36話 夫婦の葛藤
……どうしてこうなったのだろうか。
目の前には、魚が山のように積まれていた。
これを用意したのは、当然ながらシナ達ではない。
用意したのは、目の前の女性とその横にいる男性だ。
女性の方はキラキラとした目でこちらを見ているし、男性の方は上がった息を整えているが、それもそうだろう。
女性は兎も角、男性の方はつい今しがた走って行ったかと思ったら、大量な魚を持って帰って来たのだから。まあ、それにしては服が乾いていたり、とても両手で持ちきれない魚の量だったり不思議な点は幾つかあったが……
「さあ、これでどんな料理を作るの?」
興味津々という様子で近づいて来る。
「そうねぇ、これだけ沢山あれば色々作れるわ。刺身、叩き、漬け、揚げ、焼き……醤油で食べるのがベストかしらね」
魚の山を見上げながらそう言うと、女性が目を丸くして言う。
「その、さしみ? とか、づけって言うのはどういう料理なの!?」
……勢いが凄いが、これは恐らく最初に分けてあげた肉料理――ローストハムが理由だろう。女性の方が料理に興味津々になっている気持ちはよく分かるが、一歩下がった所で引きつった笑顔を浮かべている男性が何を考えているかはよく分からない。
「えっとね、刺身って言うのは魚を開いて、食べやすい大きさにスライスした料理で――」
説明し始めたシナは、未だに状況が掴めずにいたが、取り敢えずファーストコンタクトが最悪なものにならずに済んで良かった。と胸をなでおろしていた。
――今から20分ほど前。
村の広場で朝ご飯を用意していたシナは、「どうしたの、迷子になっちゃったかしらぁ?」――という言葉を以って、村人とのファーストコンタクトを済ませていた。
声と共に出て来たのは女性だった。
一目見て分かった。
――同類だ。
この女性は子供が好きに違いない。
すっかり警戒を解いてしまったシナは、折角だからと言う事で朝食に誘った。
村人からの印象を良くする事は優先事項だ。
何せ、大切であろう村に張られていた結界を、壊してしまったのだ。
目の前の女性――村の中でも最も良い場所に居を構え、最も立派な家から出てきた女性の心象を良くしておいても損はない。
若干テラが警戒していたが、落ち着くように頭を撫でつつ取り敢えず空間魔法で、作ってしまっていた肉料理"ローストハム"を取り出した。
この料理は、霜降り肉だった魔獣の肉の内でも、上質な部分を料理しておいたものだ。
……まあ、料理とは言っても【合成】で作った料理なので、胸を張れる訳では無いが。
一切れ女性にあげたシナは、女性の様子を見ていた。
恐る恐る肉を一切れ口元へと運ぶ女性。
匂いを嗅ぎ、一口口にし、次の瞬間口の中に放り込んでいた。
あっという間に食べてしまった女性は、食べ終えた瞬間目を閉じて味わっていたが、その次の瞬間後ろを向いて「あなたぁ、ほら早く来て頂戴なぁ。この子達凄いのよぉ~」――と言った。
直ぐに反応はなかったが、一呼吸おいて帰ってきた言葉は若干高い声だった。
恐らく、寝起きなのであろう声の主は男性だった。
見た感じ40代中頃だろうか、筋肉質な男性が出て来た。
折角なので、男性にもローストハムをあげたのだが、食べるまでに何故か時間が掛かった。しばらくハムとこちらの間を行ったり来たりしていた視線は、最終的に女性へと目をやると一口で食べていた。
食べた直後に体を屈めていた男性だったが、どうやら口にあったらしく、立ち上がると驚いた表情で見つめて来た。
その後、女性からの雨のような質問を受けたシナは、女性からの「他にも料理できるの?」と言う質問に、色々作れる事と魚は何処で手に入るかを聞いていた。
当然、ココが海に近い村である事を前提にした質問だったが、思い通りの展開になった。
シナの言葉を聞いた女性が「それじゃあ、魚料理を作って欲しいわ!」と言ったのだ。その後は、あれよあれよという間に、男性が漁に出る事になっていた。
――とまあ、そんな事があっての今なのだが……
女性に、刺身料理について説明していたシナは、"早速"と言う事で魚を料理する事にした。
「あら、何か"道具"を用意しましょうか?」
魚を掴んだシナに女性が言う。
一瞬疑問を覚えたシナだったが、そう言えば普通は【合成】などと言う力などあるはずが無く、きちんと"料理"をするモノなのだと思い出した。
「……お願いします」
「あら、ちゃんとお願い出来るなんて、良い子じゃない~」
そう言うと、女性はパタパタと家の中に戻って行った。女性の言葉に一瞬違和感を覚えたが、直ぐに自分が今子供の姿をしていると思い出して納得した。
その後、少し待っていると女性が帰って来たが、その両手には二振りの包丁が握られていた。一方は刃渡りの長い包丁で、もう一方は刃幅の太いモノだった。
恐らく、片方は普通に捌く用の包丁で、もう片方は骨ごと両断するような使い方をするのだろう。
「さあ、好きに使って良いわよっ!」
「お、お前それは奉納刀じゃないか?」
……どうやら、女性が持って来た包丁は何か特別な物だったらしい。
「良いじゃない、どうせ一年に一度しか使わないのだから」
「しかしだな――」
ぐいぐい来る女性に対して、男性は若干押され気味だった。
「まさか、この子達に魔法を使って料理をしろとでも言うつもりじゃあないでしょう?」
「う、それは……しかし……」
その後、結局女性に押し切られる形で、奉納刀もとい包丁を使わせて貰う事になった。包丁を受け取りながら、そう言えばまだ名前を聞いていなかった事を思い出した。
「あの、私はシナと言うんですが、名前を聞いても良いですか?」
若干伏し目がちに言ったシナだったが、直ぐに反応があった。
「あらぁ、可愛いだけじゃなくて礼儀正しいのねぇ。私は、ロウウェン・サリスフィード。それで、こっちに居るのはロウウェン・シュタインズロードよ、よろしくねシナちゃん」
やはり二人は夫婦だったらしい。女性に「よろしくお願いします」と答えたシナは、二人の了承を得てマナとテラの事も紹介しておいた。
マナは問題なかったのだが、テラは嫌々と言った感じで了承していた。
「まったく、シナが居なかったらこんな所直ぐに離れるのに……」
横でテラが文句を言っていたが、その手はシナの服の裾をしっかりと掴んでいた。その様子を見ていたらしいサリー(本人が「サリーと呼んでね」と言っていた)は、どうやらテラの事を照れ屋だと理解したらしく、聞こえているであろうはずなのに、始終ニコニコと笑顔を絶やす事がなかった。
笑顔のサリーに対して夫のロードは、シナが受け取らなかった方の包丁――骨ごと断ち切ってしまいそうなゴッツイ包丁を持ち、目をキラキラとさせているマナをじっと見ていた。
何故かマナをじっと見つめているロードに対し、不思議に思っていると、不意にロードの表情が変わったのが分かった。
……何やら小さく呟いている。
通常は聞き取れる筈がないような声だったが、それもシナに掛かれば問題ない。仙人であるシナの身体機能は、人間のソレとは比較にならない程であり、僅かな音でも聞き逃さないのだ。
ロードは、こう呟いていた。
「そんな、まさか……あり得ない。まさか……」
何か気付いたらしい様子に、若干嫌な予感がした。
そして、その予感を裏付けるようにロードが言った。
「まさか……精霊だと言うのか」
その言葉を聞いた瞬間、肌が泡立つのを感じていた。
パニックになりかけたが、表面上は冷静でいる事ができた。
情報でいっぱいになった頭の中を空にすると、状況を確認した。
そう、状況はシンプルだ。
――正体がばれた。




