第二十八話 お友達
竜胆が焚いてくれたお香のおかげで十分な睡眠がとれた。
ただ、その恩人である竜胆が用意した服については少し戸惑っている。
「ほ、本当にこれを着るんですか?」
「もちろん。今日は仕事じゃないのよ? おめかししなくちゃ」
「おめかし……」
「お化粧は……。まぁ、初めてのお茶だから、軽くマスカラしてお粉はたいてチークちょっと入れて薄付きリップで良いと思うわ」
「何かの呪文ですか」
「……もう私にまかせておけばいいのよ。そうしなさい。今日は」
「わ、わかりました……」
用意してくれたのは手鞠柄が入った可愛らしい山吹色小袖と、それに合わせる中緑色の袴。
帯は刺し色となる朽葉色で、同じ色のリボンをポニーテールにつけるらしい。
小袖の内側にはレースのブラウスを着ろと言われた。
京の若い子たちの間で流行っているらしい。
フリフリのレースなど、生まれて初めて見た。
「先にお化粧しましょ。全部前開きの服だから、切るときに着いたりしないから大丈夫よ」
「は、はい……」
竜胆の言う、「ナチュラル盛りメイク」とやらが終わると、叫びながら顔面を褒められた。
「私って天才よ! 間違いなく天才! 親友をこんなに可愛くできるんだもの!」
そのあと、服を一式渡され、「着てきて」と言われたので、おとなしくすべてを身に着けて竜胆の前に出ると、抱きしめられた。
「国宝よ……。あなたは私の国宝」
「褒め方が大げさすぎませんか」
「これが私の普通なの」
竜胆はわたしから離れると、「ああ……、完璧すぎて溜息出ちゃうわ」と言いながら最後に靴を出してくれた。
「編み上げブーツじゃないですか。これは素敵ですね」
「全部素敵でしょ」
「あ、はい……」
茶色の編み上げブーツはとても走りやすそうだし丈夫そうで、わたしの好きな感じだ。
戦闘にも履いていけそうだ。
「これだけいっぱい買っても、たくさん余っちゃったわ。陛下ってお給料たくさんくれるのね」
「竜胆が優秀だからですよ。わたしも何かプレゼントしますね」
「大丈夫よ。それに、悪気はないんだけど、翼禮って選ぶ服みんな無地で地味だから……」
「ぐっ。じゃ、じゃぁ、一緒にブティックでも雑貨屋でも行って、欲しいものを買ってあげますよ」
「それならいいわ。行くっ。でも、今日は透華と楽しんできてね」
「……まぁ、はい」
「ほら、もう時間になっちゃう! 行って」
「はぁい……」
緊張してきた。ドキドキする。
ただ、幸いにもよく眠れたので脳は混乱していない。
胸の鼓動も、まぁ、正常範囲内。
実家の裏に設置している空枝空間を出て、呪術師の詰め所へ向かうと、すでに彼は立っていた。
生成り色の立ち襟シャツに萌黄色の長着、灰色の袴に黒いブーツ。
おろしている髪が風に揺れ、少し赤らんだ頬が見えた。丸眼鏡はしていないようだ。
少し戸惑った。でも、わたしがいることに気づいた透華が、花が咲いたような笑顔で近寄ってきてしまった。
心の準備が、不十分だったかもしれない。
「ひぃえ……、かわ、可愛い……。素敵すぎる。可愛いって言葉は翼禮様のためにあると再認識しましたはぁ。本日はおいでくださりありがとうございます」
「ど、どうも」
わたしも褒めたほうがいいのだろうか。
「あの、透華様も素敵ですよ」
「ふひぃっ! そのお言葉だけで十年は寿命が延びましたはい確実に」
「その、様ってつけるのやめませんか? わたしも、透華さんって呼びたいので」
「宇宙からの祝福を感じます。その通りにします。もはや感謝の言葉も語彙力消失のせいで上手く言い表すことが出来ません我が女神」
「……ふふ、ふふふ。あはははは」
「わ、笑ったはぁあぁあ……。胸が苦しいです幸せです」
「あの、ふふ。本当に面白いですね。でも、このままだとお茶をしても噴き出してしまいそうなので、少しだけ落ち空いていただけると助かります」
「ほふあぁっ! 了解です。もちろんです」
透華は嬉しそうに照れながらわたしを見つめては顔を赤くしている。
その姿を、可愛い、と思ってしまった。
「では、翼禮さん。行きましょうか。お手をどうぞ」
「……はい」
差し出された腕にそっと手を添え、歩きだした。
昨日寝る前に、竜胆に言われているのだ。
「紳士な態度には、淑女の愛嬌で応えなさい」と。
「どこの喫茶店に入りますか?」
「呪術師たちが屯しないような可愛いところに行きましょう」
「あはは。そうですね」
「きゅん」
京の大通りから少しだけ外れた静かな道に、その喫茶店はあった。
ドアを開けるとチリンと音がした。
少し見上げると、ステンドグラスのような風合いの可愛いベルがドアの上についている。
小さいけれど、落ち着いていて、可愛いコーヒーカップがカウンターに並んでいる。
中へ入ると、深緑がよく見える窓の近くの席に案内された。
向かい合わせに座り、メニューを手に取った。
お客さんもそこまで多くなく、とてもいい雰囲気だ。
「何でも頼んでくださいね」
「わたしも……」
払う、と言いかけたところで、透華がそっと手に触れてきた。
「御馳走させてください。じゃないと、想いが溢れて眠れなくなってしまいます」
見つめる瞳。キラキラと光る、わたしへの想いが見えてしまった。
「え、あ、わ、わかりました」
そっと離された手。鼓動が跳ねた気がした。
それぞれ紅茶とケーキのセットを頼み、メニューを店員さんに渡してお水を受け取った。
「あの、そういえば見せたい写真があるって言ってましたよね」
「そうなんです。これなんですけど……」
そう言って渡されたのは少し大きな黄色い封筒。
「……え、これ、レントゲン写真じゃないですか」
「そうなんです。これに、その、私と翼禮さんが運命の……あの、まぁ、見てください」
「わかりました……」
封筒を開き、中からプラスチックのような手触りの白黒の写真を取り出すと、そこには胸部が映っており、その心臓の部分を見てわたしはドキッとした。
「これ……、紋章ですか」
「そうなんです。翼禮さんのご先祖様に私のご先祖様が愛の呪をかけた際についた紋章で、それが私にもあるんです。大隔世遺伝で」
「え、えええ……」
どうすればいいかわからないでいると、紅茶とケーキが運ばれてきた。
ひとまず店員さんにお礼を言い、もう一度レントゲン写真を見た。
「あの、一つ質問なのですが」
「なんでしょう」
「この紋章の力のせいでわたしのことが好きってことはありませんか?」
「ありません」
食い気味の返事にちょっとだけ喜んでしまった自分が恥ずかしい。
「そう言い切れる根拠はあるんですか?」
「そのレントゲンを撮ったのは去年です。私が翼禮さんを好きになったのは三年前からです」
「……ん? さ、三年前……?」
「一目惚れでした。たしかあの時、翼禮さんはお兄さんと一緒にいて……。大内裏に何かの御用事でいらっしゃっていたのだと思います。呪術師の詰め所にいらっしゃったんです。その時、一瞬だけ目が合ったんです。もう、永遠に感じるほど衝撃的で……。なんて可憐なのだろうと思いました。今まで一度も恋をしたことが無い私にとっては、まさに革命。あの日以来、ずっとあなたを見て来ました」
三年前、呪術師の詰め所、兄……。そういえば、と、わたしはある出来事を思い出した。
「……ああ、お仕事の組み分けの打ち合わせで兄と一緒に行った記憶があります」
「私、あの日が新人呪術師としての初仕事の日だったんです。結構緊張していたんですけど、翼禮さんに恋をしたおかげで、元気が出て、結果的にとても上手くいったんです。だから……、あの時からずっと好きです」
どうしてそんな目をしてみてくるのか。
わたしの心臓をどうしたいのだろう。
胸の中で、何かが震えた。
「あ、あの、そ、それは、ありがとうございます……」
改めて面と向かって言われると、素直に嬉しい。けど、戸惑う。
「わたしからお願いがあるんですけど」
「翼禮さんに恋するのを辞める以外のことならなんでもやります」
「もう、人を殺さないでほしいんです。例え相手が犯罪者でも」
「今やめました。もう絶対に人は殺しません」
「よかった……。それと、呪物の販売も、もう少し弱いものにできませんか? その、軽く熱が出る程度とかに」
「それも、今からそうすることに決めました」
「す、素直なんですね」
「翼禮さんのためなら何でもしますし、なんでもやめられます」
「ううん、それはとても……。あの、嫌なら嫌って言っていいんですよ? 自分の信条とか、譲れないものってありますよね?」
「翼禮さんが他の男といるのは嫌です。他の男と仲良く話しているのも心が張り裂けそうになります。いや、相手が男女何であれ、翼禮さんに恋心をもって接してくる奴は全員嫌いです。でも先ほどお約束したので殺しはしません」
「え、あ、そういうことじゃなく……」
「前に恋敵がいると燃えるって言いましたが、こうやって翼禮さんが私を見てくれる今のこの幸せを知ってしまったからには、恋敵なんて一人も欲しくありません」
「あ、あの」
「私に足りないところや、嫌なところがあればなんでも言ってください。その瞬間に直します。だから、どうしたら私の恋人、いや、結婚前提のお付き合いをしていただけるか、教えていただきたいです」
「ひぇ……」
目が本気だ。ここが喫茶店でよかった。二人の間に机があってよかった。
もし誰の目も届かない場所だったら、どんなことになっていたかわからない。
「も、もう少し、お互いを知ることから始めてみませんか?」
「……そ、それは、あの、予約ということでいいのでしょうか」
「よ、予約?」
「お付き合いの予約です。こう、お試し期間のような、あの、そういうふうに考えてもよろしいのでしょうか」
どう言えばいいのかわからない。そもそも、恋人同士になることにお試し期間など設けるものなのだろうか。
経験不足がこんなところで仇となるとは。
でも、今すぐどうこうなるのは望ましくはない。
わたしは透華のことをほとんど知らないのだ。
「……わかりました。では、お友達期間と言うことでどうでしょうか。その間も、わたしは他の人によそ見はしません」
「きゃはぁああ……。私は三年前からよそ見はしたことありませんので、これからもしません。そもそも翼禮さん以外のひとに興味を持ったことがありませんのでご安心ください!」
「そ、そうですか」
「お友達記念日ですね。ふふ。んふふふふ」
記念日……。それは覚えておかなくてはならないものなのだろうか。
父と母も結婚記念日だとか付き合い始めた記念日には食事に行っている。
でも、これはただ単に友達になっただけだから、覚えたり祝ったりはしなくてもいいような気もするが、わからない。
恋愛とは、こんなにも難しいものなのか。
すっかりぬるくなってしまった紅茶を飲みながら、わたしはぼーっと考えた。
ただ、目の前の可愛いひとが嬉しそうにしているので、まぁ、これでいいのかもしれない。




