第51話「期末面談 - side B」
2022年3月26日 午後3時00分。
東京・三田 フューカインド本社 10階・戦略事業本部。
「失礼します」
どうぞ、という声に合わせて中に入る。中は至ってシンプルな空間で、応接用のソファとコートハンガー、壁に嵌め込まれた本棚にはたくさんの本が並び、部屋の奥には立派なオフィスデスクがあった。
「よく来たね、座って」
デスクの主、仲沢好一は来訪者をソファに座るよう促す。来訪者は一礼すると、ソファに腰掛けた。
「悪いね、時間作ってもらって」
「いえ、とんでもないです」
「このタイミングで今の心境を確認しておきたくてね。どうだい、仕事は楽しいかい?」
「楽しい、と思います。ここに来てから毎日が初めての連続で、とても勉強させてもらっています」
「それならいいんだけど、ちょっと気になることがあってね」
「気になること、ですか?」
「先週、顧客に納品するデバイスの数量を間違えたでしょ。本来なら二十五個のところを三十五個って」
「あ、まあ……。それについては、ご迷惑をおかけしました」
「いや、謝らなくていいんだ。問題は、同じミスを二週間前にもしているよね。人間だから間違いを犯すものだが、短期間で同じミスを二度も繰り返すと、上司としては心配になる。何かあったのかい?」
「いえ、私の不注意でした。申し訳ございません」
「そうかな。俺には何かあったように思えるんだけど……」
「……そんな、大したことじゃないです」
「その大したことない、に同期も先輩も後輩もやられていった。対症療法ではあるが、誰かに話すことで楽になることはある。
どうだろう、話してみないか」
仲沢は心配そうな表情で来訪者を見つめた。目の前にいる——
渡邉茉莉乃を。
彼女は俯いている。
沈黙が流れる。
仲沢は何も言わない。
ただひたすらに部下の言葉を待つ。
「最初は……」
今にも空間に消えてしまいそうな声が聞こえる。
「最初は、感謝してたんです。憧れのフューカインドに残ることができて、自分の夢を追うことができる。その機会を作ってくれた彼女に感謝していたんです。でも、あるとき違う部署の人が話をしているのが聞こえてきて……」
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『いいよね、強い人が味方って』
『いつも一緒にいるよね、あの二人』
『ホント。なんか腰巾着って感じ』
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「最初はそんなことない、私だってやればできるんだ、って思ってたんです。けど、私の実績が霞んでしまうほど、彼女は輝いていて……。だからと言って彼女のことを嫌いになるわけじゃなくて、私がもっと頑張っていないからなんだって言い聞かせて、仕事を頑張ったり、資格の勉強をしたりして……」
膝の上に乗せた拳に一粒の水滴が落ちる。
水滴はやがて二つ、三つと彼女の拳を濡らした。
「でも全ッ然、追いつけなくて。むしろ離れていってるんじゃないかって……。そしたら……」
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「マリノ、納品書の書式間違ってるね」
「でもユーさん、こっちの方がわかりやすいと思うんですけど……」
「違うね。お客様指定の書式があるですだよ。これで出さないと受け取ってもらえないね」
「そうなんですか」
「前に言ったあるよ」
「……す、すみません」
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仲沢は指を組んだまま、濡れていく彼女の拳を見つめた。
「もっと早く相談に乗ってあげるべきだったね。申し訳ない」
彼女は鼻水を啜りながら首を横に振った。
「円卓決議はフューカインドにおいて絶対の裁定だ。その決定に素直に従う者もいれば、ある程度不満をもつ者もいる。二万人もいるからね。いろんな人がいるんだよ。
けど、どんな理由であれ君はこの会社に残ることができた。なら、君はできる範囲で少しずつ成果を積めばいい。誰かと比べる必要はない。君は、君のペースで頑張ればいいんだ」
「……わかってます。わかってるんですけど……」
それ以上、言葉が続かない。一文字、声に出すだけで涙が溢れてしまう。
泣いちゃダメだ、泣いちゃダメだ。
あの日、涙を流さないって決めただろう。
流せないって決めたんだろう。
泣くような奴は惨めで、ヘタレで、クズで、ゴミで、、、
ゴミでゴミでゴミでゴミでゴミでゴミでゴミでゴミでゴミでゴミでゴミでゴミでゴミでゴミでゴミで
ゴミで————————
涙と鼻水が顔を濡らし、口に入ってくる。
嗚咽はいつしか泣き声へと変わっていた。
急いでハンカチで抑えようとするが、次から次へと〝想い〟は溢れてきて、しまいにはハンカチに顔を埋めてしまった。
仲沢は黙って目を瞑っているだけだった。この部屋は先月、防音の改装工事を終えたばかりだった。まさかこんなところで有効活用されるとは、改装を決めた当初は思いもしなかった。
やがて泣き声が嗚咽となり、鼻水を啜る音に変わったところで仲沢は目を開けた。
「落ち着いたかい」
「ズッ……すみません」
茉莉乃はここで初めて顔を上げた。彼女の目と鼻は真っ赤になり、化粧は崩れかかっていた。
「君はこの会社に必要な人間だ。誰がなんと言おうと、円卓決議が必要だと言ったんだから必要なんだ。だが、今の状態では君の力を100%発揮できないと俺は思う。それは君も感じているかい?」
茉莉乃は黙って頷いた。
「だから、……これは俺からの提案なんだが、
部署を異動してみないか?」
茉莉乃は再び俯いた。戦略事業本部の面々は仲沢が集めた選りすぐりの精鋭たちだ。つまり自分は————
「何も君を用無しだと思っているわけじゃない」
その考えに至る前に仲沢が否定してくれる。
「君は間違いなく羽坂くんと同じ、もしくはそれ以上のポテンシャルを持っている。けど、今のままではいけない。だから別の部署で調子を戻して、本来の実力を発揮できるようになったら再びこちらに来る。悪くない話だと思うんだ」
茉莉乃は俯いたままだ。
仲沢の言っていることもわかる。むしろ歓迎したいくらいだ。でも、それと拮抗するくらいにこの部署に残りたい、という現状維持本能が彼女の中で働いていた。
「異動先は俺が話を通しておいた。ここと同じ、取締役直属の部署だ。きっと君の能力を最大限に引き出してくれるはずだよ」
取締役直属の部署、それに仲沢が自分の能力を最大限に引き出せる場所と言ってくれた。そこは間違いなく、自分にとって新天地と呼べる場所になるだろう。
だが、どうしても……。
脳裏によぎる幻。
円卓決議で、友菜の隣に立つ、自分。
「でも……」
これから出る言葉は無意味な抵抗であることはわかっていた。これを言ったところで仲沢の二言三言で自分は頷くのだろう。
だったらいっそのこと————
「ヘイ、ミスター・ナカザワ! 私が来たぞ‼︎」
扉が勢いよく開いて一人の女性が入ってきた。
扉に対して後ろ向きに座っていた茉莉乃はビクッとなる。大きな声のする方へ恐る恐る顔を向けると、
そこには筋骨隆々の女性が立っていた。
服は白いワイシャツと黒のタイトスカート、黒タイツというシンプルな構成なのに、全てが規格外。大きな肩とスカートから垣間見える太い腿。
そして老若男女問わず、一度は釘付けになる胸。第二ボタンまで開いたワイシャツからはスイカを抱えているのかと思ってしまうほど巨大な胸が揺れていた。
髪は金色で目は紅色、鼻が高く、誰が見ても欧米人に見えた。
「紹介するよ」仲沢が言う。
「X部の部長で取締役第七席のシスティーン・クレイソンだ。システィーン、彼女が昨日言っていた渡邊さんだよ」
システィーンは紅色の瞳で茉莉乃のことを見た。
彼女は泣いた後だったため、目と鼻が赤く腫れている。加えてシスティーンの登場に驚いたのか、目尻に涙が滲んでいた。
一方のシスティーンは笑みを浮かべていた。どんな罵声も跳ね返してしまうほどの自信を内包した笑みを。
これが渡邊茉莉乃とシスティーン・クレイソンの出会いである。
二人の出会いはやがて世界を救う、かもしれない。
でも、それはまた別のお話。
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第二部 完
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今回はブラック企業に勤める主人公が過酷な生存競争が行われるホワイト企業に転職したらどうなるか、というコンセプトのもと書かせていただきました。
あれ、転生だっけ? まぁ、細かいことは気にしない、気にしない笑
というわけで、続編が出るような感じで終わらせていますが、作品のステータスを見てお察しの通り、本作はひとまずここでおしまいです(なんだって!?)。
話の展開は最後まで考えていますので、希望する声が多ければ続編を書かせていただきます。
というわけで感想・評価をください!
カクヨムでも活動しており、そちらには未公開の最新作や、なろうでは読めなくなった過去作を置いてあります。なんだったら明日(11/29)から新作の連載も始めますので、もし興味を持たれ方は、ぜひそちらもチェックしてみてください。
改めまして、最後までお読みいただきありがとうございました。