第三十九話 衝突・前
「行くぞー！」
兄の声。陽が沈む。
紫から紫紺、そして闇へ。
光が放たれた。
それは強烈で、まるで真昼の陽射し。
兄が放った光線は京周辺を太陽のように照らし、闇に潜む魔物をあぶり出し、消し去っていった。
「行こう、竜胆。火恋はまたあとで！」
「気を付けてね！」
竜胆と火恋がキスするのが見えた。
なぜかはわからないが、わたしにも力が湧いた。
杖に乗り、明るい夜空を駆け抜ける。竜胆は光から自分を護るために瘴気に包まれているが、その表情はどこか晴れやかに見えた。
「竜胆が元気そうでよかったです」
「恋人と親友がそばにいるから、強くいられるのかも」
「火恋の力は偉大ですね」
「ええ。翼禮もよ？ 当然っ！」
竜胆の瘴気が煌めいた。
本来ならば、昏い煙のはずなのに、その中に星雲のような輝きが見えた。
（力が近づいているんだ……、母親の、聖女に）
鬼門の方角、悍ましいほどの瘴気がうねり、兄が放つ光を遮ろうとしている。
「突っ込みます！」
「援護する！」
わたしは杖から飛び降り、手に掴んだそれを青龍偃月刀に変えて唱えた。
「仙術、疾風迅雷闇ヲ裂ク」
瘴気のうねりに強風をぶつけ、空いた穴の中に入っていった。
あちこちからうめき声がする。
突然、暗かった場所に強烈な光が差し込んできたのだ。
炭化していく自身の身体をかばうように、凶鬼たちが散っていく。
「来たな、翼禮」
「烏羽玉！」
わたしに斬り落とされた髪をハーフアップに結い、怪しく微笑む顔は月影のように冷たい。
「兄上、零度界にお戻りください」
「おお、竜胆。今日は弟の姿に戻ってはくれないのか？」
「ええ。戻りません」
無数の葉が刃となって飛んできた。
竜胆が水の流れを操り、葉を巻き込みながら渦を作っていく。
「その力……。それを俺に使うということがどういうことかわかってやっているのか？」
「わかっています。母の、聖女の力です」
「あの阿婆擦れを慕うのは反逆だぞ」
「もとより、あなたがたに従っていたことなどありませんが」
「郡王風情が親王に楯突くとは良い度胸だな、弟よ」
蔦が一斉に襲い掛かって来た。
わたしと竜胆を殴りつけようと、蔦に四方八方を塞がれたその時、飛んできた札がそれらを焼き払った。
「翼禮さん！」
「透華さん！」
透華が差し出した手に引かれ、わたしと竜胆は炎上する蔦の中から抜け出した。
「人間……？ いや、お前は何者だ、小僧」
「誰が教えるか下衆野郎」
透華と竜胆の援護を得て、わたしは強く声を発した。
「仙術、雪魄氷姿空翔ケル！」
背中から、腕から、棘薔薇が溢れ、冷気を放っている。
痛くない。怖くない。
「美しい……。俺への花束のようだ」
透華は背負っていた棒を繋げ、棍に変形させると、地面を蹴り、勢いよく烏羽玉にたたきつけた。
蕨手刀とかちあい、甲高い音が響き渡る。
「その薄汚い口で翼禮さんへ話しかけるな」
「嫉妬は醜いぞ、小僧」
わたしは柄を地面に突いて跳び上がり、身体をひねって勢いをつけて烏羽玉の脳天めがけて振り下ろした。
「くっ！」
あと少しのところで避けられたが、氷の棘薔薇が烏羽玉の朝服を切り裂いた。
「古風な格好ですね」
「お前の好きな服に着替えてやってもいいぞ、翼禮」
「殺す殺す殺す」
透華の気に酷く障ったらしい。烏羽玉への棍による追撃がすさまじく、目で追うのがやっとだ。
「この小僧、やるな」
「黙れ」
蕨手刀を弾くように棍を打ち付け、烏羽玉が後退するタイミングで足を掬うためにしゃがみ、棍を地面に滑らせる。
飛んで躱されたところに棍を槍のように突き出し、腹を打つ。
「かはっ」
烏羽玉がよろめいた。
しかし、透華は追撃することなく後方へと跳び退いた。
「ふふ、ふふふ……。勘のいいガキめ」
烏羽玉の足元には白い毒液が広がり、もしあと一歩透華が踏み出していたら、錯乱していたかもしれない。
「呪術師舐めんなおっさん」
「態度が悪いな。躾けてやらないと」
ふっと空から光が消えた。兄が下がったのだ。
およそ二時間。頑張りすぎだ。
「強力な援護を失ったな？」
その時、違う閃光が彗星のように落ちてきた。
「火恋様のお通りだぞ凶鬼ども！」
業火に包まれ降り立つ麗しの姫君。
竜胆はその手を恭しくとり、抱き留めた。
「弟よ、そのちんちくりんはなんだ」
「兄上は翼禮を見初める目はお持ちなのに、それ以外は節穴ですか？」
「お前が竜胆の兄貴か。下僕ともどもぶっとばしてやる！」
火恋はマシンガンに乗って飛び上がると、凶鬼たちめがけて撃ち始めた。
まさに阿鼻叫喚。
竜胆は火恋に合わせて大鎌を振るい、凶鬼や妖魔の首を斬り落としていく。
「塵どもが！」
烏羽玉は冷静さを失い、怒りのままに瘴気をまき散らした。
地面からは瘴気にまみれた蔦が這いあがり、刃となって葉が襲い掛かる。
花は毒を放出し、種は小さな銃弾となって飛び交う。
「大丈夫ですか！」
「もちろんです！」
氷の棘薔薇で種の銃弾を弾きながら氷の梅花で毒霧が舞うのを抑え、青龍偃月刀で蔦を切り裂き、道を作る。
その道を進むのは、棍を手に舞う透華。
右手で持った棍で烏羽玉を打ちながら、左手で呪術がかかっている水晶を砕き、弾丸のように放つ。
「お前たちに俺が倒せるとでも思っているのか！」
木が動き始めた。
枝を剣や槍に変え、鈍い動きながらも襲い掛かって来た。
「竜胆、火恋！ 少し、退魔の術を使います！」
「やっちゃって、翼禮！」
わたしは青龍偃月刀を地面に突きさし、唱えた。
「仙術、桃弧棘矢守護ノ籠・改」
足元から吹き出すように現れた桃の枝葉が木の兵隊たちの根を巻き込んで絡まり、その動きを止めた。
「翼禮はそんなこともできるのか！ あはははははは！ いいぞ、素晴らしい！ やはりお前は俺のものにしよう！」
「死ね！」
透華の怒りは頂点に達した。
腕に仕込んでいた小刀を左手に握り、素早く印を結ぶと、それに呪術をかけて放った。
「弱体節、曼殊沙華ノ呪」
烏羽玉の頬に掠ったそれは、傷から中へと入り込んでいった。
「……くそ、呼吸困難の呪か、かはっ……」
透華は続けざまに印を結び、小刀を投げた。
「致死節、矢毒蛙ノ呪」
烏羽玉は寸でのところで小刀を蕨手刀で弾くと、自分で自分の頬を斬りつけ、呪を瘴気と共に傷口から排出した。
「五体満足で翼禮と竜胆を持ち帰ろうとしたのが間違いだった。腕や足がなくとも、俺が直してやろう。だから……」
烏羽玉は自身の身体を瘴気で包むと、大きな竜巻となった。
「本来の姿を魅せてやろう」
竜巻に紫電が走る。
それはぎゅっと黒い塊になると、一気に弾けた。
「わああ！」
爆風で飛ばされ、火恋が木に頭を強打してしまった。
「火恋！」
竜胆が駆け寄り、その身体を抱きとめる。
「大丈夫、火恋は生きてるわ！」
わたしと透華はどうにか体制を保ち着地し、地面を滑った。
「竜胆は火恋についてて！」
「わかった！ でも……」
「烏羽玉はわたしたちにまかせて！」
爆風の中心にそれはいた。
毒草の翼を背中に生やし、まるで冕冠のような茨を頭にのせている。
身に着けているのはかつて皇帝一族だけが許された装束、〈袞冕十二章〉。
ただ、色は朱ではなく、まるで骨のような白がとても悍ましい。
「さぁ、楽しもうじゃないか」
突風。息をするたびに肺が切られたように痛む。
「翼禮さん、私の影に入ってください！」
腕を引かれ、そのあたたかな腕の中へ入った瞬間、頭上から何かが垂れてきた。
「……透華、さん……？」
透華の口からは鮮血が溢れ、ボタボタと滴っている。
「嫌……嫌ぁあああああ！」
膝から崩れ落ちる透華を支えながら、その背を見ると、太い枝が刃のようにとがり、突き刺さっていた。
