「こんなものがハッピーエンドであってたまるか!」
「昔の約束なんか知るか!婚約は、絶対に、破棄する!」
「口頭で言われても困りますわねユルク様。正式な文書を持って請求して頂かないと…」
「うるさいうるさいうるさい!言うことになんか絶対に従わないからな!婚約破棄ったら破棄なのだ!」
相変わらず周囲の状況など気にせずに喚いているのは王子ユルクである。
見知った光景に人々は、そ知らぬ素振りをするか、またかと言わんばかりに顔を顰めるか、戦々恐々とした面持ちで即刻その場を後にするか、の大体三通りに分かれていた。
ユルクの定期的な癇癪と声の大きさは広く知られており、城下では「鶏の代わりになる」と揶揄される始末。
早くどうにかしたいものだが、ユルクを矯正しようとすると彼の婚約者であるラウラに仕留められるとされていてなかなか手出しができない。
ラウラは公爵の一人娘である。
公爵が歳を重ねてから生まれた女子であり、それはもう溺愛されてきた。
公爵には四人の優秀な息子、ラウラにとっての兄が存在するが、公爵が彼らにかける全ての愛情よりも、ラウラに注ぐ情熱は抜きん出ている。下手に近づいたら暗殺されると専らの噂だった。
しかし、そんな境遇でもラウラは冷静だった。
父親の甘言に惑わされず、自身こそ世界で最も愛らしいと誤解することもなく、努めて平に世界を見て生きてきた。
常人離れした感性は多少身についているが、ラウラは麗しき淑女と言って差し支えなかった。
だが、ラウラはユルクと婚約してからというもの、日常的に頭を悩ませていた。
婚姻の話を先に持ち出したのはユルクである。
きちんと約束した。正当な契りだった。
しかし直情的な彼は時が経つにつれて、ラウラとの交流を嫌がるようになった。
反抗的な態度を取るようになってしまったのだ。
ラウラから小言を言われると大声と動作で反発、もしくは無視したり、
勉強を促したら「今やろうと思ってたのに」と怒ったり、
何かにつけて自身の母親の話を持ち出してラウラと比較したり、
ラウラの馴染みである娘達に気に入られ持て囃されていたりする(それを本人が別に嬉しくもなさそうなのが唯一の救いか)。
思春期なのだ、仕方のないことなのだ、と思っていても、面と向かって「お前なんか知るか!婚約は破棄だ!」と叫ばれると傷つくのが乙女心というもの。
ラウラは胸を痛めつつも、ユルクの相手を続けていた。
「今日こそ婚約を破棄するちゃんとした理由を作った!」
「何ですのそれは」
「見るが良い!…お、俺のガールフレンドだ」
ラウラはショックを受けた。
一人きりで部屋に呼び出されて「ついに陥落か」とワクワクしていたのも束の間、ユルクは隣に可憐な少女を侍らせて照れながら「恋人だ」とのたまった。
少女は両手を胸の前で握りしめ、緊張した顔で礼をした。
「ジュリアと言います。ラウラ様にお会いできて光栄ですわ」
「俺の好きな人である。なので、俺はもう結婚できない。残念だが婚約の話はこれで…」
「…ふ」
漏れ出た掠れ声に、ユルクの表情が固まる。ジュリアの瞳が恐怖に染まる。
「う、ふふふふふ…ははははっはは…」
「何が…おかしい」
「…逃しませんわよ、ユルク様。私を誰だと思っておいでで?公爵の愛娘、ラウラですわよ?私がその気になれば、その木端のごとき少女など、どうとでもできるのです」
「ジュリアに手を出すな!」
咄嗟に前に進み出て、ユルクはジュリアを庇い、叫ぶ。その様子にラウラは「必死になるお姿も素敵ですわね」と微笑み、指を突きつけて、朗々と告げた。
「その子を本当に好きだと言うのなら、守りたいのなら、私に従属なさいませ。妾としてなら許容して差し上げますわ。代わりに、あなたは私を愛する努力をなさい。私の機嫌を取りなさい。そうすれば、その子に手出しはしないと約束しましょう」
「や、約束…」
「そう。約束ですわ」
ラウラは琥珀色の瞳を細め、「今度は、破らないでくださいましね」と囁いた。
「ラウラァァァァーーー!!」
「何ですの、騒々しい」
「何だじゃない!何だあれは!?」
ラウラの前に大声で現れたのは、ユルク…ではなく、彼の兄、第一王子ダニエルである。
兄弟とあってユルクとはその声量と声質が似ていたが、ラウラには響かない。
「あら、お久しぶりですわねダニエル様。視察という名の旅行はいかがでした?」
「いやあとても有意義で…そんなことはどうでもいい!あれは何だ!?」
「あれとは何ですの?」
「ユルクのことだ!何だあの姿は!?いくら可愛かろうと限度があ…」
そこで、ハッとダニエルは息を詰まらせ、驚愕の目でラウラを呆然と見つめた。
「お前…まさか…」
「私は一度欲しいと思ったものはどんな手を使っても手に入れる主義ですのよ」
「や、やりおったなお前…!!お前は、本当に、理解しているのか!?」
「何を、ですか?」
「ユルクは!!まだ八歳だぞ!!」
「それが何か?」
「そしてお前は!!二十四歳だ!!」
「誕生日を迎えたので二十五ですわね」
「あ、そうか、おめで…それは後回しだ!!お前は一体何を考えているんだ!!?」
叫びに、ラウラはにっこりと笑い、答えた。
「ですから、私。一度欲しいと思ったものは手に入れる主義ですのよ」
五年前のことである。
ラウラは二十を目前とした十九歳。しかし、未だに浮ついた話の一つもなかった。
その理由は簡単で、好みの人がいなかったのだ。
公爵に溺愛され、四人の兄に大切に育てられてきた彼女は、
「自分が世界一可愛い!」
なんて大それたことは思っていなかったけれど、自分の伴侶となるべき人は平凡であってはならないと信じていた。
同年代には見目の良く、親しみやすい第一王子がいて、彼ならまあ相応しいといえなくもないな、と感じていたけれど、王子には既に将来を誓い合った娘がいた。
己ほど高貴でもないその娘を排除して後釜に座るのは、公爵の力を借りれば容易いことだったけれど、ラウラはそうしなかった。
運命的でなかったからだ。
愛する人との結ばれ方は劇的で、運命的で、満たされたハッピーエンドでなければならないと思っていた。
だから、ラウラは見合い話を断り続け、運命の人を探し続けていた。
だが、見つからなかった。
これだ!と思える人が現れなかった。
どいつもこいつも地位目当てで薄っぺらい言葉しかかけてこなかった。
中には本心からラウラを想っているような男もいたけれど、見た目もそれほど良くないし、パッとしない男だったから拒絶した。
そして、ついに十代を終えようとしていた。
周りの娘はとっくに嫁ぎ先を決めていた。ラウラだけが行き遅れだった。
焦りがあった。
このままではいけない、と思った。
もう運命的な出会いでなくてもいい、と思った。
でも、だからと言って、特別でない男に擦り寄るのはプライドが許さなかった。
ラウラは絶望した。
そんな時だった。
城の茶会に参加した時、彼に出会った。
彼は王の十何人目かの息子かつ、側女の子。王位継承権など無いに等しい。
王の血を引いているだけあって、かつての第一王子ダニエルに少しだけ似ているが、それ以上に愛らしさがあった。見た目は合格だった。
無論、それだけではラウラは彼に惹かれなかった。
いくら優れていようと幼児は幼児。好みの範囲ではなかった。
だが、彼は。ユルクは、言ったのだ。
年下の令嬢方の「ラウラ様のお眼鏡にかなう男性なんてそうはいらっしゃいませんものね」という弄りに内心歯噛みしつつも「本当、早く良い殿方と巡り会って、結婚したいですわ」と返答した時、お菓子に手を伸ばしていた幼いユルクは言ったのだ。
「じゃあ、ぼくが結婚してあげる」
当然、その場は和やかな雰囲気に包まれた。何事かも理解せず、場の流れに乗って何となく発言しただけの言葉。子供の他愛ない呟き。
本気にするものはいなかった。
一人を除いては。
茶会を終えて解散し、人の目がなくなってから、ユルクが従者と共に道を戻ろうとしていた時、ラウラは彼の小さな手を取って問いかけた。
「本当に結婚してくれるの?」
その質問に従者がギョッとして凍りつくのを尻目に、ユルクはパチパチと大きな目を瞬かせて首を傾げた。
「本当に、私と、結婚してくれるの?」
問いかけを繰り返すラウラ。
ユルクはきょとんと彼女を眺めていたが、彼女の真剣さに何か感じるものがあったのか、うふふと笑って「分かった!」と頷いた。
「約束ね?絶対よ?」
「うん!」
「何をバカな」と遮ろうとした従者は眼力で黙らせた。
そうして、ラウラは三歳のユルクと結婚の約束をし、その四年後―――すなわち、現在より一年前(ダニエルが視察で忙しくし始めた頃)に婚約を取り付けたのである。
身内より反対意見は多大にあった。が、全て却下した。
ラウラとユルクは十七歳差。男女を逆にすれば、普通にある年齢差である。三十四の男に十七の娘が嫁ぐなど、別に何も珍しくはない。
公爵と兄はラウラの味方で、ちょっとした忠言を呈しようとしてもラウラに睨まれれば何も言えなくなるし、母親は「結婚さえすりゃなんでもいい」タイプだから、家族間の問題はない。
ユルクが王子で、ダニエルの弟というのも良い。かつて諦めたものを、回収できたような気になれる。
何より。これを逃せば運命は最早ないと、ラウラは悟っていた。
そして、現在。
色気付いたユルクはガールフレンドなどというものを作ったが、むしろ好都合だった。
その少女を餌に、ユルクを完全に支配下に置くことに成功した。少年はラウラの指示通りフリルな服を着て、ラウラの命令通り行儀良く過ごすようになった。
ラウラの好みに合わせた人間になった。
怖いものはもう何もない。
あとは、ユルクが成人するのを待つばかりである。
「ああ、なんて素敵なハッピーエンド!」
ちなみに
ユルクがラウラを嫌がるようになったのは口うるさいからというのもありますが、それ以上に、
ラウラが何かにつけて可愛らしいものを身に付けさせようとしてきたからです。「こいつちょっとやばいんじゃ…」という危機察知ゆえでした