結果の決まった小さな戦争
私が振り抜いた豹拳は、残念なことに空を切った。
「オワッと」
族長が避けたわけじゃない。
族長が別の人に、体を強く引っ張られた。それで体制が変わって、私の豹拳はギリギリで空振りになったんだ。
空振るとは思ってなくてちょっと体制を崩しつつ、転がるように着地して、改めて族長の方を見る。
「……気付かなかった」
そこにはさっきまで戦ってた族長と、他に二人いた。
どっちもワービーストと同じように肘や膝の先に毛が生えてて、頭と腰から耳と尻尾が生えてる。
体毛の色は、群青。
ワービーストのライカンスロープ。
族長は、三人居た。
「そう言えば、不法入国したワービーストは三人居るって、言ってたっけ」
気付いてみれば、ライカンスロープの持つ歪な悪臭が三人分あることが今になってわかった。
気付けなかった。
戦ってた族長に貫手を指した瞬間から、族長の血が舞って、匂いが濃くなって、匂いの元の数は集中しないと判別できなくなってたんだ。
あとこの匂いに慣れてしまってたのも原因かな。
臭いのを我慢して鼻で呼吸してたから。
私に鼻で呼吸しろって言ったヘレーネさんのせいだ。
ああ、それにしても……
「どうしよう」
不味いよ。
三対一になったら、今のままじゃ勝てないかもしれない。
というか負ける気がする。
絶対負ける。
多勢に無勢だよ。
卑怯だよ。
戦ったって絶対勝てないよ。
ああ、どうしよう、興奮する。
「タスかた」
「だいぶライカンに寄って来てるな」
「不細工な顔になってる。もういっそ顔面潰れるくらい殴ろうか?」
「あア。やってくれ」
私と戦っていた族長は、仲間の族長の一人に思いっきり顔を殴られた。グシャッと顔がつぶれて、意識を失ったかのように倒れ込む。
仲間割れだったらよかったんだけど、そうじゃないよね。
「おい?」
「強くやりすぎたかもしれない」
「イ、ヤ。大丈夫、ダ」
そして起き上がった族長の顔は、もう人間っぽさはゼロだった。
獣の顔。
族長三人のうちの一人がようやく私に目を向けた。
「不思議そうだな」
「そう見える?」
「説明してやろうか?」
「何のために?」
「俺たちの自己紹介の練習だよ」
「知らないよそんなの。勝手にその辺の木に向かって自己紹介してればいいじゃん」
ああどうしよう。
勝てないってわかってるのに、強気なこと言っちゃった。
怒らせちゃった。
ああ、怖い。
楽しみ。
「俺たちはな。ワービーストの軍人なんだよ」
ああもう。なんで律儀に自己紹介始めるの。結構怒らせるようなこと言ったのに。
「俺たちは戦争がしたくて軍人になったんだ」
「傭兵になればよかったのに」
「全くだな。軍人になったのは完全に間違いだった。戦争をしていない国の軍人は、ただの飾りだ。だから戦争を起こすことにした」
「こっちの迷惑も考えてよ」
これは本音。
割と本気の本音。
戦争がしたいなら好きにすればいいけど、吹っ掛けられた方は堪ったものじゃないよ。私なんて、関係ない理由でウィンターピットに来たのに巻き込まれて、ヘレーネさんにもいいようにされてるよ。
ほんっとに堪ったものじゃないんですけど。
「クレイド王国はちょうどいい相手だと思ったんだ。内部で何度もでかい事件が起きて弱ってるんだろ?」
「ウグ……」
三回くらい王都を襲撃した張本人が、私っていうね。
じゃあこの事件も、元はと言えば私のせい?
私が悪いんだ。
よかった。
私が悪いなら、私が解決すればいい。
私が謝ればいい。
他の人は悪くないから、責めなくていい。
楽でいい。
それはそれとして
「ライカンスロープって、何なの?」
私が個人的に気になっているのは、これだったりする。
人でも亜人種でも、動物でも魔物でも無い。
私と同じ分類。
化け物の正体が知りたい。
親近感はあまりわかないけどね。
「ちょっとした呪術と錬金術まがいの結晶だ。一応兵器だと俺らは思ってる」
魔術なんだ。
へぇ。
私は人間とヴァンパイアベースで、薬で作られた化け物です。
ワービーストベースの、魔術で作られた化け物さん、こんにちわ。エリーと申します。お名前は言わなくて結構です。
「獣をヒトの体に降ろす呪術がある。自分の体に降ろして使役したり、憎い相手に降ろして、身も心も醜く変容させて呪殺したり、動物関連の呪術は多い。知ってるか?」
カラスを自分の体に降ろした人なら知ってるけど、魔術に関して私は素人だね。
「知らない」
「それは好都合。何にも知らない奴にもちゃんと理解させられる自己紹介がしたいんだ。いい練習相手だな」
「それはどうも。不本意だよ」
「ブルータイガーつう魔物を、まずはワービーストに降ろす。そんでそいつの血液から、ワービーストとブルータイガーのうまく共生した要素を取り出して、今度は錬金術で不純物を取り出して、調整して、増やした。で、それをヒトに飲ませると、こうなるんだ」
「はぁ……」
どうせ詳しい手順とか聞いても私にはわからないだろうけど、ものすごく端折った説明をしてくれたのはわかる。
だけど、なんというか、まぁ、うん。
「そうですか」
「軽いな。もう少し驚けよ」
そう言われても、それ以上の感想が出てこない。
きっとすごいことで、酷いことをしたんだろうけど、そっか。
「で、だ。俺たちがこの隔離された町で、ヴァンパイアハンターとかいう可哀そうな連中を使って、非人道的な実験と殺害を繰り返したことが表ざたになれば、どうなると思う?」
「戦争になると思ってるんでしょ」
「その通りだ。というかせざるを得ないだろう。クレイド王国から俺たちの本国に対して宣戦布告があるはずだ。そして本国は応戦する。これで戦争勃発。俺たち軍人がようやく日の目を見られるってわけだ。しかも、俺たちはライカンスロープっていう兵器を投入する。単体はヴァンパイアより弱いみたいだが、人間よりは強い。狩りも得意だ。敵の肉を喰らって腹を満たせる。活躍間違いなし。俺たちは戦争犯罪者になるだろうが、同時に戦勝に大きく貢献する」
長々と語ってくれた族長は、嬉しそうな声を上げて、ボギリボギリと手を揉んで指を鳴らした。というか自分で折った。
「戦争が出来る! 活躍できる! 俺たちはそれが目的だ。それがしたい!」
「なるほど。よくわかりました」
「自己紹介を最後まで聞いてくれてありがとう。いい練習だった」
族長のボギボギ折れた指が、再生し終える。
最初より太く、長く、獣じみた指になってる。
「さぁ! 俺らとお前の戦争を始めよう。俺たちの勝利とお前の敗北は確定してる。ワービーストのライカンスロープはな、獣化できない。代わりに怪我をすると、高速で再生する。そして再生した部位が獣化していく。強くなっていく。その分ヒトの意識よりブルータイガーの本能が強くなってしまうが、戦えば戦うほど、俺たちに攻撃すれば攻撃するほど、俺たちが強くなっていく。俺たちが有利になっていく」
「うわぁ……」
私とよく似てる。
「戦争を始めよう。勝ち確定の戦争をだ!」
どうしよう。
三対一で、じり貧になること間違いなしで、負け確定の戦い。
私の性癖にすっごく刺さっちゃうよ……ッ
自己紹介だなんだといっぱいしゃべってたワービーストのライカンスロープ。この人の戦い方は、軍隊式って感じだ。
低い姿勢からのタックルに、打撃に掴みに引っ掻きに刺突と、変則的な手技。そして時折混ぜ込まれる大振りな足技。掴もうとしたり関節を取ろうとしたりしてくるから、多分投げも絞めも出来るんだと思う。
基本は手技で責め立てて、隙を見て掴むか組むか、あるいは蹴りの決め技に派生しようとしてくる。
ちゃんと捌き切れるよ。早さも力も私の方が上だもん。手技も足技も避けられるし、掴まれても組み付かれても、むしろ私の方から投げられるし極められる。
ただし、一人なら。
全然喋らなかった方のライカンスロープは、魔術師みたい。
最初にいきなり飛び掛かってきて、引っ掻かれた。
左腕の二の腕と、後ろ髪を、少し切られた。
でもそれ以降は接近してこない。
代わりに、呪いをかけて来る。
魔術師のライカンスロープが爪に付いた私の血を使って、灰色のペンタグラムを拡げながら、呪文か何かを唱える。すると突然私の血が食道をせりあがってきて、いきなり吐いてしまった。
たった一回、その呪いを貰っただけで、ものすごく消耗したのがわかる。頭が若干クラクラした。大きな隙を晒してしまった。
でも必死に横に跳んで、なんとか他二人からの追撃は免れた。
あと、切り取られた髪の毛で呪術を使われると、一瞬全身が痺れて動けなくなる。
こっちは必死で族長とお喋りなライカンスロープの二人の攻撃を掻い潜ってるのに、リズムを乱されてしまう。
吐血ほどじゃないけど、大きな隙を晒すことになる。
多分直接戦闘に持ち込めれば、一番簡単に倒せそうな感じがするんだけど、正直一番厄介。
私がどんなに頑張っても、戦いの主導権を握らせてくれない。
そして族長。
軍隊式の格闘を繰り出すお喋りライカンとは反対に、こっちはすごく動物的。
飛び掛かる。引っ掻く。殴る。蹴る。掴む。噛みつく。
もう両手も地面についちゃってて、両手両足で地面を蹴って動いてる。
三人の中では一番早くて、力が強くて、なんとか一発殴れても、あんまり怯まない。
倒せる相手のはず、なんだけどね。
必死に、戦った。
何回も呪いを受けて、吐血して、しびれて、隙を晒して、それでもなんとかカバーして、必死に、攻撃し続けた。
何発も指尖硬化した指で殴ったし、刺したし、足で蹴り飛ばしたりした。
骨も折った。
内臓も傷つけた。
でも、私ばっかり消耗してる。
わかってた。
相手の行動はもちろん、私の攻撃すら、相手をより強い状態にする以上の効果が無い。
攻撃を受けないように、一瞬怯ませるための攻撃が、時間と共に私自身を苦しめる。
どんな攻撃を繰り返してもダメで、呪いで回避行動を潰されて、掴みや組み技をちらつかせられるせいで防御が使えない。
吐血が酷くスタミナを奪っていって、集中力が削られて、動きの冴えが失われていく。
時間と共に、戦況が少しずつ私の不利に傾いていく。
真綿で首を締められてるような、追い詰められていく感覚。
ものすごく息が上がってしまうのは、きっと疲れたからだけじゃない。
この状況に、興奮してるせいだ。
今から逃げようとしても、ダメっぽい。足がふらつく。足場の悪い森の中を走れば、絶対もつれる。
疲れ切ったこの体じゃ、逆転は狙えそうにない。もう殴ったって効いてないみたいだし、貫手の刺突はきっと掴まれてしまう。
あぁ、もう、ダメ……