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無脳者の檻  作者: hidden
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三 記憶

 鐘元(かねもと)から紹介された、江又陽人(えまたはると)の部屋だった。

「頼まれていた工具と、こっちの封筒が金だ」

 この男は有人(ゆうと)と同じく、有脳者(ゆうのうしゃ)だった。有人よりいくらか若い。三十五、六歳だろう。

「助かったよ。君が始末した男には依頼人だけでなく、僕も執拗に狙われていてね」

「なにをやった?」

「仕事の妨害さ。あの男、女児を捕まえて売ろうとしていた」

「人身売買か」

「いや、そのときは臓器密売だった」

「脳はよそへ預けて、足りない部分は他人から奪うんだな」

 葉巻を出して咥えた。いくら禁煙だなんだと言われても、こいつだけはやめる気にならなかった。

 愛用のシガーカッターで喫い口を切る。刀職人の作った古いもので、いまではどこにも売っていない。切れ味がよく葉巻の断面が潰れないため、安物のドライシガーでもなんとなく味がよくなるのだ。

 江又が近くの窓を開けた。

「僕も無脳には興味はあるけどね」

「だがやっていない。この金を使ってやるつもりか?」

「脳は使用されていない部分に霊的な能力を持つって言われてる。それが本来の脳力(のうりょく)であるってね。僕みたいな人種は、そっちに興味があるんだ」

 実際に、潜在していることも含め、脳が記録してあることが読み出せるようになった。

 感情や心理状態なども呼吸、脈、心拍数、血圧、などを通してすべて数値化されている。ログを(さかのぼ)って、ある時点での数値を参照することもできる。

「海の底や宇宙に関しては、それなりに研究が進んできた。支援を行う国も多く研究者も飽和状態だ。あとはもっと身近なところにある宇宙、ってことだね」

「人体の神秘というやつか」

「そうは言っても、僕からすれば脳は身近にある方が安心だ。穴を知ってるからね。君は金があれば無脳者になるのかい?」

「俺はこのくたびれた躰が気に入ってる」

 風景を描くために画材を背負って山登りなどをしてきたため、体力には自信があった。人を殺したことなどないが、できるような気もした。

「そんなことはいい。例の話、できるのか?」

「できる。確証が欲しかったから、鐘元さんで試した」

 鐘元も物好きな男だ。面白そうだと思うことにはすぐに首を突っこむ。

「だったらやろう。早いほうがいい」

「運び屋の男の保脳が調べ終われば、君は捕まるかもしれないしね。でも、正直なところ危険は大きい」

「俺はおまえのために手を汚した。望んだ結果を出した。無脳者はすぐに足がつくし、おまえからの依頼だということも調べられる。だが俺が捕まれば結果は同じことだ。俺の脳を調べればすべて明るみになる。おまえも捕まれば脳みそをつまみ出される」

 江又の襟首に掴みかかっていた。

「僕が試したのは、横で睡眠薬を飲んで寝てる鐘元さんだったけど、君がやろうとしているのは面識のない他人で、行こうとしているのは政府の機関だ。帰れる保証はない。僕らはこの発達した文明の片隅で古代の魔術を再現しようとしているんだ。脱魂(だっこん)憑依(ひょうい)っていうね。正気の沙汰(さた)じゃない」

「心配するな。失敗して戻れなければ、どうせおまえに文句を言うこともできん。始末は自分でつける」

「後悔はしない?」

「くどいぞ、江又」

 江又は黙ってうなずき、有人が買ってきた工具をいじりはじめた。

 機材が多く、蒸し暑い部屋だった。ラジオからは、有人の生まれ年に流行した歌の特集が流れている。奇抜な化粧をしたアメリカ人の女が、独特な振りつけで踊る映像を何度か見たことがあった。

 無脳者が増えて、テレビゲームや音楽なども新しいものが減ったような気がする。音楽など、振動から脳に癒しを得るような恩恵が得られないという話も聞いたことがあった。

 そう考えれば、脳の使われていない部分を解放することに、さほど意味を感じない。

 人類の歴史のなかで親しまれてきた共通の文化である遊びや音楽が、(すた)れていく。それは果たして、理想的な進化の道のりなのだろうか。

 中国あたりの古い思想によれば、魂は精神を支える気、魄は肉体を支える気を指す。脳を摘出することはその均衡を崩すことになる、と訴える反保脳団体もあるようだった。

 作業を進める江又を横目に、小さな窓から空を見る。

 大気汚染によって晴れても薄墨を広げたような白っぽい空。曇りの日が多くなり、頭痛や気分障害の発症者も爆発的に増えた。

 夏の終わりだが、(せみ)の声はほとんどしない。有人が子供のころは、いつもやかましく鳴いていたような気がする。

 長い間、失われた青空を描く絵描きをやってきた。

 ずっと青い空に憧れのようなものを抱いてきた。有人も、ただ想像して描くだけだったのだ。

 道行く誰もが、有人の描く絵に興味は持たなかった。そんな色の空は存在しないと(わら)われたこともある。

 茉莉だけだ。いや、あのとき声をかけてきた鐘元もそうだったのか。

 華門茉莉(はなかどまり)。親が金持ちで、早い時期に保脳手術を受けさせられていた。

 結婚直前におかしな事件に巻きこまれ、死んだ。二十九歳だった。

 すぐに保脳機関に問い合わせたが、家族以外には一切情報が出せないという返答だった。結婚直前だった、と粘ったが聞き入れられなかった。

 彼女の両親が調べたのかは知らない。嫌われていた。裕福な家庭で育った娘が、金もない、売れない画家と結婚するのだ。嫌われても当然だった。

 保管されている茉莉の脳には、死の間際の記憶が残っているはずだ。調べればわかるはずなのに、調べることができない。彼女は、なぜ死んだのか。

 愛し合ったはずの者が触れられないのなら、過去の出来事を劣化させずに残していくことになんの意味があるのか。

 彼女は、もし自分が死んだあとも、脳がずっと生かされているのは辛いと思う、と言っていたことがある。望んで無脳者になったわけではないのだ。苦しんでいるのかもしれない。

 茉莉は死んだ。死んだのに、脳は生きている。茉莉を、眠らせてやりたい。

「よし、準備ができたよ」

 江又が声をあげた。

「時間がない。手順を確認しよう」

「セキュリティの穴がわかれば、彼らも大慌てで収拾にかかるだろうね」

「ついでに、連中の好きな閻魔帳に書いておいてやれ」

「なんて?」

「他人の人生を覗き見てあれこれ言っている暇はないってな」

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