3 偏執な軌道③
等間隔に設置されたランプ風の電飾が、廊下に暗がりを残したまま、ぼんやりと照らしている。その暗がりの先の先に、鈴音さんの部屋がある。
扉を恐る恐る開けると、彼女は椅子に腰を下ろしていた。紅茶の入ったカップを片手に、目を細めて紅茶を味わっていた。知らない間に着替えたのか、白いキャミソール一枚だけだ。月光に細い腕が照らされて、白い柔肌が強調される。
それにしても、簡素な内装の部屋だ。お嬢様の部屋なら、もう少し豪華絢爛にしてもいいものを……最低限の調度品と家具しか置かれていない。部屋はその主に似るのか、寂しい部屋だ。
「それで、なんで呼ばれたの?」
私の質問に、彼女はカップを机に置いて、一息ついて口を開く。
「……ちょっとお喋りしたくなって。1日メイド体験はどうだった?」
「まぁ、刺激的な経験だったよ」
「そう……それならよかったわ」
彼女はそう返すと、また紅茶を口に含んで、美味しそうに味わった。
暫しの沈黙──
「紅茶、好きなの?」
そして何か話題を振った方がいいと思った私は何か話しかける事にした。
彼女は問われても私の表情一つ変えない。
「好きとか嫌いとかではないのよ……これしか飲めないから」
そしてまた表情筋が死んでしまったのかというくらい、無表情に、淡々と返した。
しかし、そういえば彼女は何か料理を食べていた記憶がない。私と蘭藍は圧縮保存されたシチューに、バターを塗ったパンとサラダという簡素な食事だった。だが、彼女の分を用意した覚えはないし、そもそも食事の間は鈴音はずっと部屋に篭りっきりだった。
いくら世捨て人のような雰囲気をお持ちでも、紅茶だけでは体に悪いだろう。
「飯も食ってないじゃないか。そんなんじゃ元気出ないんじゃないか?」
「──私は大丈夫よ、貴女は貴女の心配をしなさい」
「──大丈夫って言ってる奴で、本当に大丈夫だった奴を見た事がないんだよな」
私が本心から心配するも、彼女はそれを受け入れようとはしなかった。
壁と話しているみたい、とはこの事だろう。前々から思っていたが、彼女は対話が下手だ。まぁ、私も人の事を言える程には上手ではないのだが。
「明日以降も、メイド業に専念すればいいのか?」
「貴女はそうすればいいと思うの?」
そうすればいいって、回りくどい言い方をするな。
まぁ、敢えて答えるならば、専念する事は確かに重要だが、盲目にそれを受け入れようとはしていない、というところだろう。
「──いいや、君が何か隠しているのは解ってる。霧の中を真っ直ぐ進めって言われている気分だ。正直──信用しきれてはいないよ」
「そう……じゃあたとえ少しだけでも、ヒントが欲しい?」
ヒント、だって?
「貰えるのか?」
「どう受け取るかは、貴女次第ね」
貴女次第って、どういうヒントの出し方をするつもりなんだか……
いちいち推察しなければいけないのはただ面倒臭いだけだ。私は探偵志望ではない。
そんな事を思っていると、彼女は私の顔をみて、クスッと笑った。どんな表情をしていたのか──まぁ、碌なそれをしていたわけでははないだろう。
「貴女と話していると、刺激的ね。恩蘭藍は、いい子だけど、ちょっと妄信的過ぎるところがあるから──」
まぁ、確かに蘭藍はザ・従者な雰囲気だ。今の私のようにうじうじ悩んだり考えたりはしなさそうだ。さっぱりとした性格なのは私からすると羨ましい。
すると、彼女は椅子から徐ろに立ち上がって、整理されたベッドの上に座り直した。そして右隣を片手でポンポン、と叩いた。
「──座って」
ええと、彼女の隣に座ればいいのか?いきなり距離感が近くて戸惑ってしまう。
「そう、隣よ」
彼女は私の内心を読み取ったかのように言う。
私は恐る恐る隣に腰を下ろす。
「座ったけど──えっ、ちょっ、ちょっと!何してんの!?」
衝撃的な行動だった。彼女は徐ろに自身のキャミソールを脱ぎ出したのだ。
そして、私の焦る声を気にも留めず、ブラホックを外し始める。
「何って──服を服を脱いでるだけよ。貴女も早く脱ぎなさい」
当然のようにそう答えるが、意味がわからない。
互いに脱ぎ合って……あっ、まさか。
「ははぁ……そういう事?私を誘拐した理由って」
あまり信じたくはないが、私を慰み物にしようということか!?
そ、そう考えると結構辻褄が……
「……何考えてるのか知らないけど、そういう事じゃないわ」
彼女が軽蔑したようにそう言う。
「そんなこと言って〜このすけべめ〜」
適当に揶揄ってみたものの、彼女は躊躇いもなくブラジャーを脱ぎ捨てた。
彼女の小さな乳房が顕になる。折れてしまいそうな細い腕、薄く浮き出た肋骨、お腹と、くびれ……私に同性の趣味はないと思っていたが、いざ直面すると思った以上にドギマギしてしまう。鼓動が早くなるのがわかる。思わず恥ずかしさから目を逸らしてしまう。
しかし、彼女は更に私の方ににじり寄って、私の服に手を掛けた。
そして私が緊張で固まっているのをいい事に、悠々と背中のリボンを外し始める。
「えっ、ちょっと──本気でするの?私──経験ないんだけど……ましてや女の子同士でなんか……!」
「あぁもう、いいから!」
いきなりの出来事にどぎまぎしてしまう私に付き合ってられないと思ったのか、彼女は私の手を取って、そしていきなりパンツの中に手を突っ込ませた。
まさぐらせたんだ。
体温と湿り気を感じる。そして私の心臓が興奮から一気に鼓動を打ち付ける。
「ちょっと……!ヤバいって!」
しかし、そのエロい感情は一瞬で消え去った。
私の手はある違和感を明確に感じ取ったのだ。
「嘘……無いって、どういうこと……?」
そう、彼女の股には、女性の体にはあるであろうモノが存在していなかった。
何の凹凸もない。
確かに、いいや確実に彼女は女性だ。それなのに、女性器がない。
違和感の正体はそれだった。
「──私、こんな体なの」
私が彼女の身体のこと、それを理解した事を察したのか、ゆっくりと鈴音が話し出す。
「いいえ、正確に言うと、この体にさせられたのよ」
何だって……?
どう形容すれば良いんだ。
どう答えれば良いんだ。
慰めか?同情か?それとも気の利いたジョークの一つでも言って場を和ませるべきか?
強制的に義体にさせられた?
これが彼女の抱える秘密か?悲劇なのか?
──うう、衝撃的な情報に頭が完全にショートしてしまった。
「──貴女、夢がある?」
呆然としている私に、不意に質問が降りかかる。
今度はゆ、夢だって?そ、それは……
「したい事は?どこに行きたいの?」
狼狽える私に、彼女は更に畳み掛ける。
「お願い、言って」
彼女は遂に私を押し倒して、私と彼女は顔を見合わせる。
迫力に押される。正直に答えよう、その考えが浮かんだ。
「……お母さんと、会いたくて……香港に居るって聞いたから……会いに行こうとしてて……」
私の絞り出した答えを聞くと、彼女は満足そうに微笑んだ。
「じゃあ、私が助けてあげるわ」
「助けるって──」
「お母さん探しよ。│何だってやってあげる……こう見えても、結構行動力はあるのよ?」
透き通るような声が、魅惑的に響いて、言っている事は急なのにも関わらず、それに何ともいえない説得力を与える。
月が雲から顔を現し、窓から覗いて、彼女の顔に深く影を作った。何処となく悲しく見える。
私は、彼女の顔を見つめる事しかできなかった。
そして彼女は覚悟を決めたかのように、息を小さく吸って、こう言った。
「その対価として──私を救ってほしいの」
振り絞ったような声、その清廉な響きの中に確固として在る覚悟──私はそれを緊張感の中に感じ取った。
整理すると、対価──つまり私の母親探しを手伝う代わりに、彼女の身体について助けろということか。
正直言って、今現在も何故私なのかは理解に苦しむ。正直蘭藍とかに助けてもらうのでも良いのでは無いかと思う。
だが、私が彼女に抱いていた疑念は晴れた。彼女の本気さを直に感じたからだ。
嘘を吐いているのではない。彼女は、確かに大きな課題を抱えているということだ。
そして、それを私に打ち明けてくれた。これは警戒心の強い彼女の、大きな挑戦なのだ。
そうなれば、幾ら捻くれた私でも──
「わかった。協力するよ」
信じざるを得なかった。
まだ霧の中だけれど、信じられる人間と手を繋いで進む事になりそうだ──
また何とも言えない沈黙が流れる。互いに、今の高揚した感情を整理しているのだ。
そして、先に動いたのは鈴音だった。
どうして、彼女がそうしたのかは解らないが、形容し難い私たちの一体感の中で、それを最大限感じる為の手段だったのだろうか。
彼女の体が一層私に体重以上の重さをもってのし掛かってきて──
唇が触れ……
「ダメです!!!お嬢様!!!不埒すぎます!!!」
バン!と大きな音を立てて扉が開かれる。
そこには、息も絶え絶え、焦燥で顔を紅潮させた蘭藍が立っていた。
鈴音が、らしくないが、恥ずかしさからか顔を真っ赤にする。耳まで赤い。
「ちょっと!?蘭藍!いきなり開けないでって言ったでしょ!」
「し、しかし……お言葉ですがお嬢様……拾い食いが過ぎます!い、いや、そのような者とするくらいならいっそ私と……!」
鈴音の叱責に、蘭藍は納得できないのか捲し立てるように弁解し、意味のわからないことを呟いた。
「──外で待機!」
しかし、鈴音はそんな事は聞き入れる事なく、ぴしゃりと一つ命令を下した。
つまり、今すぐこの場から去れという事だ。
彼女は、自身がそんな仕打ちを受ける事に苦虫を噛み潰したような表情をする。
蘭藍のこれは、鈴音のため、いや鈴音の貞操のため、もしくはその他の──敢えて言及はしないが──鈴音への感情故の行動なのだろう。
「こ、これ私が悪いんですか……」
だからなのか、少し泣きそうな顔の蘭藍の口から掠れる声で台詞が漏れた。
互いの目線が交わり、また気まずい沈黙が走る。それは蘭藍は今すぐ出ていくべきだという総意を暗に示していた。
だが、結局受け入れたのか、辛そうに項垂れる。
「はい……失礼しました……」
蘭藍は申し訳なさそうにそういうと、去っていってしまった。