蠱毒姫の愉悦
七度の轟音が鳴った背後を振り返れば、雪に埋もれかけた群青色の人型の獣であるライカンスロープが七つと、悠々と彼らの中心に立つエリーさんが見えるではありませんか。
お見事、という他ありません。聞いたところによるとこのライカンスロープの群れは、私たちヴァンパイアを狩ることが出来るとのことでした。そのライカンスロープ七体を一瞬で昏倒させてしまうなんて。拍手せざるを得ません。
パチパチパチパチ~。
あら、とても嫌そうな顔で振り返られてしまいました。素直に称賛を送っていますのに、心外ですわ。
「……なんでこんなところに居るの?」
「あらあら? 私を追いかけて、このウィンターピットにまで足を運んでくださったのではないのですか?」
「違うよ。私は真祖に頼まれたから、200年前に在ったって言う、人間とヴァンパイアが仲良くしてたって言う町が、今でもあるか見に来ただけ」
「ふふ。そうでしたか。私は運がよかったのですわね」
エリーさんは倒したライカンスロープに視線を落とすと、こちらを見ずに話を続けます。
「ヘレーネさんには、ずっと会いたかった。目を見て、声さえ聞かせられれば、魅了を掛けられて、人間に戻してもらえると思ってた」
「私もずっとエリーさんに会いたいと思っていましたわ。折角ですし、お話しませんか?」
「お話なんてしない。魅了が効かないなら、きっと私が何をしても、何を差し出しても、ヘレーネさんは私を人間に戻したりなんかしないでしょ?」
エリーさんはライカンスロープから視線を外し、私の目をしっかりと見据えます。
殺気のこもった瞳に、ゾクゾクしてしまいますわ。
「私、今すぐヘレーネさんを殺したいよ。ヘレーネさんは、私の心をいっぱい踏みにじって、傷つけて、大事なものを奪うから……そうなる前に」
「まぁまぁそう言わずに。私を殺したところで、結局エリーさんは後悔することになるのでしょうし、一時保留としませんか? 私に今エリーさんをどうこうしようと言うつもりはありませんから」
「……今度はどんな毒、作ったの?」
「それはもう、すっごいのを作りましたわ。エリーさんを殺すことは出来そうにありませんけれど、ライカンスロープも、ヴァンパイアも、もちろん人間だって、一瞬で殺してしまえそうです。気になるならお見せいたしましょうか?」
「やめて」
「お話、します?」
「……する」
エリーさんたら、私を警戒するあまり、簡単にブラフに引っかかりましたわ。お薬なんてシトリンしか持っておりませんし、お薬を作る材料も設備も余裕もありません。このことに気付かれてしまったら、本当に殺されてしまうでしょう。この”すっごいお薬”のブラフが、今の私の命綱ですね。
しかしもしかしたら、このブラフが見破られたとしても、殺されることは無いのかもしれません。エリーさんを人間に戻すことが出来るのは私だけですからね。エリーさんが人間に戻ることを諦めきれなければ、エリーさんは私を決して殺せないし、死なせられないでしょう。もしそうであれば、私自身の命を人質にとれば、何でも言うことを聞かせられるかもしれません。
「さ、行きましょう? ここでは私たちヴァンパイアは歓迎されていますし、私も先ほどもお家に上がらせてもらったばかりです。ご一緒にお邪魔させていただきましょう。夜明けも近いですし」
「……わかった」
こんなに命の危険を感じるのはずいぶんと久しぶりですわ。とってもドキドキしてしまいます。きっとエリーさんもドキドキしてくださっていることでしょう。もちろん、私とは別の種類のドキドキでしょうけどね。
夜明け前、エリーさんを伴なってニコラさんのお家に戻ってみれば、随分と驚いた顔をされてしまいました。
「無事に帰って来るどころか……人を助けて来るなんて……」
「助けていませんわよ? むしろ、助けていただきました。こちらエリーさん。色々とお話がしたいので、一緒にお邪魔しても?」
ニコラさんがブンブンと首を縦に振られたので、エリーさんと一緒にお家にお邪魔しました。エリーさんはずっと仏頂面で私のことを睨んでいますが、何もしてきません。
ニコラさんが夜明けとともにお出かけになったので、今は暖かい暖炉のあるお部屋でエリーさんと二人きり。お話をするにはちょうど良い機会ですわね。
「さてエリーさん。改めましてお久しぶりです」
「なんでヘレーネさんがこんなところに居るの?」
せめて挨拶ぐらい返してくださっても良いと思うのですが、まぁエリーさんは私のことが大嫌いでしょうし、仕方ありません。
「療養のため、ですわ。私が旧都でエリーさんに負け、ギドさんの降ろしたレイスに憑依された兵士さん四人に殺されそうになっていたのは覚えておいでですか?」
「覚えてるよ。忘れるわけない。その後のことも、その前にされたことも」
でしょうね。私もよく覚えておりますもの。
「その後私、兵士さんの血をいただいてなんとか持ち直しましたのよ? それでもボロボロでしたけれど。魔力と活性薬による肉体強化の反動で、血を吸ってもすぐに回復しないほどのダメージを全身に抱えてしまっているのです」
「そう、なんだ」
複雑な表情。私に死んでいて欲しかったという気持ちと、私が死んでしまっていたら人間に戻る可能性が失われていたのだから、生きていてよかったという安心感。どっちつかずなのですわね。
「その後私の旧都の拠点もすぐ人間さんたちにバレてしまいましたから、必要な準備を急いで整えて逃亡生活です。私を殺したい方なんて掃いて捨てる程居りますから、居場所がバレると長々と追われてしまいます。ボロボロの体では逃げ続けることが難しいと思ったので、この場所へ来た、と言うわけですわ」
「ウィンターピット。200年前に在った、人間とヴァンパイアが一緒に暮らしてる町」
「そうです。ここなら追われる心配なく、体が回復しきるまで休めると思って来たのですが……どうやらそうもいかないようですわね」
「……いつこの町に着いたの?」
「つい先ほどですわ。それより、エリーさんがここに来た理由を教えてください。私を追いかけてきてくださったわけではないのでしょう?」
エリーさんはずっと仏頂面のままです。私に笑いかけてくださったことは、今までに一度だけしかありません。それも旧都の拠点内で、壊れかけの心で、とても卑屈で哀を誘うようなものでした。またアレが見たいのですが、今は難しいでしょう。
「さっきも言ったけど、真祖に頼まれたから来ただけ。ヴァンパイアより、私みたいな化け物の方がヘリンタス山を安全に超えられるから、私が選ばれたの。ヘレーネさんがここに居るなんて知らなかったよ」
「しかし、出会い頭で魅了を試したじゃありませんか。それに、ずっと探していたともおっしゃっていました」
「ヘレーネさんじゃないと、私を人間に出来ないからだよ。だからずっと探してた。見つけたら、何かされる前に魅了を掛けようと思ってた。それだけ」
「そうですか。なるほど」
「本当なら今すぐ引き返して、王都に居る真祖にこの町のことを伝えに行くべき、なんだけど」
エリーさんは私を見て言葉を切りました。
ここには私が居ますからね。エリーさんがこのままここを後にすると、私が何をやったとしても誰も止められませんから、警戒しているのでしょう。私におかしなことをさせないために、エリーさんはこのウィンターピットに止まる必要がある、と……
まぁ何も出来ないのですけどね。お薬無し。調剤不可能。おまけにライカンスロープという厄介な存在。正直何も出来ません。
さて、何も出来ないので、エリーさんに何でもしてもらいましょう。エリーさんは私にいいように扱われるのがお似合いの、最高の玩具なのですからね。
「エリーさんはいつこの町に?」
「ついさっきだよ。人とヴァンパイアの匂いが両方濃くて、近くて、ここは真祖が言ってた通りの、人とヴァンパイアが仲良くしてる町なんだって思ったんだけど、それに混じって変な獣匂と……ヘレーネさんの匂いがしたから、匂いの方に走った。そしたらワービーストみたいなのにヘレーネさんが襲われてたから」
「助けてくださったのですね?」
「魅了をかけようとしただけ」
「魅了をかけるために、私を大ピンチから救ってくださったのですよね?」
「あんなのピンチでも何でもない癖に。どうせ、いっぱい毒とか薬とか持ってるんだ。遊んでただけだよ」
ん~、本当に命の危機だったのですけどね。薬なんて、人間以外には使えもしないシトリンだけですし。
ですがまぁ勘違いさせておきましょう。
「ついさっき来た、ということは、あのケダモノが何なのかも知らないし、聞いていないということですわよね?」
「何か知ってるの?」
「詳しいことは現地の人に聞いてください。私にわかるのは、あの青いケダモノの名前がライカンスロープと言うことと、ライカンスロープは夜になると五匹以上の群れで、この町の人とヴァンパイアを襲っていること。そしてライカンスロープは会話が出来ることの三つだけですわ」
「ライカンスロープ……聞いたことない」
「このウィンターピットにはもっと多くのヴァンパイアが居たのですけれど、ライカンスロープに何人もヴァンパイアが破れ、死んでいるようです。早く解決しないと、人もヴァンパイアも、この町そのものが滅びることになるでしょうね」
エリーさんの目が見開かれ、そして疑うように私の目を覗き込みます。
「なんでそんなに詳しいの? 本当は全部ヘレーネさんが仕組んだことなんじゃないの?」
「お疑いなら、この町の人に聞けばよいじゃありませんか」
「ヘレーネさんは人を操る薬持ってる」
「ではヴァンパイアを探して聞けばよいじゃありませんか。私、ヴァンパイアを操るお薬なんて作っても持ってもおりませんわ」
「キャメルさんみたいに心酔させてるかもしれない」
「あら、キャメルとお会いになったのですわね。でもアレは特殊な例。キャメルは変態ですから」
「それは……まぁ、そうかもしれないけど」
私ったらキャメルに影武者をやらせていたことをすっかり忘れてしまっていました。そうですか、接触していましたか。
……あれのことを考えると頭が痛いですね。屈強な男性だったアレを、薬で可能な限り女性に変えてみたんでしたっけ。私自身、当時何を考えてそうしたのかも忘れてしまいました。
別に要らないのですけど、なぜか時々私の居場所にひょっこり現れて、何か仕事かご褒美が欲しいとねだって来る変態。アレのせいで私の潜伏場所がバレたのだとしたら、処分した方がよいでしょう。
ああ、あの変態に思考を裂いてしまうなんて、私ったら頭の方も本調子ではないようですわ。
「エリーさん。良く考えてください。ライカンスロープは私を七匹で襲ったのですわ。そして夜になればまた、私なりこの町で生き残っているヴァンパイアなり、人なりを襲って殺すでしょう。放置してよいのですか? 私が殺されたら困ってしまうのは、エリーさんでしょう?」
「ヘレーネさんが死ぬ分には誰も困らないよ。むしろクレイド王国がお祭り騒ぎしかねないからね」
「蠱毒姫が死ねばそうなるでしょうね。ですが、エリーさんは悲しんでくださるでしょう?」
「そんなわけないでしょ。私が唯一、心の底から憎んでる相手が、ヘレーネさんなんだから」
「私が死ねば、エリーさんが人間になる可能性は永遠に失われます。それでも、悲しくないと?」
「悲しいわけない。正直、この体のままでもいいって思ってるよ。でも、ヘレーネさんが死んでないって知って、いざ目の前にしてみると、人間に戻りたいって気持ちというか、捨てかけてた希望が眩しくて、伸ばしてしまった手をひっこめられない」
あらあら嬉しい。そんなに悔しそうな顔で、そんな目で睨みつけてくださるなんて。本当に嘘が吐けなくて、本当に私のことが嫌いで、本当に人間になりたくて仕方がないのですね。
ゆ、え、つ♪
「もう一度ヘリンタス山を越える体力は、もう私には残っておりません。誰かが守ってくださらないと、私はライカンスロープに惨殺されてしまう。ああ、なんて悲しい。死んでしまうなんて嫌ですわ。誰か、ライカンスロープの群れを一瞬で倒せてしまうくらい強いお方に守って欲しいです」
「私が、どれだけヘレーネさんに酷いことされて、どれだけ嫌いで、憎んでるか、知った上で……ッ」
ステキですわエリーさん。本当に、可愛らしくて、哀らしい。愉悦愉悦♪
「もし誰かが守ってくださるのなら、その誰かのために、何でも差し出してしまいそうです。なんでも言うことを聞いてしまいそう。ですから誰か、ああ誰か、私を守ってくださいな?」
ダメですわね。口元のゆるみが抑えきれません。この台詞は本当に怖がって、泣きそうな表情で言うつもりでしたのに、笑みで演じてしまいました。
ほら、エリーさんが悔しそうなお顔から、悔しすぎて泣きそうなお顔になってしまってます。
「こ……この鬼畜! 変態! サディスト! 人格破綻者! どこまで私を貶めたら気が済むのッ! 私が人間になるのを諦めたら、その瞬間には殺してやるんだから、調子に乗らないで! からかうのやめてよ!」
「おや? なんだか性格が変わりましたわね。罵詈雑言はエリーさんには似合いませんわよ?」
「ヘレーネさんのせいで色々歪んじゃったんだよ!? そんなこと言うくらいなら、ヘレーネさんが治してよ!」
「面白いのでもっと歪んでください」
「ほんとに、あなたって人はッどこまでも人を貶めて、私を壊して、その上で守れって……ッ」
エリーさん? ここに人なんていませんわよ? ここに居るのはヴァンパイアと化け物だけですわ♪
それにしても、ふふ。殺したいほど憎い相手を守らされるなんて、屈辱を感じずにはいられないのでしょう。旧都で私が徹底的に破壊した人の尊厳やプライドを、もう取り戻したつもりになっているようですわね。
でしたら、もう一度破壊するまでのこと。
「ふぅ、ふぅ……わ、かった、よ」
ああ楽しみです。
「はい?」
気持ち良いですわ。
「この町の、ライカンスロープの問題が、片付くまで」
とっても、とっても。
「片付くまで?」
愉しくて、楽しくて、仕方ありません。
「私が、ヘレーネさんを守る、よ」
愉悦ですわ♪