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半ヴァンパイアの冒険者 外伝  作者: ストーブの上のやかん
オムニバス
18/18

エリー二十歳、人間。味見と血捧げ

オムニバス形式のお話の一個目は、もしエリーが人間になったら、ジャイコブやチェルシーやギンラクとどういう絡み方をするか、です。

北の果てにてとごくごくわずかな連続性がありますが、オムニバス形式であるため、外伝の他の話との連続性は無いものと思っていただいて大丈夫です。

 ウィンターピットで別れたヘレーネさんと再会したのは、それから二年経ったある日のことだった。

 ヘレーネさんは突然、マーシャさんと私が住む家に現れた。

 ギドが慌てて取り押さえに行ったり、マーシャさんがものすごく複雑そうな顔になったり、私もとっさにマーシャさんを抱えて逃げ出しそうになった。

 だけど、ヘレーネさんは直ぐに帰って行った。

 

 一本の薬瓶を、私の手に握らせて。

 

 「ご所望のエリーさんを人間に戻すお薬です。では、また会いましょうね?」

 

 一方的にそう言って、言うだけ言って、というか言い残して帰ってしまって、ギドも私も肩透かしを食らった気分。

 で、その後には期待と猜疑心の葛藤。

 

 これを飲んで大丈夫?

 飲めば人間になれる?

 騙されてない?

 ヘレーネさんの目的は一体何?

 

 そんな疑問がたくさん浮かんだ。

 浮かんだけど、でも結局は飲んでみることにした。

 自宅じゃ何かあったとき怖いから、真祖の居る王城の塔の最上階で、真祖や未だに真祖に部屋でぼんやりしているストリゴイの三人の見守る中、飲んだ。 

 

 私は直ぐに意識を失った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 目覚めた時、私はちゃんとした人間になっていた。

 

 

 

 

 


  

 

 

 

 


 

 

 

 

 ウッキウキで王城を出た私は、マーシャさんとギドをほったらかし、はしゃぎまわりたい気分を抱えて、騎士団の兵舎へと走った。

 

 「こんにちわー」

 

 今は夜で、こんな時間にお邪魔するなんて常識知らずだとは思うけど、我慢できなかった。

 気分は最高。

 テンションも最高。

 もう二十歳で良い大人だと言うのに、なんとも子供っぽいと自分でも思う。

 

 偶然兵舎の玄関口に居たカイルさんは、私の突然の不躾な訪問に、嫌な顔一つせず出迎えてくれる。

 ここにはちょくちょく来て顔を合わせてたから特に違和感は無いんだけど、カイルさんもちょっと老けたと思う。

 若干、お兄さんからおじさんへと向かいつつある。

 失礼だから絶対言わないけど。

 

 「んお? エリーか。こんな時間にどうしたんだ?」

 「ジャイコブ達に会いに来ちゃった。こんな時間にごめん」

 「別にいいだろ。しょっちゅう来てんだしさ。あいつらなら食堂でなんか飲み食いしてたぞ」

 「そっか。じゃあ行ってみるね。お邪魔します」

 「あいよ。あんまりうるさくすんなよ? イングリッド団長は今日もお疲れだからな」

 「はい、気を付けます」

 

 気を付けると言いつつ、私はドタバタ走って食堂に向かう。

 何せ、人間になったことを報告したくて仕方ない。

 ジャイコブとチェルシーとギンには、私が人間になるために、魅了までかけて手伝ってもらった仲間。 

 だから真っ先に報告する相手は、ジャイコブ達だよね。 

 ドタドタバタバタ走って食堂の前にたどり着けば、勢いに任せてバーンと扉を押し開く。

 

 「お?」

 「んあ?」

 「……」

 

 そこには、出会った時と何も変わらない、ヴァンパイア三人がテーブルを囲ってた。

 なんだかんだと二年以上もこの兵舎で一緒に暮らす三人は、やっぱり仲がいいんだろうね。

 

 「エリーでねか。どしたべこんな時間に」

 「俺らになんか用事?」

 「……スゥ……ハァ」

 

 ジャイコブとギンはいつも通り、スタスタ早歩きで近づく私に気安く手を振ってくれる。

 だけどチェルシーだけは私を見て、大きなため息を吐いた。

 チェルシーが私にあたりが強いのはいつものことで、私も特に気にしてない。

 

 「ね! 私! どこか変わったと思わない!?」

 

 我ながら子供っぽいと思いつつ、三人のすぐそばでクルリヒラリと回ってみせる。

 するとジャイコブは顎を撫でながら私を舐めるように見て、ギンは頬づえを突いて面白げに笑う。

 

 「んにゃ? なんも変わってねぇと思うべ」

 「髪でも切ったんだろ? それか化粧でも変えたか。女は何かしら身だしなみを変えると、一々見せつけたがるってゲイルが言ってた」

 「ちがぁうよ♪ チェルシーはわかる?」

 

 さっきから黙ったまんまのチェルシーに振ってみれば、チェルシーはこっちを見ずにジョッキに入ったお酒を煽ってから答えてくれた。

 

 「人間になったんでしょう。この愚か者二匹は鼻が詰まっているようですが、普通ヴァンパイアなら匂いで感づくところです」

 「あ」

 「あっ」

 

 チェルシーがつまらなさそうにそう言うと、ジャイコブとギンはピタリと固まって、それから私に向き直る。

 

 「やっただな! おめぇ人間になりてぇなりてえってずぅっと言ってたべ! ついに叶っただか!」

 「エリーが人間……実感わかねぇけど、匂いは確かに人間だ。すげえ」

 

 そんな二人の反応に、フフンと鼻を鳴らして胸を張ると、チェルシーはコト、と席を立って、私の手を取る。

 

 「ぇ、なに?」

 「それでどういうつもりですか?」

 

 相変わらず目を閉じっぱなしなチェルシーは、私の手を取ったまま元の椅子に腰を下ろすと、私をすぐ真横に引き寄せる。

 この二年で少し身長の伸びた私は、座ったチェルシーの顔を斜め下に見ながら、質問の意味がよくわからないまま答えた。

 

 「えっと、報告のつもり、かな。三人には私が人間になりたいって言って、いっぱい手伝ってもらったし」

 「はあ……そうですか」

 

 チェルシーはテーブルの上のワインに視線をも落とす。

 私の答えに満足したのかは、よくわからない。

 

 「思えば二年、チェルシーとそこの愚か者はこの兵舎に居ます」

 

 突然何? 

 どしたの?

 

 「そだね」

 「別にほかに行きたい場所ややりたいことがあるわけではないのでそうしています」

 「そう、なんだ」

 「ですが、二年もここに居るといい加減退屈してくるのです」

 「そう、だね」

 

 珍しくチェルシーの方からいろいろお喋りしてくれるけど、私はチェルシーが何を言いたいのかよくわからないよ。

 

 「なので、こう言うのは新鮮です」

 「こう言うの?」

 「あなたが人間になった、ということです」

 「はぁ。そりゃ、新鮮と言うか珍しいんじゃないかな。よくわかんない生き物が人間になる、なんて」

 「確かに人間になったようですね。体温や雰囲気も、匂いも、人間のソレです」

 「う、うん。ありがと」

 

 チェルシーに人間だと太鼓判を押され、私は困惑しながらもお礼を言う。

 するとチェルシーは、掴んでいる私の手をグイと引っ張った。

 

 「わ、ちょ」

 

 ふいに引っ張られた私は、机の上にあったワイン入りのジョッキを派手に転がしながら、机の上に引き倒される。

 乱暴だけど、そんなに力いっぱいと言うわけでもなく、掴まれていないほうの手を机に突くことが出来た。

 どこも痛くないけど、転がったジョッキからワインが零れて、ジョッキ周辺の机がビッチョビチョ。

 机から垂れたワインが、ピチャピチャと水音を立ててる。

 そして、机の上に置いた顔でチェルシーを見上げれば、珍しく笑ったチェルシーの口元と、薄く開いた瞼と、赤い目が見える。

 

 「とても美味しそう」

 「ぇ、あ」

 

 チェルシーは、そしてジャイコブやギンも、ヴァンパイア。

 当たり前すぎて、忘れてた。

 今までは私も、三人も、お互いをそう言う目で見たことが無くて、気付かなかった。

 私は今人間で、今私を机の上に引き倒したチェルシーは、ヴァンパイアだ。

 チラリと目を泳がせれば、ジャイコブとギンが見える。

 突然転がったジョッキや零れて広がったワインに驚いた様子もなく、私を見てる。

 ヴァンパイアの赤い目で、見てる。

 

 「確かに新鮮だべ」 

 「だな。エリーをうまそうだと思うなんて。確か、前に人間になったとき、なぁんか言ってよな」

 

 そ、そういえば、真祖に人間にしてもらった直後には、ギンに会ってたっけ。

 確かにギンに何か言ったような気がする。

 

 「あの、私、なんて言ったっけ。あんまり覚えてなくてさ」

  

 この後の展開に恐々としつつ聞いてみれば、ギンは牙をチラリと見せ、舌なめずりをしてから答えてくれた。

 

 「俺がエリーからうまそうな匂いがするって言ったら、血を吸う前に断りを入れろ、みたいな感じのことを言ったぜ。断りを入れれば血を吸っていいって、そう言う解釈でいいんだよな?」

 「あ、あぁ……」

 

 言った、かも。

 あ、いや、そうだ。

 言ったよ私。

 あぁ……

 ちょっとドキドキしてきちゃった。

 

 目線をチェルシーに戻してみれば、やっぱりちょっと笑って私を見下ろしてる。

 

 「それは良いことを聞きました」

 

 そんな囁き声に、私は引きつった笑みを浮かべるしかなかった。

 チェルシーの目線と囁きに、思わずゾクゾクしちゃったせいだ。

 

 

 


 

 

 

 

 


  

 

 

 

 

 


 ヴァンパイアになったことがある私は、なんというか、ヴァンパイアであるジャイコブやチェルシーやギンに、共感出来てしまう部分がある。

 例えば、吸血の好み。

 噛みつく部位や体制。

 吸血欲求をそそる仕草。

 癖。 

 どうせなら、という言葉がいくつか重なった結果、私は三人のリクエストに答えることが半強制的に決まっちゃった。

 

 まぁ、なぜか悪い気はしないというか、吸血したときの多幸感を知ってるせいか、強く断ることが出来なかったというか。

 でも一番の理由は、どうせなら、という言葉が重なっていくのを止められず、困りながら流されている私に向かって放たれた

 

 「意志薄弱の極みですね。これから血を吸われるというのに、なんと情けないのでしょう。ヴァンパイアでも化け物でも人間でも、あなたはそうやって他者に媚びて生きていくしかない能無しなのです」

 

 というチェルシーの酷すぎる言葉に、興奮しちゃったせいだと思う。

 我ながら酷い性癖だよ。 

 被虐趣味の悪化を止めるために、ギドと一緒に日々努めているというのに、こう言うシチュエーションに陥って、強くものを言われると逆らえないというのは、何とも情けない。

 

 「んじゃ、まずおらだべな」

 「なぁ、なんでこう言う順番に何かするって時、誰が決めた訳でもないのにおっさんが一番になるんだろうな」

 「そう言うお決まりのお約束みたいなものあるのでしょう。チェルシーは不愉快に思います」

 

 とまあそんな会話が聞こえつつ、ジャイコブはジリジリと私に寄ってきて、両手をワキワキさせる。

 このままだと趣旨に沿わない形で吸血されそうなので、私の方から話を進める。

 何も言わないまま食い付かれたら流石に怖い。

 

 「じゃ、ジャイコブは、どういう吸血が好きなの?」

 「あ~、改めて聞かれると、ん~……とりあえずここ座るべ」

 「あ、うん」

 

 ジャイコブに言われるがまま移動して、座って、体制を変えていく。

 

 何この状況? と頭の中で何度も繰り返してしまうくらいには、私も緊張と混乱をしてたみたい。

 

 「こう?」

 「んだべんだべ。ん~、いいだべな~」

 

 気付けば私は食堂の机の上に腰を下ろして、両足を開いて机の左右に降ろして、両手を腰の少し後ろに突いていた。 

 ジャイコブも机の上に上がって座ると、私の足の間に体をグイっと押し込んで、私の両肩を掴む。

 手がおっきい。

 身長も大きい。

 肩幅が広い。

 髭がもじゃもじゃしてて肌が黒い。

 猫背のせいで、顔が私の頭のほぼ真上にある。

 

 改めて近づいてみてみれば、ジャイコブが如何に大きな体をしてるかよくわかる。

 迫力がすごい。 

 

 「これは酷い」

 「傍から見れば事件現場ですね」

 

 横から楽し気な声で感想を聞かされると、今自分が何をしてるのか意識させられる。

 

 「んじゃ、吸うべ?」

 「……どうぞ」

 

 首を右に反らせば、私の左肩を掴むジャイコブの手が下にズレて、シャツを引っ張って左肩までを晒した。

 

 緊張がすごい。

 吸血したことは何度もあるけど、吸血されたことは……ヘレーネさんに一回されたっけ。

 もうずいぶん前のことだから、どんな感じだったかもう忘れちゃった。

 いやな汗が止まらない。

 

 「んー、いい匂いだべ」

 「嗅がないでよ! あ痛っ」

 

 一瞬首元に生暖かい息を感じたと思ったら、鋭い痛みが一気に来た。

 噛みつかれた首がやたら熱い。

 

 「くふぅ……痛い」

 

 首元に埋まる二つの牙が、ものすごい異物感を与えて来る。

 これ気持ちいい奴だ。

 気持ちいいのは私じゃなくてジャイコブの方だけどね。

 肌を突き破って、中に牙を埋める瞬間と、その後の余韻。

 この瞬間が私は好きだった。

 今頃ジャイコブは、牙を伝って上あごの歯茎が痺れるような気持ち良さを味わってる、はず。

 でも噛みつかれている私は、とにかく痛い。

 広げた足がとっさに閉じようとして、ジャイコブの腰をギュッと締め付ける。

 そのまま一秒、二秒、そのくらい経って、ようやく牙が抜けた。

 

 「はふ、かふ」

 

 痛みが少しだけ和らいで、強張っていたからだから自然と力が抜ける。

 横目にジャイコブの方を見れば、口と私の首の間に赤いアーチが垂れ下がってる。 

 生々しい。

 

 「んじゃ、吸うべ」

 「あ」

 

 もう終わったつもりになってたわけじゃないけど、これからようやく血を吸い出すんだと思うと、どっと疲れみたいな感覚に襲われて、ちょっと動転した。

 でもジャイコブは私が落ち着くのを待ったりはしなくて、そのまま噛み痕に唇をかぶせて、吸い上げる。

 傷口が引っ張られるような感覚の中に、傷口から血が抜けていくのがわかる。

 

 「んん、く、ふ」

 

 痛いのは痛い。

 だけど、それだけじゃない。

 熱も抜けていく。

 体の中に在る、粗熱みたいなのが、スゥーっと冷まされていくような感覚。

 汗がにじむくらいには緊張してて、それに伴ってちょっとは体温が上がってたと思う。

 その上がった体温を吸い上げられ、冷めされていくような、よくわからない感じ。

 首筋を中心に、冷たさがどんどん体に広がっていく。

 

 痛いのが嫌いじゃない私としては、これはどうしようもなく、いい気分。

 お風呂上りの火照った体が、ベッドやシーツに体温を移して冷まされて、そのまま眠る。

 そんな心地よさがある。

 

 んふー、と鼻で息を吐いたころ、ギンとチェルシーがジャイコブに待ったをかける。

 ジャイコブは素直に私の首筋から口を離した。

 血を吸われる感覚が消えて、傷の痛みだけが残る。

 痛い痛い。

 痛みしか残ってないからちょっと辛い。

 あと傷が再生してる感覚が全くない。

 人間だとこれが当たり前なんだね。

 

 「おっさん、そこまで」

 「吸い過ぎてはいけません。チェルシーの分が無くなります」

 「んぁ? まだちぃっとしか飲んでねぇだ」

 「おいもしかしてたらふく吸うつもりだったのかよおっさん! 三人でがっつり血ぃ吸ったらエリー死ぬぞ!?」

 「へーへー、わかっただよ」

 

 そう言ってジャイコブが離れると、ギンが私のすぐ横まで寄ってきた。

 ジャイコブの指定した姿勢のまま目だけをギンに向ければ、ギンの赤い目と目が合う。

 

 ちょっとゾクっとする。

 

 かつて私がヴァンパイアだったころは、私と同じ位強い仲間だったのに、こうしてみるとギンも私よりずっと強い魔物なんだ。

 そう実感すると、なんだか寂しいような?

 ジャイコブやチェルシーやギンがその気になったら、私はいつでも殺されるんだ。

 ふと、今、そんなことを思った。

 

 「次俺な」

 「うん」

 

 

 

 

 

 


 ギンは夜に民家に忍び込んで、普通に寝てる人を誘眠でさらに深く眠らせて、その間に吸血してたらしい。

 そう言うわけで、ギンは私に仰向けに寝る姿勢を要求。

 私はギンの要求をそのまま呑んで、机の上に仰向けに横になる。


 ジャイコブに噛まれた痕が痛い。

 一応濡らしたハンカチで軽く拭ってあるんだけど、じんわり血が染み出してる。

 後この状態、なんだか観察されてるみたいで落ち着かない。

 

 「このあとはどうするの?」 

 「ん? 手首から吸うだけだ。一応寝てる人間を襲う設定だから、エリーは目を瞑って体の力を抜いておいてくれ」

 「うん。わかった」

 

 わかった、とは言いつつ、内心はやっぱり緊張してる。

 お腹、胸、首、顔、二の腕、手、太もも、ふくらはぎと順番に力を抜いて、深く息を吸って、吐いて……

 緊張のせいかお腹に力が入ってしまう。

 もう一度深呼吸して、力を抜いて……

 

 「すぅ……ふぅ……」

 

 寝息をイメージしてゆっくり呼吸すれば、とりあえず落ち着いた。

 でもアレだね。

 三人に見られながら机の上で寝てるって思うと、もうなんか、笑いそうって言うか

 

 「ふ、ふふ」

 「何笑ってんだよ」

 「ごめん、なんだかこの状況がおかしくて」

 

 フフフと笑いを零すと、ジャイコブとギンの笑い声も聞こえた。

 うっすらと目を開けてみれば、チェルシーも口元に手を当てて、笑いをこらえてるみたいに見えて、なんだか嬉しい。

 

 チェルシーも普通に笑うんだね。

 いっつも氷みたいに冷たいのに、今のチェルシーは優し気で、温かそう。

 

 「さて、じゃあ失礼して」

 

 ギンはそう前置きして、私の左手をそっと掴む。

 

 「どうぞ」

 

 ちょっと大きめの声で寝言を言えば、そっと左手を持ち上げられる。

 噛みつくのかなと思って薄目を開ければ、ギンは右手の人差し指で爪を立てて、私の左手首の端の方に当てた。

 爪が尖ってて痛いなって思う前に、ブツリと爪が肌を突き破る。

 

 「イ゛ッ……」

 

 鋭い痛みが一気に来て、涙が閉じた瞼の下で滲む。

 

 「すまん。俺はいつもこうやってんだ。誘眠で深く眠らせた相手だから、これくらいじゃ絶対起きないんだ」

 「ダイジョブ、ダイジョブ」

 

 口ではそう言いつつ、痛いものは痛い。

 痺れとか気持ちよさとかそう言うのが全くないただの痛みだから、普通に辛い。

 

 「早く吸って」

 「お、おう」 

 

 血を吸い始めれば、ジャイコブの時みたいな心地よさも感じられると思って、急かした。

 するとギンは、傷口から腕を伝って零れていく血の雫に舌を這わせて、血の通った跡に沿って舐めあげる。

 

 「ん、ん」

 

 私もゼルマさんにこうやってたけど、やられる側はこんな感覚なんだ。

 舌が血の通った跡を舐めあげていくと、背筋がぞわぞわして冷たくなっちゃう。

 何とも言えない気分。

 

 傷口まで舐めあげた後は、唇をすぼめて傷口を覆うと、血を吸い上げ始める。

 

 薄目を開けてみてみると、私の手首に吸い付く銀の横顔が見えた。

 ちょっと嬉しそうというか、満足気?

 不思議な気持ち。

 

 ギンは傷口を吸いながら、片手で私の左の前腕を掴んで、強めに揉み始める。

 搾り出してるみたいだ。

 ギューッと握られると少しだけ痺れて、傷口からの出血量が若干増えた感じがする。 

 肘の近くを握って、握り終えたら少し手首側に握る位置をずらして、またギュッと握る。

 

 「んー、フー、んぅ」

 

 痛みと、熱を抜かれる感覚と、左腕のわずかな痺れ。

 気持ちよくはないけど、初めての感覚。

 気付けばそれをよく味わって、堪能しちゃってた。

 

 「そこまでです」

 

 チェルシーがそう言って止めてくれなかったら、ずっと吸わせてしまってたかもしれない。

 ギンはコクリと喉を鳴らすと、口を離して、私の左手をそっと机の上に置いてくれた。

 

 「んへーい。ちょっと物足りないが、アレだな。美味いな」

 「そ、そう? なんか、そう言われると嬉しい、かも」

 「うめぇ血ってのは健康な奴の血だべ。ちぃとしか飲んでねぇがうんまかっただぁ」

 「んへ、んへへ」

 

 なんて言うんだろうね。

 むず痒い。 

 なんだろう。

 血の味を褒められてうれしいと思ったのかな。

 まぁ自分の体について褒められたわけだから、かわいいとかキレイとか、そう言う誉め言葉を貰ったような気がしてるのかも。

 首筋とか手首の痛みが気にならないくらいには、嬉しいかもしれない。

 

 とりあえず上体を起こした私は、さっきまで微笑んでいたチェルシーに顔を向ける。

 

 「えと、それじゃ最後にチェルシー」

 「いえ、チェルシーは結構です」

 「あ、え、あ、そう?」

 「はい」

 

 流れ的にチェルシーも飲むだろうって思ってたけど、それはもうあっさりと首を横に振られてしまった。

 なんだろうね。

 ちょっと残念に思っちゃった。

 

 「そっか」

 

 まぁ私としても痛い思いをするわけだし、飲んでもらわないと困るわけでもないし、要らないって言うなら別に。

 

 「それよりあなたはさっさと寝てください。もう人間が起きている時間ではありません。あまり騒ぐと騎士連中がうるさいです」

 「あ、うん。ギドとマーシャさんをお城に置いて来ちゃったから、私はお城に」

 

 お城に戻るねって言おうとしたけど、言い終わる前にチェルシーが私の両手を掴む。

 そして気付けばいつぞやの時のように、万歳の姿勢でぶら下げられてた。

 

 「チェルシー?」

 「そんなに血の匂いを振りまきながらこんな時間に外に出ようものなら、ヴァンパイアに襲われても文句は言えません」

 「もう居ないでしょ、ここ以外」

 「万が一にでも出会おうものなら一巻の終わりなのですが、あなたの残念な脳みそは人間になった後も残念なままのようですね。可哀そうに」

 「あ、あぁ……あの」

 

 化け物の時の感覚のまま話してたけど、チェルシーの言葉で少しハッとした。

 私人間になったじゃん。

 ヴァンパイアに勝てるわけないじゃん。

 王都に万が一でも普通のヴァンパイアが居て、こんな深夜に人気のない夜道で出会ってしまったら、今の私なんて大した抵抗も逃げることも出来ずに吸血されて死ぬじゃん。

 

 ふとそんな状況が頭に浮かぶと、ゾッとした。

 案外この時代にもヴァンパイアが居ることを私は知ってる。

 ここに居る三人以外のヴァンパイアは、私の味方ってわけじゃないし、出会ったら基本襲われる。

 

 今になってようやく、私は人間になったという実感が湧いた。

 

 怪我の治りは遅い。 

 手足が千切れても新しく生えてきたりしない。

 血の代わりにちゃんと食事を摂らないとすぐ弱る。

 些細なきっかけで病気に罹る。

 

 化け物や魔物の体の時は意識すらしなかったものが、脅威になる。

 

 それを今になって理解した私は、チェルシーの冷たい表情と閉じ切った瞼をちゃんと見た。

 

 チェルシーは私を心配してくれた、んだと思う。

 

 「さっさと寝るのです。これくらいの言葉ならその残念なお(つむ)でも理解できますよね」

 「はい」

 

 いつも通りの罵倒交じりの命令口調。

 今までなら若干興奮して、口答えしてお代わりを求めてた。

 ジャイコブやギンはわかりやすくて優しくて、逆にチェルシーは厳しいって思ってたんだけどね。

 

 気付いてしまうと、どうしようもなく、胸があったかくて切なくなる。

 チェルシーはわかりにくいだけで、ずっと優しかったんだ。

 私のためにしてくれたこと、今までにも数えきれないくらいあったんじゃないかな。

 酷いことばっかり言ってわかりにくくしてただけで、ずっと優しくしてくれてて、私はその優しさに気付かないままいっぱい甘えてたんじゃないかな。

 

 どうしよ。

 

 「着きました」

 「へ?」

 

 気付いたらそこはもう食堂じゃなくて、兵舎の一室だった。

 きれいに整理整頓されたそこにはちゃんと生活感があって、懐かしい匂いが鼻をくすぐる。

 

 一時ではあったけど、私がチェルシーと一緒に寝起きしてた部屋だ。

 今でもチェルシーが使ってるみたいだった。

 

 チェルシーはキョロキョロと部屋を見回す私をぶら下げたまま二、三歩歩いて、二つあるベッドの片方に放り投げる。

 

 「ンギュっ」

 

 顔面からベッドにダイブした私の口からは、間抜けな声が飛び出した。

 でもベッドやまくらやシーツからはチェルシーの匂いがして、余計に胸が熱くて切なくなる。

 乱暴に扱われてるのに、悪い気が全くしないというか、優しさばっかり汲み取ってしまうというか……

 こういう時に限って私の被虐趣味は鳴りを潜めてて、この気持ちを茶化してくれない。

 

 「では」

 

 扉の方からそう聞こえて、でも振り返ったときには扉が閉まって、チェルシーの姿はもう無かった。

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 もう一つあるベッドは微かに埃をかぶってた。

 一緒にこの部屋で暮らしてた時、私が使ってた方のベッドだった。

 時折掃除してくれていなければ、もっと酷い埃の積もり方をしてるはず。

 

 クローゼットの中にはチェルシーのメイド服の他に、ゼルマさんから貰って私が着てた服が、丁寧に畳まれて入ってた。

 埃が被らないように、布でくるまれてた。

 チェルシーにはサイズも合わないし着る機会も無さそうなのに、大事にしまってある。

 

 理由なんてわからない。

 単にチェルシーがキレイ好きで、自分にとって必要ない者でもキレイな状態にしておきたかっただけなのかもしれない。

  

 でも私はチェルシーのために何かしてあげたくなって、居ても立ってもいられなくなって、食堂に急いで戻った。

 ジャイコブとギンは居たけど、でもチェルシーは居なかった。

 

 「チェルシーならどっかでかけてったべ?」

 「腹でも減ったんだろ? ほっときゃ戻って来るだろ」

 

 チェルシーの所在を聞いてみれば、そう返事を貰えた。

 

 今の私は、首筋や手首の吸血痕から血の匂いが出てる。

 そんな状態の人間を見たら、ヴァンパイアならお腹が空いて当然。

 でも私はついさっき、ジャイコブとギンから吸血されて、少しだけ、ほんの少しだけ、意識しないとわからないくらいのわずかな貧血状態。

 

 私と一緒に居たらお腹が余計に空く、でも私から血をこれ以上奪わないようと思って、チェルシーは一人でどこかへ出かけてしまったんだ。

 

 考えればわかるはずなのに、私は血の味を褒められて、浮かれて……

 

 あぁ……私、成長してないなぁ。

 甘えてばっかり。

 チェルシーの言う通り、私のお頭は残念みたい。

 

 でも今はなにより、チェルシーに何かしてあげたいな……

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 チェルシーは朝日が昇る前に帰って来た。 

 私は寝てるように言われたけど、眠れなかったし、チェルシーの帰りを待っていたかったから、ずっと起きてた。

 

 「おかえり」

 「……寝ているように言ったと思ったのですが、その顔は寝ていませんね。残念な頭では、寝ろという言葉もわからないのですね。哀れを通り越して呆れてしまいます。あなたよりは犬の方が賢いでしょう」

  

 人のことを犬以下みたいに言うだなんて、酷すぎる。

 犬より少しは賢いから、眠らずに帰りを待っていたいって、思ったんだよ?

 

 「城に人を待たせているのでしたね。ですが徹夜後の残念なうえに寝ぼけた頭のまま迎えに行っても迷惑なだけでしょう。本当に度し難い低能さです。辟易します。もう手の施しようがありません。もう好きなようにしてください。チェルシーは知りません」

 

 酷い。

 そんなふうに冷たく突き放されると、いくらなんでも傷ついちゃうよ。

 傷付けられてるのを自覚しちゃうと、ちょっと興奮しちゃうんですけど。

  

 「ねぇ、チェルシー?」

 「なんですか脳空の愚か者」

 

 私はチェルシーの言葉とは別の理由でドキドキしつつ、チェルシーに背中を向ける。

 それから首を左に傾けて、右肩でシャツを掴んで下に引っ張って、肩甲骨までをチェルシーに晒す。

 ゼルマさんがよくやってくれた奴。

 私がヴァンパイアの時、これが一番食指を誘う仕草だった。

 チェルシーも、これで食欲が湧いてくれたらうれしい。

 

 「吸って? チェルシーにだけ血を吸ってもらえてないの、なんだか嫌だから」

 「……血を吸って欲しいなんて、かなり倒錯していますね。人間になるついでに理性を失ったとしか思えません」

 「なんでもいいから、吸ってよ。吸って欲しいの」

 

 チェルシーに血を吸って欲しいというか、美味しいと思って欲しいというか……

 とにかく今の私は、明確に、チェルシーに吸血されたいと思ってる。

 それを言葉にしてみると、チェルシーは一度言葉を切った。

 気まずい沈黙の中、私はドキドキしながら、チェルシーの反応を待つことになった。

 

 コツ、とチェルシーの足音が背中から聞こえて、ドキドキしてた心臓が一層強く脈打って、ズキっとした。

 チェルシーの足音が背中越しに近づいてくるたびに、私の鼓動も大きくなる。

 この鼓動の音、絶対チェルシーに聞こえてる。

 ヴァンパイアの聴覚でこの距離なら、なら間違いなく聞こえてる。

 顔が熱くなってくる。

 顔をチェルシーに見られてないのがせめてもの救いかな。

 

 「はぁ……そんなに吸って欲しいと言うなら、仕方ありません。吸ってあげます。感謝しなさい」

 「う、うん。ありがと」

 

 そっけなくお礼を言うと、チェルシーの腕が後ろから巻き付いてくる。

 片腕は私の右肩に添えられて、シャツに指を滑り込ませ、右肩の露出を少しだけ広くする。

 もう片一方は私の首に巻き付いて、顎を爪の先でなぞりながら、右頬を手のひらで押さえて、首の角度を少しだけ変えさせられた。

 

 チェルシーの、というかヴァンパイアの体温は人間より低い。

 私に絡みつくチェルシーの腕も、背中越しに伝わるチェルシーの体温も、ひんやりとした冷たさを感じる。

 だけど、首の右側にかかるチェルシーの息は、やけに熱く感じた。

 

 「んっふ、ぅ」

 

 首に刺さる牙の感触に、痛みと嬉しさ交じりの変な声が出た。

 牙は直ぐに抜けて、代わりに火傷しそうなほど熱い唇と舌が首に当たって、その熱い熱い口の中に、私の体温が流れ移っていく。

 

 「おいしい?」

 「えぇ……まぁ……美味しいです」

 「んへへ♪ 嬉しい」

 

 チェルシーの声から、本当に美味しいと思ってくれたんだって言うのがわかって、胸の奥の熱さと切なさが少し和らいだ。

 

 

 

 

 

 

 多分私は、吸血されるのが好きなんじゃないと思う。

 

 ジャイコブやチェルシーやギン。


 大事な仲間で友達の三人に、喜んでもらえるのが好きなんだと思う。

 

 

 


 

 

 余談だけど、兵舎を出る時にイングリッドさんと会った。

 目の下に隈があった。

 私はもう条件反射的にごめんなさいをした。

念のため補足しておきますと、エリーにとってチェルシーが大事な存在ではありますが、エリーもチェルシーも同性愛に目覚めているわけではありません。


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― 新着の感想 ―
[一言] エリーが吸血してるシーンもいいですけど、吸血されているシーンもすごく興奮します!! 改めて思いましたが、チェルシーすごく良いキャラクターですね!大好きです(´ω`)
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