめることができてしまうのだ。
民間企業が大口顧客や大株主に頭が上がらなくなる構図に近い。金を得るために経営しているはずが、いつしか金に縛られるのである。
もちろん特区は営利目的ではないが、巨大資本家から影響を受けたとあれば存在意義は根底から瓦解するだろう。
特区は政府から絶大な独立性を与えられているため、こうしたリスクには常に心を置かなくてはならない。
首輪を緩められているのは飼い主の利益のためであり、他の飼い主の首輪に付け替えるためではない。
二つ目の理由は、金を払ってまで多く投票しようとする者の経済負担を限定するためである。
人はしばしば、熱烈に気に入った対象に貢ぎすぎてしまう。一時の心は満たせようとも、後の人生に支障が出るのは明らかだろう。
かくのごとき不幸な者を国家事業である特区が出すわけにはいかない。特に、ポジティブな感情を利用して搾取するなど言語道断である。
一週間分の滞在費とは決して気軽に払える金額ではなく、そのような防止措置を取らずとも不幸な者が出る心配はあまり無いと考える者も多かった。
実際、実施後しばらく様子を見る限りでは票を買う観光客は稀だ。元々、複数投票するために一週間以上滞在する者が稀だったので当然である。
しかし本鳳は二つ目の案を実行すれば、そういった観光客はむしろ急増すると予測している。公開作品への投票者名の表記である。
投票した作品が特区外に公開される際には、投票者の名前を表示するのだ。本人が望むなら実名でなく偽名でも無記名でもよい。
作品そのもの、すなわち映像作品ならオープニングやエンディング、書籍なら標題紙や奥付に投票者名を表示する。ただし作品権利者の任意である。
表示スペースにも限界があるため、投票者が多すぎる場合は投票数上位者のみを表示したり、すべての投票者を表示しないことも認められている。
また、政府の公式サイト内に設けられた作品ごとのページにも投票者が表示され、こちらはすべての投票者名と各人の投票数の表示を保証している。
つまり自分がその作品に何票入れたのかを、政府が証明してくれるのだ。信頼性としては充分だろう。
証明されたところで大抵の者には無価値である。作品制作に関わったならともかく、票を入れるだけの行為を誇示する意味を理解できないのだ。
一方で、強い価値を感じる者も存在する。彼らは創作物に対する自らの審美眼に自信を持っており、披露する機会を常にうかがっている。
大ヒット作品が日の目を見ないうちから個人的に目をつけていたと世間に知らしめられるなら、その尊大な自己顕示欲は最大限に満たされるだろう。
また、投票数は気持ちの強さなのだ。多く投票するのは作品の大ヒットを固く信じているか、作品を強く支えるということでもある。
現在、特区内の作品が投票の対象になるのはデータベース登録されてから4週間であり、それを過ぎると投票できなくなる。
票を毎週買って2票入れ続けてもひとり8票、時期が良くとも10票が限度なのだ。10票入れた者は相当の大金であがなったといってよいだろう。
企業がテレビ番組や映画の協賛やスポンサーとして出資する代わりに自社製品の宣伝をするように、個人が自分の審美眼をアピールするのだ。
投票者にとって直接には1塩の得にもならないが、世の注目を浴びれば先述のとおり、自尊心を満たせるだろう。
さらに、多くの公開作品に多くの票を投じた者は確かな審美眼を持っていると考えられる。
世間にそれが認められれば、本業として評論家になるなどマネタイズも容易である。つまり間接には実益に繋がる可能性があるのだ。
そうした動きの中心には特区の存在があり、周りの動きが活発になるほど特区にも耳目が集まり、観光客が増えるなど好影響を受けることになる。
一見すると良いことずくめに思えるが、このように票の購入と投票者名表記を両方とも実施すると致命的な問題が予見される。
多くの票を投じるために長期滞在し、その間に上限まで票を購入することで散財してしまう者が多発するかもしれないのだ。
無論、彼らの目的は自尊心を満たしたり評論家になったりすることである。しかし特区はそれについて何の保証もしていない。
10票投じたからといって、その作品が公開されるとは限らない。公開されなければ投票者名の公表もされず、払った多額の金が無駄になる。
作品が公開され、投票者名が公表され、10票投じたと明らかになっても審美眼が世間に認められるとは限らない。
本鳳が番組で語った意味深な言葉の理由がこれである。特区による搾取とも言えるだろう。
各々が勝手に期待して金を払うだけなのだから、期待が外れて無駄になろうが特区には何の責任もない。しかし特区はその不幸を予見している。
巷では客の心をくすぐって財産を搾取する悪辣な民間ビジネスが跋扈し、破産者も多数出ているが、大抵は合法である。
だからといって、政府の事業である特区が積極的にそれをするなど許されるわけがない。道徳と信用の問題なのだ。
儲けを追求するために髄まで搾り尽くすのは造作もないが、創作産業の活性をはかる特区で創作物を悪用するなど論外である。
故に本来は没案だったのだ。区議が発案したものの、議会での審議でその危険性が指摘されてボツに至った。
ところがボツになったとは知らなかった職員が外部に漏洩してしまい、世論に押され仕方なく実施する方向に舵を切った。
このような経緯があるため、世間からの厳しい追及を避けられると本鳳は読んでいる。というか、それを意図して流れを誘導したのだ。
素早く実施に踏み切ったのも、そのスピード感をアピールして世間を味方につけるためである。
実施しないはずだったのに、世論を柔軟に取り入れてすぐ実施してくれたとなれば、特区運営と本鳳は民のよき理解者との認知が広まるだろう。
番組で他の出演者にせがまれ渋々でもその場で承諾する演出は、目的のために必要だった。今回は拙速こそが正解というわけだ。
案の定、実施後早々に散財する者が出てきた。言うまでもなく、彼らの狙いは意中の作品を公開作品へと押し上げ、自らの名を売ることだろう。
特区観光から帰ってすぐさま、SNSなどで何の作品に何票投票したのか自己申告する者も多い。
公開に至っていない作品は投票者の公表もしないため証明する術はないが言い張るのは自由だ。しかし大抵、そこからの進展はない。
投票した作品がたちまちに公開されるとは限らないのだから当たり前である。そして果たせるかな、世間に不満の声が広まり始めた。
「投票って何のためにやってんの?意味あんの?」「自己満足だろ。センスを他人に認めてもらいたいとか。あとは作者への寄付目的」
「半分は特区の収入になってるらしいけどね」「自己満足なら別にいいよ。でも評論家になれるかもって夢見てた奴ら全滅してんじゃん」
「今まで公開された作品で10票入れた奴ひとりもいないんだよな」「まあそんな上手くいかないよね。結局は公開選考担当のさじ加減だし」
「得票多い作品でも外でヒットしないって判断されたら公開作品に選ばれないらしい」「そりゃそうだ。公開作品は特区にとって客寄せだからな」
「推したい作品があっても投票は金の無駄ってこと?」「だから寄付にはなるって」「週一で無料でもらえる権利だけで投票すりゃいいじゃん」
「公開された作品自体がまだ少ないから無駄と判断するのは時期尚早だろう。投票して何年も経ってから公開というパターンも考えられるし」
「何年もなんて待ってらんないよ。俺は短期間で成果がほしい」「投票と公開の仕組み的にどうにもならんでしょ。大人しく待っとけ」
「こんな不満が多いなら投票者減るんじゃね?特区は収入減で困るんじゃね?」「もともと本鳳は導入するつもりなかったようだし困らんだろ」
「でもやっぱり評論家になりたくて何十万塩も払ったのに何も得られない人って可哀想だよ。本鳳さんには何とかしてほしいよ」
「それで評論家になれると思ってるのがおかしい。大ヒットを的中させるのと評論は全く別の行為って理解できない奴が特区にカモられてんだよ」
「てか特区に住んでる人ってずっと特区にいるわけだから投票しやすいわけだよね。観光客は宿泊費とか払わないといけないのに」
「まあ住民だろうが観光客だろうが投票権を毎週タダで1票もらえるんだから金銭負担の大きい観光客は投票においては不利だろうね」
「それって投票した作品が公開された時、観光客より住民の名前の方が上位に載りやすいわけだよな。ズルくね?」
「本鳳は観光客を犠牲にして住民を優遇したいのか」「一部の観光客が勝手に金払ってるだけだから犠牲ではない。嫌なら払わなければいい」
「そもそも名前が上位に表示されたら何か良いことあるの?ってのが普通の感覚。本当に下らない問題。特区はいちいち対処する必要なんてない」
本鳳は問題に対処するため、公開作品の投票者名について、観光客と住民を分離する。
しかしこれは投票した作品が公開された場合にしか影響しないのだ。公開されず散財が無駄になる者には関係ない。
そういった者をほんの少しでも救うべく、特区への寄付者の名前と寄付額を公式サイト内で公表する。本人が望むなら偽名や無記名でもよい。
特区への寄付は今のところ、票を買うために金を払う行為である。金額は時期によって変動するが、その半分が特区への寄付額となる。
買った票を投じる行為は気に入った作品と作者を応援するためという建前だが、間違いなく特区をうるおしてもいる。それを称賛するための措置だ。
作品の良し悪しを見極める審美眼が認められなくとも、特区への貢献を誇る道が生まれたのである。
ただし本人がそれを誇るには、特区自体が世間から称賛される存在であり続けなくてはならない。本鳳は人知れず、これまで以上の重責を感じる。
この措置にも問題はある。投票した作品が公開されないのに寄付額だけが増えていくのは、本人にとって苦痛になり得るのだ。
寄付がいくら称賛されようが、寄付額は自分の審美眼が間違っている度合いとも言えてしまう。これではやはり救いとは呼べないだろう。
救うには実益を与えるしかない。寄付額に応じて、専用通貨を付与するのだ。買った票を投じた時点から付与され、特区内の商業施設で使える。
まるでポイントカードの還元サービスのようだが、付与が一回だけでないのが最大の特徴である。一週間ごとに付与されるのだ。
ただし永遠に付与されるわけでなく数年間のみ。また、付与される額も元が取れるほどではなく、寄付額のうちのわずかな割合である。
観光者の個人情報は付与される専用通貨まで含めて半永久的にサーバー上に保持されており、本人ならば特区外からも確認できる。
特区への観光旅行から数年経った頃に確認し、限界まで付与されていたら再び特区へ足を運ぶという流れを想定している。
他の観光地に行くくらいなら、最初から実益が確保されている特区を選びたくなるものだろう。ただし過去に寄付している必要はあるが。
つまり救済のためではあるが、リピーターを増やし観光促進する目的も伴っているのだ。そして後のソシャゲ構想にも活かされることとなる。
散財する者がこれらの措置によって完全に救われたわけではないが、ある程度は腹の虫がおさまったようである。むしろ寄付額を競う者まで表れた。
これは期待させるだけさせながら見返りを何も保証しないという性質ではないので、健全と判断してよいだろう。
不満が広まってからの対処も素早かったため、特区と本鳳の評判はうなぎ登りである。この結果に胸を撫で下ろす政府関係者も多い。
これまで特区は短期間のうちにいくつもの策を講じ、相当な予算を費やしている。
通常の国家事業であれば、国会で予算として組み込んで可決させる必要があり、一つの施策ごとに半年から一年も待たなければならない。
しかし特区は特例的に予算の柔軟な運用が認められており、最初から多額の包括的な予算と予備費までもが計上されている。
この予算の範囲内でなら何に使おうがほぼフリーハンドである。透明性に重大な問題を抱えた仕組みと言わざるを得ないだろう。
また、割り当てられた予算分を観光収入などによって稼いで政府へ収めてしまえば、それ以上は特区のものにできる。
つまり特区は稼いだ金を自らが使う権限を与えられているのだ。一国家事業でありながら、同時に自治体でもある。
その強力な独立性が差し許されている理由は、陽下の将来を託す存在として期待されているからに他ならない。
特区が自由に動いた方が国にとって利益になるのだ。これほどの優遇はリスクになるが、リターンも大きいわけである。
とはいえ全くの自由ではない。自治体である以上は議会が存在し、議会の承認無しでは大きな施策の実施などできない。
だが、区議会の構成議員の大方は本鳳に心酔するイエスマンなので実質、無障害といえる。本鳳の鶴の一声で済む手筈が整っているのだ。
このように特異な体制でもなお上手くいっているのは、単に本鳳が有能かつ無欲な人柄だからというだけの話である。
これを実現するために国会議員の頃から多くの根回しを行ない、首相にまで力添えを取り付ける必要があった。
故に本鳳を支持した者たちは、本鳳が失敗すればその責任を問われ連鎖的に失脚しかねない。




