3
目覚めたのは、早朝だった。
広くて丸い部屋の中に、さらわれた女たちが全員寝かされている。
床には、桃色でふかふかの、良い匂いのする綿がたくさん敷き詰められていた。
家畜小屋のくさい煎餅布団とは雲泥の差だ。
「どこ?」
部屋は鳥かごのような円形で、縦長の窓から入ってくる日光が周囲を明るく照らしている。
マル以外の女たちはまだ眠っていた。
その中によく知る顔を見つけ、思わず大きな声で呼びかける。
「サラミ!」
家畜小屋で別れたはずのサラミが、そこにいた。
サラミはゆっくりと目を開くと、穏やかな笑顔でマルに笑いかける。
「ふあぁ。おはよう、マルちゃん。あの後で私も捕まってしまったの」
「怪我がなくてよかった、サラミ……ここに連れて来られたことは、残念だけど」
他の女たちも、順に目覚め始めたようだ。
しかし、昨夜のこともあり、錯乱状態で叫んだり、壁や扉を叩いたりしている。
扉には鍵がかかっているようで、女たちが叩いてもビクともしない。
「落ち着いて! この状態で騒いでも事態は解決しないわ!」
サラミが声を上げるが、周囲がそれを聞くことはなかった。
マルもサラミを援護するが、特に効果はない。
元王族とはいえ、隔離されて育てられたマルは、普通の王族が受ける教育を一切受けさせてもらえなかった。頭の中にあるのは、隠れて読んだ本で得た知識のみ。
そんな元王女の話を、切羽詰まった獣人たちが聞くわけがなかった。
しばらくすると、騒いでいた女性たちに諦めが見え始めた。
絶望したように、ふわふわの床の上に膝をつく彼女たちの目には涙が光っている。
「サラミ、ここはエルフの住処だよね? そのうち、向こうからの接触があるはず」
「ええ、私もそう思うわ」
思った通り、しばらくすると閉じていた扉が開いて、数人の男たちが入って来た。
今度は、怪しい黒いフードを被っていない。
すらりとしていて細身のエルフたちは、全員整った顔立ちをしている。
彼らの尖った耳は人間のように顔の横についていたが、幼い頃に見せられた似顔絵とは、似ても似つかない。
しかし、騒いだり泣いたりしていた女たちは、彼らを見て凍りついたように動かなくなった。怯えているのだ。
「怖がらなくていい。我々は、あなたがたに危害を加える気はない」
黒髪に赤黒い肌を保つ背の高いエルフが、一歩前に出て女たちに話しかけた。
しかし、彼女たちは相変わらず固まっている。
黒髪のエルフが、少し強面だったためかもしれない。
「獣人の国で出回っている、「エルフが獣人を食べる」やら「殺して楽しむ」という噂は全て嘘だ。我々は、ただ「花嫁を貰い受けたい」だけであって、獣人を傷つけるような趣味はない」
代表のエルフの説明に、女たちがさらに縮こまる。
望まない相手の花嫁になると告げられて、怯えているのだ。
「まあ、説明するより実際に体験したほうが早いだろう」
黒髪のエルフが片手を挙げると、また彼の手の上に魔法陣が現れた。
それと同時にマルたちを囲んでいた部屋の壁がなくなる。
壁がなくなった先には、大勢のエルフの男たちがいた。その数は、おおよそ百人ほどだ。
「ひぃっ……!」
たくさんの男たちの登場に、思わずマルはサラミに抱きつく。
彼らの目が、獲物を狙う肉食獣人のようで怖かったのだ。
サラミも、怯えたように身を固くしていた。
黒髪のエルフは、周囲のエルフたちに向かって話し始める。
「見ての通り、花嫁たちは怯えきっている。くれぐれも、彼女たちを傷つけることがないように! 俺からは、以上だ……」
彼の話が終わると、エルフたちがそわそわし始めた。
「では、ただいまから、第百三回目の花嫁獲得祭を開始する!」
どこからか大音量の太鼓と笛の音が聞こえ、それと同時にエルフの男たちが動き出した。
「なんだ、なんだ?」
困惑して、マルの耳がピクピクと動く。
エルフたちは、それぞれが別の獣人の女の方へ進み、怯える彼女たちに話しかけている。
「大丈夫よ、マルちゃん。彼らは、私たちを傷つけたりしないわ……たぶん」
「そ、そう、だよね……」
二人で抱き合いながら固まっていると、何者かがマルの耳をムギューッと摘んだ。
「ハムちゃん、ここにいたんですか! あ、耳ふわふわ……」
マルは、思わず「ギャー」と声を上げ、相手に嚙みつこうとした。
獣人にとって、耳と尻尾は親しい相手にしか触らせない箇所なのだ。
マルは、サラミにしか触らせたことがない。
「元気がいいですね。じゃあ、僕と一緒に行きましょう」
後ろから抱き上げられ、その場から連れ去られる。
訳がわからず、マルは抵抗した。
「は、離せ! サラミ、サラミ!」
サラミは、マルを抱えた人物を止めなかった。
困ったような視線をマルに目を向けつつも動かない。
かくして、ハムスターの王女は女たちの中から出され、近くに立つ大きな木の建物の中へと連れ込まれてしまった。
「はあ、良かった。これで、君を他の男に取られずに済む」
建物の中の一室に入ったマルは、ようやく床に降ろされ、相手を見ることができた。
「はじめまして、ハムちゃん。厳密に言えば、一日ぶりですね」
「……誰?」
目の前に立っていたのは、星の光を散りばめたような淡い銀髪に、初夏の新緑を思わせる瞳を持つ若い青年エルフだ。
他のエルフたちと同様にスラリとした体格に整った顔。少し垂れ気味の人の良さそうな目元に、警戒心が緩められそうになる。
「僕はエイデン、エルフたちの医者です。ここは僕の家兼職場。怖がらなくていいですよ、君に危害は加えませんから」
「……………」
「君の名前を教えてくれますか?」
「……マル」
名前を伝えただけなのに、エイデンは満面の笑みを浮かべた。
「可愛い名前だ」
「あ、あの……あの場に残された他の獣人は無事なの?」
「うーん。今頃、それぞれ他のエルフの家にいると思いますよ。今の君みたいに」
それを聞いたマルは、思わず身を乗り出した。
「サラミも?」
「君と一緒にいた女の子ですよね……まあ、たぶん。ライリーが連れて行ったと思います」
「ライリー?」
「あの場でエルフたちを仕切っていた黒髪の男ですよ。あいつ、色白美人に目がないから」
黒髪に浅黒い肌を持った、強そうなエルフの顔が脳裏によぎる。
「……サラミは、大丈夫?」
「平気だと思います。エルフの男は女に優しいし、花嫁に危害を加えるような馬鹿はいません――もちろん、僕も優しいから怯えないでくださいね?」
最後に、さりげなく自分をアピールするエイデン。
マルはコテンと首を傾げた。
「ええと、エイデンは、どうして私一人をこの場所へ連れてきたの?」
「……ここで、それを聞くんですか?」
エイデンは、困ったように瞳を揺らしてマルを見た。
単純に、自分を連れ帰った彼の意図が知りたかっただけなのだが、世間知らずが良くない方向に働いたのかもしれない。
「ええと、私たちはエルフへの生贄なんだよね?」
困惑したマルを見て、彼は慌てて言葉を続ける。
「先ほどの説明にあった通り、あそこに集められていた獣人には、エルフの花嫁になってもらう予定です。獣人の国ではエルフに関して良くない噂が出回っているようですが、そういった話は全部嘘ですよ」
そう言うと、彼は真摯な表情で口を開いた。
「ですので、マル……できれば、僕のお嫁さんになっていただけませんか?」
「……え? ……はぁ?」
「祭の参加を許可されたエルフは、あの場にいた獣人の中から好きな子を自分の花嫁にできるのです。それで、僕はかねてより目をつけていた君を選んだ」
「かねてより?」
首をかしげるマルのすぐ近くで、彼はクスリと笑った。
彼の体から、ほんの少しハーブの香りがする。
「この匂い、知っている……あなた、あの時に私の意識を奪った人だよね?」
「ああ……そういう覚えられ方をしているんだ。獣人って、鼻が良いですよね。あの時は、手荒な真似をしてすみませんでした。でも、初めて君を見たのはそれより前ですよ。木の実、美味しかったですか?」
エイデンに聞かれたマルはピンときた。
家畜小屋の中で、食料を探していた時のことだろう。
「もしや、あの時、壁の手前に置かれていた木の実は?」
「うん、僕が魔法でこっそり置きました。やせ細った体で外の木を見つめる君が可哀想で。でも姿を見せれば怖がらせると思って」
「……ありがとう。木の実に関しては、感謝してる」
モゴモゴとそう告げると、エイデンがじっとマルの方を見た。
「僕は小さくて可愛いものが大好きです……ねえ、マル?」
「な、なに?」
「いきなり連れてこられた獣人たちには、酷なことだとわかっていますが、僕は君を大切にすると約束します。どうか、僕と夫婦になってください……」
マルを見つめるエイデンの瞳は、真剣なものだった。
少し悩んだ末、マルは用心深く口を開く。
「………………わかった」
「……え、本当にいいのですか?」
あっさり返事をされたことに、彼は戸惑っていた。
しかし、長い間城で暮らしてきたマルは、悪意のある人間を見分けられる。
少なくても今この時点で、エイデンは自分に対して害意を抱いていない。それで、充分だった。
「ええと、嫁になる意味は、わかっていますよね? こちらに送られて来る女性は、十八歳以上だと伺っているのですが」
「私も十八歳だよ。結婚後に何をするのかは、城にいれば自然と耳に入ってくるけれど」
夫婦になるには、国を問わず初夜の儀式が必要だそうだ。
部屋の中に閉じ込められていても、使用人の会話などから、どこそこの夫人が不倫して部屋に男を引き込んだやら、どこそこの伯爵が婚約者のいる令嬢を孕ませて大問題になったという話は、嫌というほど耳に入ってくる。
「……君のご実家には、色々と問題があるようですね」
マルから話を聞いたエイデンは、首を横に振りながら力なく呟いた。