37話 宣誓の制約
――正体がばれた。
その事に気が付くと同時に行動した。
マナの前に割り込み、続けてテラとトゥフーにも前に出ないようにと視線を送る。流石にテラは察しが良かったが、マナは横から出て来そうになっていた。
「ちょっと、マナダメでしょ!」
「ダメじゃないなの、おかあさんの隣が良いなの!」
どうやら、前に出ようとするマナをテラが止めているらしい。
「だから、今はそう言う事じゃなくて――」
小競り合いを始めた二人だったが、その間を抜けて出て来た存在が居た。
『あるじぃ?』
「トゥフー駄目じゃない、ほら後ろに居てちょうだい!」
慌ててトゥフーを隠そうとしたのだが……
『あるじ、あれは何してるんですか?』
「あれって……?」
トゥフーに言われて、逸らしていた目を夫婦へと戻した。
視線を戻すと、そこには頭を地面に付けた女性サリーと、サリーに頭を押さえられ無理やり頭を下げる事となったその夫、ロードの姿があった。
「……あの、何しているんですか?」
状況が読めず恐る恐る声を掛けると、サリーが言った。
「ごめんなさい、何か不味い事をしたのだったら謝るわ! だから、どうかこの村の皆には手を出さないで頂戴。その代わり、私と夫はどうしても良いから……こう見えても、一応私達はそれなりの使い手だったの。若い子に比べると劣るかも知れないけど、それでも色々出来るわ。だから――」
捲し立てる様にして話すサリーだったが、どうやらシナ達に対して"命乞い"をしているらしかった。てっきり攻撃をされないまでも、何か良くない事が起こると思っていたシナは、思わず拍子抜けしてしまった。
相変わらず頭を下げたまま言葉を連ねているサリーを見て、何だか申し訳ない気分になって来た。それこそ、結界を壊したのを始めとして何か謝らなければならないとすれば、それはシナの側の筈なのだ。
「大丈夫ですから、頭を上げて下さい。それよりどういう事か説明をして欲しいです」
警戒を解く事は無かったが、何となくそれほど大きな問題にならずに済む気がしていた。と言うのも、サリーとロードが二人で始めた言い合いが、その内情を全て吐露していた。
サリーに説明をお願いすると、サリーは口を開いた。
「分かったわ、そうねぇ……きっとこの人は、私は何も知らないと思っているんでしょうけど、私は直ぐに気が付いたわ。だからこそ、失礼が無いように楽しんで貰おうと――」
どうやら、サリーはこちらに気を使ってくれていたらしい。
「何言ってるんだ! お前は探知が出来ないだろ、それにしばらくは漁にも出ていなかったのだから、俺はてっきり気が付いていないモノだと思って――」
気になる単語が出て来た。
「あの、"探知"って……」
質問しようとしたシナだったが、どうやらロードの言葉に頭に来たサリーは、それ処では無かったらしい。シナ達はすっかり蚊帳の外だった。
「あら、あたしが"気配"に気が付かない程なまっているとでも言っているのかしら? それに、少し前の違和感にだって気が付いているわよ。村の皆が起きだすような気配に、私だけ気が付かない訳ないじゃない!」
……どうやら、シナがした何かが不味い影響を与えていたらしい。
サリーの言葉が止まらない。
「それに、あなたこそあの対応は何なのかしら。結界が壊れた以上、やって来るのは私達の敵う存在では無いと、分かっていたはずじゃない。それに、話の通じない化物であればまだしも、こんなに可愛い子達なのにあなたと言ったら――」
……うん。このサリーと言う女性は、相当肝が据わっているらしい。話から察するに、こちらに敵わないと知るや否や敢えて普通に接する事にして、これ迄立ち回っていたという事らしかった。
「それは……まあそうだがな、それでも仮にも最強である俺達がやられでもしたら、それこそ皆が不安がるだろうに。それに、一応俺達も勇者の師匠としてだな――」
「何が"勇者の師匠"よ! 勇者と言っても最強じゃないのは、話を聞いた貴方もよく分かっているでしょ。それに、あの子の言っていた"少年"についても、『自分達に原因があって怒らせてしまったのかも知れない』って言ってたじゃない。それなのにどうしてあなたは――……」
サリーとロードの二人が言い合いの最中だったが、途中でテラの掴む手がキュっと強くなったのを感じた。飽くまで察するしかないが、もしかするとサリーの話に出て来た"少年"や"勇者"そして、"怒らせてしまった"と言うのはテラに関係した事だったのかも知れない。
ただ、テラを前にしても特別何か反応を見せた訳では無かったので、恐らくこの二人は伝え聞いただけで"少年"について直接知っている訳では無いのだろう。
どうやら、もめごとになるのは避けられそうな雰囲気だったので、一先ずみんなの事を落ち着かせる事にした。
「みんな、大丈夫よだから攻撃しちゃダメよ?」
シナが語りかけたのは、なにもテラやマナにではない。最も危険な雰囲気を発し始めていた沢山の精霊達――低位精霊の子達へだった。
シナがそう言って落ち着かせると、それまで周囲を取り囲んでいた子達が再びふわふわと漂い始めた。一人一人から意思が伝わって来るが、どの子も心配してくれていたらしかった。
『だいじょうぶなのー?』
『こうげきしないなのー?』
『わるいやつなのー?』
幾ら低位精霊とは言っても、魔獣を倒すほどの力を持つ精霊だ。それに、やはりシナ達以外にはその姿は見えていないらしく、宙に向かって話しかけているシナを見た二人は首を傾げていた。
「もしかして……」
「いや、それは流石に……」
顔を見合わせてそんな事を言っている二人だったが、何か決心した様子でサリーが聞いて来た。
「あのね、シナちゃん。もし気に障らなかったらなんだけど……」
そこで言葉を止めたサリーだったが、言葉を引き継いだロードが言った。
「嬢ちゃんは、精霊が見える――いや、精霊と契約している"精霊術師"なのかい?」
緊張した面持ちで言葉を選びながら言ったロードに対し、どう答えようかと思ったシナだったが、その表情から(これは何か確信があるみたいね)と思い、正直に言ってしまう事にした。
「ええ、実はそうなの。それで、今回精霊結界を壊してしまった事なのだけど、謝りたいのともし良かったら新しく結界を張らせて貰えないかしら」
そう言って、恐る恐る二人の顔へを視線を向けたのだが……
「……」
「……」
夫婦そろって、二人共口を開けて固まっていた。
「あのぉ、確かに少し無理やりだったかも知れないけど、別に壊そうと思って壊したわけではないし、それに別に喧嘩がしたかった訳じゃないの。それこそ、何方かと言うと一緒に料理を作って美味しいものを食べたいわ。私も知らない事は沢山あるから色々教えて欲しいし、それに……トゥフーだって、一応私の言う事は聞いてくれるし……――」
ぶつぶつと呟いていたシナだったが、呆気に取られていたロードがトゥフーの額を見て、その表情を変えていた。
「……まさか、この白い狼は嬢ちゃんの従魔なのか。白い狼なんぞ聞いた試しが無いが、それに加えて精霊術師とは、まさかそんな馬鹿な事が有るなんてな。それこそ、ギルドの"Sクラス"や"勇者"なんかよりもよっぽど珍しいんじゃないか……?」
「そうね、見た目から判断すると特徴は黒狼のそれに似ているから、もしかしたら"変異種"か複数の"加護持ち"かも知れないわね。それに、精霊と言えば、貴方が水の精霊と契約していたのも大分昔の事ね……」
トゥフーの額の紋様を見て、従魔であると分かって貰えたのは良かったが、その後に二人が言った言葉が気になった。
「えっと、精霊と契約しているのはそんなに珍しいのかしら? それに、『精霊と契約してた』って言うのはどういう事?」
シナの疑問を受け、二人は顔を見合わせていたが、どうやらサリーが説明してくれるらしかった。
「そうね、先ず精霊との"契約者"についてだけど……」
そこで言葉を切ると言った。
「相当、いや世界に数人いるのかどうか――と言うレベルで珍しいわね。それと、契約していたのはこの人で水の精霊と契約していたわ」
自分の夫であるロードの事を指して言ったサリーだったが、シナの質問を聞いて少し顔を曇らせる事になった。
「そうなのね。でも、その言い方だとまるで今は契約していないみたいじゃない」
顔を曇らせたサリーを見て、不味い質問だったかと思ったが、その問いにはロードが答えてくれた。
「ああ、その通りだ。俺達が"勇者"の事を受け入れた日、精霊は去って行った。それでも、今の今まで結界を解かずにいてくれたんだからな、感謝はしているよ」
そう言って、笑顔を浮かべたロードだったが、シナから見て少し痛々しい笑顔だった。それは兎も角、ロードの話に何となく違和感を感じたシナは、女王の知識で改めて"確認"した。
……やはりね。
確認し終えたシナは、違和感の正体を突き止めていた。
「あのね、二人は契約が解除されたみたいに言っているけど、精霊と交わした契約は契約主が死なない限り消える事が無い筈よ?」
――そう、だからこそ精霊達は慎重になって契約者を決めるのだ。
「え、しかし俺は確かに精霊術は使えないが」
シナの言葉に、首を傾げて言うロードだったが、それに答えたのはテラだった。
「それは、繋がりが遮断されているからよ! パスが遮断されれば、幾ら契約があっても精霊術は使えないわ。ただ、霊体化は使える筈なんだけど変ね……」
勢いよく話してから、小首をかしげていたテラだったが、その様子を見ていたサリーが手をポンっと打った。
「あっ、そう言えば昔沐浴していた処を覗き込んで来たから、"宣誓の制約"をさせたんだったわ……もしかして、そのせいで?」
そう言うと、サリーはロードに言って腕を出させた。
見ると、腕の側面に何か呪文のような文字と、剣の彫りこみがされていた。
「今更覗きなんてしないわよね?」
「……する訳なかろう」
鋭い視点を向けたサリーにそう答えたロードだったが、とても居心地悪そうにしていた。恐らくは、若い頃にした悪戯だったのだろうが、大人になってその事を言われて恥ずかしいのだろう。
……まあ、自業自得だが。
ロードが頷いた事を確認したサリーが、何やら呪文を呟くと自身の指を少し切り、そこから滲んで来た血をロードの腕へと押し当て、剣をなぞるようにしてスライドした。
その直後――
彫りこまれた絵のようだった剣が、ロードの腕から目の前に現れた。
「……これで解除したわ」
そう言って、現れた剣を懐かしむように掴んだサリーに言った。
「ねえ、もしその"制約"を破っていたらどうなっていたの?」
シナの言葉を聞いたサリーが面白そうに笑むと、言う。
「そうね、先ず一度目で体の中で一体となった剣が、その体を切り刻むわね。一度でもそうとう痛いらしいけれど、これが二度目になれば叫ぶどころの話ではないみたい。それこそ、三度目ともなれば……まあ、この人の事だから自分で回復魔法を使って、死にはしないでしょうがね!」
……どうやら、相当"キツイ"お灸をすえていたらしい。
まあ、二人の間での事だ。口を挟むのはお門違いだろう。
それより――
「どう? 霊体化できそう?」
そう、問題はそこだ。
もし霊体化できれば、ロードは精霊との契約が切れていなかったという事になるのだ。
若干緊張してその様子を見守っていたが……
「ああ、どうやら出来そうだぞ」
そう言うと、ロードは霊体化をしようと意識を向け始めた。
――数秒後。
一瞬の気配の変化と共に強い力が近づいて来るのを感じた。
……そう、近づいてだ。決して、目の前のロードから感じる変化ではない。これはもっと別の、そう何か人では無いような強大な――そう考えていたシナは、ソレに気付くのが早かった。
「あれ、海の方よ!」
シナの声の方に顔を向けたロードとサリーの二人は、その光景を見て顔を強張らせていたが、それもそうだろう。遥か遠方ではあったが、海があるであろう方向に何かとんでもない高さの水の壁が迫って見えていた。
「……津波?」
思わずそう呟いたシナだったが、そんな筈はないだろう。
何となく推測しながら、その"正体"を見極める事にした。
――『探知』
静かに広がって行く意識の波、その波は瞬時にその"正体"を捕えていた。




