35話 知らぬがもふもふ
二人に合流したシナは、静まり返った村の中を歩いていた。
「誰も居ないなの~」
「そうね~まだ早い時間だからみんな寝てるのよ」
まだ朝日が昇り始めたばかりなのだ。この世界の人が夜行性でなければ、これから起きて来るだろう。問題は、壊してしまった結界の事をどう謝るかなのだが……
トテトテと歩きながら、不思議そうに周囲を見まわしているトゥフーに声を掛けた。
「どうしたの?」
『あるじ~見られてるー』
「そうなの?」
『う~ん、そんな感じがしたよ』
もしかしたら先程の音で目を覚ました村人が、誰か居たのかも知れない。
「大丈夫よ。そうね……取り敢えず、あの広場で誰かが起きて来るのを待ちましょうね」
そう言ったシナは、村の中心にある広場へ歩き出した。
広場は楕円形をしており、幾つかのテーブルやイスが彼方此方に置かれていた。恐らく、村人たちの利用する公共施設のような物なのだろう。
加工されたテーブルなんかを見ると、かなりしっかりとしたつくりをしているのが分かる。
「おかあさん、あのね皆でお肉が良いと思うなの」
手を引いてそう言ってくるマナ。
「ふふっ、そうね。丁度テーブルもある事だし、朝ご飯にしましょうか」
嬉しそうに飛び跳ねるマナと、口の端を若干上向けているテラ、走って行くと飛び跳ねながらテーブルの周りを回っているトゥフーを見ながら朝食をとる事にした。
精霊達は、どうやら村に興味を持ったらしく、彼方此方に散っていた。
「さてと、分厚いお肉も良いけど、今日は薄くスライスして香りづけしたお肉をスモークしてみましょうかね。窯は火魔法を使えるぐらいの穴を開けて……」
ここしばらく肉の塊を焼いて食べていたが、今日はスモークしてみる事にした。
一応、野菜や植物の種を使ったスパイスもどきを使っているが、やはり料理には醤油や塩が欲しい。二回に一回はシナも食事をとっているが、毎食食べる気にならないのは味のバリエーションの無さが理由だった。
今後様々な種類の調味料が手に入れば、食べる楽しみも出来るのだが……若干の不満を抱えながらも、一先ず"食べる楽しみ"を知ったテラとマナ。そして、『生肉最高!』とでも言いたげなトゥフーに朝食を作ってしまう事にした。
◆◇◆◇◆◇
村の中心地に居を構えるある老人は、その光景を見ていた。
そこに居るのは、三人の可愛らしい子供と一匹の白い狼だ。
子供達が居るのが村の"広場"という事も相まって、何となく微笑ましいものを見ている気分になって来るが、間違えてはいけない。
あそこに居るのは、人ではないナニカだ。
吐きそうになったため息を口の中に押し留めると、既に開け放たれてしまったドアから一歩踏み出した。鉛のように鈍くなってしまった足を如何にか進めつつ、どうしてこんな事になってしまったのかを思い返していた。
――十数分前。
悪寒と同時に訪れた"気配"。そして、轟音と地響きが伝わって来る。明らかに、普通ではない何かが起こっている。過去同じ経験をしたのは一度だけだ。
「……魔王でも来たか?」
呟いてみて(いや、それは無いな)と思い直す。
そもそも、魔王が誕生した場合もっと大きな"変化"が魔物達に現れる筈だ。昨日も森に狩に行き、海へと漁に行ったが、少しも変った所は無かった。
それなのに、今起きているのは"災厄"そのものだ。
自分を誤魔化しても仕方が無いので、冷静に状況を整理し直す。
数刻前に村全体を突き抜けた魔力の波と、目の前に居る強者。
悪寒の正体は"精霊結界"が破られた事が原因だろう。
昔、まだ精霊がここに留まっていた時に一度経験があるが、あの時も同じような感覚だった。それに、悪寒の理由について『行使したのが貴方だから、破られれば分かるよ』と教えてくれた。親切で人懐っこい精霊だったのだが……あの時した行動が違うものだったら、今も隣にいてくれたのだろうか。
少しばかり昔を思い出して止まっていたが、ふと今はそんな場合ではないと頭を振って、今起きている事に集中し直した。
精霊結界は、魔物の侵入を阻み認識を阻害する力を持つ。
それこそ、森にすむような魔物であれば、Sクラス複数体でなければ突破できないだろう。そして、Sクラスの魔物の場合、その多くが群れを率いるボスクラスである事が殆どである為、共闘するなどあり得ない。
仮に突破されたとしても、問題無い。この村に掛けている"精霊結界"の真価は、結界が突破された後にこそ発揮されると言っても良いのだ。
仮に結界が破らたとしたら、例えSクラスの魔物であっても貫く"水弾"が絶え間なく襲い掛かる事になる。正確に襲い掛かる攻撃を、最後まで防ぐことは出来ないだろう。
――そんな風に考えていたが、一向に収まらない轟音に焦りを感じていた。
音が鳴り止まないと言う事は、まだ魔物が死んでいないと言う事なのだ。
もし、万が一全ての攻撃を耐えきった場合、下手をするとGクラスの化け物である可能性が有る。
Gは、海に潜む魔物に付けられる危険度の内でも、記録にある中で人類が遭遇した事のある最恐クラスの魔物だ。
Aから始まり、B、C……と続き、七つ目がGだ。地上の魔物については、Fを最弱としてA、そしてSが最強となる。しかし、海中に関しては逆なのだ。
……逆である理由は単純で、"分からないから"だ。
海の底に行くほど強くなるが、底まで行った事がある人類は存在しない。
地上の魔物で言うSクラスの魔物は、海中に居る魔物と比べると精々がCで最強クラスでもEだ。
そして、以前結界を破ったのはこのEクラスの魔物だった為、結界の防御攻撃が終わる頃には倒せていた。
果たして今回は……
少年とも青年とも言えないような年齢の頃、後先含め五本の指に入る"死を覚悟した"経験を思い出していた。一人生唾を飲み込んだ男だったが、ふわりと肩に添えられた手を見て、胃にため込んでいた息を吐いた。
「お前か……」
「ええ、"お前"ですよ。ほら、いざと言う時皆を守るのは私達なんだから!」
そう言って渡して来た服を見て、頷いた。
「あぁすまんな。そうよな、最強であるワシらが行かんとな。しかし、そんな心配――」
妻の顔を見ながら「必要ない」と言おうとした瞬間、轟音が止んだ。
「あら? 音が止んだという事は、終わったんですかね」
「いや、これは……」
ほっとした表情を浮かべた妻の顔を横目に、残っている筈の結界へと意識を向けたのだが……そこには、ある筈のモノが無かった。
「いや、そんな筈は――」
慌てて再び調べたのだが、やはりそこに有る筈の結界は消失していた。
夫の顔色で気が付いたのだろう。
同じように顔色を変えていた女は、一呼吸すると言った。
「ほら、そんな事をしてるより、迎え撃つ準備をしないといけないでしょ!」
気丈に言う妻の姿に、本来の落ち着きを取り戻すと答えた。
「そうだな、俺は極大魔法を準備するから、お前は準備運動をしておいてくれ。敵うかは分からないが、お前もまた村最強なんだからな……」
そう言うと、気配遮断をした上で準備に取り掛かった。
――数分後。
ソレはやって来た。
最初に目に入ったのは、白い子供狼だった。
白い狼と言うのは初めて見るが、それ程強い魔物には見えなかった。
しかし、見た目に騙されてはいけない。
もしかしたら、何か特殊な能力――それこそ"ギフト"や"スキル"等を持っている可能性すらある。油断しないで、最高火力で殲滅しようとした。が――、その瞬間現れた小さな姿に驚いた。
……緑色の混じった服を着ている少女。いや、少年かも知れない。何にせよ、そこに居るのは人の姿を取った存在だった。どういう事か考えている内に、少女が白い狼を掴むと抱き上げてしまった。
幾ら"小さい"と言っても魔獣だ。普通の子供に手名付ける事など出来ない。しかし、それを簡単に抱き上げてしまったのだ。
少なくとも普通ではない少女を見ていたが、ふと何となく懐かしい感覚に陥った。それがなんであるかは分からなかったが、何処かで感じた事がある"いつの日か感じた事あるいま"だった。
少女と白い狼に注目していたのもつかの間、再び現れた者が居た。
一人は、金色の髪の毛を持った少女……少年?
そして、もう一人は――
(駄目だ、アレはダメだ……)
見た瞬間悟った。
アレは、決して触れてはいけない。
注意をこちらに向けてもいけない。
横に居る妻に何か言おうとしたが、言葉にならなかった。
「あなた……そうよね、あんなモノ見せられちゃ言葉も失うわよね」
「うぁ……」
辛うじて出た音も、意味がを成さないものだった。
しかし、妻の落ち着き様は何だろう……
ふとその落ち着きが気になって、考えてみて思い出した。
(……そうか、コイツは気配探知が出来なかったか)
久しく忘れていたが、妻は武術の天才だが魔術はからっきしなのだ。
ここしばらくはその必要が無かったので、久しく忘れていた。
それにしても、妻のこのテンションは……
「おい、やめろ――」
遅かった。
止めるより早くドアを開け放った妻は、言った。
「どうしたの、迷子になっちゃったかしらぁ?」
猫なで声で言うと、歩き出した。
……そう、忘れていた。
妻は大の子供好き。
しかも、困っている人を見ると助けずにはいられない質なのだ。
間違いなく、目の前の化け物を迷子か何かと勘違いしている。
頭痛がして来た処で、呼ぶ声が聞こえた。
「あなたぁ、ほら早く来て頂戴なぁ。この子達凄いのよぉ~」
その声を聴きながら、再び吐きそうになったため息を口の中に押し留めると、既に開け放たれてしまったドアから一歩踏み出すと言った。
「ど、どうしたぁ?」
――道化役に回る事にした。




