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第13話「Welcome to the Dnal Oiduts Erutuf!」

 彼女が案内したのは()()()()()()()()だった。


 従業員用トイレはアトラクションの裏手にあり、内装はシンプルだがアトラクションの仕掛けや小道具を見ることができる。


「うわぁ、すげぇ」


 少年はトイレを忘れてしまったかのようにアトラクションに見惚れている。


「ほら、早く行かないと漏れちゃうよ」

「あ、やべっ」


 茉莉乃に促された少年は慌てて従業員用のトイレに入っていった。


「大丈夫なんでしょうか。こんなところ勝手に……」父親が眉根をひそめる。

「いいんです、非常事態ですから」茉莉乃も同じように眉根を顰めて答えた。


 しばらくして子供が戻ってきた。


「お姉さん、ありがとう。オレ、今日のことみんなに自慢するよ」

「それはダ〜メ」


 茉莉乃は腕でバツ印を作ると、くの字になって男の子の目を真っ直ぐに見た。


「今日のことを言っちゃうと、次から来れなくなっちゃうよ。だからナイショ!」


 唇に指を当て、顔を傾ける。頼み事をするときに茉莉乃がよく使う作法だ。

 果たして男子はしばらく彼女のことを見つめると、

「うん、わかった!」と元気よく返事した。


 彼らを見送ってから彼女は大きく息を()く。

 スタッフ専用エリアに部外者を入れてしまった。当たり前すぎる規約違反。


(でも仕方ないよね。緊急事態だったもの)


 茉莉乃は最初に配られた規定を思い出した。確かにそこには「非常時にはその限りではない」と書かれている。


 だから問題ない。


  ——問題ない。


 高鳴る心拍数を抑える呪文のように反芻する。

 きっと大丈夫だ。私は間違ったことを一つたりともやっていない。


 だってこのままお客様用のお手洗いに案内していたらあの子がズボンを濡らして泣いちゃうでしょ。それよりはアトラクションの裏側を少し見せるくらい、いいだろう。お客様第一、お客様ファースト。


 そうだ。社長もそんなことを言っていたじゃないか。

 呼び出しをくらったとしても、軽く注意されるくらいで終わるはずだ。


 だから大丈夫。大丈夫。

 心配ない。心配な————


「渡邉さん、社長がお呼びです」


 FSLの正規スタッフが声をかけてきたのは、親子を見送ってから一時間後だった。


 心臓が飛び出そうになるが、大丈夫という言葉で押し留める。


 従業員通路に入ると扉のすぐ前に北堂ベルがいた。


 彼女は黒縁メガネの奥からじっと茉莉乃のことを見つめている。そこには喜怒哀楽全てが詰まっているようで、けれども冷たかった。


 茉莉乃は思わず唾を飲み込む。


 北堂が口を開く。


「渡邉さん、よく来てくれたわね。早速本題に入らせてもらうけど……




    ——クビよ」




 …………えっ?


 頭が真っ白になった。


 ……いや、えっ?

 ちょっと待って?

 なんて言ったの? えっと、えっと————


 頭は突きつけられた事実を拒むように思考を火花が出るくらい空回りさせる。


 それでも北堂は淡々と述べる。


「今日はもう帰りなさい。そして明日からは来なくていいから」


 明日から…………?

 イヤだ。

 イヤだイヤだイヤだイヤだ!


 何か言わなきゃ、何か言わなきゃ、何か言わなきゃ、

 何か————


「それじゃ……」

「ま、待ってください!」


 踵を返す彼女を呼び止める。


 心臓が押し潰されそうになりながら、呼吸が不安定な状態で、

 何か言わなきゃ。何か言わなきゃ。


 けれども、開いた口からは、


「……どうして」


 こちらを向いた北堂の目つきが鋭くなる。まるでネズミを狩ろうとする猛禽類のような目だ。


「そんなことも分からないの、あなたは?」


 先ほどまでの柔らかい声音から一変。茉莉乃は思わず後退りする。


「〈三次研修〉の人は何を見ていたのかしら。試験内容を変えた方がいいんじゃないかしら」


 視線を一度落としてから、(今度は確実に)茉莉乃のことを睨みつける。


「——ここまで時間を与えてもまだ分からない?」


 茉莉乃は慌てて頭をゆっくり回転させる。


「お手洗いの件……ですか?」

「あら、わかってるじゃない。そういうことよ」


「でも……」

「まだなにか?」


 キリッとした眼光が茉莉乃を撃ち抜く。自分は正義だと信じ抜いた言の葉が心を抉る。


 何も言わない茉莉乃に北堂は表情を変えずに言った。


「なら、言わせてもらうけど、どうしてあの親子に従業員用トイレを使わせたの?」


 さっきまで考えていた「言い訳」が出てこない。


「あそこはアトラクションを支える大事な場所。機密情報だってたくさんある」


 そんなこと分かってる。でも……


「一歩間違えれば当園が被る損害は甚大なものになる。下手すれば死者が出るかもしれない」


 名前のない感情が胸の底から湧き上がってくる。

 ——泣きたくなってくる。


「そんなことも分からないあなたと一緒に仕事をしたくありません。分かったならさっさと……」




「待ってください!」




 後ろから声が聞こえた。

 茉莉乃が振り向くよりも早く、()()は茉莉乃の前に立つ。


「納得できません。彼女はお手洗いに間に合わないお客様を案内した。大きなトラブルは起こしていません。それなのにクビだなんて乱暴すぎます」


 それは紛れもなく羽坂友菜だった。

 猛禽類のターゲットが友菜に移る。


「大きなトラブルを起こす前に対処するのが安全管理の一丁目一番地です。お客様が安心して楽しむための規則を守れない従業員は当園には必要ありません」


 負けじと友菜も食い下がる。


「だから、その規則が固すぎるんじゃないですか? 部外者をプライベート・スペースに入れただけ。しかもやむを得ない理由です。即刻クビにするのではなく、厳重注意にとどめるべきでは?」




「なんですか、あなた。生意気ですね?」




 ベルの一言が場の雰囲気を一変させる。

 ムシムシとした空気が宇宙空間のようにシンと冷える。


「このテーマパークのCEOはわたくしです。全ての決定権はわたくしにあります。なんだったら、あなたも今すぐクビにして差し上げましょうか?」


 友菜は黙った。それを敗北と受け取ったのか、北堂はいつも通りの柔らかい表情に戻った。その変わりようは安心感よりも不気味な印象を二人に与えた。


「理解いただけたようで何よりです。それではわたくしはこれにて——」


 そう言って踵を返す。


「ちょっ——」追いかけようとした友菜の袖を茉莉乃がつかむ。

「もういいよ」


 か細い声。


 振り向くと、茉莉乃は大粒の涙を抱え、今にも泣き出しそうだった。


「私は大丈夫だから。だから、もう……」


 その表情を見て、友菜は思い出さざるを得なかった。前世で彼女がどんな目に遭ってきたか。前世で自分が何をできたか。


 友菜は目を鋭くして前を向いた。


「確かに全ての決定権はあなたにあります。


 ——でも、ありますよね。あなたの決定を覆せる場が」


 彼女の前には〝ディスプレイ〟があった。そこにはフューカインドの社内規定が書かれている。


 友菜が、弱者が、強者に勝つための唯一の手段が書かれている。

 北堂は歩みを止めて振り向いた。


「何が言いたいの?」


 眉を顰めた彼女は、次の一言に目を大きく見開いた。




   ——円卓決議。




「円卓決議で勝ったら、茉莉乃のクビを取り消してくださいよ」

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