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第二話:対話

 目を覚ますと、真上にヒビの入った埃まみれの天井があった。ザグは自分がマットレスで仰向けになっていたこと、そしてボロボロな茶色い布が毛布代わりになっていたことに気づいた。


「気がついたか。」


 ザグは突然の声にガバッと起き上がり、僅かに残っていた痛みにより、頭を抱えた。振り向くと、あの黒尽くめの男が、微笑みを浮かべながら焚き火の前に座っていた。彼の隣には、パンパンに詰まった黒いダッフルバッグがあった。


 ザグは罠にはめられてないか確認しようと周りを見渡したが、何もなかった。見た目からして、ここは駐車場か何かだろう。


「…どこだここは?」とザグは言った。


 男は「俺の秘密の隠れ家さ。」と言って、薪を一本くべた。


「俺を連れてきた時点で秘密じゃなくなってるけどな。」


「仕方ないだろ。必要な道具は全部ここにあるし、お前は毒で死にかけてたし。」


「毒?俺が?」


「ああ。きっとさっきの肉団子に素手で触れたからだろう。」


「…なぜ俺は生きてる?ワクチンでも持ってるのか?」


「いや。でも俺は薬草には結構詳しいんだ。」


 そう言った男が指差したのは、マットレスの側にあった小さな容器。そこには、細かくすりつぶされた緑色の草が入っていた。


 ザグは顔をしかめ、「テメェ…俺が気絶してる間に飲ませやがったな。失敗して死よりもヤベェことが起こったらどうしてくれんだよ。」と言った。


「本当に人を信じないんだな。」と男は笑って言った。「だがいいことだ。こんな世の中じゃ、いつ怪しいコミュニティに騙されてどん底に落とされてもおかしくないからな。」


 薬を飲まされたと気づいた時、ザグは拳を握りしめていたが、男の優しげな表情と柔らかい声音に当てられ、とりあえず殴るのを諦めた。それに、気分は全く悪くなかったため、薬はおそらく効いたんだろう。だが念の為に覚悟はしなければならない。死ぬのは大いに結構だが、厄介なことに巻き込まれて苦しい思いをするのはごめんである。


 そういえば、あの毒が回っていれば、苦しまずに死ねたのに。やっと、あの言葉から解放されると思ったのに。


「…なんで助けた?」とザグは言った。


「助けられるのは嫌か?」


「死にてぇんだよ、俺は!こんなクソみてぇな世界で生きてても、何の意味もねえんだ。」


 ザグは片手で顔を覆い、ため息をついた。そして、この男と出会ったことを後悔した。あの場に誰もいなければ、毒で即死もあり得たのに。


 すると男は、落ち着いた声色を変えず、「じゃあなぜ死のうとしない?」と言った。


「あ?どういう意味だよ。」


「絶望に耐えられず、自らの命を絶つ人間を、俺は何人も見てきた。お前にも、その自由はあったはずだ。なのになぜ今までそうしなかった?」


 男は薪をもう一本くべ、焚き火はほんの少し大きくなった。


「…あるんだろ?生きる理由が。」


 ザグは下を向いたまま、あの少年の顔を再び思い出した。血を大量に流しながらも、自分を見て微笑んでいた。自分の生存と幸せを、心から願っていた。


「…ねえよ、そんなモン。」とザグは呟いた。


 その後、ザグは一切声を発さなくなり、男も黙ったままだった。


ーーー


 ニコは焚き火の前で、連日のパトロールにより疲れていた体を癒しながら、時々白髪の男の方を向いた。悪い奴には見えなかったが、分厚い結界を張っているようで、近寄りがたかった。まるで野良猫のようだ。きっと心に大きな傷を抱えているんだろう。ニコには、それを広げる資格はない。だが、だからといって放っておくわけにもいかない。


 ニコは自分のダッフルバッグを漁り、中から乾パンの袋を二つ取り出した。


 彼が「おい。」と声をかけると、男はそのヒョウのような眼差しでこちらを向いた。「腹減ってないか?」


 男は刺々しい口調で、「…いいのか?大事な非常食を赤の他人に分けちまって。」と言った。


「じゃあ親睦を深める為に、食べながら自己紹介といこうじゃないか。」


 ニコはそう言って、乾パンを男に渡した。男はしばらくじっと袋を見つめた後、ゆっくりと破り始めた。


 ニコはニヤリと微笑みながら、「誰からいく?」と言った。


 彼と男は、数秒間じっと見つめ合った後、同時に早口で、「最初はグー、じゃんけんぽい!」と言った。


 ニコはグーを出し、男はチョキを出した。


 男は「チッ」と舌打ちをし、イライラしながら乾パンを噛みちぎった。


 ニコは満足げな笑みで、「まず名前だ。」と言った。


 男は大きなため息をついた後、不服そうに、「…ザグ。」と答えた。


「誕生日は?」


「今日だよ。」


「へぇ。おめでとさん。」


「どーも。」


「えっと、そうだな…この4年間、何をしてたかざっくり説明してみろ。」


「ちょっと待て。なんで質問コーナーみたいになってんだよ?俺が何を話すかは俺が決めるべきだろ。」


「文句言うな。勝者は俺だぞ。」


 ニコは微笑みながら乾パンを口に入れた。明らかに腹を立てていたザグは、自分の髪をわしゃわしゃと乱した。


「俺は…ただ生き延びてただけだ。家は粉々になってたし、知ってる場所も全部ゾンビだらけだったし…ただ使えるモン使って、必死で戦い続けてきた。人も何人か殺したが、そんなのもうどうでもいいだろ。こんな空っぽな世界に、法律なんて存在しねえんだからよ。」


 ニコは食べずに、ただじっとザグの話を聞いていた。普段はこうやって誰かと対話をする暇なんてないが、いざ話をしてみると、どうしても共感してしまう。そして、束の間の繋がりを感じてしまう。一人で生きていくと、心に誓ったのに。やはり、こんな自分でも、人の温もりに飢えてしまっているのか。


「…パンデミックが始まる前から、喧嘩とかよくしてたのか?」と彼は尋ねた。


「まあな。俺が住んでた所は、誰にでも喧嘩売ろうとするチンピラだらけだったからな。やられたらやり返すってのが俺らのモットーだ。」


「それであんなに強くなったのか。」


「それだけじゃねえよ。毎日人外生物と非人道的な戦いを繰り広げてりゃ、拳も固くなるわ。」


「そうか。」


 ニコはもう少しザグの話を聞きたかったが、あまり詮索するつもりはなかったため、質問攻めはこの辺にしておこうと決めた。これ以上聞き出そうとすれば、ザグを苦しめてしまうかもしれない。簡単な身元調査ができただけで十分楽しめた。


 しばらく言葉を発さないニコを見て、ザグは「終わったのか?」と言った。


「ああ。」


 ザグはニヤリと笑いながら乾パンを噛みちぎった。「じゃあ次は俺の番だ。」


ーーー


 ザグはこの眼帯男の正体を暴きたいと思っていた。出会った瞬間から彼の方が上手(うわて)なような気がして腹が立つ。どうにかしてこの男を打ち負かしたい。その為には弱みを握る必要がある。


 ザグは取り調べをしているかのような声色で、「名前は?」と言った。


「ニコだ。」と男は答えた。


「誕生日は?」


「2月5日。」


「この4年間何をしていた?」


「そうだな…一番最初の頃は、仲間の軍人達とコミュニティを立ち上げてー」


「待てよ。お前軍人だったのか?」


「正確に言えば、元軍人だな。」


「どうりで準備万端なわけだ。」


「お褒めに預かり光栄だ。」とニコは微笑みながら言った。


「それで、コミュニティを立ち上げたって?」


「ああ。国のあちこちに散らばって、手分けして生存者を探していたんだ。」


「そのコミュニティができたのはいつなんだ?」


「3年前くらいかな。」


「へぇ…そんだけ時間が経ってるのに、なんで今まで俺を見つけられなかったんだ?」とザグは皮肉を込めて言った。


「この街が国の反対側にあるからだ。俺達のコミュニティは、主に北の方で活動してたからな。南側の端まで辿り着くには、数年かけて屍の海を渡る必要がある。」


「なるほど。で、お前はまだそのコミュニティの一員なのか?」


 その質問に対するニコの反応を見た時、ザグは一瞬で後悔した。彼の瞳は、悲しみや痛みでいっぱいになり、乾パンをきつく握りしめるその手からは、悔しさが滲み出ていた。


「…いや。」と彼はついに答えた。「俺以外、みんな死んだよ。」


「あ…」


 ザグはどうしたらいいのかわからなかった。確かに弱みを握りたいと思ってはいたが、別に傷つけるつもりはなかったのだ。


 ザグはニコの目を見れず、「いや、その…別に俺は…」と言った。


「いいんだ。気にしてないさ。」


 ニコはそう言って、あの優しげな微笑みを再び浮かべた。


 人との対話に慣れておらず、壁にぶち当たってしまったザグは、なんとかこの重い雰囲気から抜け出そうと、質問コーナーに戻った。


「…今は何をしてるんだ?」


 ニコは最後の一口を終え、真剣な眼差しで、「とある秘密組織を追ってる。」と言った。


「秘密組織?」


「ああ。ネオという、エリプス製薬の残党が立ち上げた組織だ。」


 ザグは少しだけ固まり、目を丸くした。エリプス製薬…4年前、このゾンビパンデミックの引き金となったEP-ウイルスを生み出した製薬会社。人類の殆どを滅亡させた災害の元凶。


「奴らは、自分達の命令に従うようにプログラムされた新たな怪物を次々と生み出してる。さっきの肉団子もそのうちの一体だ。」ニコはそう言って、空になった乾パンの袋を火の中に投げ入れた。「状況がこれ以上悪化する前に、ネオの本拠地を探し出し、今度こそ確実に潰す。」


「おい、待てよ。まさかそれ全部一人でやろうってのか?」


「そうだ。他人の命は絶対に犠牲にしない。」


「無理に決まってんだろ。あの肉団子みてえなモンを簡単に生み出しちまう組織のことだ。本部に辿り着いたところで、どんな生体兵器が待ち構えてるかわかんねえんだぞ?」


「わかってる。でも、選択を変えるつもりはない。」そう言って、ニコは自分の手を見つめた。「…苦しむのは、俺一人でいい。」


 ザグは自分の袋を丸めて投げ捨てながら、「…イカれてやがる。」と言った。


 ニコはまた微笑んだ。「お褒めに預かり光栄だ。」


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