蠱毒姫の眠る間に
途中からエリー視点です。
体が温まり、血を飲み、一口とは言え食事を済ませました。そうなると当然眠くなってしまいます。
寝ても問題ないかどうか、少し考えてみます。
……私が寝ている間に、エリーさんに懐のアトマイザーを奪われるかもしれませんわね。中身がシトリンなので正直少し困ります。ですが、エリーさんはアトマイザーの中身を何か強力な毒薬だと勘違いしているはずです。中身をどこかに捨てる、アトマイザーごとどこかへ放り投げるなど、下手なことは出来ないでしょう。
精々私が寝ている間に盗んで、どこかに隠す程度でしょうか。
「エリーさん」
「今度は何? もうお昼だし、いい加減ライカンスロープについて調べに行きたいんだけど」
ロッキングチェの上で抱き合ったままのエリーさんは、私の肩の上に顎を乗せ、嫌そうな声を発します。
「はい。私眠くなってしまったのでこのまま眠ります。毛布か何かをかけてください。その後は私が起きるまで、お好きに」
「ふーん。わかった」
エリーさんはもそもそと私の上から降りると、すぐに毛布を持って来て私にかけてくださいます。
「では、おやすみなさい、エリーさん」
「はいはい」
ん~、なんでしょう、このエリーさんの嫌そうな感じ……反抗期の子供を彷彿とさせますわね。
目が覚めました。夕方です。私が目を覚ますには少し早い時間と言えます。そして早起きをしようと思って言わけではありません。
問題発生です。それも予想外の。
「ん……はぁ、は、あ、む……ちゅ」
眠っている間に起きそうな問題は予測していました。そして問題ないと判断しました。ですが予想外と言うか想定外と言うか、またまたびっくりな問題が起きてしまいました。
というかエリーさんが起こしてしまいました。
「ンー、ん、は、む」
それは吸血です。
ヴァンパイアベースであり、しかしヴァンパイアではないエリーさん。人間であろうがヴァンパイアであろうが、同族の血以外ならきっと飲むことが出来るのでしょう。そしてライカンスロープ七体を一瞬で、それぞれをを一撃で昏倒させるほどの力を発揮するには、相当血に飢えている状態でなければいけません。
相当血に飢えた状態のエリーさんは、私と普通に会話し、力加減すら完璧に制御して見せていました。ですから私は察することが出来なかったのです。
エリーさんが限界まで我慢していたことに。
「エリーさん? 私、お好きに、とは申しましたけれど、これはちょっとびっくりです」
「んー、ぐ、ちゅ」
エリーさんは私の言葉を聞こえていないかのように無視し、私の首筋から血を吸い上げ続けています。
そうです。問題と言うのは寝込みを襲われた、ということです。
「別に構いませんのよ? 血を吸われるなんて初めてで、血を吸われる側はこのように感じるのですね~と、暢気な感想すら浮かべられるくらいには問題ありません。私は、ですが」
「ちゅ、ヂュ、んん、あぁ、むちゅ」
「あ~あ、良いのですか? そんなに飲んで。エリーさんは血に飢えれば強くなりますが、血を飲めば人間と同程度の弱さになってしまうらしいじゃありませんか。私の血をそんなに飲んでしまったら、ライカンスロープに勝てなくなってしまいますわよ?」
「じゅ、る、ンフ……あぇ?」
あぇ? と来ましたか。なるほど今の今まで私の言葉、全部聞こえていませんでしたわね?
「満足しました?」
「……あ、やっこれ……は、あ、私、飲んじゃった?」
青い顔になってしまって、声すら振るわせて……やっと、今お腹いっぱいまで血を飲むことの不味さを理解したようですわね。
後の祭りですわ。
「飲んでましたわよ? それはもう美味しそうに」
「なんで止めなかったの!?」
「だって眠っている間のことでしたもの♪ 目が覚めたらエリーさんが既に血を吸っていたのです。手遅れでしたね」
「……どうしよ。今、私」
「弱いですもんね? ただの人間と大差ないでしょう。欲望に負けて寝込みを襲って、挙句の果てにその始末。情けないったらありませんわ。私ったらどうしてこんな体たらくのエリーさんに負けてしまったのか、我ながら甚だ疑問ですわ」
ここぞとばかりに罵声を浴びせれば、エリーさんは涙目になってしまいました。ここで情けなく泣いたり怯えたりしたのなら、あの頃のままのエリーさんだったのですけれどね。
ちゃんと睨み返してくださいます。お可愛いことこの上ない。
「ヘレーネさんが私をこんな体にしたくせに」
「ですが、欲望に負けて血を吸ったのはエリーさんですわ。良かったですね、吸血に及んだ相手が私で。もしこの町の人間が相手だったなら、当然とばかりにエリーさんに首筋を差し出し、全身の血を吸いあげられて死んでしまっていたでしょう」
ニコラさんいわく、ここはそう言う町。ヴァンパイアに血を差し出すのは当然で、ヴァンパイア側も健康に害が無い程度の吸血をするのが当たり前になっているのです。
おっと、エリーさんを一目見てヴァンパイアだと思う方も居ませんか。目も赤くありませんし。
「そう言うわけで、どうします?」
「……何とかする。ヘレーネさんはどうせ夜までここで寝るんでしょ」
「ええまぁそのつもりですが」
「そ。それじゃ」
エリーさんはスッと私から離れ、お部屋を出て行きます。
……どうしましょう。何をするのか気になってしまいます。以前のように自慰……もとい自傷に走るのでしょうか。それとも別の何か?
結局血に飢える必要がある以上、ぱっと思いつくのは自傷行為しかありません。
見に行きたい気持ちもありますが、しかし私の今のやるべきことは療養。それは変わりません。
「寝ますか」
私が化け物になって、もう何ヶ月か過ぎた。この体のコントロールも随分慣れたもので、力の加減や吸血のペース。吸血欲求と身体能力の関係とか、色々わかって来た。
その上で失敗した。我ながら情けない。
それもヘレーネさんから吸血するなんて、自分でも信じられない。
正直飢え過ぎて、血の伴侶であるゼルマさんへのこだわりが消えてた。誰の首筋でもいいって思うくらい飢えに飢えて、ヘレーネさんに弱いところを見せたくなくて我慢して、我慢して、限界まで我慢して、ついにヘレーネさんの首筋に牙を埋めてしまった。
そんな情けない自分へのお仕置きも兼ねて、色々試した中で一番つらい方法で、もう一度血に飢えることにした。
「……ふふ」
このウィンターピットに来てから、全然いい事が無い。正直ストレスが溜まってる。ヘレーネさんが居るし、人とかヴァンパイアを襲う変なのも居るし、ヘレーネさん居るし。
だからこれは、ガス抜きも兼ねてるかもしれない。
「ここならいいかな」
ニコラさんの家からちょっと離れた物置小屋の裏。人目無し。ヴァンパイアの気配なし。ヘレーネさんの視線無し。
完璧。
立ったままだとやり難いから、雪の上にペタンと座る。
「まず、左手」
毛皮の手袋を外して、素手を晒して、右手の五本指で、左手の親指を握る。
「再生するまでに、次を折る。出来なかったら二本同時に。その次出来なかったら三本同時」
自分へのルール説明、終わり。
スゥっと息を吸い込んで、息を貯めて。
右手を捻る。
コキャリ。
「ッッ~~~っぁ」
とっさに瞑った目を開けてみれば、左手の親指の付け根がおかしな方向に曲がっているのが見える。赤みがさしていて、普通ならこのまま痛々しい紫に変色していくはず。
「つ、ぎ」
一本目でもう震え出した右手で、今度は人差し指を握る。
私は化け物だから、骨折なんて十秒もあれば治ってしまう、悍ましい存在。指の骨なんてもっと早く治る。
だからルールを付けた。
折った指が治る前に、次の指を折る。
ポキャ。
「ふっ、、、、、ぐぅぅう」
親指が治りきる直前、今度は人差し指を折った。
第二関節を、本来曲がらないほうに無理やり曲げた。
ものすごく痛い。
こうやって自分で自分を苛め抜いて、再生するたびにエネルギーを使って、血に飢える。
私が誰かにズタボロにされることなく強さを発揮するにはこれが必要で、私が一番苦手なこと。一番苦手で、若干愉しんでいること。
「ヘレーネさんのせいなんだから」
言い訳みたいなことを言った。この自傷を愉しんでしまうのはヘレーネさんのせいだ。私が倒錯した趣味に目覚めてしまった原因は、ヘレーネさんなんだから。
親指が治った。次は、中指。
「は、ふ、ぅ」
人差し指がジワジワと治っていく。
治りきる前に、次の指を折らないといけない。そう言うルール。
治っていく人差し指が私を急かす。
早く折れって。でなきゃ二本まとめて折らせるぞって。
化け物とは言え普通に痛いし、自分で自分に痛い思いをさせるのは、化け物とか趣味とか関係なく怖い。
その痛くて怖いを強いられてる。
それが、ちょっと興奮する。
グギ。
「ひい゛っ、イッタ……イ」
私は涙腺が脆いらしくて、すぐ涙が零れる。
だけど少しだけ口角が上がる。
我ながら酷い性癖だね。悪化してる気がする。
「次、は……薬指」
私の右手が、意識していないのに左手の薬指を握った。
本来は曲がらない方へと、ゆっくりと曲げていく。
「ふ、ぅ……ィィィィっ」
骨が限界を訴えても、曲げていく。
折れるまで曲げる。
コキ。
「ーーーーーーーッ」
ゆっくり折るのが一番痛い。でも、というか、だからゆっくり折る。自分で自分を虐めて、追い詰めて、泣かせて、いたぶる。
その方が気持ちいい。
「ひぃ、ふぅ、はぁ……え、へへ」
やっと痛みが麻痺し始めてきた。痛いと気持ちいいの割合が、やっと気持ちいに傾き始める。自然と笑みが零れちゃう。
頭のてっぺんが痺れる。この痺れが痛みからくるのか、気持ちよさからくるのか、判別がつかない。
しばらくその痺れを堪能してから視線を戻すと、もう薬指が治ってしまっていた。
「あ……ルール破っちゃた」
ルールを破ったらどうするんだっけ?
お仕置き。
二本同時に折りなさい。
「じゃ、じゃあ。残ってる小指と、薬指を」
聞かれてもいないのにそう宣言して、右手で小指と薬指をまとめて握る。
「ふぅ、ふぅ、フー……スゥー……えいっ」
ポギャゴリ。
二本同時に折ると言っても、まとめて握って一緒に折るだけで、骨が全く同時に折れるわけじゃない。薬指が折れて、その直後に小指が折れた。
一本折る時に一瞬だけ来る一番痛い時間が、二連続で私を襲う。
声が出ない。
形容しがたい感覚が痛みに混じって、私の脳をグチャグチャにかき回して、悶絶させてくれる。
手どころか、肩や腰まで震え出す。
激感が震えと共に消化されるまで、私は折った指を握ったまま悶えた。
そして落ち着いてから目を開けてみれば、今しがた折った小指と薬指は治ってしまっていた。
「どうしよ……また治る前に、折れなかった」
どうしよ、なんてほんとは思ってない。
「出来なかったら、二本同時。また出来なかったから、次は、三本……」
絶対耐えられない。
二本でも十秒以上悶絶したのに、三本なんて、落ち着くまでもっと長くかかる。
そしたら、また治る前に次を折るって言うルールを守れない。
次のお仕置きは、四本同時。
「え、へへ、どうしよ」
どうしよ、なんて、思ってない。口で言うだけ。
ここでやめるなんて選択肢、無い。
有っても選ばない。
私は左手の付け根に、右手の人差し指、中指、薬指を当てた。
そのままゆっくり、腕に力を込めていく。
ミシミシと悲鳴をあげる右の三本指を、私は引きつった嫌な笑顔を浮かべて、見下ろした。
十分血に飢えて、ちゃんと化け物らしい強さになるまで、続けなきゃ……♪