蠱毒姫の憎
群れ長をエリーさんに任せた私は、スコットさんと共にウィンターピットの町に戻ってきました。
「何がしたいんだ」
スコットさんったら町に着くなり怒りだして、私を問い詰めるのです。
エリーさん一人を残して町に戻って来るなんてどういうつもりだ、とか。
群れ長を探しに行ったというのに見つけるなり戻ってきては意味が無い、とか。
今からでもエリーさんのところに加勢に行くべきだ、とか。
「あぁもううるさいですわね。エリーさんが負けるわけないじゃありませんか」
「ッ違う。どれだけ強かろうが負ける時は負ける! それに俺たちは首謀者を見つけられてすらいない。だというのにウィンターピットに戻ってきてしまっては、何をしに行ったのかわからない。ただエリーを危険に晒しただけだ」
はぁ。わかっていませんわね。群れ長はスコットさんの追っていたワービーストでもあるようなので、首謀者は見つけています。
そして最強戦力であるエリーさんに任せているこの状況は、まさに願ったりかなったり。戦う姿を見せたくないエリーさんと、戦いたくない私からすれば、これが最善策。
いちいち説明するのも面倒ですね。
エリーさんと群れ長が戦っているであろう北に背を向け、私はウィンターピットの町の中へ向かって歩き出します。
「放っておけばエリーさんが何とかしてくださいますわ。私たちはそれまでの暇つぶしの方法を考えたほうが建設的です」
「……お前には、何を言っても無駄なようだな」
「別にお互いの理解は必要ありませんわ。私は思うがままに行動します。あなたもご自由にどうぞ」
背後でとても小さな、金属が風を薙ぐ音がしました。
機械槍を抜いたのでしょう。見なくてもわかります。
その後雪を潰して歩く音も。
スコットさんは北に、エリーさんと群れ長が戦っている場所に向かうつもりなのでしょう。
エリーさんは見られたくないでしょうね。
嫌がるでしょう。
エリーさんの嫌がることは積極的にしたいのですが、私以外がエリーさんを困らせると言うのは、気に入りません。
仕方がないので振り返って、遠ざかろうとするお背中に声をかけます。
「あの場所に向かうおつもりですか?」
「自由にしろと言っただろ」
「はい。私も自由にします。あなたがエリーさんを見つけて加勢するのなら、私はこの町を滅ぼしましょう。その後あなたも殺します。あなたの同行者の、えぇーと、も、も……あの人間の方も殺します」
するとスコットさんも足を止め、私の方を振り返ってくださいました。
「なぜだ! なぜ俺を加勢に行かせない!」
「いえいえ、加勢に行きたければ行けばよいじゃありませんか。私はあなたの自由を脅かしません。その代わり、私も自由にさせてもらいますと、そう言っているのです」
「なぜ俺が加勢に行くとこの町を滅ぼすことになるんだ」
「八つ当たりですわ。スコットさんがエリーさんの加勢に行くと、私は困ってしまいます。ですが私ではあなたを止められません。なので、この町全部に八つ当たりをして留飲を下げようと思っています」
にっこりと微笑んでそう答えて差し上げると、スコットさんからは覇気が消えてしまいました。
ま、滅ぼすと言っても今はシトリンしか持っていませんから、この町の人間さん達を操って集団自殺させるくらいしか出来ませんけど。
「お前は、一体何がしたい。目的はなんなんだ」
んー、説明するのも面倒ですわね。
「どうでも良いじゃありませんか、私の目的など。私はあなたにエリーさんのところに行ってほしくない。あなたは私にこの町を滅ぼしてほしくない。であれば、お互いにやめましょう。町を滅ぼすなんてことしませんから、町の中へ戻りましょう?」
断れば、私はニコラさんあたりに、スコットさんがライカンスロープの事件の首謀者だと嘘を吹き込みます。
決心を込めてニコリと笑えば、スコットさんは機械槍を治めてくださいました。
「……ああ、わかった。お前は本当に何をやるかわからない」
「ふふ。わかっていただけて何よりですわ」
「ご自分で商人だとおっしゃっていましたが商魂たくましいというか、なんというか」
「あぁ、全くだ。俺の、というかエリーの状況も知らないで何やってんだアイツ」
スコットさんと私の意見を合わせてくださったのは、エリーさんのお知り合いの人間の、モンドさんでした。
彼はウィンターピットのほぼ真ん中にある空き地で焚火を焚き、人を集め、蒸かし器を使いながらお喋りしています。
「これはエルフの国の甘~い芋、シルクポテトだ。ぱっと見はちょっと白いだけのただのジャガイモだが、味は全然違う。蒸かしてるだけでも甘い匂いがするだろ? 砂糖とか一切使ってないんだぜ? ただ蒸かしてるだけだ。すごいだろ? 食ってみたいだろ?」
ザワザワとウィンターピットの人とヴァンパイアが集まって、モンドさんと手に持った芋を眺めています。
確かに甘い匂いがする。砂糖が入ってないというのは本当か? 蒸かし器の方に仕掛けがあるんじゃないのか? などと口々に言ってるあたり、興味が御有りのよう。そして本当に甘い香りが漂っています。
この寒い北の果ての夜に、焚火の揺らめく光と甘い香りをまき散らせば、人が集まるのも当然ですか。
深夜の甘い食事など、背徳感と共に興味が湧いてくるに違いありませんもの。
「生で食っても甘いが硬い。火を通せば甘さが増してホクホクしっとり。もうすぐ蒸かし終わるから、それまで待ってくれよ?」
焚火にあてられた蒸し器が蒸気を出せば、ほんのりと香っていた甘さが増し、ウィンターピットの人やヴァンパイアをより魅了していきます。
気が付けば人とヴァンパイアがぞろぞろと。ウィンターピット中の方がここに集まっているのではと思うほどです。
「あ~、もうちょいで出来上がりなんだが……人数分無いわ。試食販売のつもりだったけど、やっぱ無し。さぁ買った買った! 一人一個までで、一つ銀貨一枚だ。熱いから気を付けろ?」
銀貨一枚とはなかなか強気な値段の気がしますが、しかし甘い香りに蒸しあげられたウィンターピットの方々の脳みそは、お構いなしに財布を開きます。
人だかりの半分は行列に。そしてもう半分は行列を取り囲みました。
行列を取り囲んでいる方々は、ヴァンパイアと財布を忘れた方のようですわ。後で金払うし一緒に行くから二つ買って一つをくれ、と頼み込んでいるようです。
お財布を取りに行けば、もうかえないかもしれないと思ったようです。
モンドさんは蒸し器をもう一つ持ち出して、さらにシルクポテトを蒸し始めましたから、そんな心配は不要なようですけどね。
「スコットさんも買いに行かれては?」
「俺は交流特区で食った。うまかったぞ。お前こそ買って食ったらどうだ?」
「私はお金など持っておりませんわ。欲しいものは全てただでいただいてきましたもの♪」
しかし確かに美味しそうです。後で譲っていただくのもありですわね。幸いシトリンはありますし……
「やはりお前は危険だ。質が悪すぎる」
おっと、警戒されてしまいました。こチラのスコットさん、私への強い警戒心をお持ちなのはわかっていましたが、少し面倒かもしれません。
思うように行動できないというのは鬱憤が溜まりますね。
「少し外します。あまり遠くには行きませんから、ついて来ないでくださいな?」
「ならせめてここから見える位置に居てくれ」
「お約束はできませんわね♪」
焚火の明かりに背を向け、喧噪に背中を押されるように歩みを進めれば、先ほどまでの嫌なうるささや甘ったるさが嘘のように薄まっていきます。
チラリと後ろ目で見れば、昏い足元と明るいあちらは別世界のよう。一瞬前まであそこに自分が居たなどとは考えられないほどの乖離を感じます。
これです。
私にとってはこれが正しいのです。
何か外れていたものが、カチリとハマる感覚があります。
卑屈になっているわけではありません。
寂しさなど生まれてこの方感じたことが無いのです。
私にあるのは興味。
私が求めているのは愉悦。
あのルイアの時のような全能感が私を慰め、エリーさんのような未知の存在が私を愉しませ、新たなお薬が私の興味をそそるのです。
と考えてみたのは良いのですが、
「んー、未だに違和感がありますわね。体が本調子ではないせいでしょうか……?」
何とも言えない違和感があります。
行動力とでも言いましょうか。やる気と言えば良いのでしょうか。何か心が動かないのです。
体が少しずつ回復に向かうのはわかるのですが、それに伴って元気になっているかと言えば、そうではありません。
ずっとここに居たいような、そんな気がしているのです。
なぜ?
ここは居心地の良い場所だからでしょうか?
普通のヴァンパイアにとって、この場所は楽園に違いないのでしょう。
エリーさんがライカンスロープや群れ長を倒すことは疑いようがありません。何ならもう終わっていてもおかしくないのです。となると、この町の脅威は取り除かれたと言ってよいでしょう。
であれば、普通のヴァンパイアはここへの永住を望んでも全くおかしくありません。
ですが、私は違います。
普通のヴァンパイアなのはそうなのですが、私とは思考回路が違います。
蠱毒姫とその他大勢は同じではないのです。
空腹なら人を襲い、好奇心のままに弄び、欲しいものは奪い取る。それが私の生き方で在り方です。それだけが満足感を生み出すのです。
人と仲良くできて、望めば何のリスクも無く血が飲めて、凶悪な魔物から町や人間を守るという役割が持てるこの場所は、私にとって楽園とは言えません。
療養のためにはるばるやって来ただけなのです。
なのにずっとここに居ても良いと思ってしまうのは、一体全体どういうことなのでしょう?
……頭の中がゴチャゴチャです。ここに来てから何かがおかしい。
今までこんな状態になったことが無いので、対処法がわかりません。
とりあえず落ち着きましょう。
深呼吸です。
「スゥー……ッ、ゲホっ臭……」
思い切りせき込んでしまいました。
鼻から息を吸い込めば、うっすらとした甘さに混じった、嫌な、歪んだ、獣の匂いが鼻腔と肺の中を蹂躙したのです。
「そんな馬鹿な」
この匂いは族長の匂いです。しかも普通のライカンスロープの匂いすら混じっています。それも大量に……
目線を左右に散らせば、闇夜に光る獣の瞳がいくつも見えました。町を囲んでいるようです。
「なぜ……まさかエリーさんが」
町を囲むようにライカンスロープが配置されているということは、指揮する者がいるということ。匂いからわかる通り、群れ長が率いているのでしょう。
「エリーさんが、負けた? 死んだ? 食べられた? ありえませんわ」
しかし状況としては、群れ長率いるライカンスロープに囲まれています。一人北の森で戦っていたはずのエリーさんが一体どうなってしまったのか、考えるまでもありません。
「嘘……信じられません」
信じられないというのは、エリーさんが負けたことではありません。
心にぽっかりと開いた喪失感の大きさが信じられないのです。
固執していたことは認めます。
執着していたことも認めます。
ですが、ここまでの喪失感を味わうなど、初めてです。
人も同族も何人も玩具にして弄んで死なせてきたこの私が?
「あぁ……どうして……」
涙するほど悲しんでいるなど、あり得ません。
どうしましょう。
本格的におかしくなってきてますね。
もう、他のことがどうでも良いと思ってしまうのです。
このケダモノ共を滅ぼしてしまいたいと、自らすら捨ててもそうしたいと、心の底から思っています。
自分の楽しみのためだけに二百年以上生き続けた蠱毒姫たるこの私が、こんなことを思うなど、おかしくなってしまっているとしか言えません。
「アハ、アハハハハハハハハハハハハハ。いいでしょう。もういいのです。どうでも、良いのです」
狂笑と共に自暴自棄な台詞が口から飛び出しました。どの言葉も私が意図したものではありません。勝手に口が動いたのです。
「ぶっ殺して差し上げます。あなた方のご家族には、首から上を送り返します。確かヴァンパイアハンターとワービーストの方でしたよね? どちらも必ず滅ぼします」
今そんなこと出来もしないのはわかっているのですが、そう言わずにはいられません。
誓わずにはいられません。
近い将来、必ず滅ぼします。
この世界の歴史から、ヴァンパイアハンターの凄惨な死と、ワービーストの滅亡を記しましょう。
「さっさと滅ぼされに来なさい。グッチャグチャにして、見るに堪えないような汚い肉片にして差し上げますわ」
背後からは未だに喧噪があります。甘い香りが強すぎてライカンスロープの匂いに気付いていないのでしょう。暢気なものです。
私に感づかれたせいでしょうか。ウィンターピットの建物の影から、ぞろぞろと群青色のケダモノが姿を見せ始めました。
治りかけの体に、人間にしか効かないシトリンのみ。昨夜は一体の手負いのライカンスロープといい勝負をして、七体相手に危うく殺されかけるところでした。
関係ありません。
滅ぼすと今誓ったのです。
後ろにはヴァンパイアとワービーストの戦士のスコットさんも居ます。何とかなるでしょう。まぁ手を借りるつもりはありませんが。
物陰からやっと姿を見せ、襲い掛かるタイミングを計っているケダモノ共に、私は笑いかけ、にらみつけます。
「どうも根暗なうえに人見知りなようですわね? ケダモノの癖に気持ちが悪いですわ。ですがその耐えがたい体臭を少しでも感じさせまいと距離を取る態度には関心します。しかしそんな気遣いは無用です。その見た目だけで十分不快で嫌気がさしていますから、匂いはもう気になりません」
私の言葉に嫌そうに目を細めて、なんて気持ちの悪い生き物なのでしょう。
ライカンスロープなどと言う名前ももったいないくらいの雑種。混ざり物。醜くて群れないと何もできない魔物未満の悍ましいナニか。
ああどうしましょう。憎くて仕方がないのです。
どうも腰が重いようですわね。これだけ言ってもまだじりじりと距離を詰めるばかり。待つのも面倒です。
「……では、殺しますね?」
先にしびれを切らしたのは私の方。
ですが、私は悪くありません。
この醜い者共が悪いのです。
駆除を始めましょう。