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1 偏執な軌道

 母を追う私の足取りはしっかりとしていた。しかし何か手掛かりがあるわけでもないし、時々、ただまぐれという名のコンパスを辿っているだけなのではないかと不安になったこともあった。そして、自分の気持ちに曖昧なままここまで来てしまった。ただ、母から貰ったペンダントだけを心の頼りにやってきたものだから……


 武漢の都市外観は地平線の向こう側に消えてしまっていたし──それに既にここら一体には砂漠が侵食していて、錆びれた街を過ぎたら、あとは見渡す限り砂の大地が広がる。これでは五里霧中ならぬ、五里砂中だ。


 そして砂を踏む音が私が旅のまた違う光景に、違う段階に連れ出されたと囁いた。ネオンサインと喧騒に囲まれて過ごしていた私にとって、逆にこの無味乾燥な風景は新鮮に映った。


 風がぴゅうと鳴いて、刹那どこからか吹いた突風が私の帽子を浮き上がらせる。まずい、飛んで行ってはかなわない、とはっしと帽子の鍔を掴んでいると、今度は不意に風に煽られて砂が巻き上がって砂塵が舞って、私は目に入れまいと必死に眼を閉じた。風が止むと、帽子と砂塵の二重の危機に晒されて必死そうな様子の私を、遠くから誰かがにやにやいじらしい笑みを浮かべながら見ているのが見えた。


 それは妙に丈の長いシルクハットを被った小柄な老人だった。道端に()()()()()蹲踞して、白い髭をぼうぼうに生やし、ボロを纏っていて、見るからに浮浪者でしかないのだが──彼のシルクハットは新品顔負けにぴかぴか光っていた。その対称性が奇妙な魅力を彼に与えていた。彼が私に手招きをするのが見えて、私は釣られるように彼の側へと向かった。


「こんにちは──」

「あぁ、あぁ──お嬢ちゃん、こんなところに一人で来るなんて、変わったやつだねぇ」

「それなら、貴方の方が大分変わった人ですよ」

「ははは、その通りだな」


 彼は黄ばんで所々抜けた歯を見せて笑った。


「そのシルクハットとか」

「シルク……?あぁ、そうだ。この頃もうもの忘れが酷くてね、いや、良いんだ──どうせわしの事なんて覚えているやつもいないだろうし、この街と一緒に忘れられてしまおうと思ったところだったよ──はて、何の話だったかな?」

「何の話ですか……」

「いや、待ってくれ……老人の自分語りは根気よく待つものだぞ。実はな、わしは占い師をしていたんじゃ。テレヴィにも出たことがあるんじゃぞ……して、お主、どこかへ旅をしているんじゃろ?」

「ええ、そうですけど」


 私の答えを待っていたとばからに彼は一番の笑みを浮かべた。


「そうじゃ、景気付けに一回占ってみんかの」


 生来、占い、なんてものは信じてはいないし、裏付けのないものに頼るのは愚かな事だと思う。が、信憑性云々とは話が別だ。この先、どれだけ長くなるかも分からない旅の中で、何かこういった「遊び」があっても良いだろう。


「じゃあ、お願いしようかな」

「おっ!好奇心旺盛な娘は嫌いじゃないぞ……娘ってのはな、少しお転婆なくらいがいいんだ……」

「何ですかさっきから……セクハラですか?」

「ははは、おお、怖い」


 さっきから話の本筋から関係ないことばかり呟いているが、私を揶揄ってるのか?面倒臭い人を引いてしまったか?いくら時間があるといっても、こんな所で道草を食うつもりはないんだ。観光客でもないんだから──


「──そういやな顔をするでない!」

「はぁ……」

「わしと目を合わせるんじゃ、そうしたらお前の未来を占える」


 彼は問答無用に私の顔を覗き込んできた。一瞬、彼と目線が交わる。

 そして彼の目は、黒かった。黒く輝いていた。私は別に何も霊感とかは無いが、神秘的な何かを連想してしまう。それほど、彼の目は異質だった。それまでの弛んだ空気が一気に引き締まる。

 唖然としている私をよそに、彼はしばし私の胸元のペンダントを睨んだかと思うと、不意に口を開いた。


「そうだな……今日初めて出会った少女と仲良くしなはれ。そうすれば、お主の母とも会えるだろう」

「えっ!?ど、どうして……母の事を……」


 彼は今、まるで私が母を探している事を知っているかのように話した。

 そうだ。私は確かに生き別れた母を追ってこんな辺鄙な所まで来た。しかし、旅の目的は誰にも言っていない──

 そして当然、彼が知っている筈なんてない。

 これが占いなのか?心を見透かされた気分だ。彼は私の予想以上に途轍もない人物だったのかもしれない──


「占い師って言ったじゃろ?」


 得意げに、老人が鼻を鳴らす。


「そ、そうだけど──」

「おっ、長老!こっちは、久しぶりの客人か?」


 すると、人気のない建物の中から、青年が一人出てきた。

 彼は老人と知り合いなのか、彼の事を長老と呼んだ。

 長老は、彼にも胡散臭い笑みを向けた。


「そうじゃ。通りがかりの子じゃよ。此奴、ここを突っ切って香港まで行くつもりらしいぞ?はは、こんなに果敢な女は珍しいんじゃないか?」

「えっ、目的地は伝えてないのに──」


 驚いた。そこまでバレているとは──全て筒抜けになっている。何か種や仕掛けがあるようには思えないし──この老人の占いとやらはまさか本物だったりするのだろうか?


「いや〜、最初はびっくりするよなぁ。君、占って貰ったんだろ?」


 青年は親しげに私に話しかけてくる。

 似合わないブルーのアロハシャツを着て、無精髭を生やした黒髪の男だ。私ににかっと笑いかけてくる。


「そう、ですけど……」

「長老には何でもお見通しだからなぁ、凄いよ。本当に」

「ははは、老耄を褒めても何も出てこないぞ」


 仲良く談笑する二人を見て、少しいままで以上に興味が湧いた。

 寄り道でもいいから、彼らともう少し話していたいと感じた。


「あの、お二人はここに住んでいらっしゃるんですか?」

「いや?僕は君と同じ旅行客だし、それに、長老も同じさ。別にここに来たのは何の目的もないよ。こんな所には目的すらもないしね」

「でも私には目的があるけど」

「そりゃ、いいことだ。大人になってどこにもいけなくなる前に、目的を抱えてどこかに行っておくのは素晴らしい決断だよ。そうだな──僕には長老みたいに具体的に何か出来るわけでもないから、ただ君を応援しよう!」


 そう言って彼は私の肩を背中を叩いた。

 さっきから、やけに馴れ馴れしい男だ。


「別に、私だって、大人ですよ。この前18歳になって……」

「18なんて、まだまだ青二歳だよ」

「そうですか。貴方はそう思うかも知れないけれど、私はそう思わないから」

「……長老、こいついや〜にマセたガキですよ」

「知らんわ。わしじゃなくて彼奴に言え」


 そう言って、青年はこれ見よがしに私を指さして老人に耳打ちするふりをする。

 ──無性にイライラする。この青年の方は私とは馬が合わなそうだ


「はぁ……もう……私はさっさと行くから」

「あ、ちょっと待って」


 私がこの場から去ろうとすると、彼が慌てて私を呼び止めた。


「何?」

「『蟻地獄』って知ってる?」


 あり……?蟻地獄?昆虫の話だろうか?はて、聞いた事すらない。


「──知らないけど」


 そう答えると、彼は先程までのヘラヘラした表情とは打って変わって、真剣そうな目で私を見つめた。


「旅のよしみだ。教えてやろう。蟻地獄ってのはない、このあたりで起きてる超常現象みたいなものなんだけど……この砂漠に、たまに砂の大穴ができる事があるんだ。それに引っ掛かったら一巻の終わり。その名の通り、まさに蟻地獄だな」

「……私がそんな噂話を信じるとでも?」

「噂話じゃない。ここを通った旅行者が数人やられてるんだ。ま、精々気おつけておくんだな」

「はいはい……」


 それ以上、彼らが私達を引き留めることはなかった。私はこれから街の外れに止めておいたバギーに乗って、砂漠に殆ど埋まってしまっている道を辿っていくのだ。この先の旅がどうなるかはわからないが……

 まぁ、今悩んでも仕方ない。気楽にやろう。


 ⚫︎


「マズったな……」


 砂の壁から這い上がろうと手を壁に埋め、それを頼りによじ登ろうとするが、うまくいかない。上がれば上がろうとするほど、砂がどんどん下へ崩れ落ち、勿論私の努力は水泡に帰して、また振り出しに戻る。

 大穴の奥底から地上を見上げる。ざっと10メートル程だろうか──油断していたら、いつの間にか道を外れてしまっていた。それでもとりあえず香港へと車を進めればいいと思っていたら、唐突に足元が崩れ落ちて、大穴の中に落ちてしまった。


 こんな事をしている間にも、太陽がじりじりと照り付けて、私の体力を奪っていく。暑い──玉のような汗が背中に垂れる。水はあるにはあるが、いずれなくなってしまう。助けを呼びたいが、インターネットも繋がらない。

 もうこんな所を誰かが通る事に賭けるしかない──


 疲労で、思わず車に倒れ込んでしまう。車体は半分砂に埋まっていて、こうなってしまうとただの鉄の塊だ。寄りかかるための物体としか利用価値がない。無事なのは私と、例のペンダントのみだ。

 もう、なにも自分からできることはないだろう。文字通り座して死を待つのみ、となってしまった。

 ──本当に、本当に絶望的な状況だ。


「クソッ……まじで終わりかよ」


 ──18になっから。

 大人になったから。

 ふと、小さな頃に居なくなった母を、探そうと家を飛び出した。

 でも、だからと言って、自分の命が危険に晒される覚悟はなかった──

 それに、あの胡散臭い青年に忠告まで貰ってこのザマだ。


「笑えないな……」

「何してんの?」


 哀れに独りごちた私の頭上から声が降ってきた。

 逆光でよく見えないが、誰かが穴の上から覗き込んでいる。

 声質から察するに、私と同じ少女だろう。

 いや、そんなことはどうでもいい。助け──助けが来てくれたのか!


「お、お〜い!助けてくれ!」

「あなた、落ちたの?」

「どう見てもそうにしか見えないと思うぞ!」

「ったく……助けてあげるわよ」


 しばし待っていると、彼女は縄を投げつけてきた。


「車で引き上げるから、それに掴まってなさい!」


 引き上げられると、私は安堵から腰が抜けてしまった。

 情けなく地べたに倒れ込む私を、その少女は頭上から眺めている。

 疲労と水分欠乏で眩む視界の中に、彼女の透き通る白い髪、一点の曇りもない水晶のような青い双眸、整った顔立ちが映り込んだ。そして彼女は白いワンピースを着ている。


「ええと、ありがとうね……」

「そうね、次はこんなヘマしないようにしなさい。それじゃあ、私はこれで」


 そういうと、彼女は薄情にも私を置いて彼女の車に戻ろうとした。


「え!?ちょっと!これ助けてくれる流れじゃないの!?」

「別に私は、穴に落ちた貴方を助けるとは言ったけど、砂漠に一人取り残された貴方を助けるとは言っていないわ」

「ちょ、ちょっと待って!車も物資もあの中なんだ……!こんな所に置いてけぼりにされたら野垂れ死にしちゃうから……!どこか安全な所まで連れてってよ!頼む……!」

「じゃあ、私のお願い、一つだけ聞いてくれる?」


 お願いだって?金か?それとも他のものか?いや、もうここまできたら何でもいい。

 大穴に落ちたのは私の落ち度なんだから、どんなタカリでも受けてやろう。

 それに、穴の中にいた時は興奮で気づかなかったが、私の体力はかなり残り少ないだろう。視界もボヤけて、立ち上がる気力もない。

 取り残されたら、砂漠で迷子になるどころか魂が身体から迷子になってしまう。そんなのはゴメンだ。


「何でもいい!何でもいいから……!何でもやるよ……!」


 そう言ったが最後、私の意識はぷつりと途切れた。

 そして、視界が暗転する。その最後に──彼女が妖しく笑みを浮かべたのが見えた。

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