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2 偏執な軌道②

 瞼をうっすら開くと、淡い光が差し込んできた。臀部に硬い感触がある。どうやら、何かに座っているようだ──

 そして固まった体を伸ばそうと、両腕を伸ばす。

 そして、目を開けると、知らない天井が広がっていた。


「えっ……?」

「ちょっと!動かないでよネ」


 すると、誰かが私に声を掛けた。可愛らしい高い声だ。どことなく中国人風の訛りがある。

 彼女は黒髪をツインテールに纏めて、チャイナ風にデザインされたメイド服を着ていた。こんな作りの服は初めて見た。赤と白のコントラストが印象的だ──そして、裾は古風な中国服の形状で、絞った振袖が付いている。その間から幾つもの指輪をした細い指が見えたと思うと、私を指さした。


「今、お前の着付けをしてるアルヨ。終わるまでは大人しく待つヨロシ」

「着付け……?」


 ふと、自分の姿を見ると、いつのまにか私も彼女と同じようにメイド服を着ていた。と言っても、私のものは白と黒の普通のものだが……こんな物を着た覚えはない。いつもはゆったりとした服装を着ているからか、メイド服は少し着心地に違和感がある。それに少し体型も露骨に出てしまって恥ずかしい──

 いや、こんな事を冷静に分析している事態ではないな──!

 ええと、とりあえず、状況を把握すると、あの白髪の女に命乞いをして気を失ってから記憶はない。目を開けたら、見知らぬ服を着させられて、見知らぬ部屋に──洋風な造りで、年季がありそうだ──に居る。あと、ペンダントはしっかりメイド服の上に首から下げられている。

 ううむ、全く不可解な出来事に巻き込まれたようだ。


「えっと、これは何?夢?」

「夢じゃないネ、現実」


 とりあえず尋ねてみると、例のチャイナメイドがそう答えた。何か仕事をしているのだろうか、私を横目に忙しなく動いている。


「あの、何でこんな服を着ているわけ?私の服は!?」

「お前、今日からここで仕えるアルネ?」

「はぁ!?そんな事一言も──」

「お嬢が言ってたアルヨ。お前お嬢とはもう会ったアルネ?」

「いや……あっ、まさか、あの白髪で青い眼の──」


 砂漠で大穴に落ちた所を助けてくれた女の子──彼女は確かに、お嬢様、と呼ばれても違和感のない風貌ではあった気がする。深窓の令嬢、と言った感じだった──と言えなくもない。


「そうネ。お嬢曰く、『砂漠で遭難してた所を助けたんだけど、私の所に仕えるって言ってくれた』って──」

「はぁ!?わ、私は『何でもする』って言っただけで──いきなり仕えるとは……」

「ふん、仕えるだけで済んだなんて十分ネ。もし相手が、悪いお兄さんだったらどうするつもりネ。今頃『廃棄場』に暴行されて捨てられてるのがオチアル。そんな安易と『何でも』なんて言わない方がいいアル。覚えておくヨロシ」

「はぁ……」


 エセ臭い共和語を使うやつに、初対面で説教されてしまった。

 だが、彼女の言っていることは確かにそうだ。私が旅行者として、いや、この世界で生きる一人の人間として少し危機感の足りない行動をしていたことは事実だ。

 とはいえ、こんな仕打ちを受けなければいけない覚えはないのだが──不思議と起こる気持ちも起きない。昔から、大人しい子供だと言われてきたが、こういう時は怒った方がいいのだろうか、と思ったりする。


「ねぇ、何も疑問に思わないの?いきなり知らない女と一緒する事になって……」

「……使用人が雇用主の考えに疑問を挟む余地はないネ。私はただの釘アル」

「……貧相な考えだね」


 すると蘭藍は、ムッとしたように口元が曲がって、私の事を軽く睨め付けてきた。


「ただの旅人に言われる筋合いはないネ──で、お前の名前は?」

「栞、伊柴栞。貴方は?」

恩蘭藍(エンランラン)、一緒に働く事になると思うネ……ま、楽しくやるヨロシ」


 そう言って、蘭藍は何処から取り出したのか化粧道具を持ち出して私の化粧を始める。

 そして、彼女はアイライナーを手に取ったかと思うと、それを空中に「置いた」。

 空中に物が置ける訳がない。普通なら、落ちてしまうだろう。

 ……なんだこれ。不思議な事にまるで空中に机でもあるかのようにそれは浮遊している……

 しかし、蘭藍はそれに気を止めるそぶりもなく私の顔をどう調理しようかと思案している。


「なぁ」

「ア?」

「いや、それは──何で浮いてるのかなって、疑問に思って」

「あぁ──知らないアルカ。これが『異物』ネ。見るのは初めてアル?」


 異物、流石の私でも名前くらいは耳にした事がある。

 第三次世界大戦後から各地に見られるようになった物体で、何か超常現象を起こせるような力がある、と習った。

 都市部の人間なら、どことなく聞いたことは誰でもあるだろう。だが、聞いた事があるのと見た事があるのは別だ。実際にそれが使われているのを目にした事はない。私は、「異物」は都市伝説の類で、存在していないものとばかり思っていたが──現存して、そして目の前にあるとは。


「これが、異物っていうやつなの?思ったよりちっちゃいね」

「バカ、これはただの端くれネ。あんたは大波の水滴一粒しか見ていないネ」

「バカってまでは言わなくてもいいだろ」

「お前、四川大砂漠を一人で突っ切ろうとする奴が、バカじゃないわけないネ?」

「それ言われると何も言い返せない……」


 異物の力はなかなか便利なようで、浮かせた化粧道具を自在に操り、テキパキと仕事をしている。


「なぁ──ここはどこなの?お嬢って言ってたから、その、例のお嬢の家か?」

「そ、ネ」

「じゃあつまり、私は命を助けてくれた代わりに、ここで使用人として働く事になったって事?」

「まぁ、大体それで合ってるネ。言語化ご苦労ネ」

「なんか……面倒な事に巻き込まれたな……」


 特に話す事も無くなって、蘭藍が仕事を進める様子を眺めていると、ふと、ドアがノックされた。


「──お嬢が来たネ」


 蘭藍がそう呟くと、きい、とドアの軋む音がして、例の白い髪の毛が靡いて、ドアの隙間から覗く。

 やはり、お嬢の正体は予想通り例の助けてもらった女の子だった。彼女の青い視線が私と交錯する。


「事故った女の子は起きた?」

「はい、お嬢様。もうお目目ぱっちりです」


 蘭藍がそう答えると、「お嬢」は薄っすらと微笑を浮かべた。


「ご苦労さま──彼女と話がしたいから、一旦出てってくれる?」

「わかりました。何かあったら直ぐに呼んでくださいね」


 そして、蘭藍は先程の慇懃無礼な口調とは打って変わって、丁寧な所作で部屋から出ていった。

 さっき「お嬢」が開けた時はドアが軋んだ音を立てていたのに、彼女が開けると音一つしなかった。慣れた手つきで去っていく彼女の動作の一つ一つから、彼女がかなり熟練のメイドである事が伺えた。


「あいつ……あんな綺麗な言葉喋れたのか!やっぱエセだったんじゃないか!発音は訛ってはいるけど……」

「何の話?」

「あ、ああいや……何でもない。個人的な話」

「そう……それで、蘭藍から説明は受けた?」

「ああ、私めの粗末な命を救ってくださった代わりに、お嬢様にお仕えする事になったんですっけ?」


 私のあからさまな警戒心を込めた皮肉に、彼女は眉を顰めた。

 そして、はぁ、と一つ溜息を吐いた。しかしその顔はミリ単位で美しさを崩されず、いや、溜息を吐いている顔すらも美しかった。

 彼女とは深い接点も無いわけだし、無闇に肩を持つ理由も謂れもないが、見た目に関してだけは手放しで素晴らしいと認めざるを得ない。蘭藍も可愛らしい少女ではあったが、「お嬢様」程の美少女は見たことすらない。


「──そんなに警戒しなくてもいいわよ。別に大層な仕事を頼むつもりもないし……」

「わかった、わかった。じゃあまず、自己紹介からでいい?私の名前は伊柴栞。それで、君は?」


 本日二回目の自己紹介になる。慣れたものだ。


「私は鏑木鈴音。呼び方は、何でもいいわよ。好きにしなさい」

「じゃあ、鈴音さん、でいい?年齢も近いでしょ」

「……どうぞ」


 さて、自己紹介云々は済んだわけだが、これで私の疑問が解決された、訳ではない。まだ大事なものが残っている。


「なにか言いたげな顔ね」


 私の気持ちを察したのか、鈴音が話しかけてきた。


「そうね……率直に聞くよ──これは、どういう魂胆なわけ?まぁ……働くことについては、特に文句は無いって事にするけど。『なぜ』私なんかをここで働せるのか、理由が聞きたいわ。こんな礼儀も作法もわからない初心者をメイドにしたところで、貴方には利益がないはずだよ」


 そう、私が一番聞きたかったのはここだ。何の理由も聞かされず目的だけを与えられるのはあまり好きではない。何か私を飼うことで得られる利益があるとか、説明してくれれば自分も納得できるかもしれないのだが。

 そう疑問を一気に吐き出して、鈴音の表情を伺う。鈴音はまた、はぁ、と小さく溜息を吐いた。彼女の視線が沈んで、斜陽が横顔に影を投げかける。


「利益、利益って──私は目先のそれの為に動いている訳じゃないのよ。私にも御しきれない運命の糸を握って、必死にそれを辿っているだけなの。たまたま辿っていった先の結び目に貴方がいただけ」


 糸?結び目?変に大仰に話すタイプだな。それに、肝心の話の根幹が見えてこない。


「つまり、どういう事?説明してくれないと、私も読者もわからないって──いきなり冒頭から謎単語を連呼するライトノベルみたいになってるよ──」


 私は教えて貰おうと縋るも、鈴音は冷たい目線を一瞥して、素っ気なく私をあしらった。


「今の貴方がわかる必要はないわ。いいえ、わかるべき時になったら全てわかるはずよ」


 ははぁ、この何かをひた隠しにするような態度──

 そうか、薄々勘付いてはいたが何か後ろめたい理由があるのだろう。私を誘拐して、何かしようって魂胆なのだ。そしてそれを私に知られては行けないから、隠している──ただ、それでも何故私を選んだのかは不思議なのだが。

 人身売買とかだろうか?悪そうなお兄さんが居ない以上、そうではないと信じたいが──東アジア区域の治安悪化を鑑みると、否定できないのが怖いな。


「──なんか、はぐらかされてるみたいだな」

「そんなものよ、人生なんて。その理不尽さを直視して、尚受け入れてからがやっと本番よ」


 腹を探ろうとしてみるが、流石世渡り上手なお嬢様といえば良いのか、これではのれんに腕押しだ。一旦諦めて、今は話を進めた方が良さそうだ。


「──はいはい。まぁ、結局今の状況はよくわからないけど、命を救ってくれたのは確かだし、その対価は払いますよ。で、どのくらい働けばいいの?」

「そうね……私の気が済むまで、って答えでいいかしら」


 気が済むまで、か……言い換えれば、気分次第で終身雇用の可能性もある、ということですか。そうですか。

 そうかぁ、私は正直今すぐにでも出ていきたい。

 就職するならホワイトな職場が良かったのだが、こんなブラックな所に来たくはなかった。


「気に入らない?」

「……別に私は今すぐ出ていく事だってできるよ」


 そう言うと、鈴音は嘲笑を浮かべる。


「貴方──今一文無しでしょう?」

「ぐっ」


 痛い所を突かれてしまった。これから母を見つけに行くとしても、所持金ゼロでは行くことも帰ることも出来ない。香港に着いても、それで終わるとも限らない……当時の所持金でも満足に旅できるとは思っていなかったのに、まさか事故で全て喪失してしまうとは思いもしなかった、

 換金できそうなものすら全て失ってしまったし──

 はぁ……かなり厳しい旅になってしまった。事実を改めて突きつけられると、精神的に来る。


「もし良い働きをしてくれたら、それなりの報酬は渡すわ」


 落ち込んでしまった私を見兼ねて、鈴音が落ち着かせるようにそう言った。


「本当?」

「本当よ。あまり私は嘘はつかないわ」


 嘘の代わりに、はぐらかしはするけどな。


「わかった──でも、ここまで手綱をきつく締められたのは初めてだよ」

「そう、気楽にやってくれれば良いから。頑張ってね──蘭藍が外で待ってくれている筈だから、彼女に色々教えてもらいなさい」

「はいはい、やれるだけやってみますよ……」


 ⚫︎


 蘭藍は、私の想像していた通り、かなり家政婦業に関してはプロだった。

 私は折角だから何か学ぼうと横に着いて作業を見ていたが、掃除や洗濯──私とは技術が隔絶していた。私も長年一人暮らししていたから、そこまで家事ができないわけではないと自覚していたが、流石プロはレベルが違う。


 一連の仕事が終わった後、全員に紅茶を淹れてくれた。蘭藍は鈴音さんの部屋に紅茶を運んで行った。

 お嬢様は紅茶が好きなのよ、覚えておきなさい、と蘭藍は言った。

 そういえばコップは3人分だったが──あれ?


「あの、もしかして、この家には私と蘭藍と、あと鈴音さんの他には──」

「他には誰も住んでいない」

「お父さんお母さんは?」

「お目にかかった事すらないね」

「……そうか」


 彼女も両親が居ない中で育ったらしい。だとすると、私に似たあの警戒心が強い性格も納得が行く。

 そう、私も同じ境遇だから……

 いや、やめだやめ!あんまり辛い事ばかり考えて過去に囚われすぎるのは良くない。


「お嬢が不幸とか思ってる?」

「いや……別に」

「あのね、他人の状況を勝手に定義するのはやめるべきよ。お前にはお前の幸福と不幸があって、私には私の幸福と不幸があって、お嬢にもお嬢なりの幸福と不幸があるの。他人のそれに、私やお前が首を突っ込むべきではないし、たとえ突っ込んだとしても何も解決できないと思うね」

「はいはい……そーですか」


 本日何回目になるかって説教が飛んできた。

 蘭藍もなかなか面白い性格をしているな。ははは。


「一つ、質問いい?」

「何?」

「実は私、香港目指してたんだけどさ、ここってどのくらいの距離なのかなって……」


 すると、彼女は何も言わず、その代わりに閉められていたカーテンをシャっと勢いよく開く。

 そこから飛び込んできたのは予想外の風景だった。

 正直、内装がこんな家だからか、所謂洋風の邸宅がある場所をイメージしてしまっていた。

 だが、私の予想は悉く裏切られた。

 そこにあったのは広大な牧草地でもなく。

 石畳の市街地ではない。

 私の網膜に映ったのは、眼下に広がる広大な鉄のビル群と、数多の色に輝くネオンサインだった。


「うおっ……凄い……」


 思わず息をのんでしまう絶景だ。

 夜闇のカンバスに膨大に広がる赤や青、白の電飾、それらはこの都市の活力を物語っている。

 縦横へ無数に蠢く点は車だろうか?高架橋の上をリニアが走っているのまで見える。


 ここはかなり高い場所にあるのだろう。実は、今まで住んでいた武漢も電飾が節々に巻き付いたそこそこの大都市だった──しかし、貧乏人の私は安っぽいガタつく硝子窓の奥から見上げるばかりだったのだ。だからこれは知らない景色なのだ。あぁ、確かに人々の営みを遥か上空から見下ろすと言うのは気持ちの良いものだ。高給取りの人間がこぞって高地に家を建てようとする気持ちがちょっとばかし解ったかもしれない。

 呆然とする私を見て、凄いでしょう、と蘭藍が自慢げに言った。確かに、これは凄い。この為だけにここに住んでも良いとまで言える夜景だ。

 すると、蘭藍は悪戯な笑みを浮かべた。


「これが香港だよ」

「えっ、ここが……!?嘘ぉ!」


 驚いた。まさか誘拐されたら目的地に到着していたとは。怪我の功名とはまさにこれだ!

 てっきり長い旅路になるかもしれないと身構えていたが、これなら思ったより早く事が進むかもしれない。

 内心ほくそ笑む私を他所に、蘭藍は話を続ける。


「そう。そしてここが街の住宅区域でも上部、成金しか住めないような場所ね」

「ふーん。じゃあ、鈴音さんも成金なの?」

「違う。でも、金持ちなのは変わりないけど。お嬢と金の亡者じゃ本質は全く別よ」

「まぁ、確かに鈴音さんが金金言ってるイメージは湧かないけどな」


 二人で並んで景色を眺めて駄弁っていると、突然蘭藍が私の方に体を向ける。フリルが綺麗に円状に靡く。


「あぁ……そうだった」


 蘭藍は何か思い出したかのように呟いた。


「どうしたの?」

「後でお嬢からお前を部屋に呼ぶように言われていたんだった。早く行きなよ」

「えっ!ちょっと……」

「ほら!ぐずぐず言わない!ご主人を待たせるメイドの命は短い!」


 蘭藍は突然の命令に狼狽える私の背を押して、向かうよう誘導する。


「じゃ、じゃあ、最後に一つ……」

「何?」

「何で今はさっきの語尾を付けてないのかな〜、って」


 蘭藍は桃色の唇に指を当てて。


「……飽きた」


 そう嘯いた。


「そーですか……」

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